4日目 町を守る皆さまの人生事情 ②

 中条さんのオンオフのギャップもなかなかのものだけど、岩船さんは更にすごい光景を見せてくれそうなポテンシャルを秘めている。

「……もしもーし? 蓑田君?」

「――――ハッ!?」

 平林所長が妄想世界にどっぷり浸かっていた僕を現実へと引き戻してくれた。

「一体どんな想像を繰り広げてたのかな?」

「甥姪と交流を深め、猫とたわむれる岩船さんの姿を思い浮かべてました」

 そこはまるでフィクションの世界だった。いやフィクションなんだけど。

「想像世界の彼はどうだった?」

「終始無表情でした」

「ははっ、彼にだってちゃんと感情はある。笑う時も怒る時も泣く時もあるよ」

「マジですか」

 まだ数日の付き合いだからか、僕は岩船さんが表情を崩してる姿を見たことがない。

「ところで、ハコ長は今でも毎日奥さんからどやされてるんスか?」

 村上さんは腕を伸ばしてあくびをしつつ、平林所長に話題を振った。

「おいおい村上、さっきの仕返しか?」

「蓑田氏にみんなのことを知ってもらうためにも、各々のプライベートに踏み込むのは大切なことッス!」

「物は言いようだね」

 観念した平林所長は苦笑する。

「先日も脱いだ服を裏返ったまま洗濯機に放り込んで妻に怒られちゃったよ」

「それは完全に所長が悪いんじゃ……」

 服はちゃんとした状態で洗濯機に入れておけば済む話では?

「そうなんだけどさ、あえてそうすることでコミュニケーションを取れる機会が生まれるじゃない」

「所長はマゾなんですか?」

「ははは、そこはご想像にお任せするよ」

 僕の判断に委ねられてしまった。

「うちの奥さんは俗に言う鬼嫁ってやつでね。それはそれはおっかないよ」

 平林所長は首元をぽりぽりと掻いて愚痴っぽく語る。

「ですが毎日愛妻弁当を作ってもらってますよね」

 平木田さんの主張通り、平林所長のお昼は毎日お弁当だ。

「僕は恐妻家かつ愛妻家だからね」

「補足しますと、奥さんもハコ長をすっごく愛してるッス!!」

 相思相愛のツンデレおしどり夫婦か。非常にいい関係じゃないですか。

「つい徹夜明けのテンションで喋っちゃったけど、午前中からなんちゅう会話だよ」

 ガラにもなく赤面しておでこに手を当てる平林所長。

「ハコ長の話は単なる夫婦めおと自慢で終わりましたッスね」

「村上、次の査定覚悟しておけよ」

「うわっ、殺生せっしょうな! マジすんませんでしたッス!」

 村上さんは笑顔で恐ろしい発言をする平林所長に土下座をはじめた。

「村上さんはそういう失言が多いところ直した方がいいですよー」

「あなたもね」

「私もでしたか!?」

 村上さんに苦言を呈する平木田さんに苦言を呈する中条さん。

「あの、そろそろ仕事再開しませんか?」

 僕が立ち上がって左腕だけで伸びをすると、他の面々も頷いて持ち場へと向かった。

「えっ、蓑田さんマジッスか?」

 ――一名を除いては。

 村上さんのような口調の平木田さんが衝撃を受けた表情をしている。

「何が?」

「私についてのアレコレは聞きたくないとですかっ!?」

 自らにスポットライトが当たらなかったことに不満があるご様子。

「はいはーい! オイラは聞きたいッスー!」

 村上さんが僕の代わりに意気揚々と挙手した。

「よーし、お仕事頑張るぞー!」

「お仕事たのしーッス……」

 かくして、業務再開と相成った。


認知票にんちひょうとか検挙票けんきょひょうとか、色々な帳票があるんですね」

 僕はこれまで警察のお世話になったことがなかったので全く知らなかったけど、犯罪が発生したと認識したことは『認知』、容疑者を捕まえたことは『検挙』と呼ばれる。

 つまり、認知 → 検挙が逮捕の流れとなる。

 現行犯のように認知検挙が同時となるケースもある。一昨日のひったくり犯もこのパターンだ。

「そうよ。それぞれ関連があるからミスなく作成しないといけない。被害者や容疑者の情報を入力する単純作業だけれど、個人情報もあるから適当は許されないわ」

 中条さんはディスプレイから目を離すことなく説明をしてくれる。

 窃盗や傷害事件などが発生すれば犯罪統計のために逐一帳票を作成する必要がある。たとえ軽犯罪でも、犯罪統計情報を集計するために事細かな情報が求められるのだ。

 僕も手伝って入力したいけれど、個人情報に加えて部外者の僕が作成してミスがあった場合には大問題となってしまうので手がつけられない。

 今日も今日とて大人しく流し目でノートパソコンのディスプレイを眺めるだけ。

 コーヒーを入れるとかのサポートでもしたいところだけど、余計なものが手首についてるせいでそれもできない。

 ……結構もどかしいな。

 僕はプライベートこそダラっとしてるけど、仕事では暇よりも多忙を好む。

 派遣バイトについても同様の考えだ。

 派遣バイトは楽だけど、中には待機時間が長いバイトもある。それで日給がもらえるのは美味しいけれど、暇な分作業者たちとの間で雑談が発生するのが面倒だ。僕はもっぱら無言で相槌あいづちを打つだけの役割に回っている。

