第174話「ケイン下水道を掃除する。」
下水道の入り口に来ると、ドブの臭いが漂ってくる。
「酷い匂いね」
女盗賊のキサラがしかめっ面で、ハンカチで鼻と口を押さえる。
「確かに慣れないね。それでも大事な仕事だから」
下水道の溝が詰って汚水がそこらじゅうに垂れ流されると不衛生状態となり、伝染病の原因にもなる。
それ故に、下水道はエルンの街を支えている重要な施設といえる。
下水道の溝にヘドロが溜まると詰まりの原因になるため、シャベルでそれを掻き出して取り除くのが今回の仕事である。
「下水道には始めてきましたが、これは強烈な匂いですね」
いろんな苦難を乗り越えてきたメガネの魔術師クルツも、今回はさすがに腰が引けている。
「アベル、私達は絶対に手伝わないからね!」
「二人は手出ししなくていい。これは男の修行だ、なあケインさん!」
張り切ってシャベルを振り回すアベルに、Aランクの剣士だというのに感心なことだなと、穏やかな微笑みを浮かべて声を掛ける。
「アベルくん。張り切りすぎても続かないから、ゆっくりやっていこう。このマスクを使うといいよ」
アベルに、マスクと手袋を手渡すケイン。
さすがにこれくらいの装備がないと臭くてやっていけない。
手伝わないといいながら、キサラもクルツも付いてくるのだなとケインは苦笑して、二人にもマスクを手渡す。
準備が終わったら後は、黙々とドブさらいの作業に打ち込むだけだ。
「くそ、この!」
アベルがめちゃくちゃにシャベルを振り回しているのに、ケインはすぐ気がつく。
張り切ってはいるのはいいが、やる気が空回りしているようだ。
アベルはエリート剣士だったから、下水道の掃除の依頼など受けたことがない。
もともと強い力の持ち主ではあるのでなんとかやれてはいるが、無駄な動きが多いと疲労が溜まってしまって続かない。
どうやら剣を振るうのとは調子が違うようで、かなり苦戦している。
「アベルくん。力任せにしちゃダメだよ。ドブさらいにはコツがあってね。腕だけじゃなく体全体を使うのと、無理に振り回さず柄を持つ位置を、こうやって調整すると楽にできるよ」
「なるほど。さすがケインさん。」
「この仕事を何度もやったことあるから、慣れているだけだよ」
「うむ、これは剣の極意にも通じるものがあるんだな」
「いや、剣とは全く関係ないと思うけど……」
「他にも何かアドバイスはないか」
そう言われてケインは考えてみるが、特には思いつかない。
コツが分かれば、あとは根気よく泥をすくっていくだけなのだ。
しかし、アベルがすごく期待した目で見ているので、仕方なくこう付け加えた。
「ドブさらいは大変な仕事だけど、それで街が綺麗になってみんなが助かると考えてみると、やりがいのある仕事じゃないかな」
単調な作業は人を疲弊させる。
でもそれが、誰かの役に立つと思っていたら案外続くものだ。
「街を綺麗にしてみんなを助けるか、なるほどわかった! やってみる!」
何をわかったのか、アベルは深く頷くと一心不乱に溝のヘドロを掻き出し始めた。
さっきのような力任せでなく、ちゃんとコツを掴みだしたようだ。
黙々と作業するその姿はどこか祈りにも似ている。
これなら大丈夫そうだと、ケインも作業に戻る。
しばし黙々と二人でヘドロを掻き出していたのだが、突然向こうの闇から「キキキッ!」とネズミの鳴き声がした。
「うわ!」
ただのネズミではない。
ジャイアントラットという立派なモンスターだ。
街の地下にある下水道は、瘴気が少しずつ溜まって小動物が魔獣化することがあるのだ。
これが、冒険者ギルドにドブさらいの依頼がくる理由でもある。
ケインに飛びかかろうとしていたジャイアントラットが、首から血を吹き出して倒れた。
「この程度のモンスターなら俺に任せてくれ」
なんとアベルは、剣ではなくドブさらい用のシャベルでジャイアントラットの首を落としたのだ。
さすがはAランク剣士である。
「頼もしいね。本当に助かるよ」
ケイン一人ならさすがに倒せないということはないが、かなり苦戦していただろう。
アベルたちが付いてきてくれてよかったと感謝する。
「なに、俺の方こそ貴重な勉強させてもらっている」
ドブさらいに何を見出したのか、アベルは熱心にドブさらいをやっている。
さすがは英雄を自称する男。ドブさらいのコツを短時間でマスターしたらしい。
アベルのおかげでかなり作業がはかどって、この分なら今日中にドブさらいが終わりそうだとケインが思ったその時だった。
「アベル、ケインさん。二人とも下がって!」
体力的にドブさらいを手伝うのは無理なので、せめて警戒くらいはと念のために探知の魔法を使っていた魔術師のクルツが声を上げる。
「どうした!」
「強力なモンスターの反応ですよ。なんで僕はこう悪い予感ばかり当たるんでしょう!」
「モンスターなど、俺とケインさんがいれば」
「いや、敵はアンデッドです!」
言うよりも早く、向こうの暗闇から不気味な霊体が群れをなしてやってくる。
「クッ、なんでこんなところに高レベルの
「おそらくですが、魔王襲来の時の瘴気が吹き溜まりになっていたのではないでしょうか」
「二人とも、悠長にそんなこと言ってる場合じゃないわよ。早く逃げなきゃ! いやー!」
物理攻撃が効かない
対アンデッド用の神聖な武器を使うか、教会の高位司祭でもなければ浄化はできない。
死ぬことはないのだが、取り憑かれると死ぬほど気持ち悪くなるので、キサラは大嫌いな敵だった。
「うわ!」
「ケインさん、危な……えっ?」
ケインがへっぴり腰で振るったシャベルが、普通にゴーストを切っている!?
