気持ちを外す
ある女性は27歳で結婚したもののなかなか子供を授からなかった。
彼女の夫は一人息子。
結婚するときに二人は夫の両親から敷地内に立派な家を建ててもらった。
彼女は結婚前、自分は彼と彼の両親に大事にされていると感激した。
ところが結婚して数ヶ月も立たないうちに、向こうの親が全額出すと言っても断るべきだったのかもしれないと後悔した。
同じ敷地内にいるので、毎日どんなことをしているのか監視されている生活。
お金を出してもらっているので何も文句を言えない。
姑が水道のメーターをチェックして使い過ぎではないかと指摘されたときは、姑がケチなだけで彼女は世間の平均よりは使っていないのでカチンときたと言う。
結婚を機に専業主婦になったが、姑に見張られているような生活に嫌気がさした彼女はパートを始めた。
近場のお店でパートをすると姑が見にきそうなので、車の運転ができない姑がチェックに来れない少し遠めの職場にした。
たまに仕事と嘘をついて出かける口実ができた。
彼女は姑が嫌いということがきっかけで仕事を始めたが、次第に仕事に夢中になった。
自分に愛情がないわけではないと思うが、母親には口で勝てないと思っているのか全力で自分を守ってくれない夫の態度にも腹が立った。
彼女と姑の醸し出す家の雰囲気が重かったのか、姑のことで小言を言う彼女の愚痴が聞きたくなくて夫は次第に外で飲む回数が増えていった。
30歳を過ぎると「子供はまだ?」と言う姑にうんざり。
でも「あなたの息子が飲んでばっかりであんまり私を抱かないからですよ」とは言えない。
夫とはパートナーではなく同居人のような生活になった。
夫は一人息子。
どうしても孫の顔を見たい姑は金を出してやるから不妊治療をしろと言うので仕方なく行った。
夫は精液を出さねばならないが、クリニックにあったAVが古いやつばっかで萎えたと文句を言った。
でもそれを聞いた彼女は「あなたは出せばいいだけだからいいじゃない。私は痛い思いをしているのよ」と喧嘩になった。
何度治療してもなかなかできない。
そのことで金を出している姑が愚痴を言う。
彼女だって子供がほしくないわけじゃない。
でも、不妊治療をしたいから金を出せと彼女が望んだわけではない。
私はあなたの召使いじゃないのよ、と姑に言いたくなる。
もうこんな生活イヤだ……
離婚したい……
彼女は思い詰めていた。
でも真面目な彼女はそこまで思い切ったことはできなかった。
40歳になったとき彼女の夫は言った。
「もう不妊治療はやめよう。これから二人の人生を楽しもうよ」と。
彼女は夫の言葉に涙が出た。
いつも姑の言いなりで私のことは二の次なんじゃないかしら?
そんなふうに夫の愛情を長年疑っていた。
彼は将来子供が生まれたら教育費にしようと思い貯めていたお金で職場の近くにマンションを買おうと言った。
彼はこれまで実家の親に気をつかって片道1時間以上かけて会社に通勤していたのだ。
彼は「空き家になる家は人に貸して老後の資金にでもしてくれ」と親に言い、二人でマンションの見学に行った。
彼女は夫とマンションをいくつか見て回り、新婚時代のワクワクした気持ちを思い出した。
何よりも夫の気持ちが嬉しかった。
もう子供はいらないから2LDKで子犬を飼えるペットOKのマンションにした。
2つある部屋の一つは夫婦の寝室、もう一つは夫の書斎。
マンションの近くには買い物に便利なカフェやオシャレなお店がたくさんある。
彼女の心は軽やかになった。
会社の近くに引っ越した夫は早く帰ってくるようになった。
夫は姑の愚痴を言わなくなった彼女に満足だった。
口うるさい姑が夫婦の仲を悪くして子供ができにくい要因を作っていたことに姑自身は気付いていなかった。
タチの悪いことに姑は息子夫婦のためだと良かれと思って何でも発言していたのだ。
二人は新婚時代を取り戻すかのように楽しい時間を過ごした。
ある日、彼女は夫に「そう言えば最近、コーヒー飲まなくなったね?」と言われた。
「最近、味覚が変わったのかも」と彼女は言った。
その話を友人にしたら「それ、もしかしたら妊娠じゃない?」と言われた。
彼女はふと最後に生理がきたのはいつだろう……と思った。
彼女はもともと生理不順の傾向があり、決まった周期で生理がこない傾向があった。
それもあってなかなか妊娠しないのは夫のせいではなく彼女のせいだと思われ、辛い思いをずっとしていたのだが……
そういえばこの4~5ヵ月生理がない気がする……
でも彼女はいよいよ閉経目前か……と思っていた。
友人に言われて恐る恐る妊娠検査器を買ってみた。
チェックしてみると妊娠の陽性反応が出ている。
夢なのではないかと思い、目を擦ってもう一度見る。
やっぱり陽性反応だ!
彼女は嬉しくてその尿をかけたチェッカーを衛生面を考えるとすぐに捨てたほうがいいのかもしれないが捨てきれず、大事にウェットティッシュで拭いて袋に入れて保管した。
すぐに翌日産婦人科に行った。
夫には知らせなかった。
子供が欲しかったのは夫も同じ。
でももし間違いだったら……
夫をガッカリはさせたくない。
彼女は妊娠したかもしれないと言いたいのを1日我慢した。
産婦人科に行くと「妊娠5ヵ月ですよ。なんで今まで来なかったんですか?」と言われた。
彼女は先生に今まで定期健診にこなかったことをガミガミ怒られているのに、嬉しくて嬉しくて涙が止まらなかった。
自然妊娠だった。
診察が終わったあと夫にメールした。
仕事中だというのにすぐに夫から電話がかかってきた。
帰宅すると夫も泣いて喜び、すぐに産婦人科に分娩予約を入れ、互いの両親に報告した。
彼の親は孫の教育費は出すから気にするなと、まだ生まれてもないのに言った。
夫は「2LDKのマンションを買ってしまった。どうしよう? 俺の書斎を子供部屋にしようか!」と言った。
彼女は夫が凝りに凝って作り上げた書斎を自ら手放してもいいと言ったのにとても驚いた。
最初から3LDKにしなかったのはミステイクだという夫に彼女は言った。
「でも私、2LDKだったからこそ赤ちゃんができた気がする」と。
彼女は夫の愛情が嬉しかったのだ。
40歳の誕生日に「もう不妊治療はやめてこれからの人生を二人で楽しもう」と夫は言った。
彼女は、夫が子供はできなくても彼女を愛してくれているのだと分かった、その夫の言葉に込められた気持ちに心から満たされたのだ。
彼女のお腹にいるのは、夫婦の愛情の再確認から生まれた赤ちゃんなのかもしれない。
そして孫の顔が見たいと誰よりも思っているお姑さんのプレッシャーがかえって二人の足を引っ張り、望む結果が得られにくいという問題点も感じた。
孫がほしいお姑さんの立場の人が子供たち夫婦にしてあげると良いこと、それは何も言わずに暖かく二人を見守ることなのかもしれない。
でもこの「余計なことを言わない」ということが子供がほしい親世代にとっては最も難しいことなのかもしれないと、彼女の話を聞いて思った。
彼女は「『何が何でも子供をつくらないと』というこだわりから解放されたときに赤ちゃんはできたの」と言い切った。
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