第29話 解決+その後の電車にて

「キツイことも言われたけど、信じて突き進むべきなんだと思ってた。みんな頑張ってるし、周りはお金の羽振りがいいんだから、自分もこうなれると信じて。馬鹿だよね。皆わたしと一緒だったんだね」


 訥々とつとつと話しながら、朝霞は鼻をすすり、泣き始めてしまった。


「雛ちゃん……」


 綿岡がハンカチを差し出す。それを受け取った彼女は止まらない涙を拭っている。


「辞める気になってくれたか?」


「これを見せられると、そうだね。もう続けようって気はないかな。色んなものを失っちゃったし」


 思ってたよりも随分すんなりと辞めさせることができた。


 おそらく、彼女は俺たちと話す前に既に自分がやっていることがマルチかもしれないという疑心暗鬼になっていたのだろう。


 いくら軽い洗脳状態になっていたとしても、友達から否定され続けるのは精神にくる。


 俺たちがやったのは、彼女を正気に戻す最後の一撃だったというわけだ。


 泣き続ける朝霞は堰を切ったように涙と共に語り続けた。


 今の彼女の生活状況は苦しくない。普通だという。


 ただ両親から仕送りを得ている状態で、二人に迷惑をかけたくないと考えた結果、よりお金を稼ぐ方法を探していたところ、このマルチ商法を紹介されたわけだ。


 なけなしの貯金をはたいて先行投資した結果、得たものはなく周囲からの信用と金を失った。


 馬鹿な自分が情けないと涙をすする彼女に、そんなことない、ここで気づけてよかったよと励ます綿岡。


「まあ、迷惑をかけた周りの人たちには謝っておかないとな」


「うん、謝る。二人もごめんね、ありがとう」


 話を聞くと、彼女経由でこのマルチに入会した人はいないらしい。


 それが唯一の救いか。実害を生んでなかったら、大半の人間は誠心誠意謝罪すれば許してくれるだろう。


 一通り泣き切ったのか、落ち着いてきた彼女はこんなことを言い出した。


「けど、今こんなことを言うのもあれだけど、やめるのがちょっと怖い」


「「怖い?」」


 俺と綿岡の声が重なった。びっくりして顔を見合わせる。


「その、口座情報とか住所とか全部渡しちゃってるの。ちゃんとやめさせてもらえるかな」


「あー……」


 朝霞の発言にそれはヤバそうだなと感じたが、よくよく考えると大丈夫だろう。


「口座情報と言っても、振り込みのためだけに教えただけだろ? 暗証番号なんかを教えたわけではないはずだし、住所を教えてたって相手は朝霞に何もできないはずだ」


「なんでそんなこと言えるの?」


「だって、そいつらはマルチ商法をやってるんだぞ? やめた人間を追いかけたり、口座を不正に使うなんてそんなリスクの高いことできない。ただでさえグレーなことしてるのに、警察に通報されたら困るのはあっちだ」


