第110話「精霊神ルルド」
シスターシルヴィアは、小舟を湖に下ろしながらケインに語る。
「前にも話したけど精霊神ルルド様は、あの湖の真ん中の大きな
「そう言ってましたね」
「ケインは、善神になったアルテナを現世に復活させたいのでしょう?」
ケインの心を見透かすように、神秘的な銀色の瞳で見つめるシルヴィアにケインは少し迷って、それでも頷く。
「……それが、叶うことなら」
やはり、母代わりだったシルヴィアに隠し事はできない。
人間だった頃のアルテナを墓地に埋葬したのは、他ならぬシルヴィアとケインなのだ。
その後に、アルテナの魂はケインを守護する善神となった。
アルテナの肉体は、二十年も前に主神オーディアの御下に送られて今はもうない。
ケインたちは、アンデッドと戦ったばかりだ。
一度死んだ人間の復活を願うのが、いかに不自然なことであるかケインにもわかっている。
善神としてのアルテナに見守られて、優しい人たちに囲まれている今の生活に不満はない。
それでも、その隣にアルテナも一緒に居てくれたらと、時折思ってしまう。
「私たちハイエルフは皆、ルルド様の子孫。つまり、神様なのに私たちと現世で子をなしているということになるわ」
「もしかしたら、神様になったアルテナを、現世に復活させる方法があるかもしれないと?」
シルヴィアは頷く。
「だから私は、あなたにここに来てほしかったのよ。たとえ復活が叶わなくても、ルルド様ならば何かいい方法を知ってるかもしれないわ」
ケインとシルヴィアは、聖水の湖を小舟で渡り、湖の中央の大きな精霊樹にたどり着く。
まるで階段のようになっている大樹の木の幹を登っていって、やがて入り口へとたどり着いた。
「この中よ」
大樹の内側は、まるで神殿のようになっていてそこかしこが光り輝いていた。
「……眩しい」
ケインが思わずそうつぶやくと、「ああそうか、すまない。自分だとわからなくて」と澄んだ声が返ってくる。
途端に光が弱まり、樹木の椅子に座っている精霊神ルルドの姿が見える。
透き通った身体は、善神アルテナにも似ている。
光が弱まっても、その美しさにまだ目がくらむよう思いがした。
この世の美を集めたような御姿で、まったく肉感的な感じもないので、女性であるのか男性であるのかもわからない。
これが、神性の光なのであろうか。
シルヴィアやローリエたちにも仄かにあるハイエルフの身にまとうキラキラとした輝きが、百倍ぐらいハッキリと見える感じだ。
昔のケインなら、驚いて腰を抜かしただろうが、最近はこういう展開にも慣れてきた。
「こちらにいらっしゃい」
そう誘うルルド様の声に従って進み出ると、ケインは御前にひざまずこうとする。
「いや、そこの椅子に座って、どうか気楽にしてくれ。我が血に繋がりし善き者ケインと、我が娘シルヴィアよ。よくぞ、迷える我が森の子らを救ってくれた。改めて礼を言おう」
シルヴィアとケインに椅子を勧めて、なんと精霊樹の実を絞ったジュースまで出してくれる。
なんとも気さくな神様だった。
早速、シルヴィアが口火を切る。
「ルルド様、ケインの望みは善神アルテナの現世への復活です」
精霊神ルルドは、頷く。
「もちろん、君たちの
「それでしたら……」
シルヴィアの言葉を手で遮る。
「だが、一度失われた肉体の復活は我にも無理なのだ。我も、こうしてそなたらの前に立っているが、肉体があるわけではない」
そういえば精霊神ルルドは、先程より飲み物に手を付けていない。
やはり、無理な望みであっただろうか。
「主神オーディア様であれば、できるかも知れないがね」
「でも、ルルド様は我らの先祖とその……」
「うん、それはね。現世に肉体を持たぬ我だから、古のエルフの身体を借りて降臨したのだよ。そなたらが生まれる遥か昔のその昔、仲良くなった古のエルフと肉体を共有して……」
精霊神ルルドは、古のエルフと共に暮らすうちに、恋をしたのだ。
そうして、やがて子をなした。
人間のケインには永遠に思えるエルフの長い寿命も、神であるルルドからすれば短いもの。
自らが愛した古のエルフが亡くなってしまった後に、ルルドはこの『常春の聖地』をその末裔であるハイエルフの楽園として守り続けた。
