第4話.もうひとりの嫌われ者

 


 婚約破棄から二日後のこと。

 次のカリキュラムのため別棟に移動しようと廊下を歩くだけでも、あちこちから視線を感じ……ブリジットはひどい居心地の悪さを感じていた。


(もう、学院中に私のことが知れ渡っているみたい……)


 だがツンと澄ました表情は変えず、肩で風を切るように歩いていく。


 何を言われていようと、笑われていようと、負けたくはない。

 ただそれだけの思いだったが……実際は、既にめげそうになっている。


(これからどうすればいいのかしら)


 王族の婚約者の地位から一夜にして転落して、今や公衆の面前で捨てられた不様な令嬢である。


 ふと、廊下の角を曲がろうとしたブリジットは肩に衝撃を受け、小さくよろめいた。

 どうやら前方から歩いてきた男子生徒にぶつかってしまったらしい。


 それを認識した途端――ブリジットは考える前に口を開いていた。


「どこ見て歩いてますの? この無礼者」


 ギロリと一睨みすれば、男子生徒は顔を引き攣らせ、何も言わずにさっさと逃げていく。

 そんな小さな揉め事を目にした生徒たちは、またヒソヒソと囁き合っていて……ブリジットはその場をすぐに離れた。


(駄目だわ、私。なんでこういう言い方ばかりしちゃうの……)


 目頭が熱くなる。

 だけど泣いてしまえば、それこそ笑いものになるのは分かりきっていて――唇を噛み締めて必死に耐えることしか出来ない。


 高慢ちきで高飛車な女が好きなのだとジョセフが言ったのは、何年前のことだったか。

 彼の好みに合わせるために、気弱で物静かだったブリジットは居なくなった。

 成り代わったのは傲慢で、王子の婚約者という立場を笠に着る嫌な女だった。


 そのせいで"赤い妖精"という不本意なあだ名も、ますますお似合いだとばかりに定着していくばかりだ。


 さっきだって、本当は『すみません』と謝るつもりだったのに。


「……ハァ」


 思わず溜め息を吐く。


(ふつうに喋ることも出来ないなんて)


 親しい使用人相手なら、もっと穏やかに喋ることが出来るのに。

 このままでは駄目だと分かっているのだが、染みついたクセは簡単には抜けそうもなかった。


 学院の窓の外からは、明るい陽射しが射し込んできている。

 目にしみるほどに晴れ晴れとした青空を見上げながらも、それでも気分は一向に晴れなかった。


 それに、窓に映り込んで見返してくる少女の顔が驚くほどにケバケバしくて――自分でもうんざりしてしまう。



「聞いているのか、ユーリ・オーレアリス」



 不意に前方から聞こえてきた声に、ブリジットは足を止めた。

 隠れる必要はないと分かっていながらも……柱の影に隠れて、気配を殺す。


 恐る恐ると覗いてみれば、廊下の先にとある人物たちの背中が見えた。


 ジョセフとリサだ。

 つい二日前の屈辱と悲しみが途端に胸を襲ってきて、思わず胸の前で拳を握る。


「もちろん先ほどから拝聴しておりますよ、ジョセフ殿下」

「……無礼なヤツだな。王族を相手にそのようにふてぶてしい態度を取るとは」


 そして、ジョセフたちの前に佇んでいる少年にも見覚えがある。


 学院でその名を知らない者は居ないだろう人物――ユーリ・オーレアリス。

 もはや、第三王子であるジョセフ以上に有名と言ってもいいかもしれない。


("水の一族"の令息……)


 主に水系統魔法に優れた人材を多く抱えるオーレアリス家は、筆頭公爵家として名高い由緒正しき家柄だ。

 何度か顔を合わせたことはあるものの、個人的にはまったく話したこともない相手だ。だが、ブリジットのほうはどうしようもなくユーリの存在を意識していた。


(メイデル家とオーレアリス家は、並んで語られることがやたらと多いから)


