第37話「カップラーメンと風見鶏」


 【バブルガム・クロンダイク】


――扉を開けると満天の星空の下、我らが盟主が玉座に腰掛けていた。


 呼び出された原因に心当たりはあるが、ここまで露骨に怒りを露わにするとは、私の最近の行動が逆鱗に触れたということなのだろうか。


 だとしたら、いったいが彼女を怒らせたのか、心当たりが多すぎて分からない。しかし、来てしまったからには今更引き返すことは出来ない。


「むはぁ、ダイヤの九番……バブルガム・クロンダイクちゃん参上だよーん」


「……バブルガム……今日はどうして呼び出されたか、分かるかな?」


「……むふぅ、それがさあ……心当たりが多過ぎてねぇ、困っちゃうよほんと!」


 玉座に座ったアビスは、足を組み直して頬杖をついた。顔を覆う布のせいで表情は読めないが、数百年の付き合いの経験上、どうやらこれはかなり苛立っている反応だ。


「そう……実は今朝こんな話を聞いたんだ。昨日、君がラテと一緒に魔女協会セラフを襲撃したって」


 案の定、昨日ラティを連れ出して魔女協会セラフに行った件は既にバレているらしい。一応ラティには口止めをしたんだけど、まあバレたなら仕方がない。


 可能性としてはかなり低いけど、ローズかマゼンダ辺りがアビスに連絡したとも考えられるし。


「むはぁ、私ちゃんとラティが魔女協会セラフに? いったい誰がそんな根も葉も無い噂を流してるんだか……」


「スノウからの報告だよ。昨日ラテの様子がおかしかったから問い詰めたところ、君に無理矢理連れて行かされた、と言ったらしくてね」


 どうやらラティが口を割ったらしい。スノウめ、目ざとい奴だ。


「むふぅ、問い詰めたって……スノウの奴まさかラティに拷問したりしたんじゃねーだろーなー?」


「さて、スノウは『ショートケーキをあげたらすんなり自供しました』と言っていたけど?」


「……」


――まさかショートケーキでラティに売られるとは、あの裏切り者め。生きてここを出られたらとっちめてやる。


「むはぁ、まあ確かに昨日魔女協会セラフに行ったのは認めるよ。でもちょーっと昔馴染みの顔が見たくなっただけでね? 別にレイヴンを抜けようとか、そんなんじゃないんだよ?」


「へえ、昔馴染みね。皆元気にしてたかな? 今の盟主は確かローズだったよね」


「むふ、そりゃあもう元気だったよー。マゼンダなんて特に突っかかってきてさー、ローズは今度から来る前に連絡よこせって言ってたかなー?」


「そう、それで……何をしに魔女協会セラフへ行ったのかな?」


 天井を覆う星空が、ギラリと煌めいた。アビスは依然玉座で頬杖をついたままだけど、状況としては今喉元にナイフを突き付けられているのと何ら変わりない。


「……むふぅ、分かったよ。正直に言うよボス……実は最近、魔女協会セラフに入ってない若い魔女が何人かいるって聞いてね? ボスのためにその子達をスカウトしに行こうと思ったわけだよー」


「……そうなんだ……けどさ、魔女協会セラフに属してないのに、その子達はどうして魔女協会セラフなんかに居たのかな?」


 ――そんなこと私ちゃんが聞きたいわ!


 孕島はらみじまについて探っていたことは出来るだけ知られたくないから適当なこと言ったけど、あの子達の事なんて名前と魔女協会セラフに入っていない魔女ということしか知らないのだ。


「……むふぅ、それがさーマゼンダのおバカが無理矢理転移魔法で拉致したんだよー。それをいち早く察知した私ちゃんが、ラティに頼んで追っかけて行ったのー」


「……」


 自分で言っていてかなり苦しい言い訳だと思った。アビスは相変わらず布で隠れて表情は窺えないけど、怪訝に思っていることは間違いない。


「――この際、何の用事で何処に行ったかはさ……どうでもいいかな」


「むはぁ、じゃあボスはさー、何でそんなに怒ってんのー?」

  

