第168話「アルテナの復活」
精霊神ルルドたち神々ですら、主神オーディアが現れたことで瞑目して頭を下げている。
人間がその光り輝く御姿を見たら、あまりの極光に目が潰れてしまうのではないかとケインは怖れた。
ヒーホーの上から降り立つと、主神オーディアは言う。
「善者ケイン。私が神々を統べる、主神オーディアだ。顔を上げるがよい」
恐ろしいと思っても、主神オーディアの声に逆らうことはできない。
恐る恐る、ケインは顔をあげる。
ケインの目に映ったのは、意外にも優しそうな笑顔を浮かべた元の白髪の老人であった。
「あなたが、オーディア様……」
何も言わずとも精霊神ルルドと同じように、ケインたちに気を使ってその身をまとう神性を抑えているのだと伝わった。
そうでなければ、とても人間の目で見ることなど叶わぬ存在である。
その神慮に感謝して、ケインは今一度深く頭を下げる。
「ケインよ。悪神を浄化し、世界の危機を救ったこの度の働き、見事であった。その善行に報いんがため、そなたの願いである善神アルテナの現世への復活を果たす機会を与えよう」
「アルテナを復活させてもらえるんですか!」
二十年前に死んだ、幼馴染のアルテナが蘇る。
もう一度諦めていたことなのに、そう思うだけでケインは胸が熱くなり、目に涙が浮かぶ。
「精霊神ルルドからも、聖女セフィリアからも頼まれておったからからな。この度、お前は世界の危機すらも善意によって救った。その働きは、世の
「ありがとうございます!」
「だが、ケインよ。まだ礼を言うのは早い。私が与えるのは、あくまで蘇りの機会だけだ」
「なにか、まだ俺がしなければならないことがあるのでしょうか」
幼馴染のアルテナをこの手に取り戻せるなら、ケインはなんだってできると思った。
彼女を失って二十年の月日が経った。
とうに冷え切ったと思っていたケインの胸にも、まだ若い頃の熱がこんなにも残っていることに驚かされる。
今なら何だってできそうだ。
自らの胸に手を当てて、どんな試練でも成し遂げて見せるとケインは目を輝かせた。
そんなケインに、主神オーディアは笑いかける。
「お前が、ではないぞ」
「それは、どういう意味でしょう」
「うむ。ここには、善者ケインによって助けられた者が集まっておる。ケインによって助けられた皆が心よりアルテナの復活を望めば、願いはきっと成し遂げられよう」
その主神オーディアの言葉に、あたりがざわめく。
この場にいる誰もが、ケインの善行に感謝して、その願いの成就を望んでいるはずだ。
それなのに、まだアルテナの復活は起きていない。
一体誰が、それを
「アナ姫ェ……」
マヤの呆れた声が、群衆の後ろから響き渡る。
「ち、違うわよ! 私だけじゃないもん!」
「やっぱり、復活の奇跡が起きんのはアナ姫が原因やないか。語るに落ちるとはこのことや。あーもうなさけない。ケインさんには、散々世話になっとるやろ」
マヤが、アナ姫を手を引きずりながら神殿の前へとやってくる。
「だって……」
「だってもヘチマもあらへん! どうせ、ケインさんの幼馴染のアルテナが復活したら、恋敵になるとかつまらん理由で拒否っとるんやろ」
「つまらないってことはないでしょ! だって、ケインは私にプロポーズしてくれたし!」
そう聞いて、ケインはビックリした顔になる。
マヤは深くため息をつくと、ケインにアナ姫の思い込みを説明する。
「ケインさん。ディートリヒ閣下に『自分は王様に向いてないから|アナストレア殿下に女王様になって治めてくれないか《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》と頼もうと思ってたぐらいなんだ』て言ったやろ」
そんなこともあったと、ケインはうなずく。
「あれを、この子はプロポーズやと思い込んどるんや。アナ姫だけでなく、アウストリア王家も思い込みが激しい人ばっかりから、すっかりケインさんと婚約が成立した気やったで」
「ええ!」
「せっかく話が丸く収まっとったし、ツッコんでもややっこしいだけやと思ってうちは言わんかったけど、こうなったら問題やな」
いつの間にそんな話になってたのかとケインは驚くが、それ以上に驚いたのはプロポーズだと思いこんでいたアナ姫だった。
「あの言葉は、一国を共に治めようって意味じゃなかったの!?」
完全に勘違いをしているアナ姫に、都合のいいやつだなとマヤは呆れる。
「ケインさん。もうこの際やから、この子にハッキリと違うって言ったってくれんか!」
「その言葉に、そんな意味はなかったんだけどね」
そういうケインに、マヤは「ほらみろや!」と勝ち誇ったように叫び、アナ姫は「ふぇぇ!」と泣きそうな声を上げた。
「もうこの際や! ここまで来たら、全部ぶっちゃけた方がええやろ。だいたい、ケインさんの思わせぶりな態度もあかんのやで」
