ゆびきり

シジョウハムロ

ゆびきり

 これは、実家に帰ったときに私の母から聞いた話です。と話し始めるのが様式美というものなのでしょうか、だとしたら私もそれに従うのが良いのでしょう。


 私の両親は霊感があるそうで、それは例えば車を運転しているときに『生きていない誰か』を見ては「ああ、昔ここで事故があったのだろうな」とか、そんなことに気づけたそうです。

 それはともかくとして、両親が出会い、家族となってから間もないころ、何処か遠くへドライブに出かけた帰りにそれは起こりました。人気のない山道の中で車を走らせるうちに、二人は何か違和感を覚え始めたそうです。

 当時はカーナビなどありませんから、当然地図を見ながらのドライブです。最初は地図を見間違えでもしたのだろうと、せっかくなら行けるとこまで行ってみて引き返そうと楽観していました。

 ですが、車を進めるうちにそうでは無いのではないか、そんな予感が沸き上がりました。さして寒い時期では無いのに肌寒く、周囲には靄がかかり、あまり遠くを見通せない。

 そして、『誰か』に向こうから呼ばれたそうです。

 これはまずいと気づき、両親は急いでその場を離れ、何とか無事に我が家へ帰りました。



 ……たいしてすごい話ではありません。ただ「行って、危険を感じ、帰ってきた」それだけの話。だから我が子とのちょっとした話の種とするのなら丁度良いと、そう思ったのでしょう。

 これだけなら、私も「そんなことがあったのか」とその奇妙な体験の話を楽しめたのでしょう。いや、事実として私はその話を楽しんでいました。


 ですが、その日から私は、暗闇や影の中に何かを感じるようになりました。正確にはそのことを『思い出した』でしょうか。


 町の路地の暗がりから、


 車の下にできた影の中から、


 電気を消した部屋の四方八方から、


 誰かが私を見ているのです。「おいで、おいで」と、手招きをしているのです。


 恐怖症の様になるのに、そう時間はかかりませんでした。でも、御祓いに行けば良いのか、精神科にかかれば良いのか、それが分かりませんでした。

 結局、お祓いに行くことを選んだのは、精神科に行ったとて恐怖症に陥った理由を話すのが恥ずかしいという、子供のような消去法の結果でした。

 インターネットを使ってお祓いをしてくれそうな神社を探し、日取りを決める。結局どっちを選んでも恐怖症の理由は説明しないといけないということに気づいたのはそのときで、それだけ余裕が無かったのかと思い知りました。

 やって来たお祓いの日、その神社は歩きで行ける距離にはなく、電車を乗り継いでいくことにしました。その日は午後から雨の予報で、雲の向こうから降り注ぐ日差しは弱く、影があまり濃くならないのが恵みのように感じました。

 きっと、一目見てわかるほどに私は憔悴しきっていたのでしょう。神社の神主さんは、優しく「きっと、よくなるはずです」と励ましてくださり、その言葉を聞けただけでも勇気を出して来て良かったと思えました。


 かくしてお祓いが始まり、それと同時に雨が降り始めました。

 きっと大丈夫、きっと大丈夫と、自分に言い聞かせ、目をつぶって待っていました。



 視線を、感じました。何か、激しい怒りに満ちているような、そんな視線を。


 その時、ふと思い出したのです。私にはある友人がいたことを。

 その子は不思議な子でした。近所の神社の方からやって来ては、私以外の子供たちと遊ぶこと無く、ただ私との友情だけをはぐくんでいました。

 昔、その子と約束したのです、「いつまでも仲よく遊ぼう」と。


 ゆーびきーりげんまん うそついたらはりせんぼんのーます


 そう歌って二人で約束してからは毎日のように遊んでいました。

 しかし、時が経つにつれてだんだんとその子が疎ましく、そう、その子が疎ましく感じるようになった私は、ある日約束をすっぽかしてしまったのです。

 一日くらい良いだろう。と、そう自分勝手に考えての事でした。それでも夕方を過ぎるころには悪い事をしてしまったと思いなおし、明日謝ろうと心に決めていました。

 ですが、その日からその子は姿を見せなくなりました。


 ……なぜ今まで忘れていたのでしょう? なぜ今になって思い出したのでしょう?


 なぜ、あの子は今になって姿を見せたのでしょう?


 気づけば、お祓いは終わっていました。雨は土砂降りで、神主さんは「雨が落ち着くまでここにいても構わない」と言ってくださりましたが、私は帰ることにしました。

 早くこの場を離れなければ、そうしなければ取り返しのつかないことになると、そう虫が知らせていました。


 土砂降りの嵐の中を、びしょぬれになりながら駅にたどり着くと、電光掲示板には『運転見合わせ』と書かれていました。

 見渡してみれば、私と同じように足止めをくらった人たちがいます。近くのファミリーレストランにでも行って時間を潰そうか、と話しているのを聞いて、私もそれに倣うことにしました。


 もう、どこからも手招きはされませんでした。どこからも咎めるような視線はありませんでした。


 それでも、私は気が気ではありませんでした。


 雨が落ち着き、電車が走り始めるころには、とっくに夕方も半ばを過ぎていました。

 電車を乗り継ぎ、最寄りの駅で降りて、やっと帰ってきたという実感が湧いたところで、



『彼』がいることに気づきました。



 おいで、おいでと、手招きをしています。


 逆らってはいけません。



 咎めるようににらみつけています。


 逃げることは許されません。



 悪いのは、あなたです。


 悪かったのは、わたしです。



 もう、嘘はつきません。


―*―*―*―


 気づけば、病院のベッドに横たわっていました。右手に違和感を覚え見てみると、小指の第一関節から上が無くなっていました。

 お医者さんの話では、私が何か事故に巻き込まれたと言っていました。


 きっと、本当は違うのでしょう。

 あの子が昔教えてくれました。『ゆびきり』というのは、元々は指を切って渡すほどに強い意味のある約束なのだと。

 昔交わした約束を、先に破ったのは私でした。それを謝ることなく、他の誰かに頼んでなあなあにしようとした。それがあの子の怒りを買った。

 だから私の小指は切られたのでしょう。


 あの子は昔となにひとつ変わらず、昔のままに私と遊びました。


 きっと、関わるべきではなかった。


 きっと、私はいつかまたあの子を怒らせます。


 今度は何をされるのでしょうか、また指を切られるのでしょうか。握りこぶしで万回殴られるのでしょうか。それとも針を千本飲まされるのでしょうか。



 約束は、いつまで続くのでしょうか?

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