最悪の未来

常陸乃ひかる

ハジメ

  1


『昨夜未明。〇〇町で住宅一棟が全焼する火事があり、焼け跡から性別不明の三名の遺体が見つかりました。この家には、家族三名が住んでおり、火災の直後から家の住人と連絡が取れなくなっていることから、警察では――』


 一年前。

 近隣で火災が起きた。暗夜に踊る炎は、家のみならず人間までも焼き尽くしてしまった。わたしは、その火災が起きる時間も、死傷者の数も事前に知っていた。

 なぜか? ここで推察されるのは、わたしが放火魔という説。あるいは、犯人と共謀した説である。残念、正解はそういった非人道的な理由ではない。

 わたしは年に一、二度、小売店のレジ前に置いてある募金箱を、一瞬ばかり燃え上がる親切心のけ口としたり、新発売したチューハイに涎を垂らしたり、ネコを見ては心を癒されたりする一般人なのだ。


 一般人ではないといえば、わたしと同棲している男が、いくらか変わった奴だ。

 名はハジメと言い、中学校からずるずると十年間も連れ添ってきた恋人である。彼は不思議な力を持っており、自分の周辺で起きる三日後の惨事を知ることができる。早い話が、予知能力だ。

 ハジメは見えた三日後を、【最悪の未来】と呼び、そのたび内容を教えてくれた。先述した火災の件は、ハジメの口から事前に聞かされていたのだ。

「火災は止められなかったの?」

「愚者の寝タバコをどう止めろと。それに、他人の死は他人には無関係さ」

 非情な性格のハジメ。

 彼が初めて【最悪の未来】を見たのは字を覚え始めた頃で、実際に公言したのは、成人を迎えてからだった。その相手がわたし、予知した内容はハジメの実父の死である。あの時、ハジメは心底マジメな顔で、


『もうすぐ俺の親父おやじが死んじゃうんだ』


 と言った。

 なにも患っていなかったので戯言だと聞き流したが、三日後に彼の父親は急逝きゅうせいした。クモ膜下出血というメディアでさんざ聞いた病名は今でも耳に残っている。

 葬儀では、わたしでさえ涙を流したというのに、


『誰しも、いつかは通る道だよ』


 の一言で、肉親の死を片づけたハジメに憤りを覚えた。同時に、わたしはハジメの能力を認め、恐怖を覚えるようになった。

 それを機にハジメは、親戚や知人の惨事をわたしに伝えるようになった。全員が死を迎えるわけではなかったが、痛みは避けられないものばかりである。

 どこまでも死に無頓着で、人助けをしたことは一度もない。だからこそ、わざわざ【最悪の未来】をわたしに語る理由がせなかった。

 ――ハジメは、なのだから。



  2


 半年前。

「どうして予知の内容を教えてくれるの?」

 ダイニングテーブルを隔て、わたしはハジメにいてみた。すると彼はそっぽを向き、テーブルのペットボトルに手を伸ばし、薄緑色の内容をぐいっときっしたあと、

「吐き出さずには居られないからかな?」

 と、はぐらかすような意見を吐いた。わたしは独自に解釈した。きっと、


『犠牲者はお前が救え』


 という遠回しのメッセージなのだと。

 そうか、そういうことか! どうして気づかなかったのだろう!

 日時や場所がはっきりしている事故ならば、未然に防げるではないか。それこそイージー極まりないのではないか? わたしの役目なんて、惨事の内容を聞いて、心を痛めたフリをして、数日後にはけろっとするだけ。そんな大望もなく、日々の小さな不安の惰性で凡下ぼんげな毎日を過ごす若者が、人を救えたら最高ではないか!

