第18話「料理当番と自己紹介」



 【馬場櫻子】


――ギィ、ギィ、と金属が擦れる様な鈍い音が、静まりかえったエントランスに反響していた。


 さっきまでは騒がしくてこんな音は聞こえなかった。どうやら天井に吊るされた絢爛豪華な巨大シャンデリアが、風に吹かれてゆっくりと揺れている音らしい。


 粉々に破壊されたエントランスの入り口は、もはや吹き込む風を拒む術すべを失っていたのだ。


「あれあれー? 私ちゃんの自己紹介聞こえなかったー?」


 瓦礫を背後にして、キメポーズのまま佇む彼女はそう言って首を傾げた。


 エントランスに会した全員が、わたし達に向けられたのであろう唐突で珍妙な自己紹介を聞いていたし、見ていた。だからこそ、こんなにも静まり返っているわけだ。


「……き、聞こえてました」


「むはぁ、だったら次はオメーらが名乗る番だろー!」


 彼女は、鳳さんに寄り添うわたし達に向かって、指をビシッと突きつけてそう言った。確かに名乗られた以上、こちらも名乗り返すのが人としての礼儀なのだろうけど、なんだろう、名前を教えたが最後厄介なことになりそうな気がしてならない。


 あと、むはぁってなんなんだろう。


「……バブルガム! この子達はうちのお客よ。関わらないで!」


 わたしが逡巡している間に、マゼンタさんが横から割って入った。


 マゼンタさんは言葉や態度は毅然としているけど、よく見ると額に汗が伝っている。


「むふぅ? オメーよく見たらマゼンじゃーん! ちょー久しぶりー! 三百年、いや四百年ぶりくらいかー?」


「わ、私の名前はマゼンよ!魔女協会セラフを襲撃するなんて、とうとう本格的にイカれたわけ!?」


 マゼンタさんが肩をぷるぷると震わせながら怒鳴った。どうやら二人は初対面ではなさそうだ。


 それにしても『襲撃』ということは、鳳さんをこんな風にしたのはあのバブルガムさん達ということなのだろうか。


「むふぅ、私ちゃんべつに襲撃なんてする気ねーけどー? てかその気だったらオメーら皆もう死んでるしー」


 バブルガムさんは『襲撃』こそ否定したけど、結局物騒なことを言っている。愛らしい見た目と物騒な言葉使いがいまいち噛み合わないけど、冗談を言っているようには聞こえなかった。


「馬鹿言わないで、こっちは三十人以上いるのよ。たった二人で勝てると思ってるの?」


「むはは、私ちゃん一人で鏖殺出来ちゃうつーの。人数揃えてもどうせオメーら戦えない居残り組だろー? まともな魔女は弱っちい人間守るためにあっちこっち飛び回ってんもんなー」


「戦えないかどうか、身体に刻んであげましょうか?」


 バブルガムさんは踊るようにゆらゆらと揺れながら、わたしたちの方へ近づいてきた。


 マゼンタさんも綺麗な赤毛をなびかせながら前へ歩み出て、とうとう二人はお互いに手を伸ばせば届く距離まで肉薄した。


 一触即発の剣呑な雰囲気の中、わたしは固唾を飲んで二人を見ていた。


「――喧嘩はそこまでにしましょう」


 不意に、穏やかなアルトが一陣の風と共にエントランスに吹き込んだ。

 慈愛に満ちたような耳に心地いい声。ローズさんだ。


「バブルガム、久しぶりに会えて嬉しいけれど、今日は突然何の用なのかしら。扉を壊した理由と一緒に説明してくれる?」


 ローザさんは睨み合う二人に近づきながらそう言った。

 すでにさっきまでの剣呑な空気は薄れつつある。


「むふぅ、さっきも言ったじゃん! 久しぶりにオメーらの顔が見たくなったから挨拶しに来たんだよー。なのに全然門を開いてくれなくてー、ちょっとノックしたら壊れちった! てへぺろー!」


 バブルガムさんはローズさんに向き直って、訪れた経緯を語り出した。思った以上に何の変哲も無さすぎる理由だった。


 そして魔女の世界ではノックと破壊がイコールで繋がっているのだろうか。


「それは失礼したわね。でも今度からは事前に連絡を貰えるとありがたいわ。紅茶とクッキーくらいは用意しておきたいから」


 しゃべる破天荒みたいなバブルガムさんに対して、ローズさんは優しく微笑みながら対応している。見た目はわたし達とそう変わらない歳に見えるけど、全身から母性が滲み出ている。


