第75話.伝説の精霊
――強すぎる光の中。
壮絶な破壊音が頭上から響いた。
一気に伸び上がった光の柱は、屋根や周囲の壁ごと呆気なく吹き飛ばしていたらしい。
(こ、これはまずいかも……!)
崩れた屋根の下敷きになる予感がする。ひしひしと。
「ブリジット!」
そのとき。
目も開けられない最中、聞こえてきたのはその人の声で。
「ユーリ様……っ」
声のするほうに向かって、ブリジットはとっさに手を伸ばす。
だが、ひどく焦っていたせいなのか。
伸ばしてしまっていたのは、火傷痕のある左手で。
(あ――、)
そう気づくものの、引っ込める前に力強く引き寄せられた。
ユーリの腕に庇われて、ブリジットは瞼を閉じたまま身体を固くする。
……しかし衝撃はなく、恐る恐ると目を開けてみれば。
目が合った。
見慣れることはないほどに美しい、
「大丈夫だ」
そう言い切る彼の胸の中、ブリジットは止めていた息をゆっくりと吐く。
気が抜けて、それだけで涙が出そうになったのは、彼に知られるわけにはいかなかったけれど。
「水の膜……」
呟いたのは、同じくニバルに頭を庇われているキーラだ。どちらも怪我はないようで安堵する。
そしてキーラの視線の先を追えば、全員の頭上を庇うように張られていた透明な膜が見える。
(中級魔法『スフィア』……)
ユーリが使ってくれた水魔法が、落ちてくる瓦礫をすべて弾いていたようだ。
ユーリが魔法を解いてしまうと、その先には嘘のような青空が広がっている。
燦々とした陽光を浴びつつ、ブリジットは半ば呆然としていた。
光の柱は、今はもう消えているものの――空を突き抜けたらしい形跡はしっかりと残っていて、雲はとぐろを巻くような不可思議な形になっている。
まるで、空にぽっかりと穴が開いてしまったかのようだった。
「立てるか?」
「は、はい」
こんなときでも至極冷静なユーリの手を借り、なんとかブリジットは立ち上がる。
物置部屋の跡地は埃と木屑が散乱し、あたり一帯はひどい状態だ。
次第に人の足音や喧噪も聞こえてくる。部屋ひとつが丸ごと吹っ飛んだのだから当然だろうが。
そこでブリジットははっと気がついた。
ぴーちゃんを覆うのに使った手袋は、いつの間にか消え失せていたから――今、左手にはなんの覆いもないのだ。
(見られてしまった……!)
醜い火傷痕が残る手の甲が、剥き出しになってしまっている。
慌ててブリジットはユーリの手を振り解こうとした。
「ユーリ様、汚いですから――」
「どこがだ」
それなのに彼は、なんでもないように手をぎゅっと握ってくれる。
何を言われようと、離す気はないと言いたげだった。
そんな風にされるとは思わず、ブリジットは狼狽えるしかない。
「う、ちょっと粉塵吸い込んじまったような……」
「大丈夫ですか級長。鼻水出てますよ」
逃げるように視線を動かせば、衝撃から立ち直ったらしくニバルたちもそれぞれ立ち上がっていた。
ジョセフだけは足を投げ出して座り込んだまま、微動だにしなかったが。
(それと、誰かしらこの人……)
ニバルの横に、何やら薄汚い格好をした男性が居た。
ぼさっとした髪の毛に覆われて顔はよく見えない。
しかしブリジットの視線には気がつかず、頭上を見上げたその人はしみじみと呟いている。
無精髭を忙しなく撫でつけながら。
「いやあ、まさかなあ……」
すると上空から、鳥の鳴き声が聞こえた。
つい先ほどと同じ響きだ。
見上げれば、気持ち良さそうに大空を滑空しているのは大きな赤い鳥で。
そのシルエットを目にして。
「フェニックス……」
呟いたのは、ブリジットだけではなかったのだろう。
(『風は笑う』に登場する、伝説上の精霊……)
精霊博士リーン・バルアヌキが、風の精霊シルフィードが語った精霊界の光景を書き残したとされる物語――『風は笑う』。
全文にわたり、精霊の言語とされる不可解な言葉だけを用いて書かれた本のため、内容の解釈は学者によって千差万別なのだが……その原書には、一枚だけ挿絵があるのだ。
鋭いかぎ爪に、地面に垂れた長い尾。
角度によっては、七色に光るように見える
桃色の嘴に、体表は赤く燃え上がる羽毛で覆われている。
