第三部 第一章「旅路」

第79話「白銀のハイエルフ」

 ケインが空を見上げると、天から白いものが舞い降りていた。

 季節はめぐり、すっかり冬になっていた。


「雪か、どうりで冷えるはずだな」


 このあたりは緯度にしては温暖なほうだが、やはり冬になると山は冷える。

 吐く息もすっかり白い。


 ケインは、身震いすると毛皮のコートの襟元をしめた。


「あるじ、寒いのか。もっと毛皮を狩ってきたほうがいいか」


 ケインを気遣う白虎人のテトラは、薄着のままで平気な顔をしている。


「テトラは寒くないのか?」

「獣人は寒さに強いのだ。ほら、温かいだろう」


 テトラの肩を寄せられて、もふもふのたてがみを擦り寄せられると、ポカポカと温かかった。

 くるんと、可愛らしい縞々模様の尻尾まで、ケインの腰に巻き付いてくる。


「ハハ、ありがとう。でも歩きにくいし、冬備えはしてきてるから大丈夫だよ。ほら、山に入る前にお参りをしていこう」


 すっかり立派になった善神アルテナの神殿で、一緒にお参りする。

 テトラも、ケインの見よう見まねで手を合わせている。


 冬山の天気は変わりやすい。

 山に入るみんなが無事ですごせますようにと、ケインは念入りに祈った。


 雪がちらつくクコ山を登って行った先にケインが見つけたのは、可憐な花だった。


「今年もあってくれたか、ありがたい」


 群生していたのは、スノーローズ。

 雪が降るような寒い季節にも咲く、小さな白い花だ。


 可愛らしい外見にもかかわらず、根に毒がある。

 素手で持つとかぶれることもあるので、ケインは注意しながら採取して袋に詰める。


 スノーローズの根は、狩りの道具として狩人に売れたりもするが、毒は薬にもなって毒消しなどポーションの材料にも使える。

 寒くなると薬草狩りの仕事は少なくなるが、冬にしか採れない植物もあるのだ。


「少し吹雪いてきたか……」


 一通り採取を終えたケインが、辺りでモンスターを狩っているテトラを呼び戻して、山を降りようとしたときに悲鳴が響いた。


「きゃぁぁあ!」


 何だと行ってみると、ケインは一瞬立ち止まる。

 まるで雪の妖精が舞い降りたかと思うほど、息を呑む美貌だった。


 精緻な人形のような顔立ちに、白銀の長い髪、特徴的な長い耳。

 少女がいるところだけ、キラキラと光り輝いて見える。


 どう見てもエルフだが、こんなところにいるなんて珍しい。


「あ、大丈夫ですか!」


 こんな山道から外れた斜面に座り込んでるのは、崖から滑落かつらくしてしまったのだと気がついた。

 のんびり見とれている場合ではない。


「近寄らないで、痛ッ……」


 幸い目立った怪我はないようだったが、エルフの少女が立ち上がろうとすると眉をひそめた。

 どうやら、足をくじいてしまっているようだ。


「腫れてしまってるな。すぐ薬草を塗って、添え木をしたほうがいいよ」

「私に触らないでください!」


 取り付く島もないので、ケインは困った。

 こんな場所で足をくじけば命にかかわるから、放っておくわけにもいかない。


「ほら、森に住むエルフなら薬草はわかるでしょう。治療するだけだから」


 ケインは打ち身に効く薬草を見せると、その場のありあわせの石ですりばちとすりこぎを作ってすりつぶして治療の準備を始める。


「そんなことを言って、人間なんて信用できないです。きっと捕まえて奴隷にするつもりでしょう。私は、希少なハイエルフですからね!」


 相手を人さらいだと思ってるなら、自分で希少なハイエルフとか言わなきゃいいのと、ケインは苦笑する。

 これだけの会話で、かなりの世間知らずだとわかる。


 なんでこんな山中にハイエルフの少女がいるのかは知らないが、やっぱり助けないわけにはいかない。

 ケインの育ての親が、ハイエルフのシスターシルヴィアなのだ。


 とても他人とは思えない。


「俺が勝手に助けるだけだし、信用しなくてもいいから。どこに行くつもりか知らないけど、その足じゃ動くこともできないでしょう」


 そこに、辺りのモンスターを狩り終えたテトラがやってきた。


「ご主人、そいつは敵か?」

「テトラ待って、ストップ! 敵じゃないから」


 テトラの姿を見て、ハイエルフの少女は驚く。


「あなた、ただの獣人じゃありませんね。白虎の聖獣人?」


 獣の神ガルムの使徒とも呼ばれる美しいたてがみを持つ聖獣人は、かなり珍しい存在だ。

 ましてや白虎人ホワイトワータイガーともなれば、ハイエルフと同じぐらいの希少種といっていい。


「何だ、ハイエルフとは珍しいな」

「こんな辺鄙な山に、聖獣人がどうしているんですか」


