第16話 王女と聖女
招き入れられた部屋で先に着いていた主人に促され、ヴェセルは勧められたソファに腰を下ろす。
入室する時にざっと見渡したが、隠れ家としてはなかなか気の利いた部屋だ。使う人間の程度に合わせてそれなりの調度が整えられている。
王都とセーガル河の中間ではなく、そこから更に南下した場所であるというのも良い。往復に六日は見なければならないのが、参謀付策戦補佐官としては溜まっているだろう仕事を思い浮かべてうんざりしてしまうが、セーガル河畔の要塞は勿論のこと、拠点としている交易都市でも王都でもマズいのだから仕方ない。
「無理を言って済まなかったな、翁」
正面に腰掛けた少女が、その見た目に似合わない尊大な言葉遣いで発するが、纏う気迫によるものか不自然さは感じられない。
「いやいや、王女殿下たってのご要望とあれば腰を上げない訳にもいきませんでな。聖女殿もご一緒だとは思いませなんだが」
ちらり、と王女の隣に腰掛けた司祭服姿の女性に目礼をすると、聖女は魔族すら戦意を失わせそうな慈愛の笑みを浮かべて軽く頭を下げた。
「お忍びであることは重々承知しておりましたが、ハル様に関わることは国家、いえ人族、いえいえ世界の一大事。無理を言って同行させて頂きました」
聖女の言葉で眉を動かす。
いや、それ聖女殿の個人的な一大事では、と思わなくもなかったが聖女の畏まった言い方で意識を真面目に戻す。カノ王女の呼び出しの急さで予想はしていたが、どうやら想定以上に悪い状況のようだ。
そんなヴェセルの表情を呼んだ王女は、メイドが紅茶を三人の前に置いて退出した気配を待ってから、
「翁の予想通りだ。西方諸王国は密約で邦国形成を決定した。と言うより、ハルを魔王戦線から引き剥がして人族の戦争で亡き者にしようとする王室派の手引に踊らされて、だがな」
一息に言うとカップを持ち上げて紅茶を口にする。葉は最上級、淹れ方も熟練の手立、香りも味も良いのだがそれがわかるほどの心情的余裕がない。
顔を顰めたのもそのためだ。
王族の中でもその才、容姿全てが出色であるからそんな表情すら若い貴族たちの羨望と令嬢たちの嫉妬を受けている王妹殿下。それが面倒でここ最近はできるだけ公の場には出ないようにしているが、この場にいるのは王女の他にはヴェセルと聖女のみ。
何の気兼ねもなく素の自分を出せるのは、この二人や連れてきたメイドたちを除けば、後はハルだけだ。
「魔王軍との戦場ではどさくさに紛れて殺すのも無理だということは、さすがに理解しているようですな」
「それくらいはな。近衛ですら役に立たない戦場に、王都の兵や貴族の私兵など紛れ込ませても挽き肉になるだけだ。だから翁たちの旅行を狙ったのだろうしな」
「ああ、ご存知でしたか」
バレたか、のような言い方をしたヴェセルだが実際のところ意外でも何でもないし、そのことについて咎められるとも思っていない。
果たして王女は苦笑すると、
「休戦期なのだし、誰とどこに行こうが所在と期間さえわかっていれば問題なかろう」
「ハル様にとっても良い息抜きになったでしょうしね」
聖女が付け加える。
が、その殊勝な言葉とは裏腹に顔はまったく笑っていない。
「愛する娘に会いに来ず魔族と旅行に行くなんて許……んんっ、私たちが情けないばかりに、ハル様には不要な苦労を押し付けてしまっています。息抜きの旅行程度でとやかく言われる筋合いはないでしょう。ただ、私に会いに来ないのはどうかと思いますが。ねぇ、ヴェセル様?」
片眉だけをぴくり、と上げて続ける聖女の言葉に王女を見て、渋面のその顔で何があったかを察したヴェセルは肩を竦めた。
が、そのハルへの偏愛が王城であからさまになるのはヤバいから会いに行けないのだが。
聖女、タピ・アリアテーゼは十七歳、カノ王女と年齢が近いことから昵近し人族の未来についても話し合う仲だ。
ハルが嫌な顔をするので女神や教義について煩く口にすることもなく、聖職者としては型破りな範疇だろう。
人族に数人しかいない桧の上枝という魔力操作能力を持ち、金髪碧眼というありきたりな組み合わせでありながらも一つ一つがまさしく黄金比と言わざるを得ない奇跡的な組み合わせで、隣に座るカノ王女と並んで王国一、二を争う美女とされている。
聖女の用いる力は奇蹟または聖蹟と呼ばれ、魔法とはその系統が異なるものだ。学問として成立する魔法は今現在行使できなくとも「原理的に不可能」とは考えられていないが、聖女の用いる聖蹟は「できちゃった」というレベルで理論も工程もすっ飛ばして実現する。
つまりは恐らく、ハルの能力と同じものだ。
自分たちの苦労を嘲笑うかのような彼らの能力は、魔法師たちからはあまり良く思われていないし、制御不能且つその能力を保持する人そのものの性質に左右されてしまうことから、為政者たちにとっても畏怖の対象だ。
