第45話「おんぶと昔話」
【馬場櫻子】
「――こ、ここ……コーヒー、なの、お待たせしました……なの」
「あ、どうもありがとうございます……」
やけに危なっかしい手つきでコーヒーを持ってきてくれた人は、バブルガムさんでも鼻血の青髪の人でもなかった。
雪のような真っ白な髪で、前髪が凄く長い。わたしも前髪は人よりも長いつもりだけど、この人は別次元だ。
「むふぅ、聞いてよ櫻子ちんー! 私ちゃんこの前、
「……それは、何というか災難ですね……といかバブルガムさんでも怒られたりするんですか」
コーヒーを淹れてくるからと言ってしばらく姿を消したバブルガムさんは、手ぶらで戻ってきたかと思うと何故かわたしの向かいの席に座って世間話を始めた。
コーヒーも結局別の人が持ってきてくれたし、この人何しに行ったんだろう。
「むはぁ、
「……え、魔女協会の事で怒られたんじゃなかったんですか?」
「むふぅ、あの日は私ちゃん飯当番だったんだけどー、朝飯作る暇なかったから適当にカップ麺出したらそれがボスのやつだったんだよー」
そういえば先日、魔女協会から姿を消す時も、当番がどうとか言っていたな。
バブルガムさんがさっきからボスと読んでいる人はおそらく鴉の盟主のことだろうけど、カップラーメンとは……アビスという人は思いのほか庶民的な魔女なのだろうか。
「つまり、魔女協会に行ったこと自体は別に問題なかったんですか」
「むはぁ、ただ挨拶しに行っただけだからなぁ……ということで、櫻子ちん鴉に入りなよ」
「……っごふ!?」
あまりにも脈絡無く勧誘されたので、飲んでいたコーヒーを盛大に吹き出してしまった。『ということで』の使い方が斬新すぎる。
「むはぁ、きったねーなぁ櫻子ちん! もしかしてコーヒー飲めなかったの?」
「……そ、そういうわけじゃないですけど、会話の流れがぶっ飛び過ぎじゃないですか? どういうわけでわたしが鴉に入るんですか……」
わたしは口元とテーブルを拭きながら、乱れた呼吸を整える。ローズさんも勧誘されても無視することって言っていたけど、わたしみたいなのを本当に勧誘してくるとは……見境がない。
「むはぁ、鴉は万年人員不足なんだよー櫻子ちんが入ってくれたら、料理当番とかのサイクルが長くなって私ちゃん大助かりなんだけどなー?」
「……料理当番のために勧誘されてるんですかわたし」
「むふぅ、だって他に出来ることあんのー? 櫻子ちん弱そうだし……だいたい歳いくつよ、百は超えてんのー?」
「……一応、十七ですけど」
「むっはぁ!? 十七!? どちゃくそ若わけぇじゃん……むはははは!!」
何故か大笑いしながら机をバンバンと叩くバブルガムさん。
よく分からないけど、なんだかバカにされているような気がしてあまりいい気分ではない。
「……あの……わたし、何か可笑しなこといいましたか?」
「むふぁ、ごめんごめーん……だって、そんなのもう赤ん坊みてーなもんじゃん! そんな子を鴉に誘ってたとか私ちゃんお茶目すぎー」
どうやら気のせいではなく、確実にバカにされているようだ。実際わたしに関しては自分が魔女だと知ったのもつい最近だし、赤ん坊みたいなものだろう。
けどヒカリちゃん達はわたしと歳もほとんど変わらないけど、立派な魔女だと思う。バブルガムさんの高笑いを聞いていると、なんだかヒカリちゃん達まで馬鹿にされているような気になって少し腹が立った。
「……十七でも魔女は魔女ですよ。魔法だってちゃんと使えますし、師匠も立派な魔女ですから」
「むはは、どーせまだ大した魔法は使えないんだろー? 櫻子ちんさぁ、魔剣は出せんの? 異端審問官ぶっ殺したことある? オメーを見てる限り師匠とやらも大したことなさそうだけどなー」
「……な、確かに……魔剣とかよく分からないし、異端審問官も会ったことすら無いですけど……少なくとも師匠はバブルガムさんなんかよりも凄い魔女ですよ!」