そうして、やがて豊かな聖地の周りは
ルルドは、自らの子孫であるハイエルフとともに、森に住まうエルフの民をずっと見守ってきた。
その長い長い物語を聞いて、ケインは改めて精霊神ルルドにお礼を言う。
「お話いただきありがとうございました。なんだか、少し気が楽になりました」
エルフが生きる千年が、ほんの瞬きにすら過ぎないような
もういいおっさんであるケインの寿命は、あと二十年だろうか三十年だろうか。
いずれは、アルテナの居るところにも行ける。
それをゆっくりと待てばいいという気持ちになった。
「うむ、それで。肉体の復活は無理としても、我と一緒の方法でなら共にあることは可能ではないかと思うのだ」
「それはどういう……」
ケインが言い終わらぬうちに、シルヴィアの姿が善神アルテナへと変わった。
「あれ? ここ、どこなの? あれケイン……」
「アルテナ、どうしてここに」
「いきなり呼ばれて、久しぶりにケインと会えたのはいいけど、なんなのここ……」
精霊樹の神殿の中でキョロキョロしているアルテナを、精霊神ルルドは微笑んで見ている。
「アルテナ。その、なんといったらいいか……」
「あー! えー!? 私、もしかしてお母さんの中に入っちゃってるの?」
壁にかかっていた大きな鏡をよーく瞳をこらして見るうちに、正体を見破ったアルテナ。
自分の顔をアルテナがペタペタ触るうちに、その姿はまたシルヴィアへと戻っていく。
「あらアルテナ。まだ、私をお母さんと言ってくれるのね」
またシルヴィアの姿が、目まぐるしくアルテナへと変わる。
「そりゃシルヴィアさんは、私たちのお母さんだもん」
「うふふ……神に仕えるシスターなのに、神様になった娘にお母さんって呼ばれてしまって、もうこれは笑うしかないわね」
精霊神ルルドは、その滑稽な会話を見ていてプッと吹き出した。
古のエルフに降臨して、恋をして子供まで作ってしまう神様だけあって、人間らしいところがあるようだ。
そして、笑いをこらえるように言う。
「どうだケイン、これが我のできる限りのことだ。これならば、問題は解決しないか?」
「えっと、その……」
そう言われても、ケインはなんと言ったらいいか困ってしまう。
アルテナを降臨させられるのが、聖女セフィリアだけではなく、シスターシルヴィアにもできるようになったというわけか。
シルヴィアは大喜びであった。
「ルルド様、これで問題解決です。ありがとうございます!」
その姿が、アルテナに戻って怒る。
「問題大ありですよ! シルヴィアさんは、一体何を考えてるんですか!」
「何って、私の身体ならいいじゃない。私もケインは好きだから、前々から考えてはいたのよ」
「シルヴィアさんは、シスターでしょ!」
「それは、
「したいって、どういう意味ですか!」
「あーら、うふふ。私にそれを言わせたいのかしら」
コロコロ変わる二人の会話に、精霊神ルルドは、ブホッと吹き出している。
この人……じゃない神様は、面白がってやってるなと、ケインはようやく気がついた。
シルヴィアの遠い先祖だけあって、おちゃめな性格らしい。
「私、シルヴィアさんの身体で……その、こ、子作りとかするつもりは全く無いですよ!」
「あーら、そんなこと一言も言ってないのに、アルテナったら大胆」
「だって、これ完全にそういう流れでしょ! さっきからシルヴィアさんの身体から出ようとしてるのに、出れないんですけど!」
「これ、私サイドでもコントロールできるみたいよ」
「私も一応神様なんですけど! なんで? 降臨させたルルド様のほうが神格が高いから?」
「うふふ、どうしてでしょう。私が、神の母になる運命だったからかしらねぇ」
問題解決どころか、問題が増えているだけだった。
「それで、そなたはどうするつもりだ」
精霊神ルルドが、ケインに話を振ってくる。
その話題に入れないでほしかった。
「えっと……」
「ケイン、血迷ったらダメよ。私に見えても、この身体はシルヴィアさんなんだから!」
そう言いながら、アルテナはローブを脱いでケインに抱きついてくる。
「うわ、まずいよアルテナ!」
「違う! やってるの、私じゃないから! シルヴィアさん、からかうのもいい加減にしてください! 洒落になってないですよ!」
