03

 目次は飛ばして適当に開いた頁。そこに現れた料理の情報に目を落とすと、メインの食材は魚で、メニューは良くあるムニエルだと言うことが分かる。仕上がりイメージの写真は綺麗に盛りつけられ【美味しそう】。白い皿に添えられるようにしてフォークとナイフが置かれ、画面の手前にはスープとライス。左奥に彩りの良いサラダ。右奥には白ワインの入ったグラスが置かれていた。

 分量を見ると悲しいかな。一人分ではなく二人分の数字が書かれていて。タイトルが【幸せ】とついているからそれはそうかと吐く溜息。

『やはり、この本は自分には必要ないかもしれない』

 そう判断し、本来のカテゴリの棚に戻すべく動かす足。その間、他の頁も軽く目を通してみることにしようと思い、綴られた紙の束に印刷されている情報へと視線を落とす。

「結構、紹介されているメニューが多いんだ」

 レシピをまとめている本なのだから、食材別で収録されている事は当たり前。それでも思っていた以上に用意されているレシピがあることに、純粋に驚き足を止めてしまう。

「……借りて……みようかなぁ」

 この本とはここでお別れ。これ以降二度と手に取るつもりはない。そのはずだったのに。

 『幸せ』と打たれたタイトルを簡単に受け入れられるほど、心の余裕まだ持てない。それでも芽生えた興味に蓋をして、サヨウナラをするのは勿体ないと感じてしまう何か。

「やっぱり、借りてみよう!」

 元々料理は好きなのだ。例え、この本のタイトル通りに『幸せ』を感じらる事が出来なかったとしても、この本を読み、それを作ることで料理というもののレパートリーは増やせる。そう考えるとその本を手に取る自分自身にの気持ちが、マイナスを向いていたところからプラスへと切り替わったような気がして肩が軽くなる。

 借りる本は一冊だけ。ピンクのカバーが掛かったハードカバー。よく考えてみれば、レシピブックなのにハードカバーというのはおかしい気もするが、そんなことは些細な問題。

 階段を降り、企画展示の行われているブースを横切り、貸し出しカウンターへと向かう。設置された端末機の前に立ち本を置くと、先程作ったばかりのカードを読み取り口に差し込み暫しの間待機。画面が切り替わったところで案内に従いパネルを操作していく。借りる本は一冊だけ。該当するボタンを押すと、ディスプレイに表示されたのは目の前にある本のタイトルだ。間違いが無いかを確認した後で『貸出』ボタンを押せば操作は完了。感熱紙に印刷されたレシートタイプの貸出票を受け取れば、この本は二週間の間だけお持ち帰りが可能になる。

 本の頭に貸出票を挟み建物を出る。空調のお陰で忘れていた暑さが、外に出ると同時に戻ってきて再び吐き出される溜息。だが、今回のものは純粋に暑さに対して出たもので、先程まで感じていた心の靄に対してのものとは異なっていた。


 帰宅する前に立ち寄ったのは近所のスーパーマーケット。本来ならこの場所に立ち寄る予定は立てては居なかった。それでも自然に足が向いてしまったのは、先程借りた本の存在が大きいのだと思おう。

 籠を手に取りゆっくりと店内を回る。使いたいと思う食材と、商品に掲示された値段とを比較し必要かどうかを考えながら籠に入れていく。売り場を移動する度に増える籠の中身。店内を一周する頃には、左腕に引っかけた籠は随分と重さを増していた。

 レジに向かうと時間帯だろうか。順番待ちをする買い物客の後ろ姿が目に止まる。

 レジの数は全部で四つ。内一つは使用不可のサインとして、籠が立てて乗せられ店員の姿はない。稼働している残り三つの内二つはセルフレジ。一つが店員が袋詰めをしてくれるレジのようだ。

