第17話 恥じらいは大事
かろん。
「よ」
「ん」
例によって例のごとく、常人なら運任せの妖族中立都市に、ふらりとやってきては盃を重ねる二人。
「アルノお前、今日ミスったろ」
「ナンノコトカワカラナイナ」
「わかりやすっ!」
ハルが言った途端に視線をうろうろと泳がせるアルノ。
人馴れしていないというかスレていないというか、こういった部分はまるで子供のようだ。いや、実際「吸血鬼としては」子供なのだが。
「林の入り口」
「ぎくっ」
「わーお。ぎくっとか本当に口で言う奴初めてみたわ」
面白そうにジョッキから口を離してハルが大口を開けて笑う。
むすっとしたアルノは黙ってその口に、炭火で熱せられたモン貝を跳ね飛ばした。
「あっつ!!痛ぇ!!」
慌てて吐き出したハルが、熱いのか痛いのかわからない悲鳴をあげる。
それもそうだ、アルノの膂力で弾き出された貝は噛み砕けるスナック感覚のものと言っても、弾速が弓の比ではない。ハルじゃなかったら多分、頭蓋を貫通している。
「ごほっ、げぇーっほ!うぉい!てめ、アルノ!いって、痛ててて……何しやがる!」
咳き込んで吐いた血をおしぼりで拭いながらアルノを睨む。
この程度の揶揄いはいつものことだろ怒るなよ、と思ったハルだったが、
「ごほごほっ、あれ?アルノ?おーい」
俯いているが、最近はフードを外すようになったので見えるようになったアルノの耳が真っ赤になっている。それを目にしたハルは怪訝そうに顔を近づけた。
「えーと、アルノ?いや、あれくらい男同士のジョークじゃね?」
そんなに気にしてるとは、とハルは何だか落ち着かない気分になった。
周囲を見回して大将の嫁に助けを求めるが華麗にスルー。
というよりも、視線で殺せるレベルのガンを飛ばされた。
大将は大将で、呆れたような目をちらりと見せると黙って背を向けて調理に入ってしまうしで、ヘルプがまったくなくなってしまったハルはその時になってようやく不味いと理解した。
ハルにしてみれば一教生男子みたいなバカバカしい遣り取りもたまには良いだろう、と軽い気持ちで振ったのだ。
実際最初はアルノもわざとらしい誤魔化しで乗ってきたように思えたから、「まあ気にすんな」と続けようと思っていたのだが想定以上に深刻な感じになってしまった。落ち着きなくもぞもぞとスツールに乗せた尻を動かしながら、諦め悪く助けを求めてちらちら。
が、やはり誰も助けてはくれないようでハルは罪悪感に苛まされながらアルノを横目で気にする他なくなった。何しろ飲み物も何も頼めないし、頼んでも注文を受けてくれそうな雰囲気ではなかったので。
ザラ・メラビオと呼称されるメラビオ地域の丘で遭遇戦になったのは今日の午後すぐのこと。
魔族の小部隊およそ百がメラビオのウルとザラの境界付近で発見されたとの哨戒報告を受け、一個中隊を組んで騎馬出撃したハルは、メラビオに近づいた林の近くで明らかにアルノと思われる反応とそこから少し離れて静止している魔族の四個小隊を発見した。
能力で把握した限りでは馬鹿力のノッテ民を除いた、フルドラ兵多数とロヒ、フルグ少数の混成部隊。編成から考えて何らかの工作活動中なのだろうと判断するも、工作活動で部隊を動かすならルート選定間違えてるだろ、というのが最初の「ミスったろ」の発言。
が、問題はそこではなく。
連れてきた混成中隊で十分対応できると思ったハルだったが、アルノが突出していることが気になった。
会戦では一人で突撃してくることもあるアルノだが、行軍中、しかも工作など脳筋魔族には最も似つかわしくない状態で先行しているのは妙だ。フルドラ兵を連れているなら尚更、彼らに任せた方が良い。
先行偵察か、とも思ったがフルグ兵を連れているならアルノがそれを行う必要はない。こちらの接近に気付いていないことは能力で把握できている。
