第2話「転入生と転入生」


 【馬場櫻子】


 街路樹の葉が秋風に吹かれてサラサラと揺れ、道路脇の茂みからは虫の音が静かに響き、わたしのローファーが地面を慎ましく打つ音が微かに聞こえる。


 静かだ。今ここにはそれ以外の音は何も無い――


 新都の中心街にある学校を出て一時間半も歩くと、徐々に木々や緑が増えて郊外住宅地に差しかかり、さらに新都から離れるように進むと急に足場が悪くなってくる。 


 舗装された道路が、急にひび割れてデコボコになるせいだ。


――二十年前の災害の後に作られた『新都』と、災害の爪痕を色濃く残す『旧都』。ここがその境界線なのだ。


 家までは旧都に入ってから約三十分、つまり合計して徒歩で約二時間の道のりになる。


 新都から家への道はなだらかながらほとんど登り坂で、疲労で足取りがだんだん重くなってくる……まあ、足取りが重いのは疲労のせいだけじゃないんだけど。


「――ただいま」


 玄関を開けて、靴を脱ぎながら小さく深呼吸した。


「あらぁ、おかえりなさい。今日も部活遅かったのねぇ、お風呂沸かしてあるわよぉ」


 廊下でおかあさんがいつものおっとりとした口調で出迎えてくれた。 


 出迎えてくれたというか、手には洗濯物が入ったカゴを持っているからたまたま廊下にいただけなんだけども。


「うん、文芸部の皆がちょっとした歓迎会みたいなのしてくれてさ……まあ、それでね」


 脱いだ靴を靴箱に収納しながらわたしはそう言った。


 真っ赤な嘘だった。


 わたしは部活には入っていない。そもそも文芸部なんてものが学校にあるのかどうかも知らない。


 まあ多分ないんじゃないかな。


「そうなのぉ? ふふ、櫻子が新しい学校で馴染めるかおかあさん心配だったけど、楽しそうでよかったわぁ」


 おかあさんはそう言って微笑むと、洗濯カゴを抱えて廊下を抜けた。 


 ごめんなさいおかあさん。あなたの娘は全然学校に馴染めてません。


 部活やってるって嘘をついて、時間を潰すためにわざわざ新都から歩いて帰ってきています。おかげで随分と脚が鍛えられてしまいました。


 ああ、いったいどこで失敗したのだろうか……まあ間違いなくあの日だろう。



~二週間前・転入初日~



「馬場さん、それじゃあそろそろ教室に向かいましょうか!」


 今日からわたしの担任になる女の先生が快活な笑顔でそう言った。


 この先生の名前は確か……なんだっけな。さっき聞いたばかりなんだけど、だめだ。緊張で思い出せない。


 わたしは名前も思い出せない先生に促されるまま職員室を出て、鞄をギュッと握りしめながら後をついて行った。


 大丈夫、大丈夫。教室に入って簡単な挨拶と自己紹介をするだけ。難しいことじゃない。緊張しなくてもいいのよ櫻子。


 そう自分に言い聞かせるが、鞄を握る手にはじんわりと汗が滲んでいた。


「じゃあ、教室入ろうか」


 五分もかからずに、あっという間に教室についてしまった。二年二組。どうやらここがわたしのクラスみたいだ。


「はい、号令~」 


ガラッとドアを開けるなり先生がそう言うと、教室の一番前の席に座っていた女の子が「起立」と号令をかけた。


 教室の生徒たちは近くの席の人とガヤガヤ騒ぎつつも、号令に合わせてだんだん静かになっていく。 


「礼、おはようございます」


 おはようございます。と、わたしも小声で礼をした。


 教室の中には一応立ちあがってはいるが、挨拶をせずに楽しそうに談笑を続ける人もいた。あれがギャルってやつだろうか、ちょっと怖い。


「着席」


「はい! 今日はね、もうみんな知ってると思うけどホームルームの前に転入生を紹介します」


 きた、と思った。横から先生が小声で「馬場さん」と促すように囁いた。 


 大きく、しかし目立たないように深呼吸をして、わたしは教室を見渡した。三十人ほどの視線がわたしに集まっている。


 芋だ! この人たちはみんな芋だと思うのよ櫻子!


「……きょ、今日からお世話になります、馬――」


 そこまで言いかけて、わたしの自己紹介は中断した。


――ガガァンッ! と、突如教室中に何かがぶつかるような轟音が響き渡ったからだ。


 音のした方にその場の全員の視線が吸われる。もちろんわたしもだ。


――轟音の正体はドアだった。 


 わたしがさっき入ってきた教室のドア。それが勢いよく開きすぎて、ドアと縦枠が激しくぶつかった音だった。


 しかし、もちろんわたし達の視線の先はドアではない。そのドアを開けた人物だ。


 女の子だった。髪は金髪で、わたしが着ている制服と同じ制服なのだが、ブレザーの代わりにダボっとしたパーカーを羽織っている。


「――あなた、夕張ゆうばりさん? 確か今日は急用ができたから来られないって……」


 時間にして数秒だったか、静まりかえった教室で沈黙を破ったのは先生だった。


「……急用が、思いのほか早く終わったもんで」


 夕張さんと呼ばれた金髪の少女は、片手をパーカーのポケットに突っ込みながら淡々とそう言った。ほんの一瞬彼女と目が合ったような気がするけど、光の速さで逸らしてしまったから定かではない。