――正直訳がわからない。魔女協会セラフに行ったことを咎める気が無いのなら、昨日のことでとやかく言われることはもう無いはずなのだ。いったい何が……


「朝ご飯」


「……ふぇ?」


 間違いなくアビスの方から聞こえた声だけど、あまりにも脈絡のない単語が出てきた気がして、思わず間抜けな声が漏れた。


「……バブルガム、昨日の朝ご飯の当番……確か君だったよね」


「……むふぅ、た、確かに私ちゃんだけど……なんで?」


「私さ、昨日の朝はまだ城に帰ってきてなかったからよく知らないんだけど、朝ごはんは何を作ったのかな?」


「……むふぅ……カップラーメンだけど」


 もしかして、もしかしてだけど、私が朝ご飯当番なのに倉庫にあったカップラーメンですませた事を怒っているのか?


 はたしてそんなことでアビスに呼び出されるだろうか。イースのバカなら倉庫荒らしの常習犯だから半殺しにされたり懲罰房に入れられたりしても不思議ではないけど……


「――そのカップラーメン、私の秘蔵っ子でね」


「……むふぇっ!?」


 違った。朝ご飯をカップラーメンで妥協したことじゃなく、カップラーメンを勝手に食べたことで怒っていたのか。


 いや、怒りすぎだろそれにしても。だって、たかがカップラーメンごときで? 


「むはぁ、まさかボスのだとは夢にも思わなくて……数もちょうど人数分あったから……そうだ、スカーレットに買いに行かせるよー……」


「あれね、去年で生産終了したからもう売ってないんだ」


「……ふ、ふふぇー……なんかその、すみませんでした。ほんと」  


 まさかラーメンごときでこんな事になるとは、そもそもラティがもっと早く当番のことを教えてくれればこんな事にはならなかったのだ、おのれラティめ……許さん!


「バブルガム……君、悪いと思ってる?」


「むはぁ、超思ってるよ! もう反省しまくり!」


「……分かった……じゃあ許そう。私もカップラーメンごときで怒りすぎたよね」


 アビスがそう言って左手を上げると、天井を覆っていた星が失せた。シャンデリアの光を遮るものが無くなり、玉座の間が暖かい光に照らされた。


 意外に呆気なくご容赦を頂き、ほっと胸を撫で下ろした。さっきの魔法も半分冗談みたいなものだったのかもしれない。


「――許す代わりに、一つお願いしてもいいかな」


 適当に謝ってさっさと退散しようと思っていた矢先だった。なんだか嫌な予感がする。


「むふぅ、何かなー? 私ちゃんに出来る事なら何なりとだよー」


「バブルガム、近々資金繰りと新しい拠点を兼ねて、極東に店を出すのはしっているよね」


「むはぁ、知ってるよー防衛班の子達が喫茶店だか何だかするんでしょ?」


 最近魔女狩りの残党が極東に集まり出したという情報があったため、極東にも拠点を置く事になったのだ。


 しかしレイヴンは常時金欠、魔女協会セラフみたいに公認の組織じゃないから当然何処からも活動資金は得られない。


 泣く子も黙るレイヴンの実態は、日中島で野菜を育てたり、各々バイトをしたりしてその日暮らしの生活をしている。それ故、ボスですらカップラーメンでとやかく言い出す始末なのだ。


 そのため今回極東に拠点を構えるにあたって、どうせなら表向きはお金になるお店にしようという事になったのだ。


「そうそう、喫茶店だよ。防衛班のラテとブラッシュ、それにライラックとヘザーに任せようと思ってたんだけどね……バブルガムにも手伝って欲しいんだよ」


「ふへっ、な、なんでこの私ちゃんがっ!? あんなの居残り組がやる事だよ!」


 私は防衛班とは違って魔女狩りを殺すのが仕事なのだ。店番なんてやらされた日には魔女狩りは殺せないし、ゆっくり調も出来ない……。


 もしかしてそのためにこんな事を言い出したのか?


