煉獄決戦-プルガトリオー

羽田 恭也

プロローグⅠ

 進む……行き場も無く、宛ても無く、ただ俺は歩を進める。

 悉く人が絶えた国──否、世界を彷徨い歩き、そして始まりの場所へと帰って来た。


 幾重の刃に刻まれた。無数の矢が突き立った。毒を盛られた。首を落とされた。臓物を引きずり出された。四肢を裂かれた。

 だが、俺は死なない。ただ一つの決意の果てに俺は自らの死を拒絶し打ち消した。


 もはやこの世界に人は居ない。絶やすべきものは全て絶った。


「終わったのか…………」


 虚ろな風が体を撫でる。やり切ったという達成感ではなく、この内を満たすのは空虚という果てしない無だった。かつては、全てを焼き尽くしても尚、消えぬ激情に駆られていたというのに……終わってみれば、燃えカスすらも残っていないのか……

 廃墟と化した都の真っただ中、焼け尽き人を失い崩れた家屋と散乱とした骸だけが未だに残る懐かしくも忌まわしき地だ。


「……カンナ」


 どれほどの歳月が経っただろうか? 決して色あせる事の無い、唯一無二の我が愛。

 全てを失った。全てを不当に奪われた。唯一無二を俺から世界が奪ったあの瞬間に──俺という存在はそして人間に絶望し、その悉くを滅ぼそうと誓った。

 地に座り、空を見る。俺の心を写したような曇天がそこにあり、荒ぶ風は人々の慟哭や怨嗟の声のように啼いていた。


「…………」


 もうこの世界に人は居ない。全てを屠った。もうこの世界に果てなどない。果ては俺だ……善人悪人も老いも若いも、男も女も関係なく、等しく鏖殺せしめた。

だからどうしたと、俺は問う。答えは無い……答える言葉など存在しないのだ。


 彼女は甦るのか? 彼女は戻って来るのか? 喜んでくれるのか? 笑ってくれるのか?

 否、否、否否否否否否ッッ!!!


 彼女はこんな事を望まなかった。彼女が喜ぶはずが無いのだ、笑ってくれるはずがないのだ!!

 全て、全て俺の感情だった。俺の中にあった唯一を奪った世界が、運命が、人共が許せなかった、憎かった!!!

 受けいれられなかった! 許容出来なかった! 承服できなかった!


 全てを圧し付けて、これで万事問題無いなどと抜かして笑い合う連中が、ただただ苛立たしく、得体の知れない怪物に見えて悍ましかった。何より……それを圧し付けたこの不条理に怒った。


 そして、これが俺に与えられる罰なのだ。死を喪った俺は、永遠にこの世界に留まり続ける。死後の世界に逝く事は無い。己を【生】に括り付け、人無き世を一人で生きる。それが俺への罰なのだ。


「いいや、俺はもう……人とは呼べぬな」


 ある者は俺を鬼と言った。ある者は俺を羅刹と言った。ある者は俺を外道と言った。正しくはあるだろう……道を外れた俺にはふさわしい言葉だ。

 瞼を落とす。疲れもなく、飢えも乾きも無い。眠りへの欲も失い、喰らう欲も失い、女への欲などカンナを喪ったあの瞬間に消え失せた。もう……何も無いのだ。

 だというのに、壊れて尚もまだ、心というのはあるものだな…………。


「…………!」


 瞼を閉じた暗い世界に、人の気配を感じて目を開いた時……俺は我が眼が映す世界を疑った。

 かつて滅ぼした西の国にある宮殿のような広場に、六人の男が居た。


あり得ぬ……。俺は確かに遍く人間を漏らすことなくこの手で切り殺した

それにここは何処だ?俺は確かに、先程まで廃墟の真っただ中に居た筈──斯様な異国風情の場所などには居なかった。

 だが、驚きを表に出してはならぬ……この七人は何者か? 何れも、身なりは似ている者は居るが明らかに異なっている。そして何れも俺と同じように多少の驚きを抱いているようだ。


「これは、いったい……」


 カツン、広間にある上段から足音が聞こえた。俺を含めた七人はそこに注視する。そこには大きな扉があった。

 誰かが来る。足音からしてその者は女だ。足音とは別に金属の音が地面に就く音も聞こえる。おそらくは杖だろうが、足の音程には若さがある。何者だ?


 扉が開く、そこから放たれる光が俺達から視力を一瞬、奪い取る。そして光の中から足音の主がやって来た。

 入って来たのはやはり輝く天秤のような錫杖を手に持つ女だった。それも神々しい程の美貌を兼ね備えた女だった。その目は透き通るように澄んでいるというのに、玉石のように輝いているというのに、暗い水底の如く虚でもあった。


「…………何者だ」

「何者か──私には正しき呼び名などは無い」

 

 透き通るような綺麗な声だと思った。だが同時に無機質な声色だった。まるでそこに居るにも拘らずそこには居ないような──空気と会話をしているような気分だな。


「ただ、私は汝らが──人が【神】と呼ぶ存在に連なる者だ。そして私は異なりし世界に在り異なる罪を犯し、そして等しき未曾有を引き起こした八人の大罪人の裁定を告げる者である」


 女は自ら神と名乗った。大よそ信じられず──そして、最も殺したいと思う存在を称した。

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