「…………」

 もう少し落ち着いている時間なら、セルフレジをスルーし店員のサービスがある方を選ぶ人は多いのかもしれない。しかし、今はどのレジも均等に客が並び、袋詰めという手間がない分セルフが流れは早いといった状態。

 重たい籠を見て一瞬迷いはしたが、早く帰宅したいという気持ちが勝り並んだのはセルフの方。目の前に立っているのは仕事帰りの壮年の男性で。土建業だろうか、着ている作業着は所々汚れが目立つ。彼はこの後晩酌をする予定らしい。手に持っているのは割引シールの貼れた刺身が三つと六缶パックの発泡酒。帰宅したら、それらを摘まみに晩酌を楽しむのかも知れない。

 隣のレジに目をやると、パワフルな印象の中年女性がカートから大量に商品を詰め込んだ籠を二つ、サッカー台へと重たそうに乗せていた。

 どちらのレジもサッカー台に乗せられている籠の中身は同じくらいの量がある。ただ、先にバーコードを読み取り始めたこちら側の方が回転は速いようだ。よく見てみると、隣のレジを担当している店員の腕には【研修中】という腕章がある。経験値の差というものは大きいらしく、操作に慣れないながらも、アルバイトの女性は一生懸命に仕事をこなしているようだ。こちらのレジはというと、熟練の女性店員が対応している様で、慣れた手つきでバーコードを読み取りながら、機械的に商品の値段を復唱し続けている。気が付けば籠の中身は呆気なく空になり、二人前の女性客に支払いの端末番号を案内していた。

 サッカー台の上にあったはずの備え付けの籠。中身が空になったことで片付けられ何も無くなる。前の客と入れ替えで店員の前に立つのは目の前の男性。手に持って居た商品をサッカー台に置くと、店員はそれらを手に取り商品に貼り付けられたシール情報をスキャナに読み込ませていく。小さな電子音と共に直ぐに表示される商品金額。品物の数が少ないため、それは直ぐに確定金額へと変わる。

「レジ袋はどうされますか?」

 定例句のようなその言葉に、男性は躊躇うことなく「付けてくれ」と答え、プラスされるオプション費用。全ての清算が終わり支払い方法を確認すると、もたつく動作でポケットから取り出されたのは使い古しの草臥れた財布だった。

「現金で」

 店のポイントカードは無いとのことで、男性はそのまま商品と共に支払機へと案内される。機械の使い方に余り強くないのか、どう使えば良いのかを悩む彼に対し、事務的に操作を説明している女性店員。現金を投入するところまで見届けたところで、漸くこちらの番が回ってきたようだ。

 左腕にかかっていた重量と言う名の負担。その重さから一時的に解放されることで感じた疲労。トートバッグに入れっぱなしのマイバッグを取り出しながら、ディスプレイに表示されていく商品名をぼんやりと眺める。一つカウントされる度増えていくのは合計金額で。左側にある購入用の籠から物は無くなるのに右側に置かれた清算用の籠には量は増えていく。当たり前のことではあるが、増える数字を見ていると少しだけ気が滅入ってしまう。

 レジ袋を店員に渡し財布から取り出したポイントカード。それを提示した後で清算方法を伝える。選んだのはクレジットカードで。家に帰ったら支出をキチンと管理しなければと考えながら、カードリーダーにそれを差し込み処理を待つ。金額が一定以上ではない場合サインをする必要は無い。精算は呆気なく終わり、レシートと一緒に手渡される利用控え。それを手早く財布の中に仕舞うと、購入した品物の入った籠を持ち場所を移動する。空いているスペースを見つけ広げたマイバッグの中に詰め込む購入物。コツを掴めば簡単だなんて、誰が言ったのだろう。目の前に掲示された【商品を上手く袋詰めするためのコツ】というポスターを見ながら作業をするのに、矢張りどこかが不格好になってしまう。

 何とか無理矢理収め終わったところで袋を持つと、持ち手の形が変わったせいか質量分の重さが皮膚に食い込み痛みを訴えた。

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