「えっ、俺?」
マヤにいきなり非難されて、ケインはビックリする。
「アナ姫がケインさんに好意を持っとるのは、誰見てもわかるやん。それを煮え切らん態度で、ずっとうやむやにしてきたから話がややっこしくなるんや」
「ま、マヤ。あんた、何を言うつもりなのよ!」
慌てたアナ姫がマヤを黙らせようと、力いっぱい首を絞める。
途端に顔を真っ青にするマヤ。
相手が、万能の魔女でなければ死んでるところだ。
神々の前ですらドタバタ騒ぎを引き起こす二人を、ケインとセフィリアが慌てて引き剥がす。
「ゲホッ、ゲホッ……アナ姫ェ! 力づくで黙らせようとしたって、今回ばかりはそうはいかへんで! もうここまで来たら諦めてさっさと失恋せえや!」
「なんで、私が失恋する前提なのよ!」
「ケインさんに断られるのが怖いから、直接好きやって言い切らんのやろ、うちはアナ姫の考えなんか全部わかってるんや。もういい加減に観念せえや!」
また取っ組み合いを始めようとする神速の剣姫アナストレアと、万能の魔女マヤ。
このままでは、埒が明かない。
「二人とも、いい加減にして!」
そう叫んで二人を勢いよく両手で弾き飛ばしたのは、純真の聖女セフィリアであった。
「えっ!?」
「セフィリア……」
普段は無口で控えめなセフィリアが、大声で叫んで突き飛ばしてきたので、二人ともびっくりしてその場にしゃがみ込む。
「私だって、この際だから、二人に言いたかったことがあります!」
「ええぇ……」
「アナ姫に言いたいことがあるのはわかるけど、なんでうちもやねん。うちは悪くないやん」
そうぼやくマヤに、セフィリアは「この期に及んで、まだ自分の都合しか考えてないマヤも同罪です!」と叫ぶ。
そんな理不尽なとマヤは思うが、今のセフィリアの気迫には勝てない。
いつもは大人しいだけに、セフィリアが本気で切れると、アナ姫やマヤですら圧倒される凄みがある。
「アナ!」
「はい……」
「私は、ケイン様をお慕いしております!」
セフィリアは、いきなりケインに抱きついてそう叫んだ。
アナ姫が絶対に言えないことを、全員が集結しているこの場で、ケインに向かっても言い切って見せた。
「ありがとう……」
その年齢の割に大きすぎる胸を押し付けられながらの大胆な告白に、ケインはなんと返したら良いかわからず、咄嗟にそんなことを言ってしまう。
アナ姫は、ビックリして叫んだ。
「え、ええ! それってセフィリアの愛を受け入れるってこと!?」
「いや。それはちょっと、好意を持ってもらえるのは嬉しいけど、歳が離れすぎてるからね」
好きと言われればありがとうだが、まだ成人すらしてないセフィリアに慕われているとか言われても、ケインが受け入れられるわけもない。
セフィリアは、ケインに断られても気にせずアナ姫に向かっても叫ぶ。
「アナ!」
「は、はい……」
「見ましたか! ケイン様が私の愛を受け入れるかどうかなど、もはや関係ないのです!」
「いや、それ関係あるでしょ……」
「ないんです! 神々もどうかご照覧あれ! 本当に尊い愛とは、無償の愛なのです。私は聖女の誓約どおり、ケイン様に生涯お仕えするだけです。相手がどう思おうと、その聖なる愛は未来永劫消えることはありません」
「ええ……」
そう言い切ったセフィリアは、紺碧の瞳をキラキラと輝かせて、豊かな胸の前で手を合わせて祈りを捧げた。
純真無垢なセフィリアの愛は、立派だと思うのだが……。
それはそれで、なんかここまでくると怖いとアナ姫は思う。
ケインは苦笑いしているし、隣のマヤを見ると、完全にドン引きしていた。
セフィリアは、怖い勢いのままでアナ姫にも迫る。
「さあ、アナはどうするのです? ケイン様が、アルテナ様の復活を望んでいるのですよ。アナも、私も、ケイン様に助けられなかったらこの場にはいないでしょ。だから、今はアルテナ様の復活に協力しなさい!」
「そんなこと言われたって……ちょっと怖いから、あんまり擦り寄らないで1」
セフィリアの言葉が、理屈では正しいとわかっていても、気持ちがついていかない。
助けを求めるようにアナ姫が、当たりを見回すとエレナがやってきた。
「アナストレア殿下……」
「そうよエレナ! あんたはどう思ってるのよ!」
アナ姫は、エレナを見て救われたような顔をした。
この桃色の巻き髪の受付嬢も、自分と同じくケインに気があることを知っていたからだ。
エレナだって今更、ケインの幼馴染のアルテナを復活など、望むわけもない。
そう思っていたのに、エレナはこう言った。
「私も、聖女様が正しいと思います。ケインさんの願いを叶えてあげましょう」
「エレナ、どうしてよ……」
気に食わない相手ではあったけれど、この事に関しては同じ思いを持っていると思ったのに。
