第8話「寄せ鍋と暴れ龍」


 【辰守晴人】 


――トントントントン、と包丁がリズム良くまな板を打つ音が耳に心地いい。


 冷蔵庫から使えそうな食材を根こそぎ取り出し、切っては鍋に盛り付けていく。


 割り下用にフツフツとさせておいた鍋から、昆布を取り出す。手早く他の調味料を加えてさらに煮詰める。


 部屋にはすでに食欲を掻き立てるいい香りが充満している。


「うう、ううう」


「おい、今作ってるから座って待っとけ」


「……まっ、とけ?」


「そうそう、待っとけ待っとけ」


「そーそー、そーそー」


 さっきから腹をギュルギュル鳴らして部屋をうろつく金髪の少女をたしなめる。


 言葉は理解していないみたいだが、こっちの意図はなんとなくは伝わっている、のか?


 酒とみりんのアルコールが飛んだところで、割り下をガスコンロの上にセットした鍋にゆっくりと注ぎ入れた。


 カチッとコンロに火を灯す。 


「あとは、待つだけだな」


――路地裏で襲われている少女を助けて、警察から逃げるよう家に帰ってきたのが十五分ほど前。


 途中で少女が靴を履いていないことに気づいた俺は、少女をおぶって帰ってきた。おかげでヘトヘトだ。


 少女はどうやら、というか見るからに日本人ではなく、言葉はまったく通じなかった。


 少女も少女で何か言葉を話すでもなく、うぅだの、ああぁだのと唸ったり鼻を鳴らすばかりだった。


 しかし、俺の話した言葉を真似したりはするようで、だんだん九官鳥かオウムと話している気分になってきた。


 いろいろ訳の分からない状況だけど、少女が家に着く前から腹をギュルギュルさせていて腹を空かしていることだけは唯一明確だった。


 現在俺が寄せ鍋を作っているのは斯様かような経緯があったわけである。


 鍋に火が通るのを待つ間、改めて謎の少女を観る。


 雪のような白い肌に、天然の金髪。年はおそらく俺とそう変わらない、と思う。


 変わった服を着ていると思ってはいたが、明るい部屋で改めて見ると、病院服? のような服だ。医師や看護師が着る方じゃなく、患者が来ているようなやつ。


「あー、まじでどうしたもんか」


 勢いで助けて家まで連れてきてしまったが、この後のことなんて何も考えてない。


 警察に引き渡すのが一番いいんだろうけど、事情を説明すると厄介なことになりそうなんだよなぁ。


『ふん! バカも考え休んでニッタリってね!』思い悩む俺の脳裏に龍奈の像が浮かんできた。


 それをいうなら『馬鹿の考え休むに似たり』だろ、とエア龍奈にツッコミを入れる。


 いや、さすがに本家はここまでひどくないか、すまん龍奈、許せ。


 頭の中でいろいろ考えている間に鍋がぐつぐつしだした。


 こいつが痺れを切らす前に飯にするか。


 少女はさっきから腹を鳴らして目を爛々とさせて鍋を睨みつけている。


「よし、できたぞ」


「できたぞー? できたぞー?」


 少女は俺の言葉を繰り返しながら両手で自分の膝をペシペシ叩いた。なんか、ちょっと可愛いな。


 乾いたタオルを手袋代わりに、鍋の蓋を開けた。


 ボワァ、と湯気と共に鍋の香りが広がる。


「ほら、暑いからな。気をつけて食うんだぞ」


「くうー! だぞー!」


 豆腐やら白菜やらを取り皿によそって少女の前に差し出すと、すごい勢いで顔を突っ込んできた。


「あっぶねぇ! いや、ほんとあぶないよ?」


 少女は不服そうな顔で俺を睨め付けてくる。


「まあ、火傷するっつてもわかんねえか」


 仕方なく俺はフォークを出してきて、少女の右手に握らせた。


「いいか、これで刺して、冷ます。ふー、ふー、だ」


