第53話 黄金の大地

 それから冬の間、リーデンハイゼルの王宮は灯の消える暇もないほど大忙しだった。

 凱旋の余韻に浸る間もなく、王は騎士団の再編成を命じた。近衛騎士は四人にまで減っており、しかも団長であるデイフレヴンが重傷を負って長期の離脱を余儀なくされていた。医師のアーキュリーとギノヴェーア王女のお陰で何とか立って歩けるくらいにはなったものの、一時は二度と剣を持てなくなるのではないかと危ぶまれたほどだ。

 味方の死者は丁重に葬られ、遺族には年金が支払われた。宮廷騎士団は約半数が命を落とし、見習いを昇格させても数が足りない。東方騎士団に至っては、完全に解体されて、臨時雇いの兵と、西方騎士団と北方騎士団から送り込まれた応援で何とか保たせている状態だが、団長の候補がなかなか見つからず、地元の有力者たちとの折衝も難航し、本格的な再建までは時間がかかりそうだった。

 加えて、東方騎士団の本拠地も、旧エスタードの影響が強いノックスから、サウディードに近い地方に移転されることが既に決定している。地下牢には、ローエンの次男であるフレイス・ローエンがまだ捕らえられたままで、彼を解放すべきか、処刑あるいは国外追放とするかは意見が別れたまま、いまだ決まっていなかった。

 王宮の隠し通路を放棄して作り替えることも急務とされた。既に皆が知っている状態では、空きっぱなしの非常口のようなもので、秘密の通路としての意味が無い。


 シドレク王がサウディードからの来客を迎えたのは、そうした戦後処理のさなかだった。

 その来客とは、サウディードの王立研究院の院長、メイザン・グランナール。シドレク王の師でもある。

 「先生に来ていただけるとは、大いに助かる。」

 「なに、教え子が過労で倒れそうとあっては手伝わんわけにもいかんだろう」

髪は既に白くなっているが、かつては学者騎士とまで呼ばれたメイザンには、まだ若々しい力強さが残っている。

 「まずは旧エスタード領の処遇の件だな。イルネスのことはもちろん、五百年前にエスタード帝国が使用していた兵器の記録が残っていたという件は、わしにとっても寝耳に水だった。そんなものがあるのなら、回収して破棄せねばなるまい」

 「そのとおり。知っていたのがローエンだけならまだしも、ローエンの息のかかった連中はまだ残っている。地方領主の中には、旧エスタード支持派も多い。どこまで知っていたのかを突き止め、もし隠し持っている兵器の残骸でもあるようなら回収して破棄せねばならん。」

 「イルネスの始末は、つきそうなのか」

 「中身を徹底的に破壊した上で、入り口を発破して塞ぐことにした。あそこには二度と、誰も手を触れられないようにするつもりだ。…奥にある”黄金の樹”とともに。」

 「そうですか。王がそう決められたのなら、何も異論はありますまい」

王の私室から続く中庭のほうに目をやったメイザンは、ふとそこに、何かが植えられたばかりのような、土の新しい小さな囲いを見つけていた。囲いの真ん中には、まだ芽生えたばかりの金色の小さな芽が、固い殻をかぶってちょこんと生えている。


 冬の寒さは和らぎつつある。もうひと月もすれば、春の訪れを告げる鳥たちが歌い始めるだろう。

 「――そういえば、アルウィンは?」

 「クローナへ向かっている。使いを頼んだのだ」

雪解けとともに、クローナの城壁の修復が始まる。

 それに加え王国からは、焼失したかつての領主の館の返還と、新たな館の建設が申し入れられた。これはブランシェの希望通り、東方騎士団の討伐に際し、クローナの果たした役割に対する報酬として、だ。

 クローナに領主はもういない。館は、冬でも商人たちが集えるよう、商館という形で作られるはずだ。その知らせを持って、アルウィンは北の故郷へ旅立った。

 しばらくゆっくりしてくるように、との計らいでもある。

 「今回の件で、クローナはだいぶ株を上げたのだろうな」

 「ええ。お陰様で、アルウィンは人気者だ。大臣どもまで手のひらを返して彼を追い回すものだから、ウィラーフの機嫌が悪い」

メイザンは笑った。

 「王の信頼も厚い、将来要望で有能な寵臣となればな。――」

アルウィンの果たした役割は確かに大きかった。議会での発言、戦場での交渉。”リゼル”としての三年間、彼がこれまでに密かになしてきた業績も、今では公になっている。

 そもそもが、彼が任務で廻っていた自治領の代表者たちの多くは、既に彼の存在を知っていた。議員たちにも、騎士たちにも顔と名前が広まってしまった今、もう、かつての役目を果たすことは困難だろう。中央で何か役職を、という声も大きい。

