第35話「灰皿とクロバネ」


 【馬場櫻子】


――三日前。


 ヴィヴィアンさんとの顔合わせの翌日、わたしは事務所に呼び出されていた。


 事務所には八熊さんとヴィヴィアンさんの二人がいて、大きなホワイトボードが設置されている。


『ヴィヴィアンの楽しい魔法の授業』


 ホワイトボードのど真ん中に書かれた文字を見て、今日呼び出されたワケをざっくりと理解した。



「――では早速じゃが、魔法にはいくつかの種類があるのじゃ」


「……種類、ですか?」


「うむ、魔女によって多少認識の違いはあるが、大まかに三種類じゃな。魔女達の間では主に色で分類されておる」


 ヴィヴィアンさんはホワイトボードにマジックを走らせた。ホワイトボード自体は大きいのだけど、ヴィヴィアンさんが小さいから字が凄く下に寄っている。


「赤魔法、主に身体に作用する魔法で最もオーソドックスじゃな。身体能力強化など、シンプル故に強力なものが多いの」


 わたしは先日の魔獣災害を思い出していた。ヒカリちゃんは素手で魔獣と戦っていたから、おそらくは赤魔法を使えるということなのだろうか。


「次に青魔法じゃが、火、水、雷、地、風の五属性に干渉することの出来る魔法じゃ。扱いが難しいうえに戦闘に適しておる属性も限られておる。故に対魔獣となると赤魔法には少し劣る。が、対人間じゃと無類の殲滅力じゃ」


 火や水を操れるなんて、怪力とかよりもよっぽど強そうだけど。けど昨日、ヴィヴィアンさんが魔獣に火を吹かれた時は確かにノーダメージだったし、戦闘に適する適さないとはその辺のことを言っているのだろうか。


「最後は白魔法。時空間に作用する魔法じゃ。これは赤や青に比べるとかなりレアな魔法での、転移魔法や重力魔法が有名所じゃな」


 転移魔法、ヒカリちゃん達が二度とごめんだと言っていたアレだ。マゼンタさん、珍しい魔法を使う人だったんだな。


「あと余談じゃが、大抵の魔女は一種類の魔法しか扱えんが、中には複数の魔法を使ったり、組み合わせたりする魔女がおる。そのような魔法は、例外的に黒魔法と呼ぶこともあるのじゃ。そして黒魔法を使う魔女は、黒の魔女と呼ばれておる」


 つまり、ヒカリちゃんみたいに怪力の魔法を使える魔女は、火とか水の魔法は使えず、その逆もまた然り、ということか。


「で、お主の魔法じゃがどれに当てはまるかの?」


 水性マジックに蓋をしたヴィヴィアンさんが聞いてきたけど、正直全然分からない。ヒカリちゃんが言うには、わたしが黒いモヤモヤを出したって言っていたけど、黒いモヤモヤってなんだ。


「あの、わたしが魔法を使ったのって一回だけで、それがどんな魔法かも全然分からないんです」


「なんと、それは初耳じゃのう」


「ちゃんと言っただろバカ」


 デスクでタバコを吸っていた八熊さんがボソッと呟いた。ヴィヴィアンさんはとぼけた顔をしている。


「ま、まあ細かいことはよい、今ここで使ってみせよ」


「いや、魔法の使い方とかも全然分からなくて、前もたまたまっていうか、勝手に出たっていうか……」


 あの時以来、わたしは魔法なんて一度も使えていない。ヒカリちゃん達みたいにビルの窓から飛び出すなんて到底無理だし、手から火も水も出ない。


「ほう、では魔法が発動した時はどんな状況だったのじゃ?」


「えっと、魔獣に襲われていて、咄嗟に子供を庇った時、ですね」


 あの時は無我夢中で、正直あまり記憶も定かではない。でも確か……何か走馬灯のようなものを見たような気がする。



「ふむ、なるほどの……キャンセレーション!」


「……え?」


 ヴィヴィアンさんが聞き慣れない単語を唱えたかと思うと、何処から出て来たのか手元にが現れた。それも二振り。


 刃渡り三十センチ程だろうか、諸刃もろはの短剣だ。真っ黒な刀身に、所々赤い宝石や金属で装飾が施されている。


 ヴィヴィアンさんは曲芸のように短剣を手の上でくるくる回して、やおら腕を振り上げた――


「そいっ!」


「ぎゃああああっ!?」  


 急に振り下ろされた短剣を、わたしは命からがら転がるように躱した。振り向くと、さっきまでわたしが座っていたソファが一刀両断されている。


「……なんのつもりじゃ?」


「こ、こここ、こっちのセリフですよっ!?」


 ヴィヴィアンさんは心底不思議そうな顔で、短剣をくるくる回している。やばい、何が起こっているのか全然分からない、死ぬ!?