どうやら、身体をシルヴィアにコントロールされているらしい。
ケインに下着姿で抱きついていたアルテナが、シルヴィアの身体に戻る。
もちろん、下着姿のままだ。
なんともこれは……。
「あら、冗談のつもりはないんだけど。わりといい解決法じゃないかしら」
「いや、シルヴィアさん。俺も、それはマズいと思いますよ」
血がつながってないと言ってもケインにとって、シルヴィアは優しい母親なのだ。
シルヴィアが下着姿で抱きついてるのは、もうなんか、なんといっていいかわからないけどマズい。
「あら、ケインは私のことが嫌いなの?」
「嫌いではないですけど……」
むしろ母親的な意味では、最愛と言ってもいい。
「じゃあ、いいじゃない。これもルルド様のお導きですもの。私もあなたもいいのだから、何の問題ないでしょ?」
そうシルヴィアが言ったら、またアルテナの姿に戻った。
「ダメよ、ケイン! シルヴィアさんは私にとってもお母さんなんだから、これは色んな意味でマズすぎるわ! シルヴィアさんの身体を借りて……とか、考えるだけで心が痛む!」
「わかってるよアルテナ」
ケインも、それは同意見だった。
正面から抱きついたままで、またシルヴィアへと戻る。
銀色の瞳で覗き込むようにケインを見上げると、シルヴィアは噛んで含めるように言った。
「ケイン、あなた次第よ。私のことが嫌いなら、ダメって言いなさい。アルテナも、私のことも好きならいいって答えなさい」
その姿が、アルテナに戻る。
「ケイン、ダメよ。こんな誘導尋問に引っかかったら、ちゃんとダメっていいなさい!」
いい、ダメ、いい、ダメ……。
こんな調子で、母親としてケインを育ててくれたシルヴィアと、姉のようにケインを守ってくれていたアルテナに交互に言われ続けて、ケインはもうほとほと困ってしまった。
「「ケインどうするの?」」
二人の姿と声が重なったところで、ケインは答える。
「保留で……」
喜んだのはシルヴィアだった。
「やったわ! やっぱりケインは、私のこと大好きだものね!」
「ケイン! なんでキッパリ断らないの!」
「いや……」
だって断るのもなんか怖いし、シルヴィアを嫌いなわけではないのだ。
この際なので、ずっと保留にしておけば角が立たないかなとケインは思う。
「アルテナ、じゃあこうしましょう。エルフの子供ができたら私の子供で、人間の子供ができたらアルテナの子供ってことで」
「シルヴィアさん、騙されませんよ。ハイエルフって、異種族の男が相手でもハイエルフかエルフの子供しか生まれなかったんですよね」
「なんだ聞いてたの」
「私は善神としてケインを見守ってるんだから、ちゃんと聞いてますよ……って、なんでいつの間にか子供作る前提になってるんですか。巧妙な誘導尋問やめてくださいよ!」
「あら、そんなつもりはなかったのだけど」
「シルヴィアさんって、昔からそうですよねー。いっつも自分の都合のいい方に話を持っていって……」
コロコロと交互に姿が変わって、二人の会話は続く。
話はやがてアルテナとケインがまだ教会の孤児院で過ごしていた頃の話となり、あんなこともあったこんなこともあったと、昔語りは尽きなかった。
そうだった、孤児院のお姉さん役だったアルテナと、イタズラばっかりしてどこか子供っぽいシスターシルヴィアは、こんな調子で仲良く喧嘩ばかりしていたのだ。
まるで二十年前のあの日が戻ってきたようだなと、二人の会話を聞いていてケインは懐かしんで少し涙ぐむ。
ちょっと困らされはしたけれど、これがルルド様のお礼だったのだなと、ケインはありがたく思う。
そして、その精霊神ルルドは、とりとめのない二人の会話を頬杖をついて眺めながら、小さな声でケインにささやく。
「我は、ハイエルフになら善神アルテナを降臨させられるから、そなたが望むならローリエのほうでもいいのだぞ」
それは、アルテナとシルヴィアにもちゃんと聞こえていたらしく、ケインが答える前に二人の声が重なった。
「「それだけは絶対ダメ!」」
なんだかんだで、肝心なところでは息の合う
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