幼馴染が努力する事の大切さを教えてくれた

月之影心

幼馴染が努力する事の大切さを教えてくれた

「おぉ~い!待ってくれ~!」


 僕は遠くに見掛けた女子高生の背中に呼び掛けた。

 女子高生は一旦歩みを緩めるが、振り向きもせずすぐにまた元の足並みに戻って歩きだしてしまった。


「待ってくれって!」


 女子高生は前を向いたまま足を止めた。

 僕は息を切らしながら女子高生に追い付き、横に並んで膝に手を付いて息を整えながら話し掛けた。


「呼んでるんだから……はぁはぁ……と、止まって……ぜぇ……くれよぉ。」


 女子高生は冷ややかな目線で僕を見下ろしていた。


「何か用?」


 その声には、『めんどくさい』『鬱陶しい』『さっさと言え』等々……あらゆる負の感情の全てが込められているように感じられた。


「あ、いや……はぁ……この前の……はぁはぁ……事……ぜぇぜぇ……もある……し……」


 僕が言い終わらない内にその女子高生は正面を向いて歩き出してしまう。

 僕は息切れが治らないけど取り敢えず女子高生の横に並ぼうと重たい足を動かした。


「あ、の……ちょっと……待って……」


 女子高生は無言で歩く。

 僕が追い付きそうになると足を速めて並ばせないようにしているようだ。

 いや、多分女子高生はほぼ同じペースで歩いていて、僕のスピードが疲れと息切れで安定していないだけかもしれない。


「あ、あのさ……」


 女子高生が足をぴたっと止めると同時に、僕の方を文字通りきた。

 氷よりも冷たく、ナイフの先よりも鋭い目付きで。


「もう話し掛けないでって言ったよね?日本語分からないの?いい加減にして欲しいんだけど。」


 そう言うと、目線をさっと正面に移し、さっきよりも明らかな早足で僕の前から去って行ってしまった。

 取り残された僕は、肩を落として小さく溜息を吐くと、女子高生の歩いて行ったのと同じ方向へとぼとぼと歩き始めた。




 僕は勝沼かつぬま力弥りきや

 高校2年生。

 自覚はしているが、はっきり言って僕に褒められる部分など無い。

 身長は中学生の頃からぐんぐん伸びて180cmあるものの、同時に横への広がりも大きくなり、付いた仇名は『リキシ(力士)』。

 言っておくが本物の力士はただ太っているだけでなく、あの分厚い脂肪の中は屈強な筋肉で支えられている

 それに対し、僕は本当にただ太っているだけだ。

 如何に怠けた生活を送っているかは学校の成績にも出ていて、どれだけ気遣って貰ったとしても下の下は変わらない。

 こんな体型なので当然運動も出来ず、高校入学直後に僕の体付きを見て柔道部の先輩に誘われた事もあったが、体力も柔軟性も無い僕は僅か3日で辞めてしまった。

 余った時間は勉強ではなくインターネットの大手掲示板などをうろつくだけに浪費してしまい、内も外も中身の無い男になってしまっている。


 僕を全力で拒否していた女子高生は大月おおつき麗良れいら

 隣の家に住んでいて幼い頃から付き合いの続いていた幼馴染。

 麗良は、『羞花閉月』『仙姿玉質』とは彼女の為の言葉じゃないのかと言う程の美しい容姿と、『英名果敢』『博学卓識』がぴったり当て嵌まる頭脳、そして『温厚篤実』な人柄を兼ね備えた、まさに欠点らしい欠点が見当たらない子だ。