罠でも仕掛けてるのか、と考えたハルは中隊に停止を命じ、何をしているのか目視確認しようと一人で馬を進め、林の入り口に差し掛かったところで藪の中で何やらごそごそやっているアルノの気配を感じ取った。
気配を感じる位置まで来れば、能力を強化して行動予測や行動記録を見ることもできる。あまりに妙な行動に胸騒ぎを覚えたハルが念のためと能力を用いると、
「いやほんとスマン。まさかトイレとは思わず……」
頭を下げるが、ここでトイレとはっきり言ってしまう辺りがデリカシーに欠けている。
とは言え、ハルがアルノを少年だと思っているのは他ならぬアルノのせいなのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが。
無論、覗き込んで大きさをからかうような一教生じゃああるまいし、実際にトイレ風景を見た訳ではない。そっと離れて魔族の工作活動そのものはその後の遭遇戦に見せかけたハルの罠で阻止したのだから、ここでいらんことを言わなければ済んだ話だ。
アルノも「ミスった」内容がルート選定だとしか思っていなかったのに、林の中と言われてその時自分が何をしていたか、それをどうしてハルが知っているのかで推測を進めてしまった。
その結果、
「……ろ」
「ん?」
「お……と言った」
「よく聞こえないぞ」
ようやく反応してくれたアルノにほっとしながら耳を近づけるハルだが、次の瞬間には両手で耳を塞ぐことになった。
「お前のも見せろ!」
「はあぁ?!」
がばっと真っ赤な顔を上げてハルを睨みつけると、そのままの勢いで摑みかかる。
下半身に。
「いやおい!ちょ、待て待て待て!」
牙を剥き出しにして襲いかかるアルノを交わしきれず、スツールごと後ろに倒れる。
「いってぇ!あたたたた」
ちかちかと目の前を飛ぶ光に頭を振ると、ガンガンと鈍い痛みが響く。
何がどうしてこうなった、と鈍痛の頭を抱えているとかちゃかちゃと怪しい音に気がついた。
「って待てアルノ!おい、落ちけつ、いやおけちつ!」
「私は十分落ち着いてる!お前が見たのなら私だって見ても良いだろう」
「見たくはねぇだろ普通!だから脱がすなこら!」
「うるさい黙れエロ魔神」
「エッ、エロ……男が男の見てエロもへったくれもないだろ!」
フロアに転がったままぎゃあぎゃあと大騒ぎする二人だが、大将たちはハルの自業自得と察して見て見ぬ振りだし、そんな大将と嫁を見た客たちも、とりあえず店主に倣っておけば問題ないだろうと無視を決め込む。
滞在制限の間で堪能したい彼らにしてみれば、妖族の対応を真似しておけば確実に問題にはならないし、そうすれば期間中満喫できるから余計なことに首を突っ込みたくはないのだ。
「ちょちょちょーい!待って、ほんと待って、ポロる、ポロっちゃうから!マジで!」
「おおポロれ!ポロるが良い」
「何言ってんだお前は!」
「いいから出せ!さあ出せ、早く出せ、出しまくれ!」
「ぎゃあー!お前、ちょ、ほんと正気になってから絶対後悔すんぞ!」
「やかましいわ、私のあ……その、あれを見たんだからお前のを見せてイーブンだろうが!」
「だから見てはいないって、マジで!」
「うう……もうお嫁に行けない」
「やかましいわボケ。お嫁じゃなくて汚嫁だろうがクズ人族め」
「ちょ、酷くない?!」
そもそもハルは嫁ではない。
二人くんずほずれつの大騒ぎは、そろそろ許してやれと仲裁に入った大将によって止められたが、ハルからしてみればもう少しだけでも早く助けて欲しかったところだ。
辛うじてポロるのは阻止できたが、業を煮やしたアルノにズボンの上からナニを捕まれそうになり、死を覚悟した。不死なのに死が垣間見えたのは、初めて出会した戦闘で好戦的に狂気の笑みを浮かべて突撃してきたアルノに迫られた時以来だ。
そう考えれば、ハルにとっての死の恐怖はアルノだけに直結している。
こいつ吸血鬼じゃなくて死神じゃね、と思わなくもないが、今それを言うと折角落ち着いた雰囲気が壊れてしまうので黙ってうな垂れた。