 わたしは新たなモチベーションを見つけてから、待機を続けた。人の役に立つことができると思い描くだけで、毎日が緊張と、わくわくの連続だった。

 メジロのさえずりを聞いて心が躍った。麗らかな陽を浴び、出勤と帰宅の歩調も軽くなった。梅がどこかの庭園でこぼれ、桜が全国で散り、イメージカラーは緑に入れ替わった。空はあおくも、息はあおい。

 ハジメがなかなか予知をしないので、まだ見ぬ未来で人を助ける夢を見始めた。平和であることに、溜息をついていたのだ。


「そういや最近、予知しないんだね?」

 ある夜。読書をしているハジメの隣で、タッチとスライドに飽きたわたしは、端末をテーブルに放り投げながら、質問を投げかけた。

「平和なのは良いこと。どうせ俺には救えない」

 ハジメは心底面倒臭そうに、残り四十ページほどの位置に栞を挟むと、本をテーブルに置き、背伸びをした。そんな態度が無性に気に入らず、

「救う力がないだけでしょ?」

 感情のまま嫌味を口にしてみた。が、ハジメは鼻で笑うだけだった。夕飯に下剤を盛りたくなるくらい苛立つ仕草である。

 わたしは盲信的にハジメの予知を聞き入れている。バイアスがかかっているのは言うまでもない。だからこそ、ハジメの弱気な発言が許せなかった。優れた能力を先天的に与えられながらも、なにもしないなんてちゃんちゃらおかしい。

 そんな矢先、

「あっ……三日後、お向かいさんの四歳の男の子が車にかれて死ぬ。場所はアパート最寄のコンビニの交差点で、国道側。時間は十三時二十分頃」

「え? へえ、そうなんだ」

 わたしが求めていた一文が、前触れもなく放たれたのだ。

 ハジメが語る【最悪の未来】は普段どおり説明的で、淡々と語る姿もまた同じだった。自分の意思ではないかのように、ピントの合わない視線をわたしに向けてくる。


 不謹慎だが、子供がもうすぐ事故死してしまうというのに心が躍った。

 いや違う、わたしには救えるのだ! ついに来たのだ、わたしが輝ける日が!

 あさって、昼下がりにはヒーローになるのだ!

 ドキドキが止まらず、自宅、職場、布団に入ってからも助け方を妄想した。子供を抱き抱え、華麗に車の回避! 子供の手を取り、車から引き離す! ムーンサルトをしながら、間一髪のところで子供を歩道に突き飛ばす!

「どれもカッコイイ。あぁ、早く当日にならないかな」



  3


 子供を救うまであと二日。

 一般人と距離を置いて生活している気分だ。だって、わたしには未来がわかるのだから。人助けを続けてゆけばメディアでも取り上げられ、

『事故から人々を救う女性!』

 なんて見出しであがめられ、羨望せんぼうの眼差しをもらう存在になるのだ。

「そうすりゃわたしは有名人になって、自然とお金も……」


 子供を救うまであと一日。

 ここに来て、不安が波のように心へと打ち寄せてきた。上手くいかないかもしれない。不審者扱いされるに決まっている。代理ミュンヒハウゼン症候群だと疑われてしまう。悩みを抱えて日没を迎え、瞬きしているうちに期待の朝日が昇った。


 予知された当日。この日は、ハジメもわたしも休日だった。

 十時に起床し、家事を済ませたあとは惰性だせいで過ごした。

 ひるを過ぎ、予知した時刻が迫ると、自分でもわかるくらい、足が地に着いておらず、一挙一動にあらが目立っていた。


 予知された時刻まであと五分。

 適当な春服を引っかけ、外気を浴びるとすぐ、片側一車線の交差点が見えてきた。横断歩道の先にはコンビニがあり、左右に国道が伸びている。

 薫風くんぷうに全身を撫でられ、一気に緑を吸いこむと、若い母親と男児がわたしの横を通り過ぎていった。その次に見たのは自転車に乗った少年だった。続いてふたりの女児が、きゃっきゃとじゃれ合いながらコンビニへと入っていった。子供は通るが、いずれもハジメの予知とは容姿が異なっている。

