第8話 東京パラリンピックを見て
パラリンピックがはじまりました。
じつは、ほとんど見ていません。
オリンピックには興味はあっも、パラリンピックにはあまり興味がないというのが、偽らざる気持ちです。ただ、パラリンピック中継を見て思ったことをここにメモしておきたいと思います。
東京オリンピックは、いままでになく「パラスポーツ」というものを身近に感じることができるという意味で、開催してよかったんじゃないかと思います。
競技を見てて思ったのですが、同じ障害のクラスといっても障害の程度は選手それぞれに違いがあるんですね。障害というのがよくなければ、「個性」といえばいいんでしょうか。
視覚とか、聴覚とかと違い、特に、四肢の欠損については「個性」が分かりやすいと思いました。肘から先がないとか、膝から先がないとか。両足がない選手と、片足がない選手とが同じ条件で戦っているとか。素人目には、さまざまな「個性」の選手がひとつの頂点を目指して競い合うパラスポーツというのは、どうも公平でないような気がしてしまいました。
ただ、考えてみると、いわゆる健常者とされている選手たちも、目に見えないさまざまな個性(『障害』と呼ばれることはない、その人固有の性質)を抱えて競技に臨んでいるわけで。パラスポーツが公平でないと考えるなら、健常者のスポーツもそういう意味では公平でないと気づきました。
ということは、やはりパラスポーツ選手の『障害』は障害ではなく、個性なんだろうと思いました。多様な個性を持った選手たちが金メダルを目指して競い合っているというのは、パラスポーツだけでなく、一般のスポーツでも同じではないか。新録や金メダルが素晴らしいのではなくて、それぞれの個性の範囲内でベストを尽くす選手たちの姿こそがもっとも素晴らしいものじゃないか。
なんてことをパラリンピックを見ていて考えました。
ベストを尽くす……かあ。
わたし、ベスト尽くしてるかな。新作の続き書こうっと……。
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