「むはぁ、なになに怒っちゃったの? 急に生意気な口聞いてくれちゃって、超可愛いなオメー……やっぱ鴉に入りなよ、私ちゃんのペットにしてやるからさー」
精一杯虚勢を張ってみたけど、バブルガムさんは完全にわたしを見下しているらしく、ますます態度が悪くなる一方だ。
「結構です。コーヒーご馳走様でした……師匠との特訓があるのでもう行きますね」
「むはぁ、どこの馬の骨だか知んないけどさーその師匠よりも私ちゃんの方が上手に魔法教えてあげれるよー? 私ちゃんに乗り換えなよー」
「……そういう話は師匠と直接したらどうですか」
魔力が体内に流れていると肝っ玉まで強くなるのか、面と向かって他人と言い争いが出来たのは小学生の時以来だ。
しかし、ガラにもなく熱くなって、険悪な雰囲気にしてしまったけど……殺されたりしないかなこれ。
「……むはぁ、いいなそれ……しようじゃねーの直談判」
「……っえ?」
「むふふ、連れてってよその師匠んとこ。そいつボコって櫻子ちんを私ちゃんのものにするからー」
口は災いの元なんて言うけど、冗談じゃない。とんでもないことになってしまった。もしバブルガムさんがわたしと魔女協会で知り合ったことを社長の前で口走れば、社長に隠し事をしていたことがバレてしまう。
もしそうなったら、デコピンなんかじゃ済まない制裁が待っているかもしれない。ここは何とか穏便に済ませなければ。
「……いや! あの、よく考えたらバブルガムさんの方が全然凄い魔女でした! わたしったらちょっと熱くなってしまって、コーヒー飲みすぎたかなぁ……」
「……むはぁ――」
「はい!?」
「いいから連れてけよ」
殺気にまみれたドスの効いた声だった。これで逆らえる人がいるならそいつは破滅願望のある自殺志願者か何かだ。
もちろんわたしは違うので、特訓している裏山まで、しっかりとバブルガムさんをエスコートした。
* * *
「――あの、社長……ちょっといいですか?」
「んあ? 櫻子か……しばし待て、今難しい問題に直面しておるのじゃ」
わたしは喫茶店の制服を着たバブルガムさんを連れて、とうとう社長のいる裏山まで来てしまった。
ちなみにバブルガムさんの他にも、青髪の人と前髪の人がお目付役として付いてきた。
現在バブルガムさん達には、師匠を呼んでくるからと少し離れた所で待ってもらっている。
来るところまで来てしまったのだから、もう二人を合わせるしかないのだが、タイミングが悪く、社長はなにやら忙しそうにしていた。
「……あのですね、社長に会いたいという人がいるんですけど……」
「ええい、うるさいわ……しばし待てと言っておるじゃろ! だいたいなんじゃこの問題、謎すぎるんじゃが……」
「……社長はいったい何してるんですか?」
「はあ? 見てわかるじゃろ、新聞読んどるんじゃ!」
確かに社長は切り倒した丸太に腰掛けて新聞を読んでいる。幼い身体に不釣り合いな新聞を大きく広げているため、こちらからは社長の姿がほとんど見えない。
「新聞読んでそんなにうんうん唸ることあります?」
「あるじゃろ、この『日曜日の脳の体操』コーナーのなぞなぞじゃが、全然解けんのじゃ……『赤ちゃんでもないのにおんぶされるのが大好きなものなあに』じゃぞ? そんな奴おるか!!」
人の気も知らないでなぞなぞですか……悩みが無いって幸せだよね。
あと多分答えはランドセルとかリュックサックじゃないかな。
「……赤子でもないのにおんぶが大好きじゃと……よもや答えは変態か?」
「たぶんそんなクソなぞなぞは新聞に載りませんね」
「……確かに、おんぶが好きじゃからと言って変態とは限らんか……ただの甘えん坊という線も……」
そもそも『なぞなぞ』を理解しているのかすら怪しい社長は、ぶつぶつ言いながら新聞を手放す気配が全くない。
どうしよう、あんまりバブルガムさん達を待たせたら怒り出しそうだし、かといってわたしが答えを教えたら社長が怒り出しそうだし……わたしはどうすればいいのか、これこそが最大のなぞなぞである。