その姿形を持つ精霊を、フェニックスという。
再生を司るとされるフェニックスは、光と炎の二つの属性を持つ精霊なのだと、これはリーン本人の癖のある大陸共用語にて書き綴られていた。
そのため『風は笑う』は、フェニックスが登場する該当箇所の記述を足がかりに翻訳が進められているのは有名な話である。
(燃え上がる羽毛、というのは比喩表現だと思っていたけど……)
はらはらと、火の粉を散らしながらフェニックスは飛翔している。
身体に炎をまとうというのは純然たる事実だったのだと、たった今ブリジットは実感していた。
青い空を裂くようにして縦横無尽に飛び回る炎の鳥の軌跡が、視界を鮮やかに彩る。
(綺麗……)
よくよく見てみると、フェニックスはその嘴に、何かを咥えているようだった。
そう気がつくと同時、低空飛行してくる。
ちらりと投げられた視線は、おそらくはブリジットを見ていたらしい。
「わっ。こっちに……」
焦ったように横のニバルが後退る。
舞い降りてきたフェニックスは、崩れかけた棚の上に器用に止まった。
触れるほど近くに居ても、決して熱くはない。物を燃やす炎ではないのだろうか。
(あ……)
ようやくブリジットは気がついた。
フェニックスが咥えていたのは、白い手袋だった。
つぶらな黒目が、物言いたげに、じっとブリジットのことを見つめている。
だから、すぐにその名を呼べた。
「ぴーちゃん」
答えるように、クルルと喉の奥を鳴らすフェニックス。
くいくい、と首を上下に動かしているのは、「早く受け取れ」ということだろうか。
空いている右手をすぐ伸ばそうとしたブリジットだが、なぜかぴーちゃんが不機嫌そうに唸る。
どういうことだろう。何か気に食わないのだろうか。
首を傾げていると、未だ手を繋いだままのユーリがブリジットの左手を持ち上げるようにした。
「左手で、ということじゃないか?」
「ええ?」
そんな馬鹿な、と思ったが、ぴーちゃんは満足げに目を細めている。
どうやら正解らしい。それならばと、ブリジットは左手を動かすのだが。
「つ、繋いだまま……ですのね」
「いやか?」
「っっ…………」
ブリジットは言葉に詰まる。
いつも思う。こういうとき、ユーリは卑怯だ。
いやだったらすぐに引っ剥がすはずだと、気性の荒いブリジットのことをよく知っているのだから。
逃げ出したいような恥ずかしさを堪えつつ、ユーリの右手とブリジットの左手が、ぴーちゃんの目の前に掲げられる。
――まるで、何かの誓いのような。
そう思いかけた瞬間に、ぴーちゃんが片翼をばさりと広げた。
燃える翼の中に、二人の手が閉じ込められる。
火の粉が激しく散る。見守る誰かが息を呑んだ気配がしたが、ブリジットもユーリも手は引っ込めなかった。
柔らかな羽の感触が、手の甲を撫でる。
波打つように揺れる何かの感触に、ユーリと一緒に包み込まれるように感じた。
どうしてか、喉が痙攣するように震える。
(温かくて、懐かしいような。泣きたく、なるような……)
いつまでもそうしていたいと思うほどに、安らかな気持ちだった。
しかしぴーちゃんはフーッと長く鼻息を吐いて、広げていた翼を収めてしまう。
最初は、何が起こったのか分からなかった。
だが、何度瞬きしても、目の前の光景に変化はなくて。
「……傷が……」
ブリジットは掠れ声で呟く。
高位の神官でも治せなかったはず火傷痕。
父親によってつけられたその傷が、跡形もなく消え失せていた。
右手と寸分違わぬ、傷ひとつない白い手の甲が――それでも信じられずに、食い入るように見つめる。
「おお、これがフェニックスの能力か」
興味深そうに寄ってきたのは、それまで黙っていたクセ毛の男だった。
ぴーちゃんとブリジットを交互に見比べては、しきりに頷いている。
乱雑に伸びた髪の下から、鋭い眼光に射抜かれた気がした。
「ブリジット・メイデル。これがお前さんの――」
彼が何かを続けようとしたとき。
「……うわああああっ!?」
背後から聞こえた絶叫に驚いて、ブリジットたちは振り向いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます