03

 指定された場所は賑わいを失いつつある町にある廃校跡。かつてはその学舎で沢山の生徒が過ごしていたのだろうが、人気が無くなって随分と久しい今となっては、ただ、ただ、不気味さだけが建物を包み込んでいる。

 辛うじて出入り口は施錠されているが、割られた窓ガラスが何枚か確認出来るところを見ると、中の状態はそこまで良いとは言えないのかもしれない。使用許可は取ってあるとマネージャーの女性からは聞いている。それでも、その建物から滲み出る居心地の悪さを完全に拭うことは難しかった。

「何か、すごい感じだよねぇ」

 先にメイクを済ませスタンバイしていた美夏が不安そうに呟く。

「中、結構暗いって、下見の人言ってた」

 セットされた髪の出来を鏡で確認しながら、愛実は言葉を続けた。

「一応懐中電灯貸して貰えるし、カメラと音声さんが同行してくれるらしいから大丈夫だとは思うけど、ライト無いっていうからちょっと恐いよね」

「うん」

 今回の仕事はこの建物を使っての撮影というもの。脚本は良くあるホラー物という感じの内容で、恐怖シーンは誇張演出で撮影していくというスタイルになっている。

 実際、この建物自体も何か曰くがあるのかと言えばそうでは無く、様々な事情から取り壊しに時間がかかってるというだけの話。管理自体は町役場で行っているので許可さえ降りればこのように撮影のために使うというのも難しくはない。

 建物に関して、一部保存状態が悪い箇所があるという点を除けば、比較的安心して撮影は行える。管理がなかなか行き届かない部分もあるため、安全面については多少の不安は残るのだが、役者に怪我が無いよう細心の注意を払いながら徹底した準備は行われていた。恐怖はあくまでも演出であり現実ではない。撮影されたフィルムに様々な特殊効果を追加して恐怖を増幅させるまでは、用意される映像というものは至って陳腐な出来になる。それが現実なのだろう。

 それでも、建物の規模が大きな分、人気を失い暗い雰囲気を醸し出すこの建物に圧倒されてしまうのは否定出来なかった。学校という空間は、ほとんどの人間が一生のうち一度は足を運び、時間を過ごしたことのある場所だ。その時の記憶があるからこそ、このように何も無くなってしまった空っぽの空間に対して、寂しさと仄暗さを感じ、それを異質な物として捉えてしまうのかもしれない。

「ホントすっごいコワイよね〜」

 二人に遅れてやってきた麻由は緊張感の無い声でそう言ってポーズを取る。

「全然怖がってないジャン、マユは」

「そんなことないよぉ〜」

 そうはいっても、この天然な雰囲気を持つ彼女の言葉は、愛実と美夏の緊張を解くには十分だった。

「それじゃあ、用意が出来たら撮影を始めようか!」

 招集を掛けられ集合するスタッフと役者達。台本を手に軽く打ち合わせをしてから撮影はスタートする。

 今回のコンセプトは怖い噂をファンから教えて貰ったアイドルグループが、実際にホラースポットにやってくるというもの。内容はフィクションなので、ジャンルとしてはモキュメンタリーとなる。校舎を撮影で使用出来るスケジュールの都合上、取り始める撮影順番は話の中盤から。ワンカットで撮影すると言うわけではないので、一応NGを出したとしても、時間内のリテイクなら問題はないだろう。

「それでは撮影入りまーす!」

 カメラの前でスタンバイされるカチンコ。フィルムを編集するときのための撮影ナンバーが書かれたそれがレンズの向こうで固定されている。

「さん、に、いち……アクション!」

 拍子木部分が合わさり小さな音を立てたカチンコが画面から消えると、カメラは始めに学校の全体を引きで捉えゆっくりと左右に画角をスライドさせた。

 次にワンボックスから降りてくる三人のアイドルたちへと映像は切り替わる。

「ここが、噂のホラースポットのようです」

 始めに台詞を言うのは、グループのリーダーで、お姉さん的ポジションの美夏だ。

「ねぇミカちゃん。こういうトコって私始めてなんだけど……」

 建物を見て両肩を抱え怖そうに俯いてみせるのが、愛実。

「でもぉ、結構面白そうだよ〜」

 コワイけど楽しみ〜! って感じだよね〜とのんびり喋るのが、最年少の妹的キャラである麻由だ。

「マユは緊張感なさ過ぎ。でも、アミの言う通り、結構不気味だよね……」

 売れないアイドルなんてやってはいるが、元々美夏は役者を志望していた。その分だけあって、それなりに演技力が高い部分もある。台本を貰い、その役を与えられるとカメラを意識して演技を始める。いつもそれが凄いなと愛実は思いながら、台詞を繋げていく。

「今回は、この噂が本当かどうかを確認して欲しいと、ファンの方からリクエストをいただきました。怖いけど、三人一緒なので、多分大丈夫。がんばりたいと思います!」

 一本ずつ渡される懐中電灯。壊れていないかを確認するように、スイッチをオン・オフと切り替えた後、三人はゆっくり校舎に向かって歩き出す。その後を追うのは、カメラマンと音声技術スタッフ。監督は外に設置されたモニターを見ながら、指示をだしていく。