 それぞれ炎と水魔法を得意とする一族として並び立ち、しかも示し合わせたように赤髪と青髪の者が多く生まれる家系である。

 だが名無しと契約したブリジットに対し、ユーリはオーレアリス家の四男でありながら最上級精霊――しかも、同時にの精霊と契約した前代未聞の少年なのだ。


 魔法の血に優れた家では珍しくないのだが、二家ではそれぞれ、襲爵の資格を持つのは最上級精霊と契約した嫡子、あるいは嫡女のみとされている。

 ユーリは確実に、オーレアリス家を継ぐことになるのだろうと噂されている。長男も最上級精霊と契約してはいるが、あまりにユーリが優秀すぎてそれが話題になることは少なかった。


 そんなユーリは、周囲に対し冷酷無慈悲な態度ばかり取ることで知られている。

 現に今も、ジョセフとリサを見る瞳には一切の温度がない。彼に近づいて玉砕した女子は星の数ほど多いというのも、あながち間違いではなさそうだ。


 彼はその性格と、何者をも寄せつけない実力から"氷の刃"と称されているという。


(私と同じ、嫌われ者……)


 その一点だけは、ブリジットとユーリの共通点と言えるだろうか。

 無論、ブリジットに対する多くの評価は嘲りで、ユーリへのそれは憧憬と嫉妬に起因するものなのだろうが。


 そして現在。

 そんな公爵令息に対し、ジョセフは一方的に突っかかっているようだった。


「ならリサに謝れ。俺の話が聞こえていたなら出来るはずだろう?」

「……ご要望には承服致しかねます、殿下」


 艶めくような青髪に、切れ長の黄色い瞳をさらに細めたユーリは目が覚めるほど美しい少年である。

 色白なため、一見すると女性と見紛うほどの端正な容姿で、背丈もそう高くはない。

 それなのに、陰から覗くだけのブリジットさえ圧倒されるほどの迫力に満ちている。


 そう思わせるのは、眼差しがあまりにも冷淡だからだろうか。

 それこそ、その視線ひとつだけで相手を斬りつけられそうだと思うほどに。


「私はセルミン男爵令嬢に態度など取っていません。強いて言うならば、他のどの人間に対しても同じように接しておりますので」

「いけしゃあしゃあと……っ。彼女は王族である俺が懇意にしている令嬢なんだぞ!」

「それは、私個人に何か関係があるのでしょうか?」


 興味がなさそうに眉を寄せるユーリに、ジョセフが腹立たしげに唸っている。

 しかし今のやり取りで、だいたいの事情が掴めてきた。ブリジットは密かに息を吐いた。


(セルミン男爵令嬢に冷たい態度を取った彼に、ジョセフ様がお怒りになった……)


 ……なんて馬鹿らしいのだろう、と思う。

 これからジョセフはそんな風に、周囲を虐げていくのだろうか。

 リサを虐めたと嘘を吐いて、ブリジットを断罪してみせたように。



 出会った頃の――優しくて思いやりがあったジョセフは、いったいどこに行ってしまったのか。



 そんなことを考えていたら、ジョセフの背中越しに……ユーリと目が合ったような気がした。

 ぎくり、とブリジットの身体が強張る。慌てて首を引っ込めた。


(……気づかれた?)


 聞き耳を立てているのが知られたとなっては、外聞が悪いどころの話ではない。

 ブリジットは足音を立てないよう気をつけながらその場を離れた。


 未だに背後ではジョセフの怒鳴り声が響いてくる。次第に、人も集まりつつあるようだ。

 先日のブリジットと同じようにユーリも生徒たちの前で晒し者にされるのだろう――そう思ったが、彼はブリジットのように不様な笑いものにはならないのだろう、とも同時に思う。


 ジョセフに何を言われようと揺らぐことなく、自分を貫き通していたユーリ。


(冷たくて、素っ気なくて、愛想なんてなくて……)



 ――でも、そんな不器用な在り方が。

 ほんのちょっとだけ格好良いかもしれない、と思ったのだった。



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