1日目 人畜無害に生きてきたのに手錠をかけられた話 ③

「面倒を見るって、一つ屋根の下だぞ? いやお前らは手錠で繋がれてるから、同じ屋根の下どころか同じベッドの上だぞ?」

 坂町警部が危惧きぐするところは分かる。

 僕は人畜無害を自称してはいるけど、性別上では立派な男。成人男性。オス。

 とはいえ手錠で右手が不自由だと、ねぇ。意図的に何か仕掛けようとしても無理だ。

「私が全ての元凶ですから。それに私の部屋なら二人で住む分には問題ない広さです」

 二人で、住む……?

 たった五文字の言葉で、僕はドキッとしてしまう。

 完全なる同棲じゃないか!

 よからぬ想像をしかけるも、すぐさま顔を左右に振って消し去った。

「うーむ。しかし選択肢は蓑田君の部屋か、中条の部屋か、警察署内の三択しかない。独身寮はさすがに無理だ」

 坂町警部は不安がぬぐえない様子ではあるけれど、

「分かった。中条に任せる。くれぐれもこれ以上、蓑田君に迷惑はかけるなよ」

 やむを得ないといった形で中条巡査の主張を認めたのだった。

「承知いたしました!」

 中条巡査は右手で敬礼した。

「鎖で繋がれ、お互い寄り添うことを余儀なくされた男女。二人で幾度となく立ちはだかる困難を乗り越えて恋心が芽生え育まれ、愛へと姿を変えることはこの時点では誰一人として予想できていなかったっ……!」

 その横では一連の会話を静観していた平木田巡査が両手を握って自らの想像を熱く語りはじめた。

「平木田、業務中だぞ。たくましい妄想を垂れ流すな」

「おおっと、申し訳ございません!」

 坂町警部に叱咤しったされ、我に返った平木田巡査は自らの口を手で覆った。

「ただし、二人の生活に支障をきたすなら、警察署内での生活に切り替えてもらうぞ」

「承知いたしました!」

 中条巡査は坂町警部の言葉に深く頷くと、

「でも蓑田君は、大学は大丈夫なの?」

 僕に顔を向けて問うてきた。

「平気ですよ。今は春休みですし、進級に必要な単位は全部取りました」

「あら、真面目なのね」

 蓑田利己被疑者誤認逮捕以降、中条巡査ははじめて表情をほころばせた。

「真面目な人は好きよ」

 その笑顔に、安堵あんどの気持ちとともに心臓がバクついた。

「友達とか彼女とも会えなくなるんだけれど」

「問題ありません。どちらもいませんから」

「それはそれで問題なんだけど……」

 デザイン設計に友達は必要ない。女の子ともいい雰囲気になったことも、デートしたことも皆無。この僕に死角はない。

「分かってるな、中条。蓑田君のこと、丁重にな」

 坂町警部は中条巡査に念を押した。

「お任せあれ! 蓑田君の身柄は、二十四時間私のものよっ☆」

 中条巡査は何をとち狂ったのか、キュピーンと右手でピースを決めてはっちゃけてみせたけど、僕は天を仰いだ。

「可愛いって感想しか浮かばない自分が情けない……」

「ねぇツッコんでよ!? そこはツッコんでくれないとこっちの調子が狂うじゃない! 柄にもなく場を和ませようとするんじゃなかった……」

「えぇ……今ので和ませたつもりだったんですか」

 そりゃ困った。中条巡査は案外面倒くさい人なのかもしれない。

 そして。

「――あの」

 中条巡査は諦念ていねんしたのか達観したのか分からない穏やかな表情を僕に向けて、


「不束者ですが、何卒よろしくお願いいたします」


 折り目正しく頭を下げてきた。

 手錠で離れられないせいだけど、やっぱり距離が近い! ふわりと彼女の上品な匂いが僕の鼻腔びくうを刺激してきた。

「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 僕も挙動不審ながらつられて頭を下げた。

「まるで結婚する二人みたいです」

 平木田巡査はほのかに赤い頬に両手を当てて僕と中条巡査を見ていた。

「おい。ところで家での生活はどうするんだ? ハウスキーパーを派遣してやってもいいぞ」

 坂町警部が心配しているのは僕たちの共同生活についてだ。

 確かにこの状態での家事は無理難題だ。少なくとも一人ではできない。ハウスキーパーさんが諸々手伝ってくれると非常に心強い。

「いえ、結構です」

 しかし中条巡査はきっぱりと首を横に振った。

「そうか。中条がそう言うなら俺からはもう何もない」

 坂町警部はきっと中条巡査の貞操を心配されているのだろう。

 ご安心ください。なにしろ僕は無害ですから!


 今日はこの場で解散となり、中条巡査と平木田巡査も退勤してよいこととなったため、三人で鶴見つるみ駅まで向かった。

 平木田巡査は駅近くの独身寮に住んでいるとのことで、駅前で別れた。

 中条巡査は警察署でジャケットを借りて制服を隠すように肩にかけている。スカートは制服のままだ。

「ところで、さ。あなたはどうしてショルダーバッグに硬式ボールなんて入れてるの?」

 警察署に連行された際に僕のショルダーバッグの中身を確認されたけど、中に入っているのは財布と野球の硬式ボールだけ。

「護身用ですよ」

 何かあった時には、こいつを相手にぶつければ大ダメージは免れない。硬球って当たるととっても痛いんだよね。その隙に僕は逃げるっ!

