【完結】アパートのマーダー

武佐井 玄

第一章

1

夢をかなえるために、何が必要なのか?努力?チャンス?それとも。


僕にはまだわからない。だって、鈴木竜を見ると、夢は彼に近づかないきがするからだ。


鈴木竜は長身ですごく痩せた男である。顔立ちはいい方。特に目は二重で魅力的だ。魅力的というより、竜は人と会話をする時、相手の目をじっと見つめる癖がある。その時の竜の目つきは色っぽくなって相手の人を戸惑わせる。本人はこの事に気付いてないらしい。


僕が竜と一緒に暮らし始めたのは今年の夏からだ。突然現れた僕を優しく受け入れてくれた。理由も聞かず僕を受け入れた。そんな竜に、僕はとても感謝している。竜はこんなにも優しいのに、彼のやさしさを知る人は少ない。


竜のことをもうちょっと紹介しよう。竜は歌手になりたくて、二年前に上京してずっとこのアパートに住んだ。竜の話によると、東京の近くにいると夢との距離も短くなる。本当に距離は縮んだのかが疑わしい。なにしろ、竜は全然努力をしないからだ。だから、僕からみると距離は全然縮んでいない。本人もわかっているのに、認めようとはしないのが彼の短所だ。


このアパートに引っ越してすぐ買ったギターは箪笥のなかで腐っている。誇りが積もっている。僕が練習しなさいと催促しても、誤魔化す。それなのに、オーディション応募に受からなかったら審査員をののしる。


「あいつらには私の中に秘めている才能を見出す力のないバッカたれだ。今の実力は確かに未熟だけど、磨きをかければきっと宝石のように輝くんだから。なぜ誰もわかってくれないの!」


これがオーディションから落ちた後、いつも口にする言い訳である。


「今からでも遅くないから、まずは自分で自分を磨いたらどう?そのためにギターも買ったでしょ!このままじゃ何も変わらないよ?」


「そんなの面倒くさいよ。だって、日本中にギターの達人はいくらでもあるよ。私が今から頑張ったって、どうせあの人達には追いつかない。それに、ギターがうまくなったって必ず歌手になれるというわけでもないでしょ。確実に歌手になれるという約束がないと、なにをしたって、無駄だよ。無駄!」


最後の「無駄」をわざと伸ばし調て言った。それから竜はぶらぶらし始める。


「ギターがうまい人は日本にいっぱいいるんだの、ギターがうまいからといって必ず歌手にはなれないんだの、全部あなたの口実じゃないの?ただ努力したくない口実。そんなんだからいつも受からないの、そろそろ分かって?」


「口実?」竜は鼻で笑った。「口実ではなく現実なの。現実はあなたが思っているより甘くないよ。知っているでしょう!」


「現実が酷いのは僕もわかっている。でも、あなたは一度もかんばろうとしていないからじゃない?」


「だって……」


「僕の話を最後まで聞いて」僕は制した。「最初から駄目と仮定するんじゃなくて、もっと自信を持ってギターやボーカルの練習に取り掛かったらいいんじゃない?」


「自信はね、夢が叶えた人が持っている気質なの。私には絶対無理だから。今は何もできない駄目人間なのに、どんな面下げてあんなたいそれた文字を口にする権利がある?最初からばかばかしいと思わない?」


「あなたも自分が無理だと言ったよね。なら諦めなさい」


「諦めない」弱弱しい声だったがきっぱりだった。


「なら頑張りなさい」


「頑張っても無駄」


「なら諦めなさい」


また竜のネガティブな返事が返ってくる。


前まではこんな事を口にしてなかった。一日、二時間はギターの練習をしたり、ボーカルレッスン教材を買って勉強したりはしたんだけど、よい結果に恵まれなくて結局やめた。


僕は竜に何かできることはないかと、毎日のように考えていたけど、だめだった。竜が、自分から努力に精を出さないと、夢は叶えない。竜もちゃんと分っているはずなのに。


竜の不満はオーディションの審査員だけではなく、自分の住んでいるこのアパートにも八つ当たりをする。


竜はいつも今住んでいるアパートが嫌いと言っている。僕たちが住んでいるのは木造のアパート。一部屋、六畳くらいの広さで、中にはベッド、机、箪笥、冷蔵庫、テレビとキッチン台がある。窮屈な部屋だけど、その分家賃は安い。窓は南向きでドアは内開き。住んでいる部屋は一階の104号室。


一階は管理人室と101から105まであって、二階も同じく部屋が五つある。一階の廊下の突き当りはトイレと二階にあがる階段がある。それに洗面台もあって共用している。二階も一階と同じ構造だ。


男はトイレの共用はどうでもいいけど、女はどうなんだろうと僕はいつも思う。人のいない時に入るのかな?

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