8日目 鎖なんてなくたって、これからもずっと ①

 鎖が外れた翌日。

「おはよう、利己君」

「おはようございます、いづみさん」

 色々あって恋人となったいづみさんと昨晩は熱い夜を過ごした。

 あれ、おかしいな。昨夜は僕がいづみさんに腕枕したはずなのに、今はいづみさんの白い腕が僕の頭を支えてくれていた。

「重くなかったですか?」

「へーき。私の腕枕の寝心地はどうだった?」

「そりゃもう最高でした」

「えへへ、よかったぁ」

 いづみさんは満足そうに微笑んだ。

「朝の支度をしますか」

「待って、その前に」

 いづみさんはベッドから出ようとする僕を制して、僕の頬に両手を添えた。

 そして、僕に口づけをしてきた。触れるだけの優しいキス。

「おはようのちゅー、だよ」

「おかげさまで、完全に目が覚めました……」

 なんだ、これは!?

 僕の最愛の彼女が可愛すぎるんですけど!

 諸々の支度をして、僕たちは朝っぱらからお熱く手を繋いで駅まで向かった。

「あら、雨降ってたのね」

 昨夜の間に雨が降っていたみたいで、水たまりが至る所にできていた。現在の天候も曇りで湿度が高い。


    ◆


「おはようございます」

「おはようござ――あれっ、蓑田さん、どうして?」

 僕の顔を見た平木田さんはぴくりとまぶたを動かした。

「もしかして、私に会いに来てくれたんですか?」

「それはないわ。私たち付き合うことになったから」

 期待に満ちた平木田さんをいづみさんが打ち砕いた。

「あ……そ、そうでしたか! それはおめでとうございますっ!」

「ほほう。めでたいね。おめでとう」

「よかったな、二人とも」

「み、みみみ蓑田氏!?」

 カップル誕生に平木田さん、平林所長、岩船さんが祝福してくれた。

 村上さんだけは口から泡を吹いて昇天してしまった。あー……村上さんって前はいづみさんを狙ってたんだっけ。

 ――あれ? そういえば今日はまた全員集合してるんだな。

「今日は皆さんお揃いなんですね」

「そういう日もある。体力勝負だな」

 岩船さんがストレッチをしながら答える。

 こうして今日も各々おのおのがそれぞれの業務に取りかかる。

「で? 抱いたのかい?」

「ブフッ!?」

 お世話になった交番内の掃除をしている僕に平林所長が耳打ちしてきた。

 なんちゅーこと聞いてくるんですか。デリカシーとプライバシーを考えてくださいよ!

 そ、そりゃあいづみさんは脱いだら、色々とすごかったわけだけど……。

「ま、まぁ、ご想像にお任せします」

「抱けたんだ。おめでとう。それにしても、あの難攻不落の中条を落とすとは――君は一体何者なんだ」

「ごくごく平凡なしがない学生でございます」

「平凡の定義は置いておくとして、君の飾らない人柄が彼女のハートを射止めたのは間違いないね。中条ほど生真面目で警戒心の強い女性の心の鎧をいだのは君が初めてだろう」

 鎧というか、衣はがしましたけども。

「ね、僕が言った通り、君は中条の精神的支柱なんだよ」

「そんなたいそうなものじゃないですよ」

 思えば平林所長はそんなこと言ってたな。「中条の精神的支柱が君のミッションだよ」って。

「見返りに中条との共同生活が満喫できてよかったじゃない」

 この人はいづみさんの精神的なもろさを知った上で僕に託したのだろうか?