「お主が避けるからソファが真っ二つになってしまったじゃろうが、次は避けるでないぞ、……って、あっつぅぅッ!?」


 理不尽なことを言いながら、再び短剣を振り上げたヴィヴィアンさんだったが、急にこめかみにタバコを押し付けられて地面に転がった。


 事務所にはわたしとヴィヴィアンさん以外に八熊さんしかいない。無論タバコを押し付けたのは八熊さんだ。


 わたしは尻餅をついたような体制のまま、呆然とした。


「立てるか、馬場櫻子。よく躱したな」


「……だ、大丈夫です。え、いや、ていうかヴィヴィアンさん大丈夫ですか、あれ」


 わたしは差し出された手を掴んで起き上がったけど、事務所の壁際まで転がって行ったヴィヴィアンさんは、寝転んだままジタバタしている。


「ヴィヴィ、何のつもりだ?」


「……こっちのセリフじゃたわけ! ご主人様のこめかみを灰皿代わりにするとは、とんだ不良眷属じゃ。まじ卍なんじゃが!?」


 ヴィヴィアンさんはぶつくさ言いながら立ち上がると、短剣を拾い上げてこちらへ戻ってきた。また切りかかって来るんじゃないかと思わず身構える。


此方こなたはただ、櫻子が襲われると魔法が発動すると言うから斬りかかっただけじゃ!」


「俺はお前がソファを壊したからお灸を据えただけだ」


「お灸というかタバコを据えられたんじゃが!?」


 つまり、さっきのアレは避けなければ本当に斬られていたということだ。サイコパスなのかこの魔女は。いや、八熊さんも結構やばい人だな。


「とにかくヴィヴィ、まずはお前の魔法を見せてやれ。発動はゆっくりな」


此方こなたに指図するとは、バンビの分際で生意気よな! まあやってやるんじゃが!!」


 八熊さんのおかげでとりあえず斬りつけられたりする事は無さそうだけど、ついさっきタバコを押し付けられたというのに元気過ぎないかヴィヴィアンさん。よく見るとこめかみには何の跡も残っていない。


「よいか、此方の魔法を見せてやるゆえ、しかと目に焼き付けるのじゃぞ!」


 わたしは生唾を飲んで、ヴィヴィアンさんを凝視した。いったいどんな魔法を見せてくれるのだろうか。


「此方は天才じゃから、いくつか魔法を使えるが、まあ一番分かりやすいのを見せてやるかの……」


 ヴィヴィアンさんがニヤリと笑うと、背中から大きなが生えてきた。天使のような翼だが、色は白ではなくカラスのような漆黒だ。


「――すごい、翼を生やせる魔法なんですか?」


「いいや、翼生やせる魔法じゃ」


 漆黒の翼が急にボコボコと膨らみ、形を崩したかと思うと、先日見た禍々しいタコ足になった。


「肉体操作といっての、己の身体を好きなように変化させる事が出来るのじゃ。形状、形質、思うままよ。どうじゃ、便利な能力チカラじゃろう? この能力の名はな、『黒羽クロバネ』という」


「……黒羽」


――その言葉を呟いた途端、体の奥底から何か得体の知れない力を感じた。何となくだけど、急に自分の中に眠っていた力の使い方が分かったような、そんな気がして、わたしはゆっくりと目を閉じた。


