「文弱」のための法律論&立法論 ~ 学校教育の場での悲劇をこれ以上繰り返さないために。
十夜永ソフィア零
序 繰り返されるいじめ報道を前に
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僕が文学表現を志すようになった時には、はっきりと記憶がある。
二十歳の成人式の時である。
成人式で再び顔を合わせた、小学校の同級生たち。
成人を迎え、晴れ着で笑い合う男女達。彼ら彼女らと同じく、僕にも彼らにひどくいじめられていたN+Kの記憶が、僕にもなかったと気づいたときである。子供は処理できない情況をどうやら意識の記憶の外に置くことができる。
普通の意味での立身出世のためには、そんな地元の成人式には出るべきではなかった。
小学校を卒業して、学区外の中学に進んでからの僕はなぜだか地元には残りたくない、といつも漠然に思っいた。高校に進み、親の世間体的には、地元の旧帝大以上の偏差値の大学でなければならないがためにと、必死こいて勉強して合格をした理系偏差値的には国内で上から数番目の大学。その中での序列にしがみついて、4年で卒業して、無難に就職して僕なりの萌えなり何なりに生きればよかった。
けれども、二十歳の時から僕はもう戻れなくなった。
彼ら彼女らは、当時の小学校にいじめに加担した記憶を既に忘れている(おそらくは淡い思い出のひとつ)。PTAも担任を変え正常化したと忘れている。報道も控えられた。僕にも最後の彼の記憶はない(いじめられた彼女の方が元気に生きていることは彼女自身から知らされた)。留年した大学は、その後困ったちゃんとして何とか卒業した。
親族にあきれられた海外放浪の後に転職を経て、いまでは外資で稼げてはいる。
けれども、ああした凄惨なイジメががあってはならないという思いは、頭に残っている。
令和を迎えた今も繰り返される、日本的あるいは東洋的な現象であるイジメに、『風葬の教室 』(山田詠美女史)的な文弱の内面の表現「のみ」では足りない。
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ということで、今回はラノベ脳を復員して、主に小中学校以降の父母兄姉に向け、いじめをはじめとする閉ざされた世界の問題(法的には、部分社会の法理界隈)に関する法学上の基本的な知識をここにメモしておきたい。社会人になって法学をかじった僕なりに、この問題にちょっとした貢献ができるように願いつつ。
深刻なイジメについて僕たちが知っておくべき法的タームは「未必の故意」、「個人の尊厳」を皮切りに、さほど多くはないと思っている。
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