エレナは、辛そうに碧い瞳に涙を浮かべている。
ケインの想い人のアルテナの復活など、望んでいるわけがないのだ。
それでもエレナは涙を拭くと、健気にもケインに微笑んでこう言った。
「私だってケインさんに機会を見て、告白しようと思ってました」
「エレナさん……」
ケインがなんとも言い難い表情で、声をかけようとする。
「でも、私のことはいいんです。ケインさん、アルテナさんを蘇らせましょう!」
瞳に涙を光らせながら、そう明るく言うエレナにアナ姫は激高する。
「なんでよ、あんたはセフィリアみたいに、無償の愛でいいなんて殊勝な女じゃないでしょ!」
「そうですよ。私はすごく欲深い女です。せっかくケインさんが私のもとに帰ってきてくれたのに、なんでアルテナさんが蘇るんだって、今も理不尽に思ってますよ」
「だったら!」
「でも、私だってケインさんの気持ちが痛いほどわかるから。私だって、好きだった人がいなくなって悲しかった記憶があるから……」
そう言ってエレナは目を伏せた。
エレナは、かつて好きだった冒険者を失ったことがあるのだ。
「エレナ、だからって……」
「アナストレア殿下、あなたにはなかったんですか。大事な人を心から救いたいって思ったことが!」
その言葉に、神速の剣姫アナストレアは、雷に打たれたように身を震わせた。
ちょうどこの場所が始まりだった。
一年前のあの時、自分の失敗で仲間のセフィリアを失って、祈るような気持ちで『蘇生の実』を探し回って、アナストレアはケインに手を差し伸べられた。
地上最強の冒険者と呼ばれて、誰にも頼ることができなかったアナストレアは、あの時初めて誰かに助けてもらっても良いんだって、そう気づけた。
だから、自分を助けてくれたケインを、自分と並び立つ冒険者にしようって頑張って。
その夢だって、ついに叶ったのに……。
せっかくこれからだったのになあと、アナ姫はがっかりと肩を落として、深くため息をつく。
そうして、震える声でケインに尋ねる。
「ケインは、どうしてもアルテナを復活させたいのね」
ケインは、真剣な顔で真っ直ぐにアナ姫の紅い瞳を見つめて、「アルテナを、どうしても復活させたいんだ」と言った。
ほんの一瞬だけ目をそらすと、こらえた涙を袖でこすってごまかす。
そして、アナ姫は振り切るように笑ってみせた。
「わかったわ。じゃあ、私がケインのために、アルテナを蘇らせて来るから!」
そう宣言するアナ姫に、これまで人が成すことの一部始終を黙って眺めていた神々が、面白そうに話し合う。
「ほう。剣姫アナストレアは、己が役割を最初から悟っていたようですね」
「あの者こそ、世界を救うはずの勇者であったからな」
「人の子からあのような恐ろしく強き者が生まれるのも、また人の可能性か」
「一度、手合わせしてみたいものだ」
アルテナの神殿の前に立つ主神オーディアは、厳かに告げる。
「アナストレアよ。人の子でありながら我が力の一部をその腕に宿して生まれた、運命を覆す力を持つ者よ。そなたが望むならば、その力で黄泉よりアルテナを呼び戻すがよい」
主神オーディアの言葉に、どよめきがあがる。
剣姫アナストレアの人間離れした力は、神剣の力どころではなく主神オーディアと同等の神力だったのかと。
颯爽と赤い髪をなびかせて、軽やかに神殿へと向かおうとするアナ姫をケインが呼び止める。
「アナストレアさん!」
「なにケイン?」
「俺も、俺も行く!」
「そう、じゃあ一緒に行きましょう。デュランダーナ、私たちをアルテナの元へと導いて!」
アナストレアは、ケインと手をしっかりとつなぐ。
そして、もう片方の手で神剣
斬り裂かれた時空から黒い裂け目が現れて、そのままアナストレアとケインはそこに吸い込まれるようにして消えた。
その裂け目の向こう側、死者の待つ黄泉と呼ばれる異界で、二人にどのような冒険があったのかまでは伝えられていない。
ただ待っている人たちにとってその冒険は、ほんの一時でそれは終わった。
忽然と消えた神速の剣姫アナストレアと善者ケインは、人として蘇ったアルテナを連れて、神殿の中から戻ってきた。
これが、取るに足らないDランク冒険者であったケインの数奇なる冒険譚の終わりである。
そうして、善神アルテナが現世へと復活した新たな物語の始まりでもあった。
これよりのち神速の剣姫アナストレアは、主神オーディアの神力を持つ神姫アナストレアとも呼ばれるようになり、さらに怖れられるようにもなった。
そうして……。
「アルテナ!」
「ケイン!」
二十年の時を経て、善者ケインと善神アルテナはようやくめぐりあい。
そのまま離れることなく、いつまでも仲睦まじく幸せに暮らしたということであった。
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