教会の影響があるからハルのように表立って邪険に扱われるようなことはないが、自分がどう見られているかなどアリアには良くわかっているし、そういった意味でも彼女はハルに親近感を覚えている。
聖女アリアが女神の加護を受けたのは十年前。
女神と魔王、信じる対象は違えど超常の存在を信仰することからまず先に魔族が気付いた。確保に動いたアルノによって襲撃された王国北端の村で、まさに魔族の手に落ちようとしていた所を救ったのがハルだった。
手勢を引き連れてはいたものの急ぐ余り脱落者が多く、一人で辿り着いたハルが本人曰く「人並」の武技で魔族を蹴散らし、アリアを救出して王都へ連れ帰った。
確かに群がる魔族を蹴散らしたが、そうは言ってもやはり勇者ほどの膂力はない。傷ついて血を流すハルを癒したのが、アリアの用いた最初の聖蹟だった。
血と炎に彩られた地獄の光景から救い出してくれたハルを幼かったアリアが慕うのはごく自然な流れであり、それからはカノ王女の学友として王城に住まいながら共にヴェセルや時折ハルに師事し、早くハルの隣に立てるようにと乾いた草が水を吸い上げるように様々なことを吸収した。
聖蹟は治癒に特化したものだが、その威力は凄まじく老化や劣化などの時間に関するもの以外であればほぼあらゆる怪我や病気を癒やすことができる。
もちろんそれだけ魔力を要するものだからかき集めるのに時間も労力もかかる。おいそれと行使することはできないが、王族としては手放すことができない存在であり、再三に渡るハルやヴェセルからの「前線に送って欲しい」という要求はついぞ叶ったことがない。
そのことを苦々しく思っているのはアリアだけでなくカノ王女も同様だ。もちろん、全ての人を等しく癒やすなどと言う平等思想は持ち合わせていないが、腐りきった王族や貴族よりも人族全体に貢献している兵士を癒やすことを優先すべきと思っているのだが……。
「私の聖蹟はハル様の役に立つためにあるのです。ボーエン公爵の肥え太った体などを癒やすためではありません」
むすっとした表情がアリアの心情をものの見事に物語っている。
その家名を聞いてヴェセルはどこかで聞いたような気がする、と思って気付いた。
「策謀の震源地はボーエン公爵ですかな」
ヴェセルを息子の家庭教師に、と誘ってきた相手だ。
旅行の時の襲撃者もそうだったのかも知れない。
そう思って二人を見ると、王女は軽く目を閉じ、聖女は嫌悪感を顕にした。
「恐らくはな。尻尾を掴ませるほど愚かではないし、公爵より過激な王室派も勿論多い。確実とは言えないが中心にいるのは公爵で間違いないだろう」
「教会の中にも王室派はいますから、私も派手に調べ回ることはできていません。教主様は現状を憂いておいでですが、選定官のうち二名が王室派貴族と繋がりを持っていることはわかっています」
聖女アリアの言葉に、ヴェセルはうーむと考え込む。
教主は教会のトップではあるが、世俗的権利を持たない。その決め方も十五名の選定官による投票制であり、選定官への付け届けなども常態化していることから世俗権益に塗れた教会上層部たちにかつがれる神輿、と言ったところだ。
とは言え人前に晒されることも多いことから人格者が選定されるのは当然であり、現教主も女神絶許なハルに対しても苦言を呈することなく穏やかに見守るような人物である。
ただ、王室派と接触しているのが十五名中二名だけということなら、教会は教主始め王室派に完全に染められているという心配はなさそうだ。
「儂の方で掴んでいるのは、西方は年内にも動き出すだろうということと、それに先駆けて軍務大臣がこの数ヶ月の内にはコルテロ伯になりそうだ、ということですな」
ひとまず情報共有を、と諜報部隊による情報を開示すると王女は頷いた。
「なるほどそれ故か、合点がいった。近衛第一連隊での配置換えがあったのだ。兄上の警護が第三小隊から第四小隊に変わったことに何の意味があるのかと思っていたが、第四の隊長はコルテロ伯の義弟であったな」
「あの鼠みたいな伯爵ですか……王室派との関わりはあまり見えませんでしたけど」
「こすっからい奴よ。のらりくらりと王城を泳いでみせているのだろう。そう考えれば完全な王室派かどうかもわからんから、詳しく調べる必要がありそうだな」
「儂の配下にやらせましょう。王女殿下も手が回らないでしょうからな」
ヴェセルの申し出に助かる、と答えたカノ王女は申し訳なさそうに眉尻を下げた。こういう表情をすると、十五歳の少女らしく見える。
「すまないな、翁。何しろ私には自由に使える者が少ない」
「仕方ありますまい。殿下は王族、本来であれば王室派にいるべきなのに融和派の旗頭ですからな。王族にとって見れば目の上の瘤でしょう」
