掌編小説・『献血』

夢美瑠瑠

掌編小説・『献血』



              掌編小説・『献血』



              1 イケない性癖


 武羅戸景美(ぶらど・けみ)は、国立血液検査センターの技官で、病院で採血された数多くの患者の血液の成分の調査と分析を担当していた。

 だだっ広い真鍮のデスクの上には無数の調査液、薬剤が置いてあった。センターに送られてくる、個々人のネーム入りの無数のサンプルにそれらを混ぜ合わせ、神業ともいえる熟練した手さばきで景美はそれらを分析していく。長年「仕事一筋」の人々が往々にして身に付ける例の手練の技である。技術革新でオートメ化されてはいたが、複雑で細かく、注意を要する作業でもあった。同僚は5人いて、彼女がチーフだった。

 「〇野▽夫…48歳、公務員、ブラッドタイプB。慢性肝炎の既往症あり。ガンマGTP,尿酸値、血糖値、すべて基準値超え。コレステロールも高い。典型的な生活習慣病のパターンね。精密検査の要あり。献血は可。」

 PCを操り、結果表に電子印判をスタンプする。これで一丁あがり。

 味もそっけもない仕事だったが、安定しているし、彼女には多少の薬学の知識以外なんの技能もなかった。残業や時間外出勤のない今の職場環境に景美は満足していた。

 35歳で独身ではあったが…


…今日1200人目のサンプルを分析し終わったところで、終業のチャイムが鳴った。

 「ふう。やっと終わった。」

 「お疲れ様。どう、百合香さん、吞んでいく?」

 「い、いえ…父が病気で…すみません」

 「そう」

 黒髪がたっぷりしていて、つややかで、血液も健康そうな若手の後輩を誘ったが、またフラれた。清羅百合香(きよら・ゆりか)と言って、名前通りに清純な百合のような女だった。

 景美は爪を噛みながらじっとその凛とした後姿をねめつけた。

 (あの子は本当に可愛い。萌美なんて問題にならないくらいにプロポーションも肌も綺麗だ。何とかしてオトしてやるわ)


…景美が独身なのはいい相手が見つからないというより、愛らしい同性を見るといてもたってもいられなくなる、彼女の”イケない性癖”の所為だったのだ。

                                                  


           2 献血車


 オールドミスではあったが、景美は目鼻立ちがくっきりしたな美人顔で、学生時代には女性の後輩たちに人気があった。

 声がハスキーで、いわゆる「宝塚の男役」的な雰囲気があった。

 好意というのは反射する。好きという感情が強烈であった場合には、だんだんどちらが最初に好きになったかとかいうことが曖昧になってきたりする。近縁性の原理、類同性の原理、感情の反射…愛情というのは複雑なのだ。世の中に明らかに不釣り合いな、ミスマッチなカップルが多いのもまたむべなるかな…

 女性に好かれるから女性が好きになってしまった…幸か不幸か、彼女にはそれが自然な成り行きだったのだ。

  たくさんの「女性体験」が女子校生活のうちに積み重なって、いつか筋金入りの「レスボス島のサッフォーの末裔」に、景美はなっていった。

 私生活は秘密に包まれている”武羅戸女史”の、しかしゴシップ的に噂は広まっていて、陰では彼女は「あのナブラチロワ」などと呼ばれていた。


…今日は出張検査の日で、景美は献血車のテントの中で「エイズ」の血液検査を担当していた。

 例外的にこの場合は献血者のID、身元が確認できた。HIVの陽性、陰性というのは医療現場では重要な資料であって、疫学的な検査のデータとしても転用されていた。部外秘のプライバシーだが、献血者の姓名や性別、年齢等々は同定しえたのだ。

 自粛ムードの中とて、仕事は暇だったが、それでも気を抜くわけにはいかず、景美は慎重に採血者の顔や名前を確認していた。


 「はい、次の方。」

 端正な顔立ちの、大柄の中年女性だった。笑うと犬歯が尖っている。

 ものの10分もせずに検査は終わり、HIVの反応は陰性だった。

 「ありがとうございました。」

 女は出ていった。

 書類をめくろうとして、景美はふとその女の名前に見覚えがあることに気づいた。

 「小杉於斗 46歳 ブラッドタイプB 既往症なし」

 一見何の変哲もない名前である。が…?景美は妙にひっかかった。

 (こすぎ・おと?誰だったかしら?こすぎおと、こすぎおと…ひっくりかえすと?オトコズキ?…ああっ思い出した!)

 時間にしてほんの数秒ののちに、想念を巡らせていた景美は「小杉於斗」が誰だったかをはっきりと思い出していた!


          3 百合の戯れ   


 「Mmmmmm…Mmmmmmm…」

 「あ!イヤン!そこはダメえ」

 「ほらほら、ぜーんぶ丸見え。うふふ、かわいい」

 百合香の、引き締まったミルク色の、長尺の太腿を両手で押し開いて、景美は陰密な部分に接吻する。

 百合香は出そうになった嬌声を吞み込んで、ブルッ、ブルッと全身を痙攣させる。

 乳房に伸びた「姉」の手が、「妹」の桃色の乳首をいじめる。

 「あ!うんっ!」

 眉をひそめて百合香はのけぞり、小指を嚙んで、甘い吐息を漏らす。

 起き直った景美は百合香を抱き締めて、よく実った絖のような乳房同士を押し付け合う。

 首を絡めて、今日何度目かわからないディープな口づけをする。

 「ああ…室長…私、なんでこんなことに…」

 「しゃべらないで!今いい所なんだから…」


…小杉於斗という名前は、かつて送られてきた血液サンプルに、「既往症:nymphomania」 と但し書きのあった精神科病棟に入院している患者のものだった。珍しい病気と名前なので記憶の片隅に残っていたのだ。「色情狂で、名前をひっくり返したらオトコズキ?出来過ぎてる話ね」とちょっと目を瞠ったのも覚えていた。


 景美はその、於斗から採取した血液をフリーズドライにして、百合香のお茶の中に混入したのだ。


 ”惚れ薬”になるかどうかなんて確信はなかったが、科学者流の”実験精神”と好奇心が景美を駆り立てたのだ。


 そうして、豈はからんや、その日に誘われた百合香は、呆気なくホテルについてきて、本能の赴くままに二人は百合遊戯に耽る成り行きになった。 


「うふふ。もうこの子はアタシのもの…こんなに思惑通りに行くなんて思わなかったわ。血液って不思議ね?」


 だが、景美は知らないことだったが、小杉於斗は混血であり、エキゾチックな容貌の堂々たる女美丈夫なのはそれゆえだった。彼女は東欧ルーマニアの貴族の末裔で、そうして遠い先祖の遺伝形質が偶然に発現した突然変異体だったのだ!


 エイズのように血から血へと継承されていくその忌み嫌われる突然変異形質が魔女狩りのごとくに長く撲滅されてきた末に百合香の体において復活した!


ホテルの外には夕闇の中で蝙蝠たちが狂ったように群舞していた。血走った目で、百合香がそれを見つめていた。「キキキッ」とかすかに笑うような声がしたのは誰のものだったろうか…


見よ!…長い愛戯の末に、薄い毛布にくるまれてぐっすり眠り込んだ景美の首筋には熱烈な愛戯の名残を如実に示して、百合香がつけたキスマークが鮮やかな紫色に残っていた!


 そうしてその紫斑の中央には牙で嚙みついたような真紅の血の穴が二つ並んで開いていたのだ。   

                                       <了>

                    

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掌編小説・『献血』 夢美瑠瑠 @joeyasushi

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