 そんな麗良が僕を完全拒否する理由は数日前に遡る。




**********




 その日、僕の両親は揃って旅行に出掛けていて、家には僕一人だった。

 僕の両親と麗良の両親は僕や麗良が生まれる前からのご近所付き合いもあって今でも身内のような付き合い方をしている。

 自分達が旅行に行く事で僕の身の回りの事を心配した母親が麗良の母親にあれこれ頼んだらしく、両親が旅行に出掛けた初日の晩飯を麗良が作ってくれた時の事だった。


「ご馳走様。しかし麗良の料理は美味いな。」

「ふふっ。口に合ったようで良かったわ。」


 麗良はシンクに入れた食器を手際よく洗っていた。


「こんな料理なら毎日食べたいよ。」

「あら。そういう事は彼女を作って彼女に言うべきだわ。」


 麗良の口から『彼女』という言葉を聞いた時、何故か僕は幼い頃から抱いていた麗良への恋心が暴走しはじめた。


「そっかぁ。じゃあ麗良が僕の彼女になったら毎日食べられるんだ。」

「ふふふっ。」

「だったら麗良、僕と付き合ってよ。僕の彼女になって。」

「あはは。面白いねそれ。」


 麗良は抑揚のあまり無い声で食器を洗いながらみたいな感じで言っていた。

 全ての食器を洗い終えた麗良がタオルで手を拭いてエプロンを外してキッチンの椅子にエプロンを掛けた。


「よしっ。じゃあ後はお風呂は自分で沸かせるよね?夜更かしせずにちゃんとお布団で寝るんd……」

「僕は本気で言ってるんだぞ!」


 麗良が僕の言葉を受け流して帰り支度を始めるのを見て、僕は少しだけ頭に血が昇ってしまった。

 麗良は驚いたような表情で僕の方を見た。


「え?どうしたの?」

「僕は……本気で麗良と付き合いたいって言ったんだ。なのに、何で麗良は真剣に聞こうとしないんだよ?」


 麗良の驚いた表情が徐々に普段の温厚な表情に戻っていくが、次の瞬間には眉間に皺を寄せ、少し苛立っているように変わっていった。


「本気で言ってるの?」

「だからそう言ってるじゃn……」

「ふざけないで!」


 突然、麗良が怒りに満ちた表情になって叫んだ。

 突き刺すような視線で僕の目を射抜いている。

 その威圧感に、僕の頭に昇った血が一気に降りて来るのを感じた。


「ふ、ふざけてなんか……急にどうしたんd……」

「貴方、今自分がどういう状態なのか分かってるの?」

「ど……どういう……って……?」

「何の努力もせず、ただ自分にも他人にも甘えるだけになって、勉強も運動も人並みにすら出来ず、学校でも馬鹿にされ続けてる状態なの分かってる?」


 ありのままの現状を改めて麗良に言われた事で、僕は自宅なのに急に居心地の悪さを感じ、つい麗良から目を逸らしてしまった。


「そんな貴方と幼馴染だって胸を張れなくなった私の気持ちを考えた事ある?」

「え……」

「昔の貴方はそんなのじゃなかった。勉強も運動も出来ない事は努力して出来るようになっていたわよね?太らないように毎朝続けてたトレーニングも止めちゃってそんな体になっちゃったんでしょ?」

「う……」


 僕は膨らんだ自分の腹を見下ろして何も言えなくなった。


「それで私と付き合いたい?私を彼女にしたい?全ての努力を止めちゃったのに?人を馬鹿にするのもいい加減にしなさいよ!」


 麗良は溜まっていたものを吐き出すように一気にまくし立てた。

 僕は本気で思っていた事を全否定された事で、再び頭に血が昇ってしまった。


「僕が本気で麗良と付き合いたいって思うのが迷惑なんだ……」

「はぁ?」

「僕と麗良じゃ釣り合いが取れないって言うんだろ?分かってるよ!麗良は何でも出来て見た目も完璧だからな!そんな完璧な人間と付き合うのは僕みたいなデブなクズじゃ嫌だって言いたいんだろ!?結局麗良も見た目が大事なん……」


 負けじと麗良を睨んで言い放った僕だが、それを聞いて目を大きく見開いて怒りに満ちた麗良の顔……何より今にも決壊しそうな程の涙を浮かべた麗良の目に気圧されて言葉を途切らせてしまった。


「なんにも分かってないじゃない!貴方の為にずっと努力してる私の気も知らないで!もういいよ!力弥くんなんか知らない!もう二度と話し掛けないで!」


 麗良はそう言って椅子に掛けたエプロンを掴むと、僕の横をすり抜けて玄関を飛び出して帰ってしまった。


(なみ……だ……?)


 僕は暫くキッチンで麗良に向かい合って立った姿勢のまま固まっていた。


(僕の為に……努力……?)


