Beautiful Uni-verse

@Pz5

手記

 その手記は、メモ用紙や裏紙、時にはダンボールを剥がしたようなクズ紙に、ボールペンや万年筆、サインペン、鉛筆など、様々な筆記具で、様々な書体を以て、勢い様々に書かれていた。




 この世界は美しいのです。


 誰が何と言おうと、美しいのです。

 絶対的に。


 少なくとも、僕にはこの世界の一切が美しく見えるのです。


 空の全ての表情も。

 ただ流れる川も。

 転がる石も。

 移り変わる信号も。

 アスファルトに落ちる影も。

 夕焼け空に浮かぶ電柱や電線も。


 路上で乾き切り、蟻に解体され、運ばれる蝉も。


 一切はただ美しいのです。

 だから、この世界は美しいのです。

 一切合切、有象無象の区別無く。


 全てが僕の目には美しく映るのです。

 悪魔と契約する事もなく。

 時を止める必要もなく。


 流転する空気。

 千変万化の波。

 流転する風。

 礫死体の猫。

 路傍の糞尿。


 一見醜悪で、僕自身吐気を催さずにはいられないモノであっても、それらは美しく映ってしまうのです。

 だから、周囲が何と云おうと、この世界は美しいのです。

 たとえそれらが僕を吐瀉物に塗れさせるとしても。

 たとえそれらが僕の周りで腐臭を放つとしても。

 この世界の美しさは僕の中を満たすのです。


 一切はただ美しいのです。

 だから、この世界は美しいのです。

 一切合切、有象無象の区別無く。



 この世界は美しいのです。

 それは泰山名月から塵芥に至るまで。

 自然に描かれた花鳥風月から人の手の入った産業廃棄物まで。

 一切合切が美しいのです。


 少なくとも僕の目にはそう映るのです。


 だから、僕は捨てると言う事がほとほと苦手で、一切合切溜まってしまうのです。

 身の回りをがらくたの溜まるに任せると身動きできなくなりますが、それでもそこに美の旋律を見出してしまうものですから、僕の頭はそれを見つけた喜びで止まってしまうのです。

 写真等に撮りますと、それは酷く詰まらない光景になるのですが、生身で感じるに於いては美しいままなのですから、然程困りはしません。

 そうやって僕の周りには空き缶や空き瓶だとか、コップだとかかが転がされ、本や箱や絵具が積まれて行くのです。


 埃だとてそこに美しい流れを見出してしまえば、僕の喉を痛める意外はさしたる害を為しません。

 蟲の類いは動いているときは困りますが、死んでしまいますと、それはもう物品の一部なのですから、やはり僕を煩わせることは無いのです。

 特にハエトリグモやアシナガグモ等は美しく、僕が放置してしまうその他の蟲を喰らってくれるものですから、これはもう大事なお友達です。


 こうして僕は、僕の中でのエコサイクルに任せてその美しさを堪能すれば良いのです。


 唯一つ、困る事があります。

 それは、物理的な物はそれで構わないのですが、頭の中は溜まる一方で、それは僕の頭をガチャガチャさせるものですから、甚だ困るのです。

 何か一つ面白そうな事を思いつきますと、もうそれを留めておくために頭の中はお手玉になってしまいます。

 僕にジャグラーの才能が有ったら良かったのですが、どうにもそれは能わず、つい次から次へとどんどん溜まってしまうのです。

 悪酔いしてから夢など見ますと大変です。

 様々なイメージが津波の様に押し掛け、かつての厭な事や、今抱える心の問題を、僕に無理矢理見せるのです。

 そして、時にそれをそこらに有る紙に書きなぐりますものですから、もうあちこちに僕の頭の中の破片が散らばってしまいます。


 そこで僕はそれを、詩だとか絵画だとかの視覚的なものに、見よう見まねで排出・定着させるのです。

 これは中々巧くいきまして、僕の頭の中の集積場は大分すっきりしてくれるのです。


 ただ、この方法は、僕の中では良いのですが、僕の周囲には理解を得られません。

 いえ、僕自身、写真などになりますと、そのつまらなさにほとほと呆れるばかりで、周囲もその様に見ているのだろう事は想像はできます。

 しかし、だとしても、生身で見た時には、その美しさは絶対で、終ぞ僕を飽きさせる事はないのです。


 だから、僕はその様を記録し、僕自身を救うために書き、描くのです。

 この世界の一切合切、有象無象の区別なく、全てが輝き、互いが互いを照らし出しているのだと。

 その在り様の美しさを、描き切りたいのです。


 ただ、困った事に、それはなかなか理解賛同を得られません。

 得られないのは、この世界が僕にとってしか存在しないのと同様で、詮方ありません。

 しかし、僕にとってしか存在しないこの世界は、それでも僕に金銭不足とそれに伴う惨めな生活を強要するのです。

 理解賛同が多く得られましたら、僕はこの世界をもっと美しく飾り立て、もっと面白おかしく消費できるのでしょうが、得られないのでしかたありません。


 それでも、一切はそのままで美しいのです。

 春の朝に輝く靄。

 夏の昼にとろりと流れる暑い風。

 秋の夕べに舞う枯れ葉。

 冬の夜に凍てつく星々。


 それら森羅万象が美しい関係性を築き合い、カネの流れに飲込まれた人間ばかりがその流れのアウトサイダーになっているのです。

 価値は無限に創造されているのに、無間の想像に依る欲望で加速し続けているのです。

 その無間の輪廻さえも愛おしく思えますが、それは僕に惨めさを強いるので、僕はちょっと苦手です。

 それでも、環境に干渉するそう言う人の不自然な振舞も、人の自然な一部であり、矢張り美しいのです。


 だから僕はとても参ってしまうのです。

 この世界が余りにも美しく、僕だけがそこから外れてしまっているから。

 外れた僕には何の関係性も無いものですから、僕が感じ、溜め、排出したこれらも、全く無関係なガラクタばかりなのです。


 一切はただ美しいのです。

 だから、この僕は外されてしまうのです。

 一切合切、有象無象の区別無く。




 どうにも世間の人にはこの美しさが見えない様なのです。

 僕はただそれらを見れば、それだけで充分幸せですのに、どうにも世間一般の人はこれを認めず、僕を虐めるのです。


 僕の手練の拙さは、それは勿論あるでしょう。

 しかし、それ以上に、そもそも見ている世界が違うようなのです。


 たしかに、僕にも辛さ、悲しみ、苦しみは大いにあります。

 寧ろ、そればかり感じる時も少なくはありません。

 体も重く、あまり僕の言う事は聞いてくれないものですから、僕はほとほと参ってしまいます。


 でも、世間一般の人がこの美しさを少しでも分ってくれれば、自分の中の醜い感情も含めて、それでようやく円満にして美しい世界が完成するのだと分ってくれれば、きっと世界はその美しさの本領を発揮すると思うのです。


 だから、僕は書かなくても良い物を書いて、描かなくても良い物を表すのです。

 世間はそれを見たくないと言うでしょう。

 それは尤もです。

 でも、その部分も含めての世界のなのですから、そこを見ないと世間も立ち行きません。


 僕は、この美しい世界が好きなので、それに関る社会が立ち行かなくなるのも哀しく思うのです。


 これは大層独り善がりな事なのですが、それでも蒙われているよりは気分が良いのです。


 それでも、それだからこそ、世間は僕を嫌うのかもしれません。

 僕だって、僕の事が嫌いですから。


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