第31話「覚悟と対価」


 【馬場櫻子】    


――『魔獣』とは、『魔女』が暴走した成れの果てであり、本来ならば人間は決して魔獣にはならない。


 というのが、ヴィヴィアンさんがわたし達に教えてくれた最初の話だった。


 エミリアさんが出て行ったあと、カノンちゃんがヴィヴィアンさんを問い詰めた。自分たちを騙していたのかと。まだ自分達に言っていないことがあるのではないかと――


 するとヴィヴィアンさんは、懐からキセルを取り出して、八熊さんのデスクにちょこんと腰掛けた。


「――正直の、お主達が巷を騒がせておる魔獣について何も知らぬ事には、此方こなたも少し頭を抱えておった」


 フー、と煙を吐いて、ヴィヴィアンさんは続けた。


「魔女は身体にオドという魔力を持っておる。これは大気中に存在するマナという純粋な魔力を、少しずつ身体に合わせて変換吸収したものじゃ」


 ヴィヴィアンさんは、煙管をふかしながらも、わたし達がちゃんとついて行けているか、目線で確認しながらゆっくりと話した。


「そのオドを使い切った魔女がなおも魔法を使おうとした場合、マナが十分に変換されないまま体内に入る事になる。そうすると吸収するマナに歯止めが効かなくなり、やがては限界を超え、身体は異形と化し、死ぬまでマナを吸収する化け物になる。それが魔獣化じゃ。つまり、魔獣とは本来、暴走した魔女の成れの果てを指す言葉なのじゃ」


 信じられなかった。魔獣はある日突然現れた天災のようなもので、発生原因だって解明されていないというのがわたしの認識だった。少なくとも世間では皆んなそういうふうに認識している。


 なのに、魔獣がわたし達魔女の成れの果てだなんて……。


「……じゃが、それも二十年前までの話じゃ。魔女狩りが研究していたウイルスが世界中に蔓延し、人間が次々と魔獣化し始めた」


 さっきの話だけでもいっぱいいっぱいなのに、魔女狩りにウイルス、さらにとんでもない話が出てきた。わたしは口を挟む事もなく、ただただ必死にヴィヴィアンさんの話を頭の中で噛み砕いていた。


 他の三人も同じなのか、黙って話を聞いている。


「魔女狩りは元々各国の政府と密接な繋がりがあったのじゃ。いわば政府公認の秘密組織のようなものじゃった。まあ、ウイルスをばら撒いたことで政府からは独立した組織になったがの」


 昨日ローズさんが言っていた話が繋がった。『魔獣災害の件で後ろ盾が無くなった』と。魔女狩りの後ろ盾とは政府だったわけだ。


「おそらく魔女狩りは、ある程度魔獣災害が収まってきた段階で自分たちが人類の救世主にでもなるつもりじゃったんじゃろう。まあ、此方が先に政府に取り入って、美味しいところは魔女協会セラフが持っていったわけじゃが」


 なんともずる賢い笑みを浮かべたヴィヴィアンさんだったが、八熊さんに睨まれて、こほん、と咳払いをした。


「その後、政府はレイヴンにまで魔女狩りの情報を流してのう、処分させようと躍起になっておったわ。いわば人類を滅亡させかけた組織が、元共犯者じゃからな。なんとしても証拠を隠滅したかったんじゃろ。まあ保身に走った政府の役員共も、用済みになったあと結局はレイヴンに殺されたがの」


 昨日見た二人の魔女も、そんな残虐なことをしたのだろうか。改めて恐ろしい組織だと思う。


「そこで当時、魔女協会セラフの盟主であった此方こなたは、レイヴンに怯えた政府のブタ共の安全と人間の守護を引き換えに、魔女の表舞台への進出を認めさせたのじゃ。魔女の長きにわたる影の時代の脱却に、この機を逃す手はなかったからのう」


 ヴィヴィアンさんは自分が魔女協会セラフの前盟主だった事を、さらっと言ってしまった。まるで『わたし高校の時バスケ部だったんですー』みたいなノリで。


 ローズさんから話を聞いて怪しんでいたわたしからすると、肩透かしをくらった気分だ。


「魔女狩りもよもや何百年も隠れ潜んできた魔女が、迫害してきた人間のために立ち上がるとは思っても見なかったのじゃろうな」


「政府を裏切り、クーデターに失敗した魔女狩りは後ろ盾を失い、減少の一途を辿ったのじゃ。その頃から奴らは魔女を徹底して生捕りにするようになったのう。生きた魔女は裏ルートで高値で捌かれるからじゃ。もはや奴らには神への信仰などという大義名分すらない」


「まあ、話が少し逸れたがそういう訳で魔女協会セラフの魔女はもちろん、二十年前の災害時に生きていた魔女なら、魔獣が人間の成れの果てだということは皆当然の如く知っておるわけじゃ」


 なるほど、だからローズさんもこの辺りの話には触れなかったわけだ。人間と知らずに魔獣を退治していたヒカリちゃんに『貴方が殺していたのは実は元人間よ』なんて、言いたくないに決まっている。まして他所よその組織の魔女なら尚更だろう。


