1日目 人畜無害に生きてきたのに手錠をかけられた話 ④

 覚悟を決めて唐揚げめがけて割り箸を突くように近づけると、横からひょいと唐揚げが持っていかれた。

 言うまでもなく、中条巡査が唐揚げを取ったんだけど……。


「蓑田君。あーんして」


「……はい?」

「あっ、これじゃ熱くて食べられないか」

 中条巡査はふーっと唐揚げに息を吹きかけた。

 そうなんだけど、そういうことじゃないんですよ!

「……食べろと?」

「だってこうしないと食べられないでしょ?」

「そ、そうなんですけど……」

 中条巡査は特に意識してないので、僕からも「恋人みたいですね」とか余計な発言はしないでおく。

 なお、あーんしてくれる時に中条巡査の顔が近い上に、その瞳は僕の口をじっと捉えているので、僕の心臓は波打ちが止まらない。いや止まったら死ぬからマズいんだけど。

「……あーん」

 観念して、目を閉じて口を開けた。

「ほいっ」

 中条巡査は丁寧に僕の口に唐揚げを入れてくれた。

 うん、ほどよい熱さだ。サクッとしたころもも美味いし、中身の肉も柔らかくてジューシーだ。

「……あ、ありがとうございます」

「ふふふ」

 中条巡査も唐揚げを頬張る。

 あれ? 僕が口をつけた箸――もしかしなくても間接キスでは?

「美味しい」

 しかし中条巡査は全く気にする素振りすら見せず。

 僕だけが、一方的に彼女に踊らされてる気がしてなんか複雑。

 その後。

「はい、あーんして」

「あ、あーん」

 中条巡査が僕の右手代わりになってくれた。

 これから毎日この調子なの? 嬉しいけども恥ずかしい。

 品目を平らげ、手を合わせた。

「「ご馳走様でした」」

 二人で皿を流し台に運んだところで僕は提案した。

「お皿は僕が洗いますよ」

「え? でも」

「僕も何かしたいんです」

 経緯けいいはともかく、僕は居候いそうろうの身だから。

「なら、一緒に洗おっか」

 こうして、二人で交互にスポンジで皿を洗い合った。片方が皿を持ち、もう片方がスポンジで皿を洗う。

 こんな共同作業を誰かとしたのは人生初だ。僕には死ぬまで無縁だと思っていた。

 皿洗いを終えると、中条巡査は右腕だけで伸びをする。

「テレビ観る?」

「観たいです」

 テレビ。普段はあまり観ないけど、こんな時の暇つぶしにはうってつけだ。

 リビングのソファに二人並んで座ってテレビ番組を観る。

 放送されているのはお笑い番組。

「中条巡査はお笑い番組は好きですか?」

「嫌いではないけど、たまに観る程度かな」

「なるほど」

 真面目なイメージの中条巡査らしい回答だ。

 それからしばらくの間、二人でテレビ番組に時間を委ねていると――

「すぅ、すぅ」

 すぐ隣から穏やかな寝息が聞こえてきた。

(疲れたのかな……)

 今日は色々あったからね。僕が一番割を食ってるんだけど。

 時間も二十三時。寝る頃合いだ。

「ここで寝たら風邪を引きますよ」

 穏やかな表情で眠る彼女の肩を左手で軽くゆする。

 三月中旬でさほど寒くないとはいえ、毛布もなしに寝ると体調を崩す恐れがある。それに警察官の仕事は肉体労働だ。このソファはふわりとしてはいるけど、やはりベッドで寝るに限る。

「うぅん……あぁ蓑田君。ごめんね、私寝ちゃってたのね」

 あくびを手で隠すと、中条巡査はやおら立ち上がり、

「洗面所に行きましょう」

「洗面所ですか?」

「うん。歯磨こ」

 彼女にならって洗面所へと向かった。

 僕はインスタント歯ブラシをもらい、歯を磨く。歯磨き粉だけは共同で使う。

 中条巡査は歯磨きを終えるとメイクを落として素顔をお披露目してくれた。

 すっぴんでもとてつもない美貌びぼうを誇っている。というかメイク時とあまり変わらなかった。薄いメイクスタイルなのかもしれない。

「着替えは――今の状態じゃお互い厳しいわね」

 入浴もできないので、今日は暫定対処で消臭スプレーを身体にまいてしのぐ。

 あとは寝るだけ――

「……ごめん、蓑田君」

「は、はい」

 中条巡査が内股でもじもじしながら、上目遣いで見つめてくる。


「おトイレ、行きたくなってきちゃった」


「………………」

 どうしよう!?

