第88話.大司教の誘い

 


「お帰りなさいませ、ブリジットお嬢様。……大丈夫ですか?」


 若干ふらつきながら別邸に戻ってきたブリジットを、いつも通りシエンナが出迎えてくれた。

 げっそりとした顔をしてしまっていたのだろう。眉を寄せるシエンナに、心配ないとブリジットは首を振る。


「大丈夫、少し疲れちゃっただけだから。今日は早めに休むわね」

「といいつつ、編み物を進められるおつもりでは?」


 ぎくりとした。本当にシエンナには隠し事ができない。

 小さく溜め息を吐いたシエンナが、ブリジットの手にしていたコートと鞄を受け取る。


「湯浴みのあと、少しのお時間だけですからね?」

「ありがとう!」


 笑顔を浮かべれば、仕方ないというように肩を竦めるシエンナ。


「それで、神殿での晩餐会はどうでしたか?」

「それが……」


 その言葉に、ブリジットは回想する。

 ほんの数時間前の出来事だ。





 用事を終えた大司教が中央神殿に戻ってきて、それから一階にある応接間に食事の席が設けられた。


 晩餐会といっても、そこまで格式張ったものではなかった。

 神官に貴族出身の者は多いが、聖職に就くのは家を継がない次男や三男が多いためだろう。


 食事の内容も質素なもので、ハーブを使った南瓜のシチューに、大きな川が近いからか白身魚のフライなど、むしろ家庭的な料理が多かった。

 神殿お抱えの料理人がしっかりと居るそうで、少々薄味ではあったがどれも満足のいく味だった。


 ――晩餐会自体も、基本的につつがなく進行したと言えよう。

 主に話していたのは、引率教員のマジョリーと神官長のリアムだ。


 二人が中心となって話題を振るのに、精霊博士のトナリ、ユーリやブリジットが答え、ロゼとサナもときどき会話に参加する。少々ぎこちなかったが、ブリジットは少しだけロゼとも話をした。

 それを聞いていた大司教が、笑顔でうんうんと相槌を打つ。そんなことを繰り返しながら、食事は進んでいった。


 ブリジットはほんのりと警戒していたが、大司教は特にぴーちゃんの話題を振ってはこなかった。

 ぴーちゃんはといえば、普段はあまり自分から人前には出てこないのだが、晩餐会の席では積極的にテーブルの上に飛び出していた。


 ブリジットの与えたパン屑をつつく姿に、大司教は優しげに目を細めていて――トナリの言う通り、彼はフェニックスの力を悪だくみに使おうとか、そういうことは考えない人に見えた。


 そうして、食後のデザートとして出されたくるみのクッキーを美味しく食べていたときである。

 大司教が、唐突にこんなことを言いだした。


『どうじゃろう。この四人の生徒に、建国祭のパレードに出てもらうというのは』


 建国祭は王宮と神殿の人間が主だって作り上げる行事だ。

 特にパレードに関しては、神殿に属する神官の契約精霊の多くが参加し、大々的に王都を練り歩く。

 しかし、そのパレードに魔法学院の生徒が参加したという話は今までに聞いたことがない。


 ばりばりとクッキーを噛み砕いていたトナリが、少々鋭い目で大司教を見遣る。


『大司教。それ、フェニックスが居るからの提案ですか?』

『そういうつもりではないのじゃが……』


 神殿で最も権威ある立場の大司教に対して歯に衣着せぬ物言いをするトナリ。

 そんなトナリを神官長は苦々しげに睨んでいたが、小さな大司教は、さらに小さくなってしまったようにブリジットには見えた。


『すみません。おれは辞退させてください』


 遠慮がちな表情を浮かべて、ロゼがそう申し出る。

 するとサナも続いて、辞退したいということを口にした。先ほどユーリに注意されたばかりだし、同学年のロゼが居なければ無理だと思ったのだろう。


 しかしブリジットはといえば、こう答えていた。

 考えさせてください――と。





(どうしてあんなこと、言っちゃったのかしら……)


 自分でも不思議だった。


 トナリには念を押されている。フェニックスを契約精霊に持つ以上、あまり目立つ真似をするべきではないはずだ。

 それでもあんな風に言ってしまったのは、今朝見た夢の名残だろうか。


(お父様は……私がもっと大きくなったら、近くでイフリートを見せてあげると言った)


 叶わなかった約束だ。

 けれどパレードの手伝いをすれば、もしかしたらその夢が叶うかもしれない。

 別邸に居るブリジットからは、本邸の庭から魔法を放つイフリートの姿はどうしても見られないから。


 自分でもうまく呑み込めない感情を察してくれたわけではないだろうが、ユーリもブリジットと同じ言葉を大司教に向けていた。

 マジョリーからは、返事が決まり次第、自分に伝えてくれればいいと言われたが。


(それと、ぴーちゃんについても改めて調べてくれるって)


 後日、学院でぴーちゃんの容姿や能力について調査を行う旨の説明があった。

 といっても、ぴーちゃんの正体はフェニックスだと認められているも同然だ。ブリジットの左手の傷を治癒する様子を大司教たちも目撃していたので、形式だけの調査になるらしい。


 立会人として、リアムとトナリを派遣してくれるそうだ。大司教は少し残念そうだったが、そう暇な人物ではないので致し方ない。この前の面談が異常だったのだ。


 調査の結果、ぴーちゃんがフェニックスだと正式に認められれば――神殿に置かれる精霊解説の書物や、数ある精霊図鑑にも、新たにその実在が刻まれることとなる。

 それは喜ばしいことだ、と精霊博士を目指すブリジットは思う。ぴーちゃんの存在によって、ますます精霊界への理解が深まることになるのだから。


 だが、父から一方的に告げられた言葉を思いだすと暗鬱な気持ちになった。

 フェニックスが契約精霊だと判明したから。それだけの理由で、デアーグはブリジットを呼び戻すと決めたからだ。


「では、お嬢様。一時間後に様子を見に伺いますので」

「ええ、分かったわ」


 湯浴みを済ませたあと、寝着に着替えたブリジットは律儀なシエンナの言葉に頷く。

 シエンナが自室を出て行ったあとは、編みかけのマフラーを取りだす。まだまだ完成には程遠いのだ、今日も作業を進めなくては。


 編み棒を手に、よし、と拳を握って自分を奮起させる。

 細々とした作業はやはり向いていないが、夜寝る前のこの時間はブリジットにとってかけがえのないものになりつつある。


 もちろん、マフラーを渡す予定のユーリに喜んでほしいから。


(それに……)


 そして編み物に熱中している間だけは、考えたくないことを考えずにいられるからだった。



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