「なるほど、それは確かにそうかも。じゃあ、やめられるかな」


 泣き後の残る顔で笑みを作ってみせる朝霞。


 これにて一件落着か。そう思った矢先、横から綿岡が「ねえ」と前置き言った。


「硲くん、雛ちゃんのお金って取り返せないのかな? クーリングオフ? みたいなの無いの?」


 頭を捻るが、全然わからない。


「どうだろうな、クーリングオフって確か期限があったろ。朝霞のパターンだとどうなるかわからないし、それこそ専門の機関に訊ねてみるのが良い」


「さっきのサイトに載ってたね。消費者センターだっけ」


「そうそれ。朝霞、またそこに連絡してみろよ」


「うん、連絡する。二人とも、本当にありがとう」


 その後、朝霞は涙で崩れた化粧を直しにお手洗いに行き、戻ってくると三人で食事を再開した。


 さっきまで辛い表情を続けていた朝霞だったが、戻ってきてからは笑顔が多かった。


 昔の話や、自分たちや高校時代の同級生が今何をしているかを話していると、あっというまに食事を平らげてしまった。


 しばらくドリンクだけをテーブルに置いて談笑した後、そろそろ出ようかと綿岡が切り出す。


「二人とも、ここはわたしに奢らせて? せめてものお礼で奢りたい」


 そう申し出た朝霞に俺と綿岡はいやいやとそれを拒否した。


「五十万円も詐欺られた人間に奢らせるわけないだろ」


「うん、わたしもそれは奢られたくないかな」


「えー」


 不服そうな朝霞。俺に視線を向けてきた彼女は何かに気になることでもあったのか、じっとこちらを見つめてきた。


「どうした」


「さっきからどこかで見たことあるなと思ったんだけど」


「そりゃ、同級生だからな。あるだろ」


「そうじゃなくて……あ! マッチングアプリで話したことある!」


 朝霞はポケットからスマホを取り出して、慌ただしく操作していた。


「あぁ、やっぱりあれ、お前だったのか」


 綿岡は、「どういうこと?」と一人ついていけてない。


「以前、アプリで話したことがあったと思って。あったこれだ」


 朝霞が綿岡にスマホを見せていた。


「退会したユーザーになってるけど、バグかな? プロフィールと過去のやり取りは見れるよ。これ」


「おい、ちょっと」


「ほんとだ、硲くんだ。めちゃくちゃアイコン決まってるね」


 これは去年の夏か。小寺と恭平とキャンプに行ったときに取ってもらった。川のほとりで座って遠くを眺める俺。


 バンドのCDジャケットみたいでいいじゃん、とマッチングアプリのアイコンに設定していたのだが、女の子二人に目の前で見られるのはキツい。


「やめろ、てかなんだそのバグ。消したんだから表示しないでくれよ」


「プロフィール欄も読めるよ。『二十歳。大学二年生。真剣な出会いを求めてます。良い出会いがあればいいな』」


 勘弁してください。思わず頭を抱えてしまった。


「ふっ」


「おい、綿岡。なに笑ってんだよ」


「普段の硲くんが絶対言わなさそうなこと書いてたから」


 このプロフィールは元カノと付き合う前、マッチングアプリに登録した時に書いたものだ。現に俺は今三年である。


「~~~~っ、そういう時期もあったんだよ! ほら、朝霞。消せ」


 ツボにハマって笑いが止まらなくなった綿岡。それに釣られて口角を上げる朝霞。


 楽しそうで何よりだが、笑いの対象の俺としては拷問でしかなかった。








       #








 結局この日は、ここで解散することとなった。朝霞は家に帰ってから、早速マルチ商法を辞めるために色々と行動に移すらしい。


 思い立ったら吉日という。良いことだ。


 帰るまでずっと綿岡が朝霞を励まし続けていた。尊い友情だなと後ろから眺めていた。


「ありがとうね、硲くん」


 帰りの電車の中で吊り革を持って窓の外を眺めていると綿岡から礼を言われた。


「あぁ、朝霞が一人で来てくれて助かったな」


「ね、めちゃくちゃ緊張したよ」

 

 彼女よりもガッツリマルチにハマっている人間がやってきたらどうなっていたかわからない。


 彼女はそちらの意見を信じてしまったかもしれないし、懐柔しにくかっただろう。


 綿岡は胸を撫で下ろした。


「わたし一人だと上手く説得できてた自信が無いな。すごいね、硲くん。なんていうの? 理路整然としてた。安心感があったよ」


「これでも一応理系だからな。順序立てて話すのは得意な方だと思う」


「やっぱり頭良いよね、硲くん」


「そんなことは無い」


 その時、大きく電車が揺れた。


「うおっ」


 貧弱な体幹の俺は、吊り革を持っているというのに、簡単に体勢を崩されてしまった。


 電車が一時停止したようで、車内アナウンスが流れる。


『ただいま緊急停止ボタンが押されたため、安全確認を行っております。お客様には大変ご迷惑をおかけしますが、少々お待ち下さい』


 俺は咄嗟に自分の手を壁にやり、身体を支えていた。


 胸と壁の間には僅かな隙間が。その間には綿岡が縮こまっていた。


「す……すまん」


「びっくりした。壁ドンなんてされたの初めてだよ」


「不可抗力だ」


「わかってるよ」


 直ぐにその場から離れる。今までにない距離まで彼女に接近した。花のような香りが鼻に残る。めちゃくちゃ良い匂いがした。


「大丈夫?」


 電車に揺られて体勢を崩したのも恥ずかしいし、至近距離まで彼女に接近したのも照れくさい。


 相乗効果で身体が熱くなるのを感じた。頬が紅潮してしまいそうだったので、咄嗟に視線を逸らす。


 その際、視界の隅に映った綿岡が、少し照れているのがわかった。


「なんで照れてんだよ」


「硲くんこそ、人のこと言えないでしょ」


 その後、下宿先の最寄り駅に着くまでの数分間、俺たちの間に会話は無かった。

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