 いやどうしようもない。手錠のせいで連れ立って行くのは不可避!

 ミッション・イン・トイレット――難解な任務だ。

「あ、あの。アイマスク、耳栓、洗濯ばさみはないですかね?」

「あるけどどうするの?」

「僕の顔の穴という穴を塞ぎます!」

 聴覚、視覚、嗅覚を遮断しなければ、中条巡査も羞恥しゅうちから用を足せない。

「う、うん。取りに行こう」

 リビングと寝室で道具を一通り揃えた。

 即興そっきょうでかき集めた三大神器を装備した僕は無敵の人だ。若干鼻につけた洗濯ばさみの圧迫感に痛覚を感じるけど、痛覚と中条巡査のお花摘みは無関係なので我慢だ我慢。

 にしてもどんなプレイだよ、これ?

 そんな性癖は持ち合わせていない僕にとっては、ただただ気まずい時間、空間だ。

 トイレの中では二人の男女が至近距離で並び、女の方は便座に座って用を足し、男はその隣で突っ立っている。

 人間の生理現象とはいえ大小合わせて一日八回あるとして、二人分だから一日十六回!?

 それが一週間だとして――これ以上の算出は不毛だ。

 手錠で繋がれるって、想像以上に不便で困難なイベントが多い。イイコトよりも苦難の方が圧倒的に多い。合鍵ができるまでお互いに辛抱できるだろうか。


 その後、僕も用を足して二人で寝室へと入った。

 小奇麗な部屋の一角に、シングルベッドが鎮座ちんざしている。

「狭いベッドでごめんね」

「いえいえ、こちらこそお邪魔します」

 既に誰かと同棲してるならいざ知らず、一人暮らしならシングルでしかるべきだ。一人でダブルベッドは広すぎる。

 二人でベッドに潜り込む。配置は僕が左側で中条巡査が右側だ。

 枕は一つしかないので、僕の分はリビングのクッションで代替だいたいさせてもらっている。

 このシチュエーション、果たして安眠できるのだろうか。健全な男にとっては試練だ。

 手錠のせいでお互いに背を向けることすらできないのが最高に不便だ。

 ラブラブカップルか新婚夫婦のように二人密着して毛布に包まれている。

 あと、すぐ隣からも毛布からも中条巡査の香りがして変な気分になる。

「ねぇ、蓑田君」

「は、はい……?」

 シングルベッドで横になってしばし。中条巡査が声を発した。

「今日の坂町警部への発言、私を庇ってくれたんだよね?」

「………………」

 他人に無関心で無干渉だった僕がなぜあんな行動に出たのか、自分でもよく分からない。本当に、この人の前でカッコつけたかっただけなのだろうか?

 僕はだんまりを決め込んだ。

「……蓑田君」

 再度名字を呼ばれる。

「――ごめんね。私のせいで、厄介な事態になってしまって……」

 呟きからは業務中に見せた凛々しさはなく、ただただ弱々しかった。責任を感じているのが伝わってくる。

 だから僕は。

「謝らないでください。むしろ役得です」

「役得?」

「中条巡査みたいな美人さんとお近づきになれました。これを役得と呼ばずなんと申しましょう」

 かような人生経験をする人間など、そうそういない。

「私は美人じゃないし、それ喜ぶところ? 手錠で繋がって自由が利かないのよ?」

 中条巡査は苦笑する。

 確かにこれまで何気なくやってきたことすらままならないのは不便ではある。

 けど、そこばかりに目を向けるのではなく、きっとあるであろういいことも探していきたい。

「ねぇ、一つお願いを聞いてもらえない?」

「いいですよ」

「今後は私のことは、巡査と呼ばないで」

「どうしてですか?」

「私たちはある意味運命共同体。だから、かしこまった呼び方はいらないわ」

 確かに、巡査呼びは堅苦しい印象を与える。業務外なら尚更だ。

「了解です――中条さん、、、、

 これでいい。

 これが、堅すぎず砕けすぎない無難な呼び方。

 呼び方も、心の距離も、ほどほどに開けておける。

 深みにはまらないように。

「ありがとう、蓑田君」

 僕の心中など知る由もない中条さんは微笑んでくれた。

 結局、緊張で眠気はやってこない。今宵は長期戦になりそうだ。

 覚悟を決めた僕は、せめてもの抵抗で目を閉じたのだった。

 これからはじまる中条さんとの生活は、どんなものになるのやら。

 そんな不安とかすかな期待を、心に抱きながら。

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