(本当、僕らしくないなぁ……)

 力になりたいと思うなんて。この、淡白な僕が。

 それは鶴見つるみ交番の面々がいい人ばかりだからなのは当然だけど、何よりも。

(中条さんが気になってしまうんだ)

 彼女のことが放っておけない。

 僕の方が年下でしかも学生の身分で何様って感じだけど、芽生えはじめた気持ちはどうにもならない。なかったことになんてできやしない。

 僕の中のこの変化は決して悪いことではないのだけれど。

「昨今は高齢化の影響で、ご年配の方を狙った詐欺件数が増加しているわ」

「みたいですね。オレオレ詐欺とか、悪徳商法とか、悪質ですね」

 退屈な僕の心中を察したのか、中条さんは話を振ってくれた。

 業務中なので他愛のない会話はできないけど、こうして部外者の僕にも気を回すことを怠らないのが彼女の優しさであり僕の心を揺り動かす魅力だ。

「ご年配の方の優しさにつけこむなんて、許せない」

おっしゃる通りです」

 罪なき人々から搾取さくしゅするような卑劣な真似などせずに、正々堂々と稼いでいただきたいものだ。世の中、仕事なんて選ばなければいくらだってある。極論を言えば僕がやってるような日雇いの派遣バイトだってある。

「犯罪は一つ残らずなくなってほしいわね」

「そうすると警察官の仕事が減ってしまいますけど」

「それでいいのよ。交番警察官の仕事はパトロール、立番たちばん、落とし物の管理、迷子や道案内の対応で十分よ。警察官の人数が少ないのは国が平和な証拠よ」

 中条さんの言う通りだなぁと思った。

 こうして、今日は平和なまま定時を迎えたのだった。


    ◆


 今夜も諸々のイベントを終えて、二人仲良く(?)ベッドインしている。あっ、今の表現だいぶ際どい。

 今、僕の脳裏に浮かんでいるのは、昨日の中条さんの悲愴ひそうな横顔。

 一歩踏み出すことへの躊躇ちゅうちょ

 昨晩はその件について考えるよりも先に中条さんの寝言攻撃で僕の思考回路が通行止めにされてしまった。

 僕の横では中条さんが既に寝ている。

「すぅ、すぅ」

 今日は特に寝言も言わず、寝相も崩さずに静かに、平穏に、静寂せいじゃくに。

「寝顔はこんなにも無防備なのに、外ではいつも凛々しく気を張り続けて疲れませんか――?」

 彼女が寝ているのをいいことに、僕は独り言を口にして考えてみる。

 もちろん職業柄気を張り詰める必要はあるけど、抜いたっていいタイミングもあるはず。

 例えば、今日の雑談中。

 彼女も話は聞いていたものの、パソコンを眺めてマウスを動かす手は止めなかった。

 この女性ひとは本当に真面目だ。それは大いによいことで、彼女の長所でもあり、魅力だ。

 けれど、彼女は度がすぎている。僕はそう考える。

「……コンタクトレンズのお兄さんだって言ってたじゃないですか。必要以上に完璧を求めることないんですよ」

 警察官は人命に係わる職業だ。危険ゆえに強き心を持ち続ける努力を要するだろう。

「極論を言えば、警察官は世にたくさん溢れてるんですから」

 けれど、負担や責任は周りの皆さんを巻き込んで皆さんで少しずつ背負いましょうよ。あなたは責任感があまりにも強すぎです。いつか壊れてしまいそうで気が気じゃないですよ。

「僕は、あなたのことが心配ですよ」

 出会ってまだたったの四日目。所詮は手錠で繋がれてやむを得ず一緒にいるだけの間柄。

 けれど、今は二十四時間一緒にいるんだ。するとどうしても親近感も、親愛の心も生まれてしまうよ。さすがの僕だってさ。

「どうか、無理はしないでください」

 僕は安眠に浸る中条さんの頭を起こさないようそっと撫でた。いたわるように、ねぎらうように。

「明日明後日は、ゆっくり休みましょう」

 中条さんには今の寝顔のような、穏やかな日々を過ごしてほしい。

 警察官という職業柄、僕の願いは厳しいかもしれないけれど。

 彼女のために僕ができることがあるならば、喜んでするから。

 僕たちを手錠で縛るいたずらな神が存在するのであれば、僕の願いを聞き入れてくれる神がいたっていいよね。

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