「ボールがあっても獲物を仕留めるコントロールがないと無意味よ」

 中条巡査は呆れ半分で私見を述べたけど、ご心配にはおよびません。

「僕、コントロールだけは才能に恵まれたみたいで。狙い通りにぶつけられる自信があります」

 天は僕みたいな奴にも一つくらいは才能を与えてくれた。ゴミやペットボトルをゴミ箱に放り込んだり、的屋てきやでの射的だったりって時だけは僕の独壇場どくだんじょうになる。

 もっとも、僕の建築デザインの夢にはなんら役に立たない特技なんだけど。

「ふぅん。すごいわね」

 まぁ今はこの話題は深く掘り下げる必要はないな。

「中条巡査はどこに住んでるんですか?」

桜木町さくらぎちょうよ」

「ずいぶんとハイソなところに住んでますね」

「あの辺の雰囲気が好きなんだ」

 二人並んで電車の座席に座り、周囲に手錠がばれて不審に思われないようお互いの手を近づけて極力鎖が見えないようにした。

 それでも手錠は完全には隠れないので、どうしても好奇こうきの目に晒される形にはなるけど、もうどうしようもない。

「家賃もお高いのでは?」

「月十一万ね。間取りは1LDK」

「うぉーお」

 僕が住んでる家賃四万五千円、築三十年の1K六畳アパートとは雲泥うんでいの差だ。

 さすがは警察官。危険を伴い当直もあるハードな業務に見合ったいいお給料なんだろう。

「そ、そんないいところに僕なんかがお邪魔しちゃっていいんですかね?」

「いいもなにも、私のせいでそうするしかないんだから、むしろ自分の家だと思ってくつろいでくれていいわよ」

 中条巡査は微笑みかけてくれたけど、

(こんなに綺麗な人との至近距離での生活とか、くつろげる気がしないんですけど)

 桜木町さくらぎちょう駅が近づくにつれて、僕の緊張は大きく膨らんでゆくのであった。


    ◆


「ここが私が住んでるマンションよ」

「おおっ、大きい……」

 雑談を交えながら歩くこと十分ちょい、中条巡査が暮らしているマンション前まで辿り着いた。

 手錠で繋がれた状態で二人並んで歩いたので、通行人からは怪訝けげんな視線を集めてある意味で注目の的だった。

 僕は人生で人から注目されることがほとんどなかったので居心地が悪かったけど、中条巡査はどうなんだろう? これほどの美貌びぼうならば、他人からの視線には慣れていそうだけど。

 それはまぁいいとして。

 僕が見上げているのは、十階はある高層マンションだ。コンクリートが頑丈そうで、地震や火災にも強そうだ。

「さ、入りましょう」

「は、はい」

 颯爽とエントランスに向かう中条巡査の横を猫背で歩く。

 オートロックを解除し、エレベーターに乗り込む。

 そして着いたのは最上階だった。十一階建てマンションの十一階。

「ここでーす。部屋汚れてるけど大目に見てね」

「……はい。失礼します」

 中条巡査が玄関扉を開けてくれてるので、おずおずと玄関内へと入って靴を脱いだ。

 うわぁ、いい匂いがする。女性が住む部屋なんだといやが応でも実感する。

 そのままリビングへと通されたけど、大変綺麗で整理整頓されている。汚れてるだなんてとんでもない。

「さっそくご飯にしましょうか」

 中条巡査が冷蔵庫に向かうので僕もついていく。

「……うーん。そうだよね」

 中条巡査は唸り声を上げて冷蔵庫を閉めた。

「今の状態だと料理もできないね……」

「確かに」

 片手のみで包丁を使った日には不慮の事故が起こりかねない。

「蓑田君は自炊してる?」

「あまりしてないですね」

 基本的には炊飯器で米を炊いて、冷食や総菜と一緒に食べるだけ。それも自炊なのかもしれないけど、調理らしい調理はあまりしていない。

「しょうがない。今日は冷食でしのごう」

 中条巡査は冷食を取り出して、皿に乗せて電子レンジに入れた。

 もちろん、移動の際には僕もついていった。

 待つことしばし。

 二人で解凍された冷食をダイニングテーブルに並べた。

「オーソドックスだけど我慢してね」

「いえいえ、むしろありがとうございます」

 湯気を出して食欲をそそってくるのは、唐揚げに炒飯チャーハン、冷凍野菜。

「いただきます」

 手を合わせ、割り箸を持って唐揚げを掴もうとするが。

 箸を思い通りに操れない。

 当然だ。左手で持っているのだから。僕は右利きだ。

「蓑田君、右利き?」

 僕が唐揚げを掴むのに苦戦している様子を目の当たりにした中条巡査が尋ねてきた。

「はい」

「やっぱりそうだよね……ごめんね、気が利かなくて」

「いえ、大丈夫ですよ」

 僕は中条巡査に笑顔を向けるも、相変わらず唐揚げをポロポロしている。

 こうなりゃ仕方ない。伝家の宝刀、刺し箸だ!

 刺し箸。その名の通り箸で食べ物をぶっ刺して食べる方法。品がない上にマナー違反だ。

 けどそれを気にしてたら、せっかく中条巡査が解凍してくれた品が冷めてしまう。

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