最終話:私が欲しかったもの
その日の放課後。約束通り私は北工に向かった。工業高校だけあって、校門から出てくる学生は男子ばかりだ。「着いたよ」と連絡を入れて、少し離れたところから育実が出てくるのを待っていると、北工の制服を着た男子に声をかけられた。全く。声をかけられたくないから校門から離れていたというのに。
「剣城育実に用があって来たんです」
彼女の名前を出した瞬間、彼の顔が一瞬にして真っ青になった。
「桃花さん」
「あ。育実」
育実が現れた瞬間、男子生徒は逃げるように走り去って行った。
「めちゃくちゃ怖がられてんだなお前」
「女ってだけでなめられんのが嫌で喧嘩ばっかしてるうちに気付いたらこうなってた」
「なるほど」
「……それで、会いに来てくれたってことは答え出たってことで良い?」
「……」
「……移動しましょうか。あたしの家で良い?ちょっと歩くけど、徒歩で行ける距離だから」
「……うん」
育実に案内されるがままに着いていくと、着いた先にあったのは屋敷。呆然としつつ、門を潜る。うちの庭の何倍も広い庭を見渡すと、大きな池を見つけた。その真ん中に置かれた石の上で日光浴をしながら気持ちよさそうにあくびをしている一匹の亀と目が合う。
「……育実ってさ、お嬢様だったりする?」
「いや、別にそんなことないよ。家主が金持ちってだけ」
「家主?」
「あたし、中学生の頃に親亡くしてて。それでここの家主が拾ってくれたの」
「……そうなんだ」
「そう。つっても、家主はほとんど帰ってこないんだけどね」
「……こんな広い家に一人?寂しくない?」
「寂しくないよ。家主はほとんど居ないけど——」
彼女が家の玄関を開けると、わんわんと犬の鳴き声と共に足音が聞こえてきた。奥から黒い柴犬が走ってきて、玄関先に座って「おかえり」と言わんばかりに嬉しそうな顔で育実を見上げる。そしてその柴犬の後を追いかけるように、のそのそと白いペルシャ猫を抱っこした三十代くらいの女性が現れた。
「あら。おかえりなさいませ。お嬢様」
「お嬢様はやめろってば」
「やっぱりお嬢様なんじゃん」
「違う。この人は家主の正妻の
正妻という言葉に突っ込んで良いのかと少し悩み、敢えてスルーすることを決めて、自己紹介をする。
「ふふ。お嬢様の恋人?」
「いや、えっと……」
「はぁ……ごめんね桃花さん。この人は放っておいていいから。こっち」
育実に連れられ、廊下に出て階段を上がり、部屋へ入る。先日写真を見せてもらった白いコーンスネークが居る。ここは育実の部屋なのだろうか。
「ここがあたしの部屋」
壁紙はピンクと白を基調とした可愛らしい部屋だ。とてもこんなヤンキーの部屋だとは思えない。
ベッドの上には大きなクマのぬいぐるみが寝ている。まさか、毎晩あれと一緒に寝ているのだろうか。
「……意外と可愛いもの好きなんだ」
「うん。そう。意外とね。ギャップ萌えした?」
「……自分で言うなよ」
「あははっ」
「……」
「……」
沈黙が流れ、和やかな空気が一変して真面目な空気に変わる。
「……育実の気持ち、嬉しかった」
「……はい」
「応えたいって思った。けど……」
「けど?」
「……そういう雰囲気になった時に、やっぱり女同士は無理ってなってしまうんじゃないかと思うと——」
言い切るのを待たずに、彼女は私と距離を詰めて床に押し倒した。真剣な表情の彼女が私を見下ろす。
「……誘ってんすか?」
「はぁ!?な、なんでそうなる!?」
「いや『そんなん試してみれば良いじゃん』って言って強引に抱く流れを期待されたような気がして」
「い、いや、そんな——」
そんなつもりはないと言いかけた言葉は、途中で彼女の唇に奪われる。
思わず固まってしまうと、彼女は唇を離して私の手首を握ってふっと笑った。
「ドキドキしてる」
「す、するだろ!いきなりキスされたら!」
「嫌でした?」
「……してから聞くなよ」
「じゃあ、今度はもうちょっと長めにするんで、嫌だったら蹴飛ばしてくださいね」
「えっ、ちょっ——」
再び、唇が重なる。
ドキドキと心臓が高鳴る。嫌だったら蹴飛ばせと言われたが、嫌な気は一切しない。むしろ心地良い。
離れゆく彼女の唇の感触に名残惜しさえ感じてしまう。そこまできたらもう、言い逃れは出来ない。
「何回も言うけど、あたしは素のあんたが好きですよ。可愛くてかっこいいあんたに惚れた。だから、これ以上素の自分を否定しないであげてほしい。素の自分じゃ誰からも愛されないなんて、そんなことないです。少なくとも一人はここに居ます」
私はずっと、そう言ってくれる人を探していた。あの日、私にかけられた呪いを溶かしてくれる人を。その人が今、目の前にいる。相手は異性ではないけれど、そんなことは私にとっては重要ではないのだと、たった今証明された。
「桃花さん。愛してます。好きです。改めて言います。付き合ってください」
彼女の優しい声が胸に突き刺さり、込み上げてきた涙がそのまま溢れ出す。
返事はもう、迷わなかった。
身体を少し起こして、言葉の代わりにキスで応える。
あの日好きな人にかけられた呪いは、素の私を愛してくれた人の体温に包まれてあっさりと溶けていった。
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