「それはこっちのセリフだ。精霊神ルルドの末裔まつえいであるハイエルフは、常春の聖地から出ないものではなかったのか」

「この人間は、あなたのなんなのですか?」


「ケインは、我のあるじだ」


 ふんと笑うと、テトラは得意気にお腹に刻まれてる使い魔の聖紋を見せつける。


「あ、あるじですって! やっぱり奴隷にするんじゃないですか!」


 ハイエルフの少女は、すっかり怯えて紺碧の瞳に涙まで浮かべている。


「いや、違うって……」

「何も違わないじゃないですか。こんなエッチな入れ墨までして!」


 誇りにしている聖紋をエッチと言われて、テトラは顔をしかめた。


「あるじ、こいつをどうすればいいのだ?」

「足をくじいちゃったみたいだから、とりあえず治療だけでもしたいんだけど」


 そう聞いてテトラは、ハイエルフをガッチリと捕らえてしまう。


「そうか、動けないように押さえつければいいのだな」

「きゃー! やめて! なんで誇り高い聖獣人が、人間の奴隷なんかになってるんです!」


「我は奴隷じゃない、あるじの使い魔だ!」


 もう説明がめんどくさすぎる。

 さっさと治療だけ済ませればいいかと、ケインは動けなくなったハイエルフの打ち身を念のために水でよく洗ってから、薬草を塗って包帯を撒いて添え木をしてやった。


「はい、治療終わり。もういいよテトラ」

「なんだあるじ、このハイエルフを捕らえて奴隷にするのではなかったのか」


 さっきの意趣返しか、ハイエルフの少女が「奴隷の入れ墨はイヤァ!」と怖がって叫んでるのを明らかに面白がってる。


「テトラ、あんまり怖がらせちゃダメだよ」

「わわ、私はエルフの国の女王、ローリエ・リングストーンなのですよ! 無礼を働くと、精霊神ルルドの天罰が下っちゃいますよ! 聖獣人だからって怖くなんかないんだから、精霊魔法をぶっ放しますよ!」


 自分の口からエルフの女王だとか白状しちゃって、この子は大丈夫なのかとケインは心配になる。

 ほんとに人さらいだったらどうするのか。


「だからそんなことしないって、ほらテトラも早く放してあげて」


 ローリエと名乗ったハイエルフは、白い頬を真っ赤にして、フーフーと唸っている。

 最初の妖精のような印象と違って、表情が目まぐるしく変わって、ちょっと変わった子だなとケインは思った。


「クシュン」


 そう思ってたら、ローリエはくしゃみをした。

 緑色の布の服は、雪山を歩くにしてはかなりの薄着だ。


 まさかハイエルフも、天然もふもふの毛皮を着ているテトラのように寒さに強いというわけではないだろう。

 放っておくと風邪を引きそうだ。


「よかったら、このコートをあげるよ」


 ケインは、自分の着ていた毛皮のコートを脱いで渡してあげる。


「こんなコートなんかで、ごまかされませんよ。クンクン……ふわぁ、こ、これはシルヴィアお姉様の匂い!」


 警戒してきつい表情になっていたローリエの顔が、毛皮のコートを受け取って匂いをかいだ瞬間にトロけた。

 盛んにクンクンと匂いをかいで、シルヴィアお姉様と連呼している。


「もしかして、君はシルヴィアさんの知り合いなのか?」


 同じハイエルフなのだから、その可能性はあるとケインも考えていた。

 シスターシルヴィアの氏族名もリングストーンだ。


 ローリエはいそいそと大事そうに毛皮のコートを身につけると、エルフの女王らしく威厳を正した。


「あなたは、シルヴィアお姉様のゆかりの者でしたか。大変失礼しました、名前はなんというのです」

「俺の名前は、ケインです」


「ケイン様、それでお姉様は今どこに……ああ、あなたからもお姉様の匂いがする!」


 ケインはいきなりローリエに抱きつかれて、そのままクンクンと犬のように胸元の匂いをかがれる。

 なんでこの子は、必死で匂いをかいでくるんだ。


「コラ、あるじから離れろ!」

「クンクン。ああ、この甘く優雅に香るアロマは、やっぱりシルヴィアお姉様のもの。お姉様が近くにいるんですね。すぐに案内してください! お姉様に大事な用があるんです」


 ローリエは必死にすがりついてくるし、テトラは割って入って引き剥がそうとするしで、ケインはもみくちゃにされた。


「わかったから、二人とも一旦離れてくれ! 君をシルヴィアさんのところに連れていけばいいんだろう。だからわかったから、もう鼻を近づけるのは止めて」


 ケインがクコ山で発見した遭難者は、どうやらシルヴィアの妹のようだった。

 ちょっとどころか、かなり変わった子らしい。

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