 僕は幼い頃の事をぽつぽつと思い出していた。


 公園の鉄棒で逆上がりをしていた時、僕は普通に出来ていたが麗良は何度やっても出来なかった。

 そんな麗良にコツやタイミングを教えているうちにやっと麗良も逆上がりが出来るようになった。

 でも麗良は『力弥くんみたいにもっとかっこよく逆上がりが出来るようになりたい』と、出来るようになった後も一生懸命練習していた。

 そして気が付けば、麗良は体育の授業で手本になりそうなくらい美しいフォームで逆上がりが出来るようになっていたし、実際授業では手本となって拍手を受けていた事もあった。

 逆に『出来ているから』と何もしなかった僕は、いつの間にか逆上がりすら出来ない体型になってしまっていた。


(あの時の麗良は……)


 そうだ。


 僕を目標に努力していた。


 努力して追い付きたいと思っていた相手が、ふと見ると何の努力もせず自堕落な日々を送っているだけで、あっという間に追い越して目標にならなくなってしまっていた。


 『釣り合い』とかいうくだらない話なんかじゃないんだ。


 僕は盛大にしくじった事に気付き、慌てて麗良に電話をしたが出てはくれなかった。

 メールを送ってもみたが返事は無かった。

 僕は猛烈な後悔を抱え、眠れない夜を過ごした。




**********




(一度きちんと謝ろう……)


 そう思いながら麗良とコンタクトを取ろうとしていたが、毎回あのように話す事すら拒否されてしまっている。

 麗良に話し掛ける機会はあるものの、麗良が僕の話を聞くつもりになっていないのでどうにもならない日が続くだけだ。


(どうしたもんか……)


 麗良に会話を拒否されだして……いや、僕が甘えた事を言ってしまってそろそろ一週間が過ぎようとしていたある日の放課後、僕はすぐ帰る気になれずに教室の窓際にある自分の席に座ってぼんやり校庭を眺めていた。


「最近暗いな。」


 不意に横から声を掛けて来たのは、クラスメートの多くが僕を相手にしていない中、麗良以外……今は麗良も相手にしてくれていないが……唯一僕に話し掛けて来る奴……大泉おおいずみ由愛ゆめだ。

 由愛は日焼けした肌とボーイッシュな見た目に男の子のような口調のクラスメート。

 その口調が女性だけで構成された某歌劇団の男役を彷彿とさせる事から、妙に女子生徒から人気の在る奴だ。

 由愛とは、由愛が小学4年か5年の頃にこの街に越して来て、それ以来の付き合いがあった。

 と言っても家が近いわけでも休みの日に遊ぶわけでも無く、単に同じクラスになる事が多かったというだけなのだが、何故か由愛は僕によく話し掛けて来ていた。


「あ?あぁ……大泉か……別に普通だよ。」

「そうだな。元々アンタは暗い奴だった。」

「うるせぇよ。何か用か?」

「用と言う程でも無いけど、いつも暗いアンタが最近更に暗くなったと思ってね。何かあったのなら茶化してやろうかと思ったんだ。」


 相変わらず人を弄る事に悦びを覚えるドS体質だ。

 まぁ、所謂イジメとは無縁な性格なのが救いではあるのだが。


「ここ暫く、大月と一緒に居る所を見ないのが原因かい?」


 こいつはエスパーか何かなのか?