「むはぁ、やっぱりローズちんはいい子だなぁ! マゼンダ、オメーもこういうとこ見習えよー?」


 バブルガムさんが大袈裟に肩を竦めて見せたが、マゼンタさんはキッ、と睨み返すだけで返事はしなかった。相当仲が悪いらしい。


「バブルガム、さっきも言ったけど今は立て込んでるの。今日のところはとりあえずお引き取り願えるかしら?」


「むふぅ、ちょっとくらい世間話させろよー」


 どうやらやんわりと追い返そうとしているローズさんに、拗ねたような表情でバブルガムさんが纏わりついた。


「……いいわ、じゃあ三十秒ね」


 ローズさん、終始微笑んでいて感情が読めないけど、やっぱり怒ってるみたいだ。よく見ると目が全然笑っていない。


「むっはぁ! まじでちょっとなんだけどー? まあいいや……お前めーらさー、最近孕島とか行った?」


「……ハラミジマ? ごめんなさい、何のことだかよく分からないわ」


「……ふうん、知らねーならいいや。じゃあ今日のところは帰ろうかな、私ちゃんまだ朝ご飯食べてねーし」


「……ていうか、今日の料理当番バブルガムよ?」


「むふぁっ!? まじか、スノウにまたネチネチ言われんじゃーん。てか早く言えよラティー!」 


 『ハラミジマ』という謎のワードが少し気になるところだけど、それよりもレイヴンの食事が当番制だということにわたしは衝撃を受けた。


「悪いわね、追い返すみたいで。みんなによろしく言っておいて」


「むはぁ、みたいじゃなくて追い返してんじゃん! あ、そうそう帰る前に――」


「……え?」


 鴉の魔女二人がようやく帰りそうな雰囲気になってきて、わたしは少し安堵して胸を撫で下ろした……その瞬間、視界からバブルガムさんが消えた――


「――オメーらの名前聞いとかねーとなー」


 消えたと思った時には、バブルガムさんはしゃがみ込むわたしの肩に腕を回していた。


 あまりに突然の出来事だったからか、ヒカリちゃんや熱川さん、周りの魔女達も絶句している。


 言葉を失ったわたしに、バブルガムさんが耳元で『な、ま、え』と呟いた。


「……ば、馬場、櫻子です」


「むはぁ、可愛い名前じゃーん。なんかオメーとはまた会える気がするなーサクラコちん」


 バブルガムさんは私の肩をポンポン叩いて立ち上がると、今度はヒカリちゃんと熱川さんの方に目線を向けた。


「……夕張ヒカリだ、櫻子に触ってんじゃねーよ」


 ヒカリちゃんはへたり込むわたしを自分の方に引き寄せて、バブルガムさんを睨みつけた。


 しかしバブルガムさんは特に意に介する様子もなくニコニコ笑っている。


「熱川カノンですの。以後お見知り置きを」


 熱川さんはオフィスでわたしにしたのと同じように、スカートの裾を掴んでペコリとお辞儀をした。


 『こちらこそよろしくですのー』と、楽しそうなバブルガムさん。


「スマホ、弁償、しろ、by、鳳カルタ……」


 未だに床でうつ伏せになっている鳳さんが、何とか頭だけ持ち上げてそう言った。


 ものすごい執念であるが、自己紹介は律儀にするのか。


「むはぁ、スマホってのは何のことか分かんねーけど、そういうのはマゼンダが全部やってくれるだろー」


 バブルガムさんはあっけらかんとした表情でマゼンタさんを指差した。


 『だからマゼンタよ!!』と、隣で怒鳴り声が響く。


「むはぁ、あともう一つ。鴉に入りたかったらいつでも言ってねー! メンバー絶賛募集中だからなー!」


 それだけ言うと、バブルガムさんはもう一人の鴉、ラテさんの元へ駆け寄り、パッと姿を消してしまった。


 アレがいわゆる転移魔法というやつなのだろうか。側から見ると一瞬で姿が消えたように見える。


「――さ、部屋に戻りましょうか」


 ローズさんが仕切り直すように、掌をパンパンと鳴らしてそう言うと、周りにいた魔女達が安堵の表情でエントランスから散り散りになっていった。


 わたしも聞きたいことが沢山あったけど、ここで追求するのも野暮な気がして大人しくローズさん達と部屋に歩き出した。


 わたし達が倒れた鳳さんをエントランスに置き去りにした事に気づいたのは、部屋に着いて、しばらく後だった――

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