第129話「皇太子のたくらみ」

 ドラゴニア帝国の北方、壮麗にして堅固なる帝都ケーニスブルグ。

 帝国軍の大統帥でもある皇太子ジークフリートは、自らに与えられた統帥府の玉座に腰掛けて、伝令の報告を聞いていた。


「殿下、手はず通りフランベルジュ傭兵団にケイン王国なる国を襲わせましたが、作戦は失敗しました」


 凶報である。

 ピクリと、ほんの一瞬片眉が動いたものの、この程度でジークフリートは動じない。


 皇太子たるもの、この程度で動揺するところを兵には見せられない。

 なにせ、ケイン王国とやらには剣姫アナストレアもいるという報告を受けている。


 剣姫がいない隙を狙って襲わせても、傭兵団ごときでは潰しきれないことは理解していた。

 失敗もやむなしである。


 ケインか、その仲間ぐらいは殺して戦力を削ってくれればそれで十分だ。


「そうか。それで、敵にどの程度の打撃を与えた? もちろん、それなりに損害は与えたのだろうな」

「損害は、その……」


 何か言いづらそうにつぶやく伝令に、「なんだ、早く言え」と再度促す。

 冷や汗をかいている伝令は、意を決したように言った。


「敵の損害は、皆無の模様!」


 ジークフリートが目をぎゅっとつむり、顔をうつむかせた。

 両手を組んだ腕が小刻みに震えている。


「……いま皆無と言ったか。余の聞き間違いではないのか?」

「そ、それだけではなく、捕らえられたフランベルジュ傭兵団は、逆に敵に雇われてケイン王国の警備をやっており、ヒィ!」


 怒りに震えるジークフリートは、玉座から立ち上がると伝令兵の首元を掴み上げた。


「貴様ッ! 何の成果も出さず、さらに余の帝国を裏切ったと申したかッ!」

「も、申し訳ございません。そのような報告でして、殿下お許しを!」


 伝令兵を吊るし上げようとするジークフリートを、側近中の側近である白髪の老将、ホルスト・グスタークがいさめた。


「若、伝令兵に罪はありませんぞ」


 幼い頃より傅役もりやくとして仕えているホルストに止められて、しかたなく伝令から手を離すジークフリート。

 さっさと行けとホルストが目配せするのを見て、伝令兵は頭を下げて慌てて退散した。


「クソッ! やはり傭兵など当てにならん。竜騎士団を使うべきだったのだ!」

「若、竜騎士団を使えば帝国の仕業と言っているようなものです。野盗に扮した傭兵団に襲わせたことすら、あまりに危険度の高い作戦だと申し上げておるではありませんか。ドワーフの国を敵に回すことになっては、勝てる戦いも勝てませんぞ」


 Dランク冒険者ケインの作った小さな国には、獣人やドワーフが多く住んでいるという。

 アウストリア王国にほぼ従属している獣人たちなどは物の数にも入らないが、高性能な武具を生産するドワーフを敵に回しては、兵站へいたんに多大なダメージがある。


 傭兵団ならばまだ預かり知らぬことだと言い逃れできなくもないが、竜騎士団を動かしてドワーフを襲えばドワーフの地下王国を完全に敵に回してしまう。


「そんなことは、爺に言われずともわかっている!」

「ならば、なぜです……何を焦っておいでなのですか」


 ここ最近の殿下は、らしくないのだ。

 幼き頃より英才を謳われ、内外で優れた実力を示し、勇敢さを司る軍神テイワズに神剣と神鎧しんがいを授けられて皇太子に選ばれたのがジークフリートという天才であった。


 それがここ半年、稚拙で性急な行動ばかりが目立つ。

 これでは、勇敢というより暴勇である。


 老将ホルストは、目前に迫った王国との戦争を前に、ジークフリートに泰然自若たいぜんじじゃくとしていてほしかった。

 だが、ホルストが傅役もりやくとして育てた皇太子は、暗い顔をしたままゾッとするような自虐的な笑みを浮かべた。


「……焦りもする。剣姫アナストレアは、あの男を慕ってケイン王国とやらへと走ったのだ」

「若、心配なさらずともアウストリア王家は剣姫を輿入れさせると約束しております」


「王国の約束などあてになるものか! あの気まぐれな剣姫の考えはもっとわからん。ともかく、あのケインという男をこのまま放置しておくことはできない。傭兵団でダメなら、余の手で確実に潰さねば……」