 僕は思わず目を見開いて由愛の顔を見てしまっていた。


「あはははっ!アンタは昔から素直で分かりやすい!」

「う、うっせぇ!お前には関係無いだろ?」

「あぁ、関係無いね。関係無いから首を突っ込みたくなる。どう転がったって私には何の影響も無いんだから。」

「ったく……」


 由愛は僕の席の前に回って椅子の背もたれに腰を置くと、僕の顔を覗き込むように顔を寄せて来た。


「それで?何があったんだ?」

「関係無いって言ってんだろ。」

「おや、冷たいじゃないか。関係無いから的確なアドバイスが出来るかもしれないと言うのに。」

「余計なお世話だ。自分で何とかするから放っておいてくれ。」

「自分で何とか出来ないから暗い顔してるんじゃないのかい?」

「ぐっ……」


 図星だ。

 麗良に謝罪どころか会話すら拒否されて、それをどうすれば解消出来るかをずっと考えてはいるのだが、何の案も浮かんでいないのが現状だ。


「ほらな。そういう時は第三者の意見を聞いてみると案外あっさり解決出来たりするもんなんだぞ。」

「でも……」

「でもじゃなくて。いいから私の楽しみの為にさっさと吐け。」


 本音はそこか。

 単に自分が楽しめるネタが欲しいだけじゃないか。

 だが由愛の言っている事は正論だ。

 僕の足りない頭で思い付かない解決策を持っているかもしれない。


「はぁ……分かったよ……お前には勝てん。」


 僕は事の成り行きを由愛に語った。

 何かと僕を茶化して来る由愛だが、こうして僕の話を聞く時はいつも真剣な顔で聞いてくれる。

 一通り話し終えると、夢は机に目線を置いたまま細い顎に指を当てて何やら考え込む様子になっていた。

 『ふぅ~ん……』と由愛が息を吐きながら僕の顔を見て来た。


「今のアンタに出来るかどうか分からんが……」


 そう前置きして由愛がもたれていた前の席の背もたれから腰を離し、肩幅より少し広く足を開いて立ち上がった。


「差し当たってはまず痩せろ。」

「え?」

「人の印象は6割が見た目なんだ。幸いアンタ身長はある。を絞ればそれなりに見られるようになる。元々そんなに酷い見た目じゃないんだから。」

「簡単に言うけど……」

「アンタ体重は?」

「体重?あぁ……100kgくらい……かな……」

「なら1ヶ月で5kgだ。それ以上落とすとリバウンドする確率上がるからな。まずは5kg落とせ。」

「5kg?それだけだとだいぶ時間掛からないか?」


 由愛は腕組みをして僕を睨むような目付きで見てきた。


「今まで努力をして来なかったアンタが言えるのかい?」

「う……」

「まぁまずは様子見だ。トレーニングと食生活の見直しで5kg痩せてごらん。」

「舐めんなよ。」


 冗談交じりに凄んだ目で由愛を睨むと、由愛は僕の額に手を持ってきて軽くデコピンをしてきた。


「ぃてっ!」

「それはまず最初の5kgが痩せられてから言うんだね。」


 由愛はそう言って僕の前から立ち去って行った。

 よぉしやってやろうじゃないか。

 半年掛けて理想の体重になってやる。




**********




 帰宅した僕は、まず机の上のパソコンのモニタやらキーボードやらを封印し……と言っても机から下ろして部屋の隅に置いておくだけだが……夜のネットタイムをトレーニングに当てる事にした。

 併せて、どうせなら麗良どころか皆に置いてけぼりにされている勉強も少しずつやっていけばいい。

 ネット掲示板でネタを探す集中力があれば学校の勉強くらい何て事は無い……筈だ。


 僕は、変わるんだ!








 ……なんて思った時期もありました。

 数分前だけど。


 試しにやってみた腕立て伏せは5回ともたずに床に突っ伏した。

 それならばと腹筋運動をしてみたが腕立て伏せより酷かった。

 スクワットなんかしたら膝が崩壊しそうだ。


 これはまずいな。

 ここまで体力も筋力も落ちていたとは……ってこの体型なら別に不思議でも何でもないか。

 となると今の僕に出来る運動……まずは歩いてみる事にしよう。


 僕は陽が落ちて空が紫色に染まった外へ出ると、住宅街の家の並びに沿って歩きだした。

 歩きながら並んでいる家の表札を眺め、家々の庭を眺め、自分の住んでいる街並みをのんびり眺める時間がある事に気付いた。


(こんな景色だったんだ……)


 家を出て少し歩いただけで息が上がりそうになっていたのに、こうして景色を眺めながらのんびり歩いているとそんな息苦しさも消え、何だか楽しくなってきた。

 住宅街をぐるっと回ってだいぶ薄暗くなってきた頃、僕は公園の入口の前を歩いていた。

 その公園は、幼い頃によく麗良と一緒に遊びに来ていた公園だ。


(懐かしい……)


 僕は公園の中に入って行くと、砂場や滑り台、ブランコ……そして鉄棒と、置かれてある遊具に一つ一つ触れながら歩いて回った。


(あの頃は何でも出来る僕が当たり前だったんだよな……)


 鉄棒に向かって立ち、両手で鉄棒を握り締める。


(逆上がりも最初は出来なかったけど何度も練習して出来るようになったんだっけ……)


 子供の頃のように体を大きく後ろに引き、勢いよく鉄棒の下に体を滑り込ませて腕を引き寄せる。

 鉄棒の下に体が来たら足で地面を蹴って上に向かって……。


 ドサッ!


