天井のシマウマ

天井のシマウマ

 雨の降る休日、静かな自室で独り、小説を読んでいた。主人公は、システムエンジニアとして働く、冴えない中年童貞サラリーマンだった。彼が、大型トラックに轢かれ死亡し、異世界に勇者として転生する話だった。勇者は、神から特別な能力を授けられ、全ての魔法及び剣術の使用が可能で、無敵だった。顔立ちが整っており、大勢の女性に好かれたが、異性からの好意にひどく鈍感だったため、特定の相手と男女の関係に及ぶことはなく、周囲の女性たちをやきもきさせた。魔物、怪物、魔王、性格の悪い商人、性格の悪い貴族などが障害として勇者に立ち塞がったが、勇者は無敵であるため、大した苦もなくそれらを突破した。外界的な起伏は激しい反面、内界的な起伏は乏しく、その意味で恐ろしいほど平坦な物語だった。僕は退屈し、本を閉じ、机に置いた。壁時計を見ると、午後三時二十八分だった。その壁時計は、かつての恋人から誕生日に贈られたものだったが、単純で煩くないデザインを気に入っているため、彼女と別れた現在でも使用していた。秒針は、規則的に音を鳴らし、静かな部屋で存在を主張していた。窓の外を見ると、雨は降り続いていた。空全体が白く、曖昧に霞んでいた。軽く眠気を催し、ベッドに寝転んだ。天井に、見覚えのないしみを発見した。この二日間、滝のような雨が降り続いていたので、そのせいで新しくできたのかもしれなかった。ぱっと見て、ウマみたいな形だと思った。あるいは、シマウマみたいな形にも見えた。しかし、実はシマウマはウマよりむしろロバに近い動物であるとの豆知識を思い出した。その豆知識は、現在の恋人から教わったものだった。その豆知識を前提にすると、ウマかシマウマに見える今の状況は、おかしいと思った。子細に観察し、そのしみは、シマウマまたはロバに見えるとの結論に達した。シマウマとロバは近い動物なので、この結論は妥当なはずだった。一安心したところで、スマホの電源を点け、ツイッターを開いた。匿名の人々が、私生活、政治的思想、性的嗜好などをさらけ出していた。アニメのアイコンが、「卒論だるい」と呟いていた。いいねした。海辺のアイコンが、「今日は彼氏とデート」と呟いていた。猫のアイコンが、猫の写真を投稿していた。いいねした。犬のアイコンが、家事に非協力的な夫をこき下ろす内容を呟き、一万を超えるいいねを獲得していた。真っ黒のアイコンが、「死は救済です」と呟いていた。ラーメンのアイコンが、ラーメンの写真を投稿し、ラーメンの味を評していた。美少女のアイコンが、精神疾患の辛さを嘆いていた。パフェのアイコンが、女性差別について呟き、二万を超えるいいねを獲得していた。アニメのアイコンが、精神疾患の辛さを表現した四コマ漫画を投稿し、一万を超えるいいねを獲得していた。野鳥のアイコンが、本の写真を投稿し、小説の感想を呟いていた。いいねした。僕は、「天井に新しいしみができてる……」と呟いた。女子大生のアイコンが、下ネタを呟き、多くのリプライが寄せられていた。花のアイコンが、油絵具で描かれた風景画を投稿していた。いいねした。真っ白のアイコンが、詩を呟いていた。読んだが、感傷的すぎて、あまり良くなかった。アニメのアイコンが、美少女のイラストを投稿していた。中年男性のアイコンが、自由律俳句を呟いていた。いいねした。約一分が経過し、僕の呟きは、2いいねを獲得していた。真っ黒のアイコンが、「皆いつか死ぬ」と呟いていた。スニーカーのアイコンが、酒瓶の写真を投稿していた。アニメのアイコンが、アニメの感想を呟いていた。別のアニメのアイコンが、自民党を批判していた。また別のアニメのアイコンが、マルチ商法を批判していた。僕はツイッターに飽き、ラインを開いた。現在の恋人に、「ひま~」とメッセージを送信した。すぐに返信があり、「私も今はひま」「でもこのあとバイトだから会えないよ」とのことだった。恋人は、居酒屋でアルバイトをしている。一度だけ、友人を連れてその居酒屋を訪れたことがあったが、彼女は、ポテトサラダをサービスしてくれた。僕は、学習塾でアルバイトをしている。中学生に、英語、数学、理科を教えている。時々、小学生や高校生に教えることもある。毎週水曜日に理科を教えている山根悠人くんは、中学二年生の秀才であり、将来が楽しみである。呑み込みが早く、的確な質問を次々に投げかけてくるので、授業中、僕は一瞬たりとも油断ができない。山根悠人くんの父親は、かの有名な「ジュエリー・ヤマネ」の代表取締役である。塾長である鈴木先生は、三十代半ばの女性で、丸い眼鏡が似合う、細身の美人である。鈴木先生と二人きりになれるのであれば、僕は残業を厭わない。「会いたいな」とメッセージを送信すると、「私も」と返信が来た。その後しばらく、互いに好意を示すスタンプの応酬が続いた。スタンプの応酬が十往復に達しようとした頃、僕はふと思い立ち、スマホのカメラを起動させた。スマホを天井に向け、しみを撮影した。しみが鮮明に写るよう加工した後、写真を恋人に送信した。「このしみ何に見える?」とメッセージを送信した。一分後に、「ウマっぽいかも」と返信があった。僕は、「シマウマにも見えない?」とメッセージを送信した。「ウマもシマウマも形は一緒じゃん笑」と返信があった。「シマウマはウマじゃなくてロバの仲間でしょ?」「前そうやって教えてくれたじゃん」とメッセージを送信した。「いや初めて聞いたよ」「たぶんそれ教えたの私じゃないよ」と返信があった。「そうだっけ?」とメッセージを送信した。「うん」「じゃあバイトの準備するからまたね」と返信があった。「了解」とメッセージを送信し、スマホの電源を切った。ベッドに寝転んだまま、軽く肩をほぐすストレッチをした。天井のしみが視界に入り、やはりウマにも見える気がした。右足のつま先を右手で掴み、ふくらはぎを伸ばすストレッチをした。左も、同様にした。もしかしたら、シマウマがロバに近い動物であるとの豆知識を教えてくれたのは、現在の恋人ではなく、かつての恋人だったのかもしれないと思った。かつての恋人にラインして確かめたいとも一瞬思ったが、やめようと思った。壁時計の秒針の音が、静かな部屋に響いていた。少し、煩く感じた。ベッドから起き上がり、机の上の本を手に取り、開いた。四行ほど読み進めたが、疲労を感じ、やめた。さっきまで眠気を感じていたはずだが、今はなかった。台所へ向かい、食器棚からグラスを取り出した。冷蔵庫へ向かい、ミネラルウォーターを取り出した。ミネラルウォーターをグラスに注ぎ、飲んだ。窓の外を見ると、まだ雨は降り続いており、空は白く霞んでいた。天井を見て、しみを視界に入れた。やはり、シマウマかロバに見える気がした。壁時計を見ると、午後四時二十四分だった。窓の外を見ると、まだ雨は降り続いていた。秒針は、規則的に音を鳴らしていた。天井には、シマウマかロバがいた。

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天井のシマウマ @mame3184

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