私の駆ける想い

緑のキツネ

私の駆ける想い

空がまだ青かった頃の話。

グラウンドに沈黙が走る。


『位置についてよーいドン』


その合図と共に私は走り出した。

私のスタートダッシュは誰にも負けない。

隣には陸上部の中で3番目くらいに速い先輩がいた。ゴールした瞬間、

先輩は悔しそうに私を見てきた。


『また、負けたか。もう一回やろう』


『何回やっても変わらないよ』


それは毎日のように行われていた。





私たちが高校を卒業して

6年が過ぎようとしていた。

降り始めた雪が強くなっていく年の瀬に

私たちは集まって、馬鹿騒ぎをしている。

みんなが盛り上がってるのを見ながら

1人静かにビールを飲んでいた。


「美咲もこっちおいでよ」


友達の春香に呼ばれた。

足元は少しフラついていたが、

気にせず春香の元に向かった。


「そう言えば美咲はあの人とどうなったの?」


「あの人って……悠人のこと?」


春香は静かに首を縦に振った。


「いや……。別に何も無いけど」


「本当に?」


春香が苦い顔をしながら疑ってきた。


『俺と最後に勝負しよう』


悠人先輩の言葉が脳裏に蘇った。


「私はあの日からずっと待ってるのに……」


私は本当に悠人のことを好きなのか?

もし今、悠人に会ったら私は

どんな返事をするのか。


「何か進展があったと思って期待してたのに…」


私の右ポケットには第二ボタンが入っていた。

あれは7年前の卒業式の日だった。





卒業式前日

いつも通り春香と私で桜が散る屋上で弁当を食べていた。


「美咲ー。明日だよ、卒業式。あの人に告白したの?」


春香が言うあの人と言ったら1人しかいない。

私と同じ陸上部の悠人先輩だ。

私は入部した時からずっと

先輩のことが好きだった。


「いや……告白なんて無理だよ」


春香は私の弁当にハートの卵焼きをくれた。


「じゃあラブレターを書いて机に入れれば、

良いんじゃない?」


「ラブレターか……」


春香がくれたハートの卵焼きを食べながら考えた。


「私も中学の頃、書いて渡したよ」


「その後、どうなったの?」


「お返しに第二ボタンをもらったよ」


「昔からずっと思ってたけど、何で第二ボタンなの?」


「第二ボタンは1番心臓に近いから

ハートをあげる意味があるらしいよ」


良いなー。私も欲しいな。


「私、ラブレター書いてみるわ」


春香は


「頑張って」


とだけ言ってくれた。

家に帰って、ラブレターを書き始めた。

それは長い夜の始まりだった。

書いては捨ててをずっと繰り返していた。

50枚ぐらいあった紙もあと1枚になっていた。

これで最後か……。

今まで以上に気合を入れて書き始めた。



悠人先輩へ

卒業おめでとうございます。

悠人先輩がいなくなるなんて…。

私は先輩と会った日から

ずっと大好きでした。

その想いを伝えたかったけど、勇気が出なくて

ラブレターを書くことにしました。

入部当初は全然先輩にも勝てなかったのに、

今では100Mならギリギリ勝つことが

できるようになりました。

それも全て先輩が居たからです。

最後にもう1度だけ先輩と走りたかったです。

卒業おめでとうございます。

私のことを忘れないでください。

               美咲より



卒業式当日、私は早く来て先輩の机の中に

誰にも気付かれないようにラブレターを入れた。読んでくれるかな?胸が早鐘を打っていた。時計の針が止まったような長い卒業式が終わり、先輩たちは卒業アルバムを片手に盛り上がっていた。その姿を見ると寂しさで胸が空っぽになった。もう先輩とは会えないのか。