 僕の体は地面に落ちた。


「いてて……やっぱ無理か……」


 逆上がりすら出来なくなっている自分の体力……いや、自分の怠惰な意思を情けなく感じた。


(どれだけ怠けていたんだ……って事だよな……)


 僕はジャージの土を払いながら起き上がり、鉄棒に捉まって立つと、公園を後にして家へと帰って行った。




**********




 それから僕は、学校から帰ったらウォーキングから始め、少しずつ筋力を戻す為のトレーニングを続けた。

 母親に言って食生活も改善した。

 勉強も……まぁそんなに急に成績が良くなるものでもないけど、取り敢えず『下の下』から『下の中』くらいにはなったと思う。


 トレーニングを始めて1ヶ月。

 僕は家にある体重計に乗ってみた。


 93kg


 由愛が言っていたのより多く減っている。

 僕は思わず『やった!』と小さくガッツボーズをして小躍りしながら部屋へと戻ると、スマホを持って由愛に電話を掛けていた。


『元がオーバーウェイトなんだ。最初は簡単に落ちるんだよ。』


 僕の喜びと違って由愛の声は至って冷静だった。


『油断するなよ。簡単に落ちるのは最初だけだ。気を抜いたらすぐに戻るぞ。』

「あぁ、気を付けるよ。」

『かと言ってあんまり熱中しすぎるのも良く無いからたまには息抜きもな。』

「分かった。」

『じゃあ引き続き頑張れ。』

「うん。ありがとう。」


 由愛と電話をして、たった1ヶ月で大幅に体重を落とせて浮かれていた自分に気付かされた。


(そうだ。目標まではまだまだ……ここで気を緩めちゃダメだ……)