 だが…。

 「あの子をどうするつもりかは、もう決めたのかね?」

 「…ああ。本人が受け入れてくれるなら、だが。」

シドレクの表情は、少し寂しそうでもあった。

 変わりゆく風景、変わりゆく人と町。過ぎ去ってゆく時を止めることは、誰にも出来ない。たとえアストゥールの王であっても。

 地図の端には、少し前までアルウィンに預けていた、黄金の樹の紋章が載せられていた。




 ギノヴェーアのところにお茶を運び終えて出てきたシェラは、渡り廊下のところで、ぼんやり庭を見下ろしているワンダを見つけた。

 「あら。ワンダ、何してるの、そんなところで」

 「…ふにゅう」

ワンダは、ひとつため息をつく。

 「みんな帰っちゃったなーって。ちょっと、さびしい」

 「ああ、そうね。でも、また会える人たちばっかりでしょ」

暖かくなりはじめたこの頃、ワンダはずっとため息ばかりついている。

 「家に帰りたいの?」

 「違うんだぞ。ワンダは、お嫁さん探しにいくんだ。まだ帰れないんだぞ」

 「ああ、そういえば…」

最初に会ったときに言っていた。ワンダの故郷には同じ年頃の女性がいないから、お嫁さんになってくれる人を探しに旅に出た――と。ともに多くの場所を旅して回ったが、その目的は、まだ果たされていない。

 「アルウィン帰ってきたら、ワンダ、また旅に出るぞ」

 「そっかー…。」

アルウィンはきっとここに残る、とシェラは思った。ウィラーフもだ。彼らはシドレク王に仕えている。その命によって例外的な旅をしていただけで、本来なら、こんな形で出会うはずもない人々だった。

 そしてシェラも、旅の目的”エリュシオン”の意味を知り、予言の結末を見届けた今、もうここですべきことは残されていなかった。王宮に滞在中は、ギノヴェーアの「侍女」という肩書きをもらって、自由に出入りしている。望めば正式にその職として抱えてくれるとも言われた。だが、”旅の使命”を終えたルグルブは、本来であれば、報告のために故郷へ戻らなくてはならない。

 「あたしも…旅立つ時よね。」

ルグルブの故郷、イェオルド谷を離れて約一年。以前は何とも思っていなかったあの場所は、広い世界を知ってしまった今、あまりにも狭く感じられた。

 「ウィラーフのこと、どうするー?」

 「…どうしようかな」

いつか切りだそうと思いながら、まだ、きちんと話したことはなかった。明日生き残れるかどうかも判らない戦場を駆け抜ける日々の中では、遠い未来を話す余裕などあるはずもない。春が来る前には、思い切って話をしておかなくては。




 「うん、良い香り。」

ギノヴェーアは、お茶を注ぎながらにっこり微笑む。テーブルの向かいにはウィラーフとデイフレヴン。お茶は、さっきシェラが運んできたものだ。

 「で、どうかしら?この件」

 「…ですから。何度でも言いますが、私はお断りします」

ウィラーフは、きっぱりと言い切った。

 「あら。いいお話なのに」

お茶を勧めながら、ギノヴェーアはいつもの、のんびりとした口調で言う。

 「出世することになるわよ」

 「いきなり騎士団長をやれと言われても、出来ないものは出来ません。」

 「ずっとじゃないのよ。今のところ、他にできそうな人が居ないのですもの」

 「お断りします。」

さっきから堂々巡りになっているこの話は、解体された東方騎士団の再建に誰が当たるかということだった。東方騎士団長アレクシス・ローエン亡き後、代わりの団長としてウィラーフを据えてはどうかという話があり、王女自らが説得に当たっているところ。