「防衛班を居残り組って言うのはやめようね。彼女達も立派に仕事をしてくれているから」


「むふぅ、いくらボスの頼みでもそれはちょっとねー私ちゃんこれでも誇り高い貴族な訳だしー」


「……じゃあ誇り高い貴族のバブルガムは、私のカップラーメンを食べた罪で死にたいのかな?」


 アビスが左手を上げると再び天井に星が煌めき出した。くそ、そんなにラーメンが好きなら喫茶店じゃなくてラーメン屋出せばよかっただろ。


「……むはぁ、私ちゃん実は喫茶店で働くのが夢だったんだよなー! こんなチャンス逃す手はねーな!」  




* * *



「――バ、バブルガム、サボってないで、手伝って欲しいの」


「……むはぁ、ライラックちんーサボってるんじゃなくて休憩してるんだよー」


「休憩ならバックヤードでしたほうがいいと思うわ。さあ私と一緒に休憩しましょう」

 

「むはぁ! 触んな妊娠する!!」


「ハハ、今日も皆仲良しで何よりだ。ラテは疲れていないかい?」


「うん、私は平気だよ。ヘザーこそ疲れたら休憩していいんだからね」


「むふぅ、オメーらもイチャイチャしてんじゃねー!」


 

 アビスに呼び出されてから数日後、結局私は防衛班と一緒に喫茶店の開店準備に取り掛かっていた。  


 防衛班の奴らは基本的にいっつも城にいるから仲が良い。私も別に仲が悪い訳じゃ無いけど、今の状況が一種の軟禁状態にも思えて今一楽しくできない。


「バ、バブルガム、これ、や、屋根の上に付けてきて欲しいの」


 ライラックはいっつもおどおどしていて、前髪が長すぎるせいで顔がよく見えない。


「屋根の上なんて危ないわ。私が一緒に行って支えてあげる」


 ブラッシュは女狂いでセクハラのことしか考えていない。

 

「ラテ、髪に埃がついてるよ……ん、取れた。今日も可愛いね」


「……あ、ありがとう。ヘザーも、その……かっこいいよ」


 ヘザーとラティは三十年前から付き合っていて、一緒にいる時はいっつもイチャイチャしている。


 このメンツでしばらく過ごさないといけないなんて、かなり気が重い。


「バ、バブルガム、これ、早く受け取って、重い」


「むはぁ、何これ鴉の風向計?」


 ライラックの両手にはそこそこ大きな金属製の風見鶏かざみどりが抱えられていた。風見鶏というか、鶏の代わりに鴉がくっついているから正確には風見鴉かざみガラスだ。


「確か『手伝ってやってもいいけど、店の名前は私ちゃんが決めるからなー』って、バブルガムが言ってたよね? 店の名前覚えてるかい?」


 ヘザーに言われて、しばし考えてから思い出した。確かにノリでそんな事言った気がする。店の名前は確か……


「むはぁ、そうだった。『ヴェッターハーン《風見鶏》』にしたんだっけー?」


「……で、でも何で、か、鴉になってるの?」


「表向きは喫茶店だけど、一応レイヴンの極東拠点だからね。ささやかな主張さ」


 ライラックから受け取った風見鴉を見る限り、かなり主張が激しいと思うけど。まあ、屋根の上に付けるんだし誰も気にしないか。


「むふぅ、私ちゃんがまさか大工仕事をする事になるなんて、全然高貴じゃないじゃーん!」


「ハハ、そう気を落とすことはないさ。稼ぎが良ければ温泉に入れるかもしれないよ。すぐ裏手が温泉街だからね」


「むはぁ! 温泉!? それめっちゃ高貴な感じじゃん!」

 

 城にも大浴場はあるけど、掃除が大変だからもう百年以上使っていない。


 店番なんて不服でしかないけど、こうなったら是が非でも稼いで温泉に入ってやる――

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