「むはあ、私ちゃんをいつまで待たせる気だー?」
――まずい、後方から痺れを切らしたバブルガムさん一行が近づいてきた。
いや、むしろもうこのまま対面して貰えばいいか。お互い鴉で顔見知りの筈だし、案外昔の楽しい思い出に花が咲いたりするかもしれない。
「……うぅむ、赤子でもないのにおんぶが好き……はて……」
「むはぁ? 櫻子ちん、そこで新聞読んでる奴が師匠とやらか?」
「……ええ、まあ」
とうとうバブルガムさんはわたしの隣まで来てしまった。社長はなぞなぞに夢中でまだバブルガムさん達には気づいていない様子だ。
「むふふ、おいそこのおチビちゃん、新聞を退けて顔を見せてみなー」
「……あ、ああ! なんかもうそこまで来とる……えっと、誰じゃったかのぅ……」
凄い。全然聞いていない。凄く偉そうなポーズで話しかけたバブルガムさんが少し不憫に思えるほどの無視っぷりだ。
「むふぅ、この私ちゃんを無視するとはいい度胸だぞオメー……さては私ちゃんのことも知らない若年魔女だな?」
「……おお、そうじゃ! バブルガムじゃ!!」
新聞と睨めっこしていた社長が急に足をパタパタ振ってそう叫んだ。ようやくバブルガムさんに気づいたのか?
「……むはぁ、なんだよちゃんと知ってるんじゃん、いやはやさすが私ちゃん……若年魔女にも知れ渡るこの美貌と悪名!」
バブルガムさんはニヤニヤとしながら一人で何やら楽しそうにしている。美貌は分かるとして、悪名が知れ渡って嬉しいものなのだろうか。
「……懐かしいのう、貴族のくせに泣き虫で甘えん坊で……いつも赤子のように此方におんぶをせがんできたものじゃ。うむうむ、間違いないのう、答えはバブルガムじゃ!!」
「……む、はあ?」
どうやら、社長は完全になぞなぞの趣旨を理解していないし、バブルガムさんは昔大層おんぶが好きな甘えん坊だったらしい。随分と立派になっちゃってまあまあ……
「……なんじゃとっ!? 答えはランドセル? 人を馬鹿にするのも大概にせんかこのッ……痴れ者がぁっ!!」
どうやら答えはランドセルだったようだ。馬場櫻子一点獲得!
そしてなぞなぞ相手にマジギレした社長が新聞紙を破り捨てたので、ようやくバブルガムさん達と社長の顔合わせが叶った。
「む、むふぅ……なんだこのチビ、何で私ちゃんのそんな話を……!?」
「……まったく、二度とこの新聞は読まん!!……ん、なんじゃお主等……んん? お主バブルガムではないか!?」
「……!?」
「久しいのう、ちょうどお主のことを思い出しておった所じゃ! 会うのは何百年ぶりかのう!?」
「……むはわわ~!? そ、その髪に、その喋り方……まさか、ヴィヴィアン!? ヴィヴィアン・ハーツか!?」
バブルガムさんは見るからに狼狽して、まるで化け物を見るような目で社長を見ている。ちなみにわたしは『むはわわ~』が個人的にウケて声を出さずに笑っている。
「……どっからどう見ても此方じゃろうが、どれ、久しぶりにおんぶでもしてやろうか?」
「むはぁ!? やめ、その事は忘れろ!! 忘れろ!!」
「……ふふ、二回言った」
少し後ろで待機している青髪さんと前髪さんがクスクス笑っている。なんならわたしも笑っている。
「なんじゃ、照れておるのか? 昔みたいにしてよいのじゃぞ、ほれバビーおいで、バビーや」
「むっはあああ!? もう黙れまじで、お願い! 黙って!! お願い!!」
「……バビーですって、可愛いわね」
「い、以外な一面……なの。ぷぷ」
「お、おお、オメーら聞いちゃだめだ! もう店に帰れ!! 今すぐ!!」
――結局この後も、昔話を話し出したら止まらない社長のせいで、バブルガムさんのメンタルは崩壊した。
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