 「ロットガルドと同じことですよ。王の側近を軽々しく地方に飛ばすのは、いただけませんね。ただでさえ今は、近衛騎士が少ない」

 「そうです。ただでさえ、今は近衛騎士の席がガラ空きなのです」

デイフレヴンも反対意見に回っている。

 「じゃあ他に誰を就ければいいの? オーウェル? アステル? 二人ともまだ療養中だけれど」

 「どうしても宮廷騎士団から一人出す、というならオーウェルが適任でしょう。騎士団の中では年長者ですし、母方は東方出身です。」

 「うーん…。そうね、その手もあるかしら。でもねえ」

考え込んでいるギノヴェーアの横顔を見ているうち、ふと、ウィラーフは、王に尋ねようとして出来ずにいたことを思い出した。

 「…アルウィン様は、どうなるんですか」

 「ん?」

王女は首を傾げる。

 「”リゼル”としては、解任になるのでしょう?」

噂は、だいぶ前からあった。

 この数年、アルウィンが”リゼル”として王のために働いてきたことは既に知れ渡っている。王によって任命され、王からの直接の命によって密かに動く”リゼル”にとって、顔も素性も知れ渡っていることは致命的だ。今後は、彼が密かにどこかに姿を現せば、すぐさま、その地で王が何かを画策していると察知されてしまう。

 「残念だけれどね。でも彼には、名が知られたことを逆手に取れる別の仕事をやってもらうつもりです」

 「と、おっしゃいますと」

 「彼が帰ってきたら、お父様が直接、お話するはずよ。」

ギノヴェーアは、何故か答えをはぐらかす。「ところで、話の続きだけれど――」




 アルウィンが戻ってきたのは、予定より一週間も早く、それから二日後のことだった。

 「もっとゆっくりしてくれば良かったのに。休暇の意味もあったのだぞ」

帰ってきた早々、報告に現れたアルウィンに、シドレクは呆れ顔だ。王の書斎は、私的な謁見室の役目も兼ねている。そこにいるのはシドレクとアルウィンの二人だけ。窓からは、黄金の樹の種を植えた中庭が見下ろせる。そこでは今、ギノヴェーアがワンダやシェラたちと何か談笑していた。

 「どうだった、クローナは。」

 「もうじき新春祭があるというので、大忙しでしたよ。ぼんやりしていると母に用事を言いつけられるので、逃げ出してしまいました」

 「はは、そうか。」

 「母から、シドレク様にお礼を、とのことでした。館の件――」

シドレクは気にするな、というように手をひらひらと振った。

 「お前にも、ブランシェにも、ずいぶん助けてもらったからな。まだ安すぎるくらいだ」

 「クローナは変わりつつあります」

と、アルウィン。

 「湖の外側にある外町を大きくする計画があるんです。遠来の商人を泊める施設を作るとかで。今年の春にはアスタラからも直接、人が来るようになります。それに、ミグリア人たちも今年は大張り切りみたいですね。あの町は、いずれもっと大きくなるでしょう」

 「心配か?」

 「いえ。母も、ブランシェもいますから。」

 「――そうか。」

王は席を立ち、窓に近づく。

 「アルウィン。お前は、クローナに帰る気はないのか? 五年前の責務は果たした。クローナに課した人質の条項も削除した。お前にはもう、王国に対する義務はない。どこへ行くのも、誰に仕えるのも自由なのだ」

彼は、元々、人質としてここへ来た。クローナが騎士団を解体し、王国に反逆する意思がないと示す保証として。その役目は既に終わった。

 だが、アルウィンは即座に首を振った。

 「何を言ってるんです。もうお忘れですか? あの時、私はファンダウルスにかけて、アストゥールの王に忠誠を誓ったんです。騎士ではなくても、剣にかけた誓いは消えません」

その瞳は揺ぎ無く、王を真っ直ぐに見つめる。シドレクは、思わず微笑んだ。――答えなど、最初から分かっていたはずなのに。

 「馬鹿な質問をしたな。今のは忘れてくれ」

背を向けて、シドレクは窓の外に目をやった。


 その後姿を見つめていたときアルウィンは、ふと、シドレクの金の髪の中に数本の白いものを見つけた。

 あまりにも意外で、思わず目を瞬かせる。

 それまでの治世の長さと、王の年齢を考え合わせれば当然のことではあったが…”英雄王”シドレクは、人々の記憶と伝説の中で、いつまでも若々しいままだった。人である以上、いつかは訪れるだろう老いが、この精力的な王にも訪れることを、彼は今の今まで忘れていた。

 背を向けたまま、シドレクが口を開いた。

 「まだ私のために働いてくれるなら、ひとつ頼まれて欲しいことがある。難しい役目だが」

 「はい」

 「今回の一件で我が国は、宮廷騎士団をはじめ多くの有能な人材を失った。ついては、人材不足を埋めるための勧誘員の役目を申し付ける」

 「…はい?」

アルウィンは、きょとんとしている。「勧誘、とは」

 「騎士だけではないぞ。学者でも商人でも何でもいい。何処へ行っても、どんな条件をつけても構わない。もちろん国外から招致するのもだ。種族も性別も出身も問わない。お前が自分の目で見て確かめ、こいつは何か王国のためになる! と思った者を、片っ端から集めて来るんだ。報酬もお前が決めていい。」