「ヒカリや櫻子は先祖返りじゃから仕方ないが、よもやカノンとカルタまで知らなんだとはのう」


 ヴィヴィアンさんがそう言って初めて、ヒカリちゃんがわたしと同じ先祖返りの魔女だと知った。あんなにも魔法を使いこなしているのに、わたしと同じだとは思えない。


「……お母様は、極力私に魔女についての話をしようとはしませんでしたわ」


 カノンちゃんは項垂れるように俯いてそう言った。やはりかなりショックだったみたいだ。


「私も、マミーはあんまり会ってくれないし、協会にも入ってなかったから……」


 カルタちゃんは少し涙目になっていた。もしかして、彼女も既に魔獣を殺したことがあったのだろうか。


「お主らに声をかけた時点で、既に魔獣を殺している者がおったからの、なんじゃ、その、言うに言えず、のう?」


「……アタシは、今まで人を殺してたのかよ」


 ずっと押し黙っていたヒカリちゃんが小さく呟いた。聞いているこっちが苦しくなるような、震えた声だった。


「ヒカリちゃん、違うよ。あれはもう人間じゃなくて魔獣なんだよ。人を殺す怪物なんだよ」


――そう言ってあげたかった。けど、まだ手を汚していないわたしが言っても、きっとヒカリちゃんの心には届かない気がして、結局何も言えなかった。


「ヒカリ、確かにお主は魔獣を殺したじゃろう。じゃがのう、別に慰めるつもりで言う訳ではないが、アレ等はもう人間ではない」


 こんなに落ち込んでるんだから、できれば慰めるつもりで言ってあげてほしいところだけど、わたしには口を出す事もできない。


「……なんで人間じゃねぇってわかるんだよ、意識がねぇって言い切れんのか? もしかしたら元に戻る方法だって……」


 魔女の世界に見識の浅いわたしでも分かる。おそらくそんな方法は無いのだろう。もしあったとしても、ヒカリちゃんの自責の念が増すだけだ。なのにそんな事を聞くのが、ヒカリちゃんの純粋なところなのだ。


「残念じゃが、魔獣が人間に戻ることはない。そもそも人間が魔獣化する条件は、じゃ。元々死ぬような怪我や傷を負った者が、自我を失い、他人を巻き込み殺す。それもマナを無尽蔵に吸収する魔獣は、放っておいてもすぐに身体が崩壊するのじゃ」


「……崩壊って」


「――遅かれ早かれ魔獣化した人間は死ぬってことだ。もし俺が魔獣化したなら、誰かを食い殺しちまう前にさっさと殺して欲しいと思うがな」


 タバコを揉み消した八熊さんがヒカリちゃんにそう言った。一応慰めているつもりなんだろう。


「……」


 ヒカリちゃんは歯を食いしばって俯いている。堪えきれなくなって、わたしはヒカリちゃんの手を握った。一瞬ビクッと震えたけど、振り解かれたりはしなかった。


「まあ、価値観などそれぞれじゃろうし、ゆるりと考えるがよいぞ。此方も初めて命を殺めた時は、それはそれは……うん、まあ、もう覚えとらんわ」


「いいこと言えねえなら黙っとけバカ」  


 ヒカリちゃんを除いた全員の非難の目が、ヴィヴィアンさんに集まった。この人ほんとにこれで魔女協会セラフの盟主だったんだろうか。


「待て待て、待てぃ! もう一回だけ……こほん。まあ、価値観などそれぞれじゃろうが、成し遂げたい願いがあるならば、相応の覚悟と対価が必要なのじゃ。此方こなたもこれまで殺めた数よりも、救った数を増やしたくて生き恥を晒しておる」


 言い直した時点でどうかと思うけど、確かにさっきよりはまともなことを言っている気がする。


「……覚悟と、対価」


 なにか響くものがあったのか、ヒカリちゃんが俯いたまま呟いた。


「焦ることはない、時間はゆるりと流れておるゆえな。魔獣災害なぞ、早々発生するものでは……」


『魔獣災害発生! 魔獣災害発生! 市民の皆様は速やかにシェルターに避難してください』


――けたたましいサイレンの音が、開け放たれた窓から転がり込んできた。噂をすれば影と言うけれど、できれば今一番聞きたくない音だった。


「……」


 カノンちゃんやカルタちゃんは挙動不審な様子だけど、ヒカリちゃんは依然として俯いたままだ。けど、繋いだ手は微かに震えている。


「やれやれ、まあ出たものは仕方あるまい。お主ら、此方こなたについて来るがよい。今回は特別にじゃ」


 ヴィヴィアンさんが煙管を懐に直して、窓からサイレンが鳴り響く外に飛び出した。


 それに続いて、カノンちゃんとカルタちゃんも無言で窓から飛び出していった。ちなみにこのフロアは四階である。


「夕張ヒカリ、馬場櫻子、お前らもさっさと行くぞ。仕事だ」


 八熊さんが、残されたわたしとヒカリちゃんにそう言った。こんな状態のヒカリちゃんを連れて行くなんて、酷にも程がある。


「八熊さん、ヒカリちゃんは今は無理です。だいたいわたし、窓から飛び出したら普通に死にますよ」


「……手のかかるガキどもだな」


 八熊さんは項垂れるヒカリちゃんの首根っこを掴んで無理やり立たせると、腰に手を回して抱えこんだ。あまりにも乱暴だから、止めようと立ち上がったけど、わたしも残った片手で抱え込まれてしまった。


 女子高生二人を抱える疲れ切った顔の男が、オフィスビルの窓から飛び出した――

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