「とは言え、まあ無理やりじゃなきゃ別に恥ずかしいとは思わないけどな」
「あ?何がだ。いや、ナニがか」
「下ネタやめろ。あっちの腐女子の皆さんがハァハァしてるから」
視線を向ける勇気も必要もない。
明らかに背筋も凍るような空気をびしびし感じる。
「昔はヴェセルや隊の仲間と一緒に風呂入ったりもしてたしな。男同士がフルチンでいることに忌避感はないんだよ」
「フルッ?!だからデリカシー!」
「お、おお?すまん……デリカシー?」
「お前にはデリカシーが足りない」
「えー。そうかねぇ……別に普通じゃねぇか、これくらい」
「なら見せても良かっただろうが」
「いや、なんか無理やりされるのはちょっと。俺Mじゃないしな」
それに、と。
大将が気を利かせて、ひっちゃかめっちゃかになってしまった卓に改めて作って出してくれたモン貝の炭火焼をぼりぼりやる。
苦味が何だか切ない。
「お前に見られるのは恥ずかしいんだよな」
それはそうだ。
本人は完璧な男装のつもりでも、ハル以外は明らかに女だと気付いている。
魔法操作に優れ、それだけに自分にかけられる魔法への耐性や操作も可能なはずのハルなのだが、アルノの精神操作にかかってしまっているのはヴェセルが推察した通り、どこかでアルノの魔法を受け容れてしまっているからだろう。アルノが無意識にやっていることだからそれほど強い操作ではない。だから受け容れつつもどこかでアルノを女として感じてしまい、ふとしたことで恥ずかしいと思ってしまうのだ。
「何でだよ」
「何でだろうな?」
モン貝の苦味に飽きて、コウテイイカの沖漬けに箸を移す。
「やっぱあれだな、お前が女みたいだからだろうな」
「おい舐めてんのかぶち殺すぞ」
「何だよその棒読み。いや前にも言ったが、ほんとお前が女だったら速攻で惚れてるもんな。どストライク」
何で男に生まれたかなー、と嘆くハルに通りがかった大将の嫁が可哀想なものを見るかのような視線を投げる。それからアルノに視線を移し、何か言いたそうな顔をしたが黙って通り過ぎて行った。
その視線に、バッと顔を伏せたアルノの顔は赤い。
「にゃ、にゃにを……」
「あん?何だよお前、この手の話になると途端にウブいよな」
「べべべ、別にぃ?ウブくないですしぃ?」
「いや変だぞ。ははぁ、さてはお前」
にやり。
傍から見ても悪い笑いを浮かべる。魔王に次ぐ魔族ナンバー2のアルノも、それには思わず引いてしまった。
「何だ、気持ち悪いな」
「ぐはっ!き、気持ち悪い……あー、娘に洗濯物を別にして欲しいって言われる父親の気持ちってこんな感じなんかな……」
「何を訳のわからんことを。笑っても嘆いても、どっちにしてもキモいから言いたいことがあるならさっさと言え」
「アルノの口撃がマジ辛い。くそぅ、くそぅ……あのクソ女神がもっと若いうちに転移させてたらこんな想いはしなかったのに」
「はいはい、それはいいから。で、何だ」
さっさと言え、と顎をしゃくって促す。
ぐちぐちと女神への怨嗟を呟いていやハルだが、まあ文句言っても現状は変わらない、と体を起こすと、
「いやな、お前処女だろ」
がごん、と物凄い音がした。
「いっでぇ!じだ、じだがんだ!」
「貴様が妙なこと言うからだろうが!何がしょ……処女だ阿呆め!」
「あ、すまん、素で間違えた。処女じゃなくて童貞な」
さすがの不死、アルノの腕力で脳天に拳を落とされ舌を噛んだというのに、あっという間に回復するとてへっと舌を出す。
「うっわぁ……キモい。マジでキモい。中年のてへぺろは見るに耐えないおぞましさ」
「酷すぎる」
無意識の精神操作が崩れかかっていることに気づかず、カレンに聞いて男装の強化しないと、と別方向の努力を心に決めるアルノだった。
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