 「…かなり適当ですね、それ」

 「だからこそ、お前にしか頼めない。」

シドレクは、大真面目な顔でアルウィンのほうを振り返った。

 「――だが、重要な役目だ。出来るか?」

 「やれ、と仰るなら。」

 「よし」

シドレクは満足げに頷いた。

 名目はどうであれ、これで彼は息苦しい王宮からは解放される。再び旅暮らしにはなるが、それがアルウィンの性にあっていることをシドレクは見抜いていた。それに、何処へ行ってもいいということは、途中で故郷クローナへ帰るのも、かつて出会った仲間たちのもとを訪れるのも、すべて”自由”ということ。

 「ときにアルウィン、お前は今、幾つだったかな?」

唐突な問いだった。退出しかけていたアルウィンは、足を止めて振り返る。

 「春の生まれですから、もうじき十六になります。」

 「そうか。ならこうしよう、期限は約三年だ。三年後、次に全自治領の代表が集まる王国議会の開催前までが任務期間とする。その時に必ず、最終的な成果報告をすること。いいか、必ずだぞ。」

 「…? はい…。」

シドレクの意味ありげな笑顔の裏に隠されたものを、アルウィンはまだ、図りかねている。




 シドレク王のもとを退出すると、待ちかねていたようにシェラとワンダが、それにギノヴェーアとウィラーフが集まってくる。

 会わなかったのはほんの何週間かだというのに、話すことは沢山あった。イルネスから持ち帰った黄金の樹の種が芽吹いたこと、ウィラーフが東方騎士団の騎士団長になるのを断ったこと、メイザンが来ていること…。