 この時の、目をぎらつかせながらあちこち見回している私は、決して近づいてはいけない人種だったに違いない。

 十三時二十分を過ぎ、心なしか人の姿も見えなくなってきた。

 大型トラックが轟音を立て、砂埃を巻き上げると、まとまっていたわたしの髪は、前後左右に散りばめられた。

「ハジメの誤報か……」

 積雲に視線を合わせ、季節の蒼を仰いだ。

 本来ならば清々しい日差しも、緊張によって不快に変わる。何秒かして視線をインフラに戻すと、変化が訪れていた。わたしの正面――コンビニ側の舗道で、国道を走る車に視線を注ぎ、目を回しそうなほど左右に首を振る男児が、今にもゼブラの上を横断しようとしているのだ。

 体勢はすでにスタンディングスタートで、足よりも心が前に出ていた。あの歳が描いているのは一種のゲームである。『信号無視』とは、車に轢かれないようにする単純な――それでもって命懸けの『ゲーム』でしかないのだ。

 ほどなく車の通りがなくなると、男児の左足が浮いた。滞っていた、わたしと男児の直線距離に時間が生まれた。気勢に満ちた表情でアスファルトを踏んだ小さい足。

「危ない! 止まって!」

 わたしは男児の二歩目が出る前に叫んでいた、手は届かなくとも声は届く。

 しかし、思いどおりに動いてくれないのが子供である。あろうことか、こちらの声に反応し、途中でぴたりと足を止めてしまったのだ。彼はなにが『危ない』のか、どこで『止まって』ほしいのかを理解していない。

 渡りきろうとせず、そして戻ろうともせず、クエスチョンを表情に宿し、不思議そうな視線をわたしに送ってくるばかりだった。男児の不可解な行動に息を呑んだ。当然、『戻って!』という避難指示を出そうとした。

 が、耳に飛びこんできたのは、アスファルトでゴムが削れる摩擦音。それを追うように、小さな体が吹き飛ぶ轟音だった。ほどなく、真っ青な顔でコンビニから飛び出してきたのは、金髪の若い母親だった。

 そのあと、どういう風に盤面が展開していったのか、よく覚えていない。しばらく茫然としていると、わたしの二の腕が強く握られた。腕の痛みを感じたまま、現場からフレームアウトするように裏路地に引っ張られた。


 場面が移り変わっても、わたしの意識は朦朧もうろうとしていた。

 虚ろな目で最初に認識したのは、よく知る顔つきだった。目、鼻、口の位置。普段は見ることのないハジメのきつい眼光である。彼の態度に尻込みし、言葉の組み立てを失った。子供を救うどころか、わたしが関わったために男児は轢死れきししたのだ。弁解なんてできなかった。

「どうして関わった?」

 ハジメの第一声に乗って、フラッシュバックが押し寄せてきた。身を震わせ、込み上げる昼食を必死に抑えたのは、先に弁解を口から吐き出したためである。

「うっ、ちがっ……それは、た、助けようと思って。きゅ、救急車、呼んで……」

「やめとけ、もう遅い。良いか? これに懲りたら人を救おうなんて二度と思うな」

 ハジメの感情は、憤りではなく落胆だった。

 事故現場を見にきた史上最低の野次馬であり、独善的な馬鹿女に成り下がったわたしは、暴言を突きつけられる覚悟もしていたのに、

「わかったら帰ろう」

 それすら行わない彼の言動が、余計に心苦しくなった。

「……わたしがしたことは……間違ってた?」

「元凶は、子供から目を離した親のせいだ」


 ハジメが【最悪の未来】に関与しない理由が、少しだけ理解できた。

 が、人としての善意が報われないわけがない。

 否、ここで終わらせたら本当に殺人者だ!

 当然、ハジメの感情を察することはできる。

 救えない命に心が折れ、達観するしかできなくなったのだ。

 否! わたしにしか救えない命があるのだ!

 気が滅入るどころか、わたしの野心はさらに強まった。

 ハジメが予知し、わたしが救う。

 彼の力を知った瞬間から、わたしは能力者のパートナーなのだ!

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