「……おお、なんと!?」


「……え」


 目を開けると、わたしの背中から服を突き破って黒翼が生えていた。さっきヴィヴィアンさんが出したものと酷似している。というかまるっきり同じだ。


「……な、なんか出来ちゃいました。え、ていうかこれ、ほんとにわたし魔女だったんだ」


 背中から生えた翼は、わたしを包み込むように身体を覆っていて、触ると意外に金属質な感触がした。


 感覚は翼の先まで感じ取れて、まるで腕がもう二本生えたような不思議な感じだ。しっかりと動かせる。


「……長年生きてきたが、此方と同じ魔法を使える魔女はこれまで一人しか会ったことがない。櫻子、お主なかなか見どころあるのう」


「へえ、この魔法ってそんなに珍しいんですね。……タコ足~タコ足~」


 わたしが念じると、黒翼はボコボコとうねり、気持ち悪いタコ足に変形した。すごい、これ楽しい。


「いやいや、凄すぎじゃろ。何故発動して二秒で使いこなしとるんじゃ!?」


「いや、わたしにも分からないんですけど、なんていうか、急に自分の力と、その使い方が分かったような感覚で……」


「ふむ、知らないだけで実は前から部屋にあったゲーム機と取説を見つけたような感じかの?」


「あ、そんな感じです! ていうかゲームとかするんですね」


 わたしは背中から伸びたタコ足をうねうねと動かした。ヴィヴィアンさんが言うには他の形にも出来るみたいだけど、特に何も思い浮かばない。わたしの想像力は家出しているみたいだ。


「ふむ、一応今日からお主の特訓を始める予定だったのじゃがな。先祖返りの魔女は魔法を使いこなせるまでは隔離するのが道理じゃし」


「例の協会に閉じ込められるってやつですか?」


 確か、病院で八熊さんもそんな事を言っていた。昨日エミリアちゃんも、長い間協会から出れずにいたと言っていたし、どうやら隔離の話は本当だったみたいだ。


「左様じゃ、何と言ったか、あの派遣の……」


「……エミリア・テア・フランチェスカ・ヘルメスベルガーだ。バカ」


「うむそれな、そのエミリア何某なにがしも数年間は閉じ込められておった筈じゃし、本来ならばヒカリとお主もそうなって然るべきなのじゃが、そこはこの此方が直々に管理するということで、特別に隔離を免れておるわけじゃ。感謝するがよいぞ?」


 なるほど、VCUに入ると隔離を免れるという話には、そういう仕組みがあったのか。


 ヴィヴィアンさん直々の管理とやらで、さっき真っ二つになるところだったけど……


 まあ、なんだかんだで魔法は使えるようになったのだから、結果オーライである。


「ありがとうございますヴィヴィアンさん。それで、特訓っていったい何をするんですか?」


「うむ、それなんじゃがのう、お主既に魔法を使いこなしてるみたいじゃし、なんかもうよいかなって……」


 ヴィヴィアンさんはいつの間にか持っていたトマトジュースを啜りながら、投げやりにそう言った。


「ええぇ、そんな適当な……せっかく発動したんですから、何か絞り出して下さいよ」


「仕方無いのう、では最終試験じゃ。このトマトジュースをお主の黒羽で攻撃してみせよ。攻撃が正確に当たれば免許皆伝じゃ!」


「勢いで押し切ろうとしてますけど、結局適当じゃないですか!?」


 いろいろとツッコミどころが多すぎる。本当にヒカリちゃんもヴィヴィアンさんに魔法の使い方を教えてもらったんだろうか。


「つべこべ言わずにはよせぬか。腕がだるいわ」


「あの、トマトジュース攻撃したら事務所がトマトジュースまみれになると思うんですけど、大丈夫ですか?」


「もう空じゃから安心せい」


 事務所を汚すと八熊さんが怒るかと思って一応確認したけど、どうやら問題なさそうだ。


「……では、いきます。黒羽っ!」


 わたしはヴィヴィアンさんの右手に握られたトマトジュースを目掛け、『斬れろ』と念じながら黒羽を振るった。


――スパッ、と気持ちのいい音と共に事務所にトマトジュースが飛び散った。


 わたしは一瞬何が起こったか分からず、黒羽を振るったまま固まったが、切断面からは依然ドバドバとトマトジュースが吹き出して、床に水溜りを作っていく。


 ヴィヴィアンさんはさっき、トマトジュースは空だと言っていたのにどうして……


 いや、実際空だったのかもしれない。よく見るとトマトジュースのパックは、ヴィヴィアンさんの右手に握られたまま無傷で地面に転がっていた。


 わたしが斬ったのは、トマトジュースではなく、ヴィヴィアンさんの右腕だった――


「……うむ、やはり特訓した方がいいのう」


 腕から大量の血を吹き出しながら、ヴィヴィアンさんが呆れたように呟いた。


 こうして、わたしの特訓の日々が始まったわけである――

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