 なぜあのような凡庸そうな男にジークフリートがこだわるのか、ホルストにはわからない。


「部下に詳しく調べさせましたところ、冒険者ケインは神剣を与えられし善者などという評判の反面、実力はDランク冒険者にすぎないとのことです。最強の竜騎士にしてドラゴニア帝国の皇太子たる若が、お気にとめるような相手ではありません」


 本人に実力がないなら、警備の隙を見て暗殺を命じてもいい。

 大国の皇太子であるジークフリートが自ら手を下す必要がどこにあるのか。


「だからこそ捨て置けぬのだ! なぜ、そのような男に余が怯えねばならない。剣姫アナストレアならともかく、たかがDランク冒険者のケインになぜ軍神に選ばれし余と同じく神剣が与えられている、おかしいではないか。もはや許してはおけぬ!」

「若、どこに行かれるのですか!」


 側近の老将ホルストが呼び止めるが、制止も聞かずにジークフリートは統帥府を出て、自らの飛竜ワイバーンを駆ると北のドラゴン山へと向かった。

 そもそも、帝都ケーニスブルグは邪竜の巣窟であるドラゴン山から人類を守るため竜騎士団の本拠地として建てられた城郭じょうかく都市だった。


 半年前に、邪竜の洞穴に君臨していた邪竜王デーモンドラゴンロードが剣姫によって倒されてから、邪竜の数は減って平和になってきている。

 暴れまわっていたドラゴン山の邪竜デーモンドラゴンどもも、随分と大人しくなっている。


 帝国に外征する余力が出てきたのも、ドラゴン山から湧き出すモンスターとの戦闘を考えなくても良くなったという事情がある。

 ジークフリートは、聖女セフィリアによって封印されている邪竜の洞穴の入り口までくると――


「ええい!」


 裂帛の気合とともに、神剣青金の剣バルムンクを振るって封印の聖鎖せいさを断ち切った。


「なっ、何をなさいますか!」


 慌てて、止めようとするホルスト。


「どけ! 邪魔立てするなら、爺とて斬るぞ……」

「殿下、一体どうなされたのです! それだけはなりませぬ!」


 善き竜を駆り、悪しき竜を狩って人類を守るのが、祖先から引き継いだドラゴニア帝国の使命であった。

 その国の皇太子が、邪竜の洞穴の封印を解くなど偉大なる祖先に顔向けできる行為ではない。


 ここを通すぐらいなら、いっそ自分を殺してくれという覚悟でホルストは立ちはだかった。


「もう一年近くも前だ……」

「殿下?」


「剣姫アナストレアに余が負けたとき、父になんと言われたか爺は聞いてなかったか」

「陛下は、なんとおっしゃられたのですか」


「王国の姫などに負けた余はもういらぬと、神剣を取り上げて廃嫡はいちゃくするとまで言ったのだ」

「なんと……」


「余は情けなく、必死に父にすがったよ。アナストレアを嫁に迎え入れるからと、それで許してくれと。爺が期待をかけた余が、こんな男ですまぬ」


 そう自嘲するジークフリートの姿に、ホルストは胸を打たれたような気持ちがした。

 純粋に力だけを重んじるドラゴニア皇族の掟とはいえ、実の父に認められるために力を示し続けるしかないジークフリートを不憫ふびんに思う。


 だからといって、同情を示すのは力を求めるドラゴニア皇族には侮辱にしかならない。

 ホルストは力を込めて言う。


「誰がなんと言おうと、殿下こそが帝国最強の男です!」

「そのとおりだ! だから、あんな男に負けたままではおれんのだ!」


 ジークフリートは、ホルストを突き飛ばすようにして洞穴の中へを走っていく。


「殿下、お待ちを! それだけは、それだけは!」


 すぐに追いかけるホルスト。

 邪竜の洞穴の封印を解いて一体何をするつもりなのか、不安しかない。


 だが老齢のホルストの足では追いつくことができずに、洞穴の奥にたどり着いたときにはジークフリートが邪竜王デーモンドラゴンロードの間にかけられた、最後の封印まで解いてしまったところだった。


