空飛ぶドングリにつきまとわれている

空飛ぶドングリにつきまとわれている

 私はドングリにつきまとわれている。


 ある朝気がかりな夢から目覚めると、ひたいの周囲をふわふわうろうろとドングリが浮いていた。茶色くて小さな何の変哲もない普通のドングリである。しかし普通のドングリは大抵の場合において空中を浮遊したりはしないのだから、やはり普通のドングリと呼ぶのは不適切かもしれない。特殊なドングリである。


 世の中には不思議な出来事が色々とあるものだが、まさかドングリに頭部周辺をつきまとわれるとは想像していなかった。私は自分の想像力の欠如をひっそりと恥じた。しかしこれは、今まで生きてきた35年の人生で一、二を争うほど不思議な出来事だ。


 ところで、どのような出来事にも努力と工夫次第で何らかのポジティブな側面を見出だすことができるはずだというのが私の信念である。今回の件に関して言えば、有名な海外文学には目覚めると巨大な毒虫に変身していた男もいるのだから、私はまだマシなほうだ。多少鬱陶しいのを我慢すればこれといって特筆すべき害はない。ふむ……。どうやら私は幸運な人間らしい。ドングリくらいで済んで良かった良かった。


 寝室を出てリビングに入ると、朝食を用意してくれている妻と目が合った。彼女は私のひたい周辺を視認し、「あ、ドングリ」と言った。私は「そう、ドングリなんだよ。今朝から」と答えた。妻は人差し指を自分の口に当てて黙り込んだ。これは彼女が何かを思案する際のクセだ。キュートでチャーミングで素敵なクセだと思う。考えがまとまったらしい彼女は指を口から離して私に向け、命令した。


「病院に行きなさい」


 私は困惑した。頭部周辺をドングリにつきまとわれた際に訪れるべき病院は、脳神経外科でいいのだろうか? 皮膚科? 眼科? まさか肛門科ではあるまい。ドングリと肛門とでは形状も役割もまるで違う。共通点は「物質」くらいしか見出だせない。機会があれば有識者に質問してみたい。ドングリと肛門に共通点はあるのでしょうか?


 仕方なく私は小児科を訪れた。家から一番近かったからだ。35歳の大人が小児科に入るのは尋常ではない状況だが、特に誰にも文句は言われなかった。それもそうだ。私のひたい周辺を漂うドングリを見れば、どんな非情な人間だって同情するはずだ。小児科に入るくらい大目に見てほしい。


 医者は私を一目見るなり「ドングリだね」と言った。私は「はい。ドングリなんです。今朝から」とこの上なく的確に症状を伝えた。医者は「なるほどね」と同情し、「ではビタミン剤を出しておきましょう」とぞんざいに処方薬を決定した。


「頭部のドングリにビタミンが効くんですか」

「効きません」

「ではなぜビタミン剤を?」

「他にすることもないので」


 私はうなった。一理ある。


「それに、ビタミンは身体にいいですよ。しっかり摂れば疲れにくくなるし、さかむけもしない」

 

 私は感心した。さかむけしないなんて素晴らしい。どうやら彼は名医のようだ。


 私はビタミン剤を受け取って帰路に着いた。道中、近所の小学生に声をかけられた。


「どうしてドングリをつきまとわせているの?」

「これは、好きでやってるわけじゃないんだ」

「ええっ。欲しくもないドングリにつきまとわれることなんてあるの?」

「ある。大人には様々な事情があるんだ。君もいずれわかる。人生は波乱万丈だ。心してかかれ」


 小学生に有益な教訓を授けた私は、その後コンビニに入店しおにぎりを四個購入した。


「温めますか」

「そのままで大丈夫です」

「お箸おつけしますか」

「要りません」


 店員はドングリには触れなかった。それはそれで悲しいような気もしたしありがたいような気もした。オートマチックで画一化された非人間的なやり取りにより、私は商品を無事入手した。


 私はビタミン剤とおにぎりを持って帰宅した。妻が「どうだった?」と尋ねたので私は「ビタミン剤を貰ったよ」と答えた。


「なぜビタミン剤?」

「他にすることもないからだよ。それに、たっぷりビタミンを摂ればさかむけもしなくて済む」

「なるほど。さかむけは痛いからいやだよね」

「その通り」

「そのドングリ、よく見るとなんだか可愛いね」

「大抵の場合において、他人が所有するものは上等に見えるんだよ。君の頭にドングリがまとわりつくことを想像してみろ。それでも可愛いか?」

「確かにそれはいや。ドングリなんていらない」


 その後、私と妻はコンビニのおにぎりを食べながら、撮りためていたドラマをのんびりと鑑賞した。頭部のドングリを除けば、特に変わり映えしない平和な一日であった。


おわり

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