邪悪な瘴気に反応したのか、ケインのシャベルは白銀色に光り輝き、辺りのゴーストを一掃してしまった。
「さすがケインさん。しかし、これは一体。あーもう、こんなことなら文献を持ってくるんでした」
いつも大量の書物を持ち歩いている知恵袋のクルツだが、さすがに下水道は大事な書物が臭くなると思って置いてきてしまったのだ。
「いや、クルツ。調べるまでもない。『街を綺麗にして、みんなを助ける』というさっきのケインさんの言葉の意味を思い出せ」
何故かドヤ顔で、解説するアベル。
「そうか! ケインさんは善者ですから、この事態もあらかじめ予想していたということですか」
「よく気がついたな。善なる剣が、さまよえる魂を救うということなんだ!」
予知能力者じゃないんだから、そんなわけがあるはずない。
「いや、たぶんこれ聖女様がシャベルを浄化してくれたからだと思うんだけど……って二人とも聞いてないな」
ケインがそう言っても、相変わらず盛り上がっているアベルとクルツは聞いてない。
またこのパターンかと肩をすくめるしかない。
「ところでケインさん。
二人で勝手に盛り上がっている男どもと違って、女盗賊のキサラは現実的な事を言う。
キサラもこれで付き合いがいいからなんとか付いてきてるが、本音を言えば一刻も早く下水道をを出たいのだ。
「それもそうだね。強い瘴気が溜まっていると言うクルツくんの予想もあたってると思う。
ケインたちが一旦助けを呼びに行こうと引き返そうとした時、向こう側からアルテナがやってきた。
「ケインが、ここにいるってギルドで聞いてきたのよ」
「そうなんだ」
「お弁当作ってきたわよ」
なんと、こんな場所にお弁当を持ってきたのか。
ものすごいヘドロの匂いが充満しているのだが、アルテナはマスクも付けずに平気な顔をしている。
女神であるアルテナは、どうやらヘドロ程度では汚れないらしい。
「それはありがたいけど、いまそれどころじゃないんだよ」
どうやら下水道の奥が瘴気の吹き溜まりになっていて、そこにゴーストがたくさんいるのではないかとケインは説明した。
「浄化すればいいなら、これでいいかしら」
アルテナが手を振ると、虹色の光の帯がブワーっと地下道に広がって、下水道は一瞬にして浄化された。
「すごい、壁もピカピカ。ヘドロが全部なくなってる!」
キサラが喜んでマスクをとって深呼吸した。
女神アルテナの神力の強さに、今更ながら驚かされる。
「な、なあケインさん」
さっきまで薄汚れていたのが、ピカピカになっているアベルが情けなさそうな顔でケインに尋ねてくる。
もちろんケインたちも浄化されてピカピカだ。
「なんだい、アベルくん」
「アルテナさんが全部綺麗にできるなら、俺たちのさっき作業ってなんだったんだろう」
そう言われると、大変困ってしまうケインである。
「そうだね。えーと、うーん……きっと気持ちが大事なんだよ。俺たちが街を綺麗にしようって気持ちがあったから、アルテナも奇跡を起こせたんじゃないかな!」
手伝ってもらって無駄な作業だったねとはとても言えずに、ケインが苦しい言い訳をする。
「そうか。つまりあの作業こそが女神の奇跡を呼び込む祈りだったのか。全て合点がいった。そこまで考えられていたとは、今日は本当にいい勉強をさせてもらった!」
感激の面持ちで、アベルは握手を求めてくる。
「いや、こちらこそ助かったよ」
アベルは、なんでも一人でに納得してくれるから、いつも助かるなあと思うケインであった。
「ほら、お弁当を食べましょう。たくさん作ってきたから、みんなの分もあるわよ」
ケインの屋敷で主婦業を完璧にこなすエレナがいるから、家事ができずにアルテナはちょっと鬱憤がたまっていたのだ。
それが、お弁当を作ってケインのところに持っていこうというアルテナの行動を引き起こしたわけで、結果的に下水道が浄化されたのはエレナのおかげかもしれない。
「うわー美味しそう」
鍋にたっぷりと入って湯気を立てているのは、旬の山菜に猪肉がたっぷりと入った森のめぐみスープだ。
爽やかな山菜の香りが食欲をそそる。
「キサラは仕事してないだろ。これは俺とケインさんにだけ食べる権利があるんだぞ」
「なによ、私だってモンスター倒したし!」
「ほらほら、たくさんあるから喧嘩しないで」
「猪肉はたしか備蓄があったと思うけど、山菜はどうしたんだい?」
クコ山に入らないと手に入らない食材があって、わざわざ山まで取りに行ったのだろうかとケインは疑問に思う。
「うちの神殿にお供えされた山菜や木の実を、クコ村の人が持ってきてくれたよ」
「なるほど、そういうことか」
こう見えてアルテナは現人神なのだ。
そりゃお供え物ぐらい運ばれてくる。
今更ながら女神を嫁にしたというのは、途方もないことだなあと思うケインである。
「ほら見て、木の実を使ったパイも焼いてきたのよ。ケイン好きだったでしょ」
「うん、ありがとう。いただくよ」
疲れた身体に甘いパイの味が染み渡るようで、とても美味い。
そういえば、昔はこうやってアルテナと一緒に冒険をしたなあとしみじみと思い出す。
なんだかいろいろとあったが、下水道の掃除も無事に終わったので今日はこれでよしとするケインであった。
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