「とにかく、これからも中条のことを大切にしてあげてね。彼女、ああ見えて繊細だからさ」

「もちろんです!」

 僕は力強く頷いた。

「蓑田君も今からでも警察官目指してみたら」

「え」

「大学生ならキャリアだって――あー、鶴見つるみだいだと厳しいなぁ」

 そもそも僕は警察官になるつもりはありません。

「偉そうに言ったけど、僕もキャリアで落ちたから結局ノンキャリで入ったんだけどね」

 交番勤務の段階でノンキャリア組なのは確定している。

「ここの日勤メンツだと、僕と岩船、中条が大卒で村上と平木田が高卒だ。もう一人高卒の奴がいたんだけど数ヶ月前に辞めちゃった」

「きつかったんですかね」

 警察官は激務なので離職率が高いらしい。特に若い人の離職者数が多いとのこと。

「交代制とかで体調崩しやすいからね。まぁ各々おのおのの人生だ、しょうがないよ」

 改めて働くということの大変さを噛み締めていると――


「お巡りさん! ご、強盗に金品を奪われましたぁ!」


 近所のコンビニの男性店長が血相を変えて交番に入ってきた。

 強盗があり、強盗犯は金品五十万ほどを奪って逃走したとのこと。つまり急訴きゅうそ事件だ。

「刑事課に連絡したんだけど、他の複数の事件で人員が出払っててすぐに出動できないってさ。悪いけどお前らも現場に向かってくれ! 村上は交番で待機しててくれ」

 平林所長が各人に指示を出して再度刑事課に連絡する。

「蓑田君は危ないから村上さんと一緒にここにいて頂戴」

 公私混同しないよう、職場ではお互い今まで通り名字で呼び合うことにした。

「僕は中条さんの左腕になるって言ったじゃないですか」

「……もう、危なかったらすぐに逃げてよ」

 急いで情報収集に回らないといけないためか、いづみさんは僕を止めることはしない。いや、僕を心の底から信頼してくれているからこそ止めなかったのだ。

 コンビニ店長による強盗犯の外見的特徴は二十代くらいの若い男、中肉中背、黒マスク、赤いパーカー、黒のジーンズ、白のスニーカー。

 平林所長+平木田さん、岩船さん、いづみさん+僕の三手に分かれて捜索を開始した。


 現場近くに着くと、以前鶴見寺つるみでらまで案内したおばあさんが立っていた。

「おばあちゃん! 探してる人がいるのだけれど」

「おぉ、この前のお二人さん」

 いづみさんが強盗犯の特徴を伝えると、

「あぁ! 見た見た。あっちの方へと走ってったよ」

 おばあさんは僕たちがやってきた方向と反対側の道を指差した。

「ご協力感謝します!」

「ところで」

 強盗犯が走った道を進もうとしたところで、おばあさんが僕たちを引き留めた。

「結局お二人はお付き合いすることにしたんだね?」

「はい、正式に交際をはじめました」

「私もあと五十年若けりゃ少年を狙ってたんだけどねぇ」

 五十年前って半世紀前ですよ。

「蓑田君は渡しませんから」

 いづみさんが笑顔で告げるとおばあさんは残念そうに嘆いた。

「中条さんはなんで張り合ってるんですか?」

 半世紀年上のおばあさん相手に大人げないぞ。

「でもまぁ、こうなると思ってたんだよねぇ。お幸せにね」

「ありがとう、おばあちゃん」

 おばあさんから祝福を受けた僕たちは今度こそ強盗犯が走り去った道を進んでゆく。

 しばらく歩くと大通りから脇道へと切り替わった。

 周辺で聞き込みをするものの有力な情報が掴めないでいると、

「あっ、佐々木のおばあちゃん、コンタクトのお兄さん!」

「おぉ、中条さん、どうかしたのかい?」

 以前交流があった二人と鉢合わせた。

 いづみさんから事情を聞き終わった二人は頷いた。

「ふむふむ。それならみんなで近所の家に聞き込みしようじゃないか」

「俺も協力しますよ! 知り合いにも手伝ってもらいます」

「ご協力、大変痛み入ります!」

 警察官数人だった捜索部隊はまたたく間に規模を拡大していった。

 これもいづみさんをはじめとした鶴見つるみ交番の面々が常日頃から近隣住民とのコミュニケーションをしっかりと取って信頼関係を築いてきたからこその賜物だ。

 少なくとも僕にはできないことだった。

(日頃の人間関係がこういう時に活きてくるんだなぁ……)

 っと、しみじみしてる場合ではない。僕たちも聞き込みしないと。

 しばらく近辺の一軒家や集合住宅を皆さんで手分けして訪問していると。

「おーい、二人とも! この人が赤パーカーの男がマンションの自室に入った瞬間を目撃してたってさ!」

 背後からの声に振り向くと、佐々木のおばあさんと一緒に若い女性が立っている。

「赤パーカーの男を見たというのは本当ですか?」

「はい。案内しますね」

 とんとん拍子に強盗犯の自宅が明らかとなった。近隣住民パワー、すごい。

 情報収集に協力してくれた方々にお礼を言って若い女性についていくこと数分。

「赤パーカーの男があのマンションのあそこの部屋の玄関扉を開けて中に入っていくのを見ました」

 女性が指差したのは三階建てのマンションだ。見たところ鉄筋コンクリートぞうだ。

 女性にお礼を言ってマンションへと入り、階段を昇る。オートロックはないので玄関扉前までフリーパスでおもむけた。

「強盗犯が近隣住民だったとは……」

「それにずいぶんとずさんな逃走だったわね」

 女性の話によると赤パーカー男が入った部屋はマンションの最上階角部屋。

 階段を昇り終えて目的の玄関扉前まで辿り着いた。

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