ともすればバカにしたように聞こえるヴェセルの言葉に、王女は苦笑した。
仮にも王族である王女に表立って抵抗する動きはない。
間に五人挟まっているから三十八歳の国王とはかなり歳が離れているが、正しく王妹殿下である。融和派とは言え年齢も十五歳、もう四、五年もしたら降嫁して国政に影響を与えることもできないだろうと思われている節もあり、ボーエン公爵のヴェセルに対する態度と同様甘く見られているのだろう。
聖女もまた、教主や選定官、司祭、助祭などの聖職序列と無関係に単独で立つ存在であるため危険な存在として捉えられていない。
それはそれで彼らにとっては好都合なのだが、立場が軽いと今日のように身軽ではあるのだが使える手駒も少なくなる。勢い、情報収集に用いれるのはハルとヴェセルの私設部隊のみ、実力としてはハル頼みということになってしまう。
そしてその肝心のハルはと言えば。
人族に何の希望も見出しておらず、アルノとの戦いと飲みニケーションに傾倒してしまっている。
エルフと見合わせようとしたり勇者軍を引き剥がしたり暗殺者を向けられたりと、致し方ないと言えばそうなのだが、ヴェセルたちからすれば自らの足場固めにもうちょっと本人にも必死になって欲しいところ。
今はまだヴェセルとカノ、アリアテーゼと言う知り合いがいるから王国に所属しているが、三人がいなくなればあっさりと軍を辞し他国へ流れてしまうだろう。人族全体に失望しているから邦国や協商国、公国などで宮仕えをすることはないだろうが、隠遁生活に入ることは間違いない。
そうなればハルの抜けた連合軍など烏合の衆に過ぎず、魔王軍のアルノが一切の遠慮も躊躇もなく蹂躙するであろうことは明白だ。
自分たちがこの世を去った後の王国がどうなろうと知ったことではないと言い切れれば楽だったのだろう。けれどそう割り切れないから王女やら聖女やらをやってるのだ。
「ハル様ご自身がもう少し保身や出世による地位固めに執心してもらえれば、少しは状況も変わると思うんですが……」
「無理だろうな。王室派はハルを失望させることしかしていない」
「ですなあ。アルノ殿と対峙できるのはハルしかおらんことを本当に理解しているのか……あ、いや待て」
何かに気づいたヴェセルが言葉を止めて考え込む。
王女と聖女は口を挟まず、興味深そうに言葉を待った。
しばしして、
「あの旅行でアルノ殿の侍女であるカレン殿と面識を得たんじゃが、うまく行けば現状維持くらいは可能かも知れん」
要するに王室派は、邪魔だが優秀なハルを西方戦線に送り込んで諸王国を飲み込んでしまいたい。その間に今まで出し渋っていた戦力を投入して、魔族戦線で成果を出し派手に喧伝したいということなのだろう。
ヴェセルを呼び出した密書にあったように、ハルの西方異動に伴い聖女アリアテーゼをセーガル河戦域に投入する計画もあるというのだから、目立たない西方より東方の対魔族の戦いに全力を傾けようとしているのは事実だろう。
だが、アルノを知るヴェセルからすれば愚かも良いところだ。
近衛第三連隊の連中では魔族の力量すら見抜けぬか、と呆れるほどに魔族、ひいてはアルノの実力を理解していない。
ハルが抜けたセーガル河畔は人族の血で染まる。
それだけは確実だ。
だから彼ら三人としては、ハルを西方へ引き抜くことだけはさせてはならない。人族同士の戦いにハルを投入すれば勝利は確実だが、西方諸国が合従した程度の戦力なら、そこらの貴族の領兵だけでも戦線の維持くらいなら可能なはずだ。
故に、
「一度ハルを引き離すことは致し方ないにしても、その上で王都の連中にアルノ殿の力量を実感させれば良い。全滅した上で侵攻されては敵いませんから、ハルとのお楽しみを餌に塩梅の良い限界まで暴れてもらえばよかろう」
ヴェセルの「お楽しみ」にカノ王女はにやりと笑い、聖女アリアは眉を顰める。が、途中で口を挟むことは堪えた。
「兵士には気の毒なことじゃが、増派される戦力はどうせ王兵と領兵が中心じゃろう。王室派の戦力を削ぐにもちょうど良い」
何の気負いもなく笑って言い放つヴェセルに、二人は人外の参謀と長年戦場を共にしてきたヴェセルもまた、人族の倫理観から外れつつあるのだなと思った。
だが、ここはヴェセルの言う通りだ。
多少の犠牲、しかも民よりも自らの誇りを気にする面倒臭い騎士階級を、王室派貴族と一緒に引きずり下ろせるなら文句はない。
「さて、あとはどの程度までカレン殿と詰めておくかですな」
そうは言ってもあのアルノだ。
カレンには苦労を掛けるから何か土産でも送った方が良さそうだ、と様々なデザートをヴェセルは脳裏に思い描いていた。
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