第92話「常春の聖地」
エルフの女王ローリエに先導されたケイン一行は、森の都の奥『常春の聖地』へと入っていく。
「これは……」
小川から清らかな水が流れて、湖に注がれている。
巨大な森の真ん中に、こんな場所があるなんて。
ケインたちは思わず言葉を失う。
降り注ぐ日差しは、まるで初夏の陽気だった。
シャツ一枚でちょうどいいぐらいだ。
「もう暑いぐらいだね」
日差しは暖かすぎるぐらいだが、吹き抜ける風はカラッとして心地よく、澄んだ空気は爽やかだった。
「湖畔砂丘なんやろうけど、まるで夏のビーチみたいやな」
魔女マヤが口にした言葉を、ケインが聞き返す。
「ビーチ?」
「そうか、エルンの街から出たことないケインさんは海を知らんか。海で泳いで遊ぶリゾート地、海水浴場の砂浜がこんな感じなんや。うちは、
そう聞いて、ローリエが笑っていう。
「もちろん泳げる場所もありますよ。湖に流れ込んでるのは全部精霊神ルルド様が
「聖水? まさか、これ全部聖水なんか!?」
ダッダッダッとマヤが慌てて駆けていって、水を調べ始める。
「ほ、ほんまや。これ全部聖水や! しかも極上品やで!」
マヤが興奮してるのに、セフィリアが声をかける。
「……聖水なら、私も作れる、けど」
「聖女のセフィリアでも、一日に作れる量はごく少量やろ。自分で作れるからわからんのやろうけど、聖水は高値で売れるんやで。これは宝の山や!」
「そんなものが欲しいなら、いくらでも汲んで帰ったらいいですよ」
ローリエがそう言うと、マヤがヒャッホーと湖の聖水を無限収納の袋にガンガン汲み始めた。
「あの、ローリエさん。ここには、他のハイエルフはいないの?」
ケインは、湖の周りには家屋がたくさんあるのに、さっきから人の気配がしないのが気になっていた。
「え、いますよ」
「どこに……」
「そこに」
ローリエが指を差した先に、ほんとにたくさんのハイエルフがいたからびっくりする。
みんなローリエたちと同じように美しい銀髪のハイエルフだが、なぜか瞑目して辺りの樹の幹に身を絡めて座ったり、
中にはもう樹木にめり込んで、そのまま樹と一体化してる人もいる。
生きているのか、死んでいるのかもわからない。
聖地は清らかな水も木も、全てが神々しく輝いてるのに……いや、だからこそ。
美しくもゾッとする光景だった。
「この人達は、なにしてるの……」
「瞑想ですね。ハイエルフは、千年ぐらい生きるとああなっちゃうんですよ。精霊の木にひっついていれば、食事をする必要もありませんし」
「そうなんだ」
寿命が長いのも大変なんだなあと、ケインは思う。
年中暖かく美しい湖畔で、何不自由なく生きるハイエルフたち。
まるで楽園のような暮らしだが、良いことばかりではないようだ。
「まともに外に興味を持つエルフなんて、もう私とローリエぐらいだからね。無限に近い寿命があるからまだ生きてるだけで、もうハイエルフは滅びゆく種族なのよ」
姉のシルヴィアも、寂しそうに言った。
「アハハ、だから私がハイエルフの中で一番若いんですよー!」
それでも明るいローリエを見て、シルヴィアは呆れたように微笑む。
「それに、まだ滅びてないですよお姉様。私たちが、これからバンバン産んでハイエルフを増やせばいいでしょうー」
「それも、難しいかもしれないわね」
他種族の配偶者が相手でもハイエルフは産まれるが、そもそも子供ができにくいということもある。
「なんですか、みんな暗い顔して。こうやって、お姉様も新しいハイエルフの血を受け継ぐ子供をこしらえてくれたじゃないですか。こんな風に、どんどん増やせばいいですよ!」
ローリエにポンポンと、肩を叩かれるケイン。
そういえばと、ケインは思い出す。
孤児だったケインの出生の秘密。
ハイエルフの血を引くとは、一体どういう意味なのか。
「シルヴィアさん。それは、俺も気になります」
「ケインが聞きたいなら教えてあげてもいいけど、みんなの前で話してもいいの? なんだったら、あとで一人のときに話してもいいのよ」
「私も聞きたいです!」
はーいと手を上げたローリエが混ぜっ返してくるが、真剣な顔をしたシルヴィアはそれを無視してじっとケインを見つめる。
「いや、この場で教えてください。どういうことなのか、ハッキリさせておきたいから」
「……そう、じゃあ話すわね」
ゴクリと、息を呑む。
「ケインはまだそのとき赤ちゃんだったから、覚えてないでしょうけど」
「はい」
「私は赤ん坊のときのケインを、母乳で育てたのよ」
「……はぁ?」
何を言い出したこの人。
「だから、私が自分の乳をあげたから、精霊石がケインにも反応するのよ」
「いや、シルヴィアさんが俺を産んだって話じゃないんですか!?」
そう言われて、キョトンとするシルヴィア。
「え、私は子供なんて産んだことないけど」
「じゃあどうして、おっぱ……いや、母乳がでるんですか。おかしいじゃないですか!」
赤ん坊を産んでなければ、母乳が出るはずもない。
「あーなるほど、やっぱりそういうことですか。うんうん、そんなことだと思ってましたよー」
ローリエが納得したような顔で、何度も頷く。
「ローリエさんは、何か知ってるんですか?」