 言いながら、フォークを握った少女の手を掴みウィンナーを刺した。そのまま少女の顔の前まで持っていき、息を吹きかける真似をする。


「ふー、ふーだ。ふー、ふーだ」


 少女はしっかり意図を汲み取ったようでウィンナーに息を吹きかけた。 


 何回か繰り返した後、少女が俺の顔を『もう食べていい?』というような顔で見てきた。まあ実際何を考えているかは知らんけど。


「もう食べていいぞ」


 俺がそういうと、ウィンナーが刺さったフォークを口の中に突っ込んだ。


 フォークを引き抜き、モグモグと咀嚼する。


 ゴクン、と口の中身を飲み下すと少女は興奮したようにフォークを振り回した。


 どうやらお気に召したようだ。でもすんごい危ない。


 少女は取り皿に盛られたウィンナーを、もう一本フォークで刺して口に放り込もうとした。


「んんっ!?」


 しかし、冷まさないで口に突っ込んだため、熱かったのかすぐに口からフォークを離した。


 涙目になる少女だったが、すぐにフォークに刺さったウィンナーと向き直り、ふーふー、とウィンナーに息を吹きかけ始めた。


 なんか、子供を育ててる気分になってきた。




* * *




――ものの十分ほどで、鍋の具は空っぽになった。


「ううぅ、うぅ」


「なんだ、まだ食い足りないのか?結構食べてたろお前。俺全然食ってないし」


 櫻子といい、女子が少食って実は嘘なんじゃなかろうか。


「うう。ううー」


「なんだよ、そんなに睨んでも仕方ないだろ」


 少女は依然、何かを訴えるように俺を睨んで身をよじらせている。


……身をよじらせている?


 よく見ると、下っ腹の辺りを押さえている。そしてそのまましゃがみ込んだ。


 まさか――!?


「と、トイレか!? ちょ、待て! そこでするなよ!」


 俺は急いで少女を抱きかかえ、トイレへ連れて行こうとした……が、抱き上げた瞬間に足がつった。


 そういえば、さっきこいつのことおぶって帰ってきたせいで、足がもうパンパンだったのだ。


 とかなんとか考えている間にも、俺の体制は傾き続けて、とうとう床に倒れた。


 俺に抱き抱えられていた少女も、もろとも俺に覆いかぶさるように倒れた。


「「……あ」」


 俺と少女、二人同時に声が漏れた。


 まあ、漏れたのは声だけじゃなかったわけだが。


 じんわりと俺の下っ腹あたりに暖かい感覚が広がっていく。


 ポジティブだ、ポジティブにいこう。今日はいろいろあったが、これ以上酷くはならないはずだ。だから泣いちゃだめだ晴人!


「――ハレ! 龍奈がわざわざ忘れ物届けに来てあげたわよ!」


 これ以上があった。泣いてもいいですか。


 急に開け放たれた居間の扉。その前に、弁当を持った龍奈が立っていた。


「……」


「……」


 時間にして数秒、居間が凍りついた。 


「ご、誤解だ」


 先に沈黙を破ったのは俺だった。なんとか絞り出した言葉がそれだった。


 龍奈が何を考えて固まっているかは知らんが、確実に今起きていることは把握できていない筈だ。俺だってそうだ。


「……べ、べっつに誤解じゃないんじゃない? 好きにすればいいわよ!」


「お、おい待てよ龍奈!ほんとに誤解なんだって、これは……」


 俺は起き上がろうとするが腹に放心状態の少女が乗っているので上体を起こすのが精一杯だ。


「誤解なんてしてないっつてんでしょ!! ちゃんとゴムつけなさいよね、このスマケムシ! 死ね!」


「してんじゃねぇか誤解!! つーかそれを言うならスケコマシだろ! いや、俺は違うけど――」 


――結局、腹の上に少女を乗せたまま、龍奈の誤解を解くのに十分以上かかった。

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