第50話 昔のこと、最悪の春
彼の誘いに迷った。
困っているとは言え、樹くんに力を借りるのはなぁ……。自転車を見下ろす。
どう考えてもわたしがこれをこの場で直すのは無理だ。かと言ってサイクルショップに行くのも骨が折れる。
正直、過去を思い出してきて顔を見るのも少しずつ不快になってきたのだけど、お願いした方がいいか。
「ごめんね、ありがとう」
「拒否されると思った」
「背に腹は代えられぬって言うよね」
「酷い言い草だ」
正直な感想を言う。彼は何がおかしいのか楽しそうに笑っていた。
#
自転車を押しながら、彼の後ろをついていくさなか、イライラするから考えたくなかったのだけど、昔のことを脳内で反芻してしまっていた。
高校を卒業するまで、彼との関係は良好だった。
受験期はしなかったが、一か月に一度は必ずデートをしていたし、下校時には途中まで一緒に帰っていた。
お互いの家に行くこともあったし、わたしの家族も彼のことを気に入っていた。
学校での彼の振る舞いと人となりを見て、浮気なんてするような人じゃないと感じていたから、友達から浮気現場の写真と動画を送られてきた時は驚いた。
『これ、優菜の彼氏だよね?』
送られてきたのは、知らない女の子と彼が遊園地でデートをしている姿だった。
写真の中の彼はその女の子と手を繋いでおり、送られてきた動画ではソフトクリームを共有して食べている。
それを見た瞬間、顔から血の気が引いていくのがわかった。
ラインで彼に『今何している?』とメッセージを送ると、すぐに返信が帰ってきた。
『家族と出掛けてるよ? どうしたの?』
当時、彼のことが好きだったからその発言を信じたかったが、写真と動画を撮った友達に『いつ撮ったの?』と訊くと、『今』とのことだった。疑心暗鬼になる。
もしかして、写真と動画に映っている人は他人の空似なんじゃないか。
彼に真相を訊けないまま、次の彼とのデートの日を迎えた。
その日のデートのことはよく覚えている。少し遠出をして桜を見に行った。
桜は綺麗だったはずなんだけど、脳に情報が全く入ってこないほどには、画面に映っていた彼と女の子の姿が脳裏に焼き付いてしまっていて、楽しむ余裕はない。
一日歩いて疲れていたから少し休憩しようと二人でベンチに座っていると、彼がトイレに行ってくると席を立った。
彼がトイレに行って数分ほどしても帰ってこない。近くにトイレが無かったから、探すのに時間がかかっているのだろうか。
ふと横を見ると、スマホがベンチの上に落ちていた。黒のパカパカと開くタイプのスマホカバー、彼のだった。
唾を飲む。ダメとはわかっていた。人のスマホを勝手に見るなんて最低だ。
けど、止められなかった。彼を信じたかったから。
スマホのカバーを開く。暗証番号が求められる。
〇五二一。彼の誕生日を入れる。開いた。
まさか開くとは思わなくて驚く。
ラインを起動すると、そこには複数の女の子との会話履歴があった。
全員、わたしの知らない子だ。
震える手で一番上の女の子から、見ていく。
塾の友達、ネットで知り合ったらしい春から同じ大学の子。これは……マッチングアプリ?
マッチングアプリの子とは、ほとんどやり取りをせずに連絡が途絶えている。
ネットで知り合った子とは二週間ほど前に一度二人で遊びに行ったらしい。
塾の子とは、遡ると半年以上関わりがあった。直近のメッセージを読む。
遊園地に行ったらしい。長文のやり取りがあった。
『観覧車でキスしたの、すごくドキドキしちゃった。また行こうね?』
「……優菜?」
気づくと、彼が帰ってきていた。
わたしが手に自分のスマホを持っていることに気づいたのか、目を泳がせている。
わたしは彼にラインのトーク画面を見せつけ、にこやかに微笑んだ。
「全部説明して?」
それからの彼の言葉は、話半分でしか聞いていない。
彼曰く、どうやら受験の影響でわたしと関われなくなり、寂しかったらしい。それで好意を持ってくれた塾の子に手を出したと。
話を聞きながら、絶対それだけじゃないでしょと思った。だったら、三人も手を出さないだろうし。
それに関わらないようにしたのは、お互いの将来のためという約束だった。
それを
というか、浮気されたらわたしが悲しむって思わなかったのかな。
彼は容姿が良いし、モテるのもわかる。
けど、学校でのいかにも一途ですといった振る舞いや、マメに連絡をくれる姿から、言い寄られても惑わされないと思っていた。
話を聞いてると、目の前で縮こまっている彼が異様に気色が悪く思えてきた。見る見るうちに好意も失せてきた。これはダメだなと思った。
自己保身で言い訳ばかりする彼に耐えられなくて、荷物を持って立ち上がる。
「ごめん、別れよ。二度と連絡してこないで」
彼の静止を振り切ってその場から逃げるように立ち去ると、好きな人からの裏切りと、浮気に気づかなかった情けない自分が悔しくて、帰りの電車の中で周りに気づかれないように静かに泣いた。
電車から降りても涙が止まってくれなかったので、駅のホームの隅で気が済むまで泣いていた。
新生活が始まる間近の、最悪の春の思い出だった。
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