「美咲ー。早く帰ろうよ」


「う…うん」


春香に呼ばれて外に出た。さようなら、悠人先輩。全ての終わりへの一歩を踏み出そうとした時だった。


「美咲ーー」


どこからか聞いたことがある声が聞こえた。

私が聞き間違えるはずがない。だって……。


「ごめんね、春香」


「良いよ。早く行きなよ」


「ありがとう」


私はその声がする方へ走っていった。


「美咲ー」


声はどんどん近くなっていった。


「ここは……」


悠人先輩が居たのはグランドだった。

先輩の右手にはラブレターがあった。


「これ、読んだよ」


ラブレターを読まれたと思ったら

不思議な感じがする。顔を真っ赤にしながら


「悠人先輩。勝手なことしてすいませんでした」


すると、先輩は大きな声で


「今から俺と最後に100Mで勝負しよう」


と声をかけてきた。あまりにも急すぎて私は平静を失っていた。100Mは先輩が引退するまでは毎日のように競っていた。戦績は私の方が圧倒的に上だった。


「でも何でですか?」


「勝ったら相手の願いを叶える。

これでどうだ?」


「先輩は何を願うんですか?」


「秘密だ」


願い……。

私は何を望めば良いのか。


『第二ボタンは1番心臓に近いから

ハートをあげるの意味があるらしいよ』


そうだ。女子の憧れである第二ボタンを貰おう。


「それじゃあ行くぞ。位置についてよーいドン」


先輩の合図と同時に私は一歩を強く蹴って

走り始めた。最高のスタートダッシュを切れた。50Mを過ぎたぐらいで隣に先輩の顔が見えた。先輩のすごいところは加速力だ。

私のスタートダッシュは部でトップだが、

加速力が無いため、すぐに追い抜かれてしまう。それでも私は部活内で1番速かった。

これが先輩との最後の勝負だ。

絶対勝ちたい。最後の力を振り絞りペースを上げた。ゴールと同時に先輩が


「なあ、どっちが勝った?」


と聞いてきた。


「先輩の方が少しだけ勝ってました」


「お前は正直だな」


お互い息が切れていたため、ゆっくりグランドを一周することにした。


「やっぱりお前スタートダッシュ速いな」


「それだけが取り柄なので」


「それだけ…じゃないと思うよ……」


その言葉は小さくて聞こえにくかった。


「聞こえなかったんですけど何ですか?」


「いや……なんでもないけど」


200Mを過ぎたところで

ラブレターの話へ変わった。


「お前のラブレター面白かったぜ」


やっぱり伝わっていた!それだけで嬉しくて、

私の顔は夕日のように赤くなっていた。


「直接伝えてくれたら

もっと嬉しかったのに」


「すいませんでした」


一周歩き終わり、

スタート地点まで帰ってきた。


「先輩の願いって何ですか?」


「俺の願いは……」


沈黙の中、桜が吹き荒れた。


「俺も……お前のことがずっと………好きだった」


予想外の一言に頭が回らなかった。

先輩が私のことを好き?これは夢だ。そう思い、頬をつねったが痛かった。


「こ…れは……本当ですか?」


先輩は頷いた。


「本当はずっとお前と付き合いたかった」


「私もです」


「でも、俺はこれから司法試験に挑むから、

恋と勉強の両立は出来ない。だから俺が大学を卒業するまで待って欲しい。

それが俺の願いだ。わがままでごめん」


そう言いながら先輩は第二ボタンを外し、

私の手のひらに置いた。


「返事は?」


「こちらこそよろしくお願いします」


「やったー」


先輩は子供みたいに騒いでいた。


「先輩、頑張ってください。司法試験。

終わったら絶対に迎えにきてくださいね」


「先輩って呼ぶの辞めよう」


「悠人」


「美咲」


私たちはまた会うことを約束して高校を卒業した。しかし、大学を卒業した今、

まだ連絡は来ない。





「おーーい美咲」


春香の声で我に帰った。


「同窓会だよ。なにボーッとしてるの。

ほら楽しまないと」


そうだ。まだ同窓会の途中だった。


「ちょっと、昔のことを思い出してた」


私は今でも悠人君の夢を見ることもあるし、

まだ好きな気持ちに変わりはない。

今頃、どうしてるのかな?司法試験受かったのかな?それとももう会えないのかな……


プルルルプルルル


突然、私のスマホに電話がかかった。

こんな夜中に誰だよ。そう思い、

相手の名前を見た。そこには悠人と書かれていた。


「え……」


「悠人先輩からじゃん。早く出なよ」


「うん」


私は寒い中、外に出た。まだ雪は降っていた。

空は暗黒世界だった。私はスマホを耳に当てた。


「久しぶりだね」


「うん」


「お前、今どこにいるの?」


「どこって……地元の公民館だけど……」


「そうなんだ」


「どうしたの?」


私の問いに悠人は答えてくれなかった。


「突然電話かけてきて……。

私は大学卒業してからずっと待ってたのに

遅すぎるよ……。何があったの?まさか彼女出来たの?私はずっと好きだったのに。

私はまだ諦めてなかったのに。

司法試験はどうなったの?

何か答えてよ!!」


約4年間溜まった想いが溢れ出てしまった。


「もう……4年は長すぎるよ……」


涙が雪と混ざりながら光り、

地面に落ちて消えていった。


「ごめんな」


その声は私の背後から聞こえた。


「え……」


振り返るとそこには4年前と

何ひとつ変わらない悠人がいた。


「悠人……。会いたかったよ……」


私たちは抱き合った。こんなに寒いのに何故か暖かくなっていった。そして、

あの日と同じように悠人はひざまづき、

小さな四角い箱を私の手に置いた。


「これって……」


「美咲。俺は司法試験に無事合格することができた。待ってくれてありがとう。

美咲といつまでも一緒にいたい。だから……」


雪はいつのまにか止んで、

雲と雲の間から月が出てきた。


「俺と結婚してください」


箱を開けるとそこには

月で眩しく光る指輪が入っていた。


「返事は?」


好きな気持ちに変わりは無いけど……。

どう答えたら良いのか分からなかった。

「ごめん……今はまだ自分の気持ちが分からない」


私がそう言うと悠人は笑った。


「お前が4年間待ったなら、

俺は10年でも100年でも待つよ」


「ありがとう」


「今日はお前の家に泊まるからよろしくな」


「勝手に決めないでよ」


「お前の家まで競走しようぜ。位置についてよーいドン」


と言いながら

悠人は私を置いて走って行った。

先に着いても鍵が無いと入れないのに。

私も悠人を追いかけてあの日と同じように

最高のスタートダッシュを切った。

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