「ハイエルフは、母乳が出る精霊魔法が使えるんですよー」
聖水を汲むのに疲れたマヤが、ちゃっかりこっちの話にも首を突っ込んできて聞く。
「そんな珍しい魔法があるんか?」
どんなアホな魔法だと、辺りからは思わず失笑が漏れるが、まだ知られてない魔法の知識にマヤは興味津々だ。
「いや、みんな笑っちゃダメですよ。貰い乳ができるかどうかは、百年に一回ぐらいしか赤ん坊が生まれないハイエルフにとっては死活問題なんです! 聖地では乳が出る動物もいませんから、そういう魔法が必要だった時期もあったんですよ」
「そう聞けば、なるほどやな」
精霊魔法は、精霊神ルルドの加護だ。
ハイエルフのために、これだけの聖地を作ってくれた神様なのだから、そういう必要性があれば、できるようにもしてくれるだろう。
そう聞いても、納得いかないのがケインだ。
「いやでも、教会の孤児院で赤ん坊にミルクが必要なときは、ヤギのミルクで育ててるじゃないですか。なんで、シルヴィアさんが俺に授乳する必要があったんです!」
「だって、そのときヤギはまだ飼ってなかったし、ケインがどうしても欲しいって、私にせがむからしかたなく……」
そういって、頬を赤らめるシルヴィア。
「俺にそんな覚えないですよ!」
物心がつく前の話だからしょうがないのだが、赤ん坊の頃の自分は何をやってたのだと想像してしまうと恥ずかしくて、ケインはいたたまれない気持ちになる。
「あら、そう? ケインはかなり長いこと乳離れしなかったから、ほんとは覚えてるんじゃない?」
「それは、その……」
どうなんだろ。
子供の頃は、たしかに甘えん坊だったかもしれない。
辛うじて一緒にお風呂に入ったことは覚えているが、そんな昔のことは……。
いやいや、そんな話じゃなかったはずだ。
孤児だったケインの出生の秘密が明らかになる、ではなかったのか。
こんな話になるんなら、一人のときにこっそり聞けばよかった。
「あるじ、赤子が乳をもらうことは、恥ずかしいことではないぞ」
「そうよケイン。それは、赤ん坊の頃の話なんでしょ。だったらそれは、しょうがないわ!」
もういっそ笑い飛ばしてほしいのに、テトラとアナ姫が微妙なフォローをいれてくるから、余計にいたたまれない。
「母乳ってなに?」
ノワに至っては、話についていけず周りの人にそんなことを聞く始末だ。
それに、セフィリアがまともに答えてあげようとしているから、また笑いが溢れた。
「いや、笑いごとじゃありませんって! エルフにとって、乳は血も同じですから。ハイエルフであるお姉様の母乳を飲んで育ったんなら、ケイン様もハイエルフの仲間ってことになります」
ローリエが珍しく真剣な顔をして言う。
「ハイエルフだと、どうなるの?」
「ケイン様、その精霊石を握って、精霊神ルルド様に祈ってみてください!」
「えっと、どっちの方角に?」
「あの湖の真ん中に立ってる大きな
「こうかな……」
ケインは、いつも神様に祈っているように祈る。
すると、耳元で声が聞こえた。
『よく来たな、シルヴィアの子ケインよ……我は精霊神ルルドだ』
おお、声が聞こえた。
「は、はい……」
『そなたと善神となったアルテナのことは聞いている』
「そうなんですか」
『新たな神が産まれるなど珍しいことだから、神々の間でも噂になっているのだ。善者ケインの活躍は微笑ましく聞いていた。どうか、エルフたちも助けてやってほしい』
エルフたちを心配する優しい気持ちが伝わってくる。
精霊神ルルドは、慈悲深き神のようだ。
「はい、ルルド様。俺に何ができるかわかりませんが、できる限りやってみます」
『善き者よ。心優しきそなたと出会えたこと、嬉しく思う。ともあれ今は、我が血を受けた
「ありがとうございます」
ケインは、精霊神ルルドの声を聞き、神性のようなものを感じた。
ほんの短いときだったが、ケインの身体はハイエルフと同じように光に包まれていた。
「やっぱり! ケイン様にも、精霊神ルルド様の声が聞えるのですね。ハイエルフとしての資格を持つということですよ」
それは大変なことだった。
つまり、ケインにもエルフの国の王になる資格があるとすら言えるのだ。
ケインたちのやることを覗き込んでいたマヤが、目をキラキラさせて言う。
「ふむ、乳は血も同じか。わかる話やな。錬金術でもそんな話はあるんやけど、もしかして魔法の発動に、絡んできたりしてんのか。そこが類似してるなら、触媒を工夫すれば精霊魔法ってなんとか人族も使えんやろか。聖水こんだけ作れるだけでも、ものごっついで。見たところその精霊石にも秘密がありそうやな。いっぺんそれうちにも……」
魔術の話になると、マヤは途端に冗舌になる。
どうやらここに来てから、魔術師としての血が騒いでいるようだ。
そんなにグイグイこられると、さすがにローリエも引く。
「その話長くなります? 立ち話もなんですから、とりあえず休みましょう。お客様用のコテージもあっちにありますよ」
ローリエの案内で、美しい湖畔のコテージで休息を取ることとなった。
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