ナイショ話は5分だけ。

花 千世子

第1話 お弁当は自動販売機と一緒に。 

【私が言うのなんなんだけどね】

 人気の少ない廊下に、穏やかな女性の声が響く。

「なに? マザー」

 私は声のトーンを落として、自動販売機を見る。


 本当はこの廊下の突き当りの薄暗い場所には、ほとんど他の生徒は来ない。

 中学二年生の九月、つまり現在は確信している。

 ここは怖いくらいに静かで、本当に学校なのかと疑ってしまう。

 それでも、私は会話のボリュームをめいっぱい下げてしまうのだ。


小鞠こまり、あなたもそろそろ人間の友だちをつくったほうがいいと思うのよ】

 そう言ったのは、自動販売機だ。

 彼女の名前はマザー。

 半年ほど前に私が命名した。

 そんなマザーが私の、人間の心配をしている。

 私は少しだけ笑ってこう答えた。

「人間の友だちかあ……。いいよ、だって私にはマザーとか、キューちゃんとか、たくさん友だちがいるし」

【でも、それは全部、その、物であって人間ではないのでしょう?】

「別にかまわないよ」

【そう、小鞠がそれでいいなら私が口を出すところではないわね】

 マザーは少し寂しそうにそう答えた。

 私はスマホで時刻を確認してから言う。

「そろそろ五分経つね」

【あら、楽しい時間はあっという間ね】

 マザーはそう言って笑うと、ガコンと音がした。

 自動販売機の取り出し口にパックのカフェオレがあった。

 私はお金も入れていないし、ボタンにも触っていない。


【さあ、私の子どもを飲んで午後も元気に勉強してちょうだい】

「子どもって言うのやめてほしいんだけど。飲みにくくなる」

 私がそう言っても、マザーからの返事はない。

 いくら待っても、マザーの声は聞こえなかった。

 普通の自動販売機に戻ったのだ。

 廊下が再び静かになり、お昼休みで騒がしい教室の声がここまで聞こえてくる。

 私はマザーの取り出し口に手を入れ、カフェオレを手に取った。


「これに名前をつけたら……。赤ちゃんみたいに泣くだけなのかな」

 私は【ママ―、ママ―】と泣くカフェオレのパックを想像して、苦笑い。

 これに名前をつけるのはやめよう。

 パックのカフェオレを一気に飲み干し、ゴミ箱に捨てた。

 そろそろ教室に戻らなきゃ。

 でも、だるいなあ。

 そんなこと考えていると、ふと背後で気配がした。


 振り返れば、クラスメイトの明智啓二あけちけいじ君が立っている。

 スラリとした長身で整った顔立ちで頭が良い。

 ただ立っているだけなのに、やけに目立つ彼の横を通り過ぎようとしたその時。

「気になる」

 明智君がポツリと呟いた。

「えっ?」

 思わず聞き返して後悔する。


 そうだ、明智君はクラスの女子から残念イケメンと言われている。

 残念イケメン四天王のうちの一人、と。

 残念なのがあと三人もいるのかよ。

 そんなツッコミは置いておいて。

 彼が残念な理由は、それは――。


「今、自動販売機からカフェオレが落ちたのを見ただろう?」

 そう言った明智君の圧に負け、私は「え、はい」と答えてしまう。

「しかし、君は自動販売機に小銭は入れなかった。違うか?」

「え、はい、いや、あの、それは」

「僕はこの目で見ていたんだよ。君はあの自動販売機に小銭にはおろか触れてもいない」

 ずっと見てたのかよ……。

 じゃあ、私がマザーと喋っていたのもバッチリ聞かれていたのね。

「もうあの自動販売機が、小銭を入れていないにも関わらずカフェオレを出すのを見たのは、これで五日連続だ」

「え」

 今日だけじゃなくて、私のことずっと監視してたのか、こいつ。

 そんな言葉を飲み込んだのは、明智君の目がやけにギラギラとしていたからだ。

 怖い、怖すぎる。

 私は隙を見てその場から走り去った。


 クラスの明智君が残念イケメンだと言われる理由。

 それは、気になることは何でもかんでも事件に結びつけてしまうからだ。

 そして自分が事件だと思い込んだことは解決するまで、あきらめない。

 つまり、とてもしつこいのだ。

 告白してきてフッた女子よりも、事件を解決する過程でしつこして泣かせた女子のほうが多いという噂だ。

 そんな面倒な男子に関わりたくない。

 特に私のような、変わった能力を持ってしまった人間は特に。


 教室に戻る前に、私はトイレの洗面所で髪の毛を整える。

 好きな人に会う前はやっぱり、身だしなみはきちんとしなきゃね。

 どちらかと言えば、推しと言うほうが正しいのかもしれない。

 その人に寝癖がついている頭を見せたくなくて、こうして鏡で入念に己の顔をチェックしている。

 まあ、その人が私の顔までしっかり見ているかどうかはわからない。

 それでも、私は中途半端な長さの髪の毛をポニーテールにするほどには気合いが入っていた。

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