 僕は両手で頬をパンパンと叩いて気合を入れ直した。




**********




 トレーニングを始めて3ヶ月。

 夏休みに入ってから目に見えて僕の体は変わっていった。

 パンパンに張っていた頬の肉は落ち、出ていた腹も少しは引っ込んでいる。

 以前の怠惰を具現化したような体躯は消えていた。

 と言ってもまだ目標までは道半ば……最初に比べれば体重の落ち幅も少なくなっている。


 夏休みが明けて登校した時、一番驚かされたのは、教室でクラスメートが話し掛けて来るようになった事だ。


「りきs……勝沼?……お前……痩せた?」

「え?あ、あ~ちょっと運動を……」

「すげぇなぁ。休み前と別人だぞ?」

「えっ?勝沼君?全然分からなかったよ!」

「そ、それは大袈裟だよ……」

「ううん!ホントホント!こうして見ると勝沼君って結構イケメンかもぉ!」

「い、いや……そんな事は……」

「もう『リキシ』なんて呼べねぇなぁ。」


 人から積極的に話し掛けられる事が少なかったせいか、妙におどおどしてしまう自分が恥ずかしかった。


 夏休み明け一発目の試験では、『下の中』どころかあと一歩で上位に食い込める程になっていた。


「げぇっ!勝沼に負けただとぉ!?」

「マジで?って俺も負けてるわ!」


 僕の周囲に笑いが生まれていて、慣れない雰囲気に何だか気恥ずかしさが増したような気がしていた。




「順調みたいだね。」


 学校での一日が終わり、靴箱の所で靴を履き替えていると背後から声を掛けられた。

 由愛だった。


「うん。大泉のお陰で最近体は軽いしすぐニキビの出来てた肌も落ち着いてきたし勉強もそんなに困らなくなったよ。」

「私が言ったのは『痩せろ』ってだけなんだけどね。副産物として肌の調子と成績が良くなるなんて大したもんだよ。」


 由愛がニコニコとしながら僕の頭のてっぺんから爪先までゆっくり眺めていた。


「な、何だよ?」

「いや、やっぱりアンタ素材は良かっただけに、痩せればそれなりにイケメンだなと思ってね。」

「ち、茶化すなよ……」

「茶化してなんかないさ。本気でそう思うよ。」


 僕は言葉に出来ない恥ずかしさから逃れようと、靴を履き替えると早くこの場を立ち去ろうと外に向かって歩き出した。


「と、とにかく感謝してる。ありがとう。」

「大月とは話せてないのかい?」


 脈絡無く由愛が麗良の名前を出す。

 僕はその場で足を止めて由愛の方へ振り返った。

 由愛は腕組みをして靴箱にもたれ掛かっていた。


「うん。あれから一度も話してない。まだ目標に辿り着いていないからな。」


 由愛は柔らかい笑顔を浮かべてうんうんと頷きながら僕の顔を見ていた。


「その調子だよ。」


 僕は右手を挙げて由愛に挨拶すると、振り返って足早にその場を去った。








「だってさ。」


 由愛が独り言を言う。


 いや……


「やれば出来るんだから……力弥くんは……」


 靴箱の陰で麗良が二人のやり取りを聞いていた。


「ったく……アンタも素直じゃないね。」

「し、仕方ないでしょ?甘やかしたらどこまでも甘える人なんだから。」

「はいはい。それで?アイツを許す気になったかい?」

「見た目は最初から気にしてないわよ。それに許すも何も……元から怒ってなんかないんだから……」


 由愛が肩を竦めて小さく溜息を吐く。


「ほぉんと……素直じゃないんだから。」


 由愛は靴を履き替えると、『お幸せに』とだけ言って軽い足取りで学校を後にした。

 麗良は暫く靴箱に背中を預けて天井を眺めていた。




**********




 トレーニングを始めて半年。

 鏡の前に映る僕は、明らかに半年前の僕とは違う。

 引き締まった胸筋と腹筋と、がっしりとした肩から伸びる筋張った腕。

 ベルトはどれだけ切ったか分からないくらい短くなっている。


 僕はシャツを着て制服に着替え、学校へ行く準備をした。

 先日の期末試験はトップには遠く及ばないものの、辛うじて『上位』と呼べる位置に着く事が出来た。

 先生にも褒められ、学友に頼られるようになり……まぁあまり人と話すのが得意になったとは言えないけど、それなりに会話は出来るようになった。

 学校が楽しいとまでは言わないが、行く事自体は苦では無くなっていた。


(努力は実ってるって事……だよな……)


 玄関で靴を履き、『いってきます』と奥にいる母親に挨拶をして玄関を開けた。




「おはよう。」




 玄関の外、開けたままになっていた門の外には麗良が立っていた。


「あ……お、おはよう……」


 麗良は優し気な笑顔で僕を見ていた。

 僕は想定外の事に暫く固まってしまっていたが、麗良の笑顔を見ている内にすっと肩の力が抜けて行ったような気がして、今なら僕の気持ちが伝えられるんじゃないかと思って口を開いた。


「僕、頑張ったよ。」

「うん。」

「麗良がビシッと言ってくれたお陰で頑張る事が出来たんだ。」

「うん。」

「麗良から見て、僕は頑張れていたかな?」

「ええ。凄く頑張ってた。努力してる力弥くん……かっこ良かったよ。」


 麗良は優しい笑顔のまま、僕を見詰めている。


「今なら、僕は麗良の自慢の幼馴染って言える?」

「勿論。かっこ良くなった力弥くんもだけど、それよりも私は努力しているなって思った時の方が自慢出来ると思ってたわ。」

「そうか……やっぱりそうだったんだ。」

「何が?」


 僕はゆっくりと麗良に近付いた。


「あの時僕は麗良に酷い事を言った。『僕の見た目が悪いから付き合いたくないんだろう』みたいな事を。だから僕は頑張ってかっこ良くなれば麗良と付き合えるんだって思った。」

「うん。」

「けど麗良は僕の見た目とかじゃなくて、『努力する事』が大切だって事を教えたかったんだなって。」

「分かって貰えて嬉しい……」

「それを謝りたかったんだけど……なかなか話し掛けられなくて……」

「ううん。私も努力してるなって思うまでは聞く耳持たなかったから……」


 僕は麗良の横を通って道路に降りた。


「だから……」


 麗良の方を振り向いて言った。

 麗良はゆっくりと振り返り、少し紅潮した頬で僕の方を見た。




「もっともっと努力して、麗良が教えてくれた努力の大切さを忘れないように、これからも努力し続けていかなきゃいけないんだ。」




「う……ん……?」




「見ててよ。僕はこれからもずっと努力して、麗良の自慢出来る幼馴染で居続けるから!」




「え……?」




「僕の努力はこんなものじゃない!まだまだこれからなんだよ!」




「い、いや……あの……」




「おっと!僕、いつも一つ先の駅まで走ってるからもう行かないと遅刻しちゃう!じゃあ麗良!また学校でね!」




「ちょっ……ちょっと!」




 麗良と半年ぶりくらいで話せた事、そして気持ちを伝えられた事で、僕の足取りは今までに無いくらい軽くなっていた。


 やっと麗良に認めて貰えたんだ。

 こんなに嬉しい事は無い。

 これからも僕の努力する姿を見ていてくれよな!








「も、もぉぉぉ!なんなのよぉぉぉぉぉ!!!」


 麗良の悲痛な叫びは、いつまでも住宅街に響いていた。

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