「それでは、さっそく、中に入ってみたいと思います」

 鍵は予め施錠をはずしているため、ドアに手を掛けると呆気なくあいてしまった。

「鍵……かかってないんだ」

 勿論、その台詞も演技である。それでも、鍵がかかっていないことが異常だと思わせるように驚いてみせる。

「ねぇ、なんか、ちょっと寒くない?」

 気のせいかなぁ? 先ほどよりは少しだけ早めの口調で麻由が口にする言葉。これも台本に書いてあったもので、実際は寒気なんて微塵も感じたりしていない。

「何か、空気重たいよね」

 開いた先になかなか進まず、玄関でそんな会話を続けるのも、全て演技の一つだ。こうやって展開をゆっくり進めることで、恐怖を煽るための時間を演出しているのだろうが、彼女達は無意識にそれを行っている。

「じゃあ、中に入ってみるよ」

 カメラが常にそこにあることも分かっているため、時々そちらを見ていつ動きを進めるのかというタイミングを計り、内容を進めていく。

 建物内には恐怖を演出する仕掛けと、予めスタンバイしていた幽霊役の役者が数人。歩くルートは事前に下調べをした際、転倒などの危険がないものを確保し、散乱したアイテムは意図的に配置してある状態。足元に物が散乱はしているが、ガラスなどの危険物は事前に取り除かれている。それでも、足元を確認しつつゆっくりと奥へ進んでいくのは、校舎全体が薄暗く光量が少ないためだろう。まだ日は高い位置にあるというのに、明かりの灯らない巨大な建物は、重く暗い雰囲気を漂わせていた。

 いくら作られた演出だからといって、全く恐怖を感じない訳では無い。結局のところ、日常から少しずれただけでも、確かにそこにある怖さというものは存在しているのだ。だからなのだろうか。全ては用意された脚本の通り作られていくはずの偽物に対して、得体の知れない薄ら寒さを感じてしまうのは。気が付けば、三人の口数は大分少ない。台詞こそ忘れる事は無いが、普段は怪談話にすら動じない麻由ですら、愛実の服の袖を掴み、不安そうに懐中電灯で先を照らしている。

「ここが、三つめの噂のある理科室のようです」

 責任感の強さからか、美夏は二人のフォローをしつつ展開を引っ張っていく。彼女自身、本当は早くこの建物から出たいと願っていた。大丈夫、大丈夫と言い聞かせても、誰かがNGを出さない限りこの空気は変わらない。怖いと思って演技をしていると、それがいつしか本物になってしまう。窓を叩く小さな風の音ですら、煽られた恐怖心を刺激するには十分すぎるものだ。

 しかし、そんな願いも虚しく、撮影はどこまでも順調に進んでしまった。なかなか聞こえないカットという声と、撮影が終盤にさしかかるにつれ現実と虚構の境界が曖昧になっていく感覚。最後のシーンで上げた絶叫は、臨界を越えてしまった三人が、本当の意味で感じた恐怖から出た声で、気が付けばその表情は涙に濡れ、互いに肩を寄せ合い震え上がってしまっていた。

「はーい、撮影は終了でーす! お疲れ様でした〜」

 虚構の世界から一気に現実へと引き戻されると、強く感じたのは疲労感。普段自分の被っているアイドルの仮面は、シナリオの中で作られた全く存在しないキャラクターよりも自身に近いものだというのに、それでも足から力が抜け地べたに座り込んでしまうくらいには、その役に入りきってしまっていたんだと言う事を思い知らされる。唯一の救いは、一度もNGが出されず撮影を終えられたということだろう。

 カメラが止まると戻ってくる活気。幽霊役の役者は疲れたと口々にそう呟き笑い合う。

「お疲れ様。怖かったでしょう?」

 そう言って三人に声をかけてきたのは、ベテランの役者の女性。彼女は、一番重要な幽霊の役を受け持っていたため、メイクは撮影が終わった後で見ても十分怖い。

「いっぱい驚かせちゃってごめんね」

 作られた造形とは異なり明るい性格の彼女は、地面に座り込んで立てなくなってしまった三人の頭をゆっくりと撫でてから、一人一人引っ張り上げ起こしてあげる。

「貴方たちがあんまりにも真剣に怖がってくれるから、つい悪のりしちゃった」

 そう言って意地悪そうに笑ったところで一気に解けたのは緊張感だった。

「もう! 加納さんの意地悪!」

 感情をストレートに面に出す美夏は、そう言って頬を膨らませ拗ねてみせる。

「加納さんの演技が凄すぎて、私、動けなくなっちゃいました」

 控えめにそう言って胸を撫で下ろすのは愛実で、彼女は小さく息を吐いた後、恥ずかしそうに笑って見せた。

「加納さん、役ハマリすぎですよぉ〜。マユ、ほんっとうにこわかったんですからね〜!!」

 軽く拳を作り、ポカポカと叩くジェスチャを繰り返し抗議をするのは麻由だ。

「ごめんごめん! でも、三人ともすっごく良かったわよ。仕上がりが楽しみね」

 撮影が終わってしまうと絵面としてはとても間抜けな光景。リテイクがないため、既に現場の片付けは始まっており、校舎を出る役者と入れ違いでスタッフの姿が増え撤収作業が進められていた。

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