 アルウィンのほうは、クローナのこと、それから、ついさっきシドレク王に言いつけられた新しい役目のことを話した。

 「じゃあ、また旅に出るの?」

 「そうなる」

ウィラーフが何か言いかける前に、ワンダはぴょんと飛び上がる。

 「じゃあワンダ、アルウィンと一緒にいくぞ! 旅するぞー」

 「よかったじゃない。一人でお嫁さん探しに行ってたら、ワンダ絶対帰って来られないもの」

 「シェラは…?」

 「あたしも、いちど谷に戻るつもりなの。ルグルブの掟だしね。使命を果たした報告はしないと」

アルウィンは、ちらとウィラーフを見た。

 「…休暇を取りました。」

尋ねる前に、彼は答えた。

 「旅路の護衛も兼ねて。」

 「そっか。ご実家への挨拶、しっかりね」

 「……。」

後ろでギノヴェーアがくすくす笑っている。アルウィンも笑い出しかけたが、ウィラーフの無理に作った仏頂面を見ていると気の毒になって、必死で堪えた。

 「…シェラの故郷、イェオルドは西のほうだったよな」

 「そうね。アストゥールの西の果て」

 「ちょうど西のほうに行ってみたかったんだ。噂に聞くイェオルド・ブルー、一度は見てみたいし。そこまで一緒に行くっていうのは?」

 「え、ほんと?」

シェラの表情がぱっと明るくなる。

 「じゃあ、もう少し四人で一緒にいられるわね」

 「ワンダも、いいよな? 東のほうは、もうだいぶ旅して回ったし」

 「おう。行ってみたいー」

ワンダは大喜びでぴょんぴょん飛び跳ねる。「西! 西!」

 「じゃあ、決まりね! 準備しなきゃ」

明るい声で言って、シェラは踊るような足取りで去っていく。

 「それでは、おれも、これで」

アルウィンが一礼し、シェラと同じように廊下の奥へ向かって歩き出す。

 「なー、アルウィンー。西の方ってなにがある? おいしいもの、あるか?」

 「そうだなあ…」

去っていく三人を見送りながら、ウィラーフは、あまり突っ込まれなかったことにほっとした表情になっている。

 「ねーえ、ウィラーフ。」

 「はい」

振り返ると、ギノヴェーアの笑顔が、そこにある。

 「騎士団に入る時、あなたはアストゥールの王に忠誠を誓ったわよね。」

 「ええ」

 「その誓いは、王が代替わりしても、変わらない?」

一瞬、ウィラーフは答えに窮した。今この場で、王女がそんなことを言う意味が判らなかった。順当にいけば、目の前にいるこの女性、王女ギノヴェーアが次の王のはずだ。

 「勿論、それは…」

 「そう。なら良かった」

微笑みながら、王女はスカートを翻す。

 「三年後が楽しみね」

 「――?」

微かな菫の香りがした。まだ春は遠いはずなのに。




 シドレクは、窓の外の中庭を見下ろしている。

 去っていく人々の背を見送りながら、彼は思い起こしていた。雪の降るクローナの戦場で出会い、それ以降ずっと心の片隅を占め続けた一人の少年のことを。腕は剣を持つにはあまりに細すぎ、容姿にも目を引くものはなく、どこにでも居そうなありふれた少年―― 普段は誰の注意も引かず、取るに足りない存在と思わせていながら、どうしても忘れることは出来なかった。

 言葉だけで、アストゥールの王に剣を置かせた唯一の存在だった。

 敵であった大国の王を相手に、ただ一人、真っ直ぐに見つめ臆することなく語りかけることの出来た人物。王をさえも恐れず、王冠を抱かずとも人々に命を賭けさせる価値を持つ稀有なる者が、そこにいる。


 口元にゆっくりと笑みが浮かび上がる。そう、今ならば分かる。

 初めて逢った時いらい、漠然と感じていた「恐れ」。――その恐れは、いずれ自分を超えて行かれるという予感ゆえに。

 かつてアストゥールを大陸一の大国と成した初代王が持っていたのと同じ、多くの人を惹きつけるという力、多くの人を束ねるという「王の証」たる”エリュシオン”…それは確かに時を越えて受け継がれていた。

 育ちつつある大樹は鉢に植えるべきではない。

 期待通りなら、三年後、彼は彼自身の「王国」を引き連れて帰ってくるだろう。その時こそ、アストゥールの新しい時代が始まるのだ。




 旅立ちの朝、春も近いというのに、珍しく霜が降りていた。

 晴れた空には薄雲がかかり、今にも一雨ありそうな雰囲気。

 「リーデンハイゼルともお別れかあ」

シェラは、白い息を弾ませながら凱旋門を見上げている。たった今降りてきた、つづれ折りの道の上に、王都は空に溶け込むようにして浮かんでいる。

 「…あっという間、だったわね」

最初にここを訪れたのが、冬になろうかという頃。季節は移り変わり、間もなく新たな一年が始まろうとしている。

 出発に際し、アルウィンが王から受け取ったものは、そう多く無い。

 ”リゼル”が使う”連絡網”は、特別に今後も緊急時には使ってよいという許可を得ている。だが、王から直接の命を受けているとはいえ今回は正式な役職としての仕事ではなく、特殊な権限もない。何の肩書きも立場もなく、一人の旅人に等しい。非番扱いのウィラーフも、今は剣の房飾りを外している。

 この先、王国を西へ進めばミグリア族をはじめとするクセのある部族が住む平原が多くなる。東に比べて人が少なく、街道を離れれば町は殆ど無い。そして、西の端にあるイェオルドの谷を越えてしまえば、そこから先はもう、アストゥール王国の領土ではなくなる。アルウィンにとっては未知なる世界だ。

 「途中までは、アミリシア街道を西へ向かう。海沿いに出るのは平原を抜けたあとだな」

ウィラーフが馬上から言う。

 「それって、クローナから続いてる街道?」

 「そうだ。クローナが北の終着点。西の終着点は、国境だ」

アルウィンは、これから向かう西のほうを眺めている。はるか遠い、その先。行き先は自由――、三年。見たことのない国々へも、どんな土地へでも行くことが出来る。

 「あ!」

突然、ワンダが声を上げて空を指した。

 「ゆーきーだー」

きらきらと零れ落ちる小さな結晶は、光に照らされて金にも銀にも輝いて見える。積もることはないだろう。たぶんこの冬で最後になるだろう、なごり雪。手のひらに落ちた雪の粒は、見る間に溶けて消えてゆく。

 黄金の大地テア・アウゲリア

かつての呪われた呼び名は今は誇りとともに意味を変え、人々の暮らす輝ける国の名となった。

 「行こうか」

アルウィンが言い、馬を街道に向けた。


 平原を越え、国境も越えて道は続く。道無き道のその先にも、大地は広がっている。




//  約束の種は植えられた

//  その樹は希望へと繋ぐだろう

//  刻が満ちるとき 光は蘇り

//  大地は再び黄金に輝くだろう。



                                  <了>














*この後に前日譚となる外伝集が続きます。

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