第1話 教員の「未必の故意」と「認識ある過失」への応援コメント
始めにいじめを行った生徒からと思いきや、取り巻く環境の一つである先生からなのですね。読ませるテクニックとしていいと思います。
教員は、いじめを『知っていて』、『加担したか』、『放置したか』によって裁かれるのですね。
第三者によって常に監視出来ないでしょうから、証拠も意識的に潰して「知らなかった」または「解決されたと思っていた」と言えば、学校側もその発言を支援するでしょうし、難しそうですね。
最後に誤字報告を。
では、まずはは「認識ある過失」が
↑ここ
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
はい、少年法について、僕は不勉強なため
僕にできる範囲でということで、教員の方々の義務と責任について、
書かせていただきました。
若干ながら霞が関で法施行のガイドライン作りに携わったことあります。
霞が関の官僚は、新しい学校基本法が必要といった世論が盛り上がれば、
一気に動き出せると思っています。
誤字指摘、ありがとうございます。
訂正校正、大切ですね。
序 繰り返されるいじめ報道を前にへの応援コメント
こんにちは。
いじめを法から見るとは、興味深いアプローチですね。
そういった知識は明らかにないので、助かります。
勉強させていただきますね。
第1話 教員の「未必の故意」と「認識ある過失」への応援コメント
拝読しました。
テーマとして興味ある内容だったので期待を持って読ませて頂きましたが、表現が難解で、私の能天気頭脳には理解が追いつかないところでありました。
近所の小学生に言って聞かせて理解してもらうくらいのレベルにて、表現して頂きたかったなぁ…。
ってことを期待したいと思います。
では。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます。
わかりにくい表現となった一つの理由は、
僕が法律家としては素人だからですね。
普段から市民の皆さんに法的な事柄を話し慣れててる
法律家の方々がこうした話を書くには、やはり、適任なのかもしれません。
ただ、立法に向けた世論を喚起することは、
法律家よりも、『文弱』にこそできることなのかもとも思いました。
次章より、『文弱』の立場からもう少し書いてみます。