「フッフッフ……」


 ジークフリートは不敵に笑っている。


「殿下……」


 魔法の灯りが照らす薄暗い洞穴の奥で、ジークフリートは禍々しい首飾りを自らの首にかけているところだった。

 邪竜デーモンドラゴンの首飾りと呼ばれるそれは、呪われたアイテムである。


「爺よ、知っているか。これを身につければ、ドラゴン山の邪竜全てを意のままに操ることができるそうだ。そうして、かの邪竜王デーモンドラゴンロードは長らく帝国と互角に戦った。他にも、役に立ちそうなアイテムがたくさんあるではないか」

「殿下、いけません! そんなことをすれば邪神の呪いを受けますぞ!」


 ジークフリートは、邪竜王デーモンドラゴンロードが残した禍々しい装飾を、身につけていく。

 みんな危険だからという理由で、封じられたアイテムばかりだ。


「呪いだと? それで力が得られるならば望むところだ。力を得るためなら、余はなんだってする。今度こそ余が最強であることを示して、父上にお認めいただくのだ!」


 呪われた装飾をその身につけたジークフリートは、洞穴の入り口へと戻っていく。

 その壮絶な姿を、ホルストは追うことしかできなかった。


 そうして、洞穴の入り口まで戻ると、ホルストは恐ろしい光景に「ハッ!」と息を呑んだ。


 何処かへと消え去っていたはずの邪竜デーモンドラゴンたちが、ジークフリートを待ちわびるように不気味な咆哮ほうこうを上げながら、大量に群れをなしてひしめき合っていたのだ。

 もし、これがそのまま帝都へとなだれ込んだら国が滅びる。


「爺、心配するな。この邪竜どもは、完全に余の支配下に入っている」

「殿下、こんな恐ろしいことを……」


 ジークフリートは、何かに魅入られたように笑っている。

 その笑いが、幼き日の殿下のはつらつとした笑い声を思わせて、ホルストに涙を流させる。


「ハハハハッ、見ろ爺! 無数の邪竜の中には大邪竜グレーターデーモンドラゴンが何体もいるぞ。余は賭けに勝った、軍神の加護を保持しながら邪竜の力も得たのだ。これだけの戦力があれば、もう竜騎士団すらいらない。余はついに最強の力を得たのだ!」


 禍々しき装飾に身を包み、貝紫色のマントを翻すジークフリートの姿は、輝ける皇太子というよりもはや魔王にすら見えた。

 そのとき、ジークフリートの呼びかけるように、一際おぞましい咆哮ほうこうがあがった。


「あれは、王邪竜アークデーモンドラゴン!」


 二百年前に帝国を滅ぼしかけたと伝わる王邪竜アークデーモンドラゴンが、復活してしまった。


「ハハハッ、爺よ、喜べ! 帝国の統治者たる余の呼びかけに応えて、邪竜の支配者アークが生まれたのだ。コイツラを使えば、帝国の仕業とバレずに善者ケインを踏み潰すこともたやすい!」


 これほどのことをして、一体どれほどの呪いを受けることになるだろうか。

 震えるホルストは、その場に膝をついて手を合わせた。


「偉大なる軍神テイワズよ。我が身はどうなっても構いません。どうか、殿下を邪神の呪いよりお守りください……」


 軍神テイワズの神聖なる力が、まだジークフリートを守っていることだけが救いだ。

 ホルストは自らの愛した皇太子の無事を、ただ一心に神に祈るしかなかったのだった。

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