第3話 半澤玲子Ⅰの3





表に出ると昼の暑さがまだそのまま残っているようで、温気を含んだ風が頬をなぶるように迫ってきた。エリとは反対方向なので、地下鉄の改札口で別れた。


電車の中でも家に帰ってからも、今日のエリの話が、背中にしょった小荷物みたいに心にかかっていた。といって、重さのために打ちひしがれるとか、押しつぶされるというほどじゃない。


とにかくエリの話は、他人事ではないという感じをわたしに与えたのだ。そのことが大きかった。これから自分の行く末に思いをはせるたび、今日のことが甦るはず。


「よくお考えあそばせ、元奥様」か。


でも恋活サイトに登録するかどうか考えるんじゃなくて、考えるべき問題はもっと本質的なんだ。といって、どういう風に考えていけばいいのか、その道筋についてはてんで見えてこない。


職場の男性たちの顔を何人か思い浮かべてみる。


独身はけっこういた。ウチは仕事柄、男女比は4:6ぐらいなんだけど、それでも人数が多いから。


営業の吉岡さんはたしか四十半ば、わたしと同じ経理の中田課長はもう五十に近かったかな。人事の大村さん、けっこう素敵だけど、まだ四十行ってないでしょう。年が違い過ぎる。最近じゃフランスのマクロン大統領みたいに年下が流行ってるとかいうけど、やっぱりなあ。


総務の五十嵐次長はたしかもう五十代半ばよね。彼なんか一生独身のつもりかしら。すごくいい人なのに、お腹が出てるのと薄毛が災いしてるかもね。クスッ。


そういえば、何かで読んだけど、いま五十代男性の四人に一人が一度も結婚したことがないそうだ。もうすぐそれが三人に一人になるとか。


これからの男女関係とか家族ってどうなっちゃうのかしら。このまま少子化が進んで日本は滅んじゃうのかしら。


いやいやそんな大きな話はどうでもいいわ。問題は私自身の人生よ。


前の職場でも今の職場でも、これまで言い寄ってきたのは何人もいた。感じのいい優しい人もいた。でもどうも食指が動かなかった。そんなにえり好みをするほうじゃないと思うんだけど、いざとなると考え込んでしまうのだった。もともとわたしのほうから接近、なんて積極性は持ち合わせていないし。


そうこうするうち、こうなってしまいました。




考えたって仕方がない。お風呂に入ることにした。


洗面台の鏡の前でブラジャーをはずすと、小ぶりだけど形のいい(と、自分で勝手に思っている)乳房が元気よくこっちを向いた。まだほとんど垂れていないな。いまどきの若いもんにゃあ負けねえぜ。


いつかTSUKAYAで借りて見たクリント・イーストウッドの『マディソン郡の橋』を思い出した。田舎の主婦のメリル・ストリープが、橋を撮りに来たカメラマンに出会った一日目の夜、恋心が芽生えているのを感じて、食事を終えて彼が帰った後に、自分のややだぶついた裸体を鏡に映すシーンだ。ほんの短い瞬間だけど、自分は恋をしてしまったんだろうか、そうだとしたらこの体は恋に値するんだろうかと迷っている感じがすごくよく出ていた。


恋をするには才能が必要だ、なんて誰かが言ってなかったっけ。でも本当にそうだ。よーし、わたしもエリみたいに、でもたぶんエリとは違った仕方でがんばるぞー。


そう思うとまた元気が出てきて、浴槽の中で唄を歌ってしまった。


♪ときのながれにみをまかせ~ あなたのいろにそめられ~ いちどのじんせいそれさえ~ すてることもかまわない~ だからおねがい~ そばにおいてね~……♪

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