「あら、そうだったのね。じゃあちょうど今転入生の紹介していたところだったから、夕張さんもお願いね」 


 急な登場に面食らっていた先生は、しかしすぐに落ち着きを取り戻したようで、にこやかにそう言った。


 それにつられるように、机に座って固まっていた生徒たちも徐々にざわめきはじめた。


 じゃあまずは……と先生がわたしの方を見て、そう言いかけた瞬間。


「――夕張ゆうばりヒカリ」


金髪の彼女が教室に向かってそう言い放った。 


……ん? 今のは、自己紹介? 短くない? ていうか、今はまだわたしの自己紹介の途中で、先生もたぶんさっき『じゃあまずは馬場さんから』って言おうとしていたわけで……どうしよう、なんかタイミング狂わされちゃったな。


 人知れず動揺しているわたしをよそに、依然ざわめき続ける教室から声があがった。あの怖そうなギャル芋さんだ。


「おいそれだけかよー」


 夕張さんが短くため息をついた。多分横にいたわたししか気づいていなかっただろう。そして、その直後に――


「魔女です」と、彼女が言った。


 教室はふたたび静寂に包まれた。  




* * *




――『魔女』と聞いてだいたいの人が思い浮かべるのは、おとぎ話や童話の絵本に出てくるアレだろう。


 真っ黒なローブに身を包み、頭に大きな三角帽子を被った老婆。


 あとは、大きな鍋で何やら不気味な色のスープにカエルやらトカゲやらをつっこんでいるとか、ホウキで空を飛ぶとか、そういうものを想像するはずだ……いや、そうだったらしい。


 までは、だけど。


――二十年前というと、わたしは当時まだ生まれてもいなかったから、影も形もなかったわけで、だからこれはおかあさんから聞いたり、本で読んだりして知った話になる。


 ある日、なんの前触れもなく、突然この世界に魔獣と呼ばれる怪物が出現するようになった。それも世界中でだ。


 後に言われる『魔獣災害』の始まりだった。


 魔獣は発生原因も分からず突然現れる。魔獣には個体差があるらしく、見た目や大きさはバラバラ。しかしどの個体にも共通していることがある。それこそが魔獣と呼ばれる原因でもあるのだろう。


 怪獣とかではなく魔獣と呼ばれる由縁ゆえん。魔獣は、を使うのだ。


 魔法だなんてふざけた話に思えるかもしれないけど、人類には魔獣がひき起こす現象に対して、他につける名前を持ちえなかった。


 口から火を吐くなんてまだ可愛いほうで、氷の槍を降らすとか、竜巻を引き起こすとか、重力をめちゃくちゃにしてしまう個体までいたそうだ。 


 さらにもう一つの共通点として、魔獣には驚異的な再生能力がある。体のどこかにあるコアを損傷させない限りはなかなか死なないのだとか。


 もちろん当時、突如として現れた魔獣に有効な攻撃手段や戦術などは何も確立されておらず、魔獣出現から一月も経たずして、人類は存亡の危機を感じとっていた。


――魔女が現れたのはその時だった。


魔女協会セラフ』と名乗る謎の組織が突如現れ、世界中で魔獣を殲滅し始めたのだ。


 魔女協会セラフの構成員、つまり『魔女』は魔法を使った。


 魔獣と同様に炎や氷、風に水と特殊な力を使って数多の魔獣たちを蹂躙したのだ。魔女協会が現れてからは、瞬く間に魔獣たちはその数を減らし、新たに出現しても即座に殲滅される体制が敷かれた。


 こうして魔女協会セラフは、人類の救世主となったわけだ。


 そして、現在に至るまでのこの二十年間、魔女協会セラフの魔女達は依然変わらずわたしたちを魔獣から守護しつづけている――


 というのが、現在における常識だ。


つまり、魔女はわたしたちにとってはかけがえのない英雄ヒーローなのだ。だから今のこの状況も致し方がない、というか、当然の反応だ。


 現在私の目の前で、教室中の生徒が興奮して立ち上がり、喚声をあげて大騒ぎになっている。もはや集中しても芋には見えない。


 先生が生徒達を落ち着かせようとしているが、収束する気配はない。


 まあ、転校生が魔女だったんだから、興奮するなという方が無茶なのだ。


 しかし――


「席、あそこでいいですか?」

 

 と、夕張さんが口を開くと喧騒がピタリと止んだ。憧れの魔女の発する言葉を、一言一句聞き逃すまいと言わんばかりだ。


「ええ、後ろ側の席しかないんだけど、空いている席ならどっちでもいいわよ」 


 先生は職員室でわたしに接したのと同じように、落ち着き払ってにこやかにそう言った。


 前もって夕張さんのことを知っていたとはいえ、これが大人の落ち着きというやつなのか。


 夕張さんが一番後ろの席に座るのを、クラスの全員が見守っていた。もちろんわたしもだ。


「じゃあ、気を取り直して馬場さん挨拶お願い」


 そうだった、まだわたしの挨拶が終わっていないんだった。こんな雰囲気の中ですることになるとは夢にも思わなかった。


「――馬場櫻子です。よろしくお願いします」


 わたしは気後れする心を必死に押し込めて、できるだけ簡潔に挨拶を済ませた。


――案の定、ほとんどの人が聞いていなかったけど。

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