第51話 決着
翌日の戦いは、再び夜明けとともに始まった。
前日からの勢いに乗って、王国軍は積極的に戦線を押し上げにかかっていた。
西方騎士団と北方騎士団がそれぞれに、幾つかの隊にわかれて東方騎士団の本体を追い詰めてゆく。数の上で同数ならば、士気と練度が戦況を左右する。戦線は、じりじりと西へ移動しつつあった。
その様子を、シドレクと護衛たちは少し後方から眺めている。「竜の牙」と呼ばれる兵器を持っているとすれば、敵軍の総指揮であるローエンか、片腕的な存在となっているスレイン・ファーリエンのどちらかだと踏んでいた。彼らの居場所を特定することが、最初の目標だった。特にローエンの姿は、ここ数日の戦場では見かけていないという。
王の傍らに控える白いスカーフの一団の先頭にいるブランシェは、女だと知られてなめられることを嫌ってか、兜で完全に顔を覆っていて表情は見えない。そうしていると、まるで、熟練の若武者のような堂々とした佇まいだ。誰も、この兜の下に、まだ年端も行かない少女が隠れているとは思うまい。反対側に控えるウィラーフとも釣り合って見える。
「西方騎士団というのはあまり活躍している話を聞いたことがないのですが、ああして戦っているところを見るに、なかなかの猛者揃いですね」
ブランシェが呟く。
到着したばかりの赤い房飾りの騎士たちは、個性豊かでまとまりに欠けるように見えつつも、一つ一つの小集団は連携が取れており、動きも軽やかで、戦う気迫に満ちている。東方の青い房飾りの騎士たちは、その、やや粗暴ともいうべき戦い方に圧され続けていた。
「ユエンは、見た目は奇抜で口も悪い男だが、部下には好かれているからな。」
と、シドレク。
「西方騎士団の管轄には少数部族も多いが、ああした変わった男たちが代々、強力に纏め上げて来た。」
「北方騎士団よりも、ですか」
「そうだ。西方も、北方同様にアストゥールに属する以前は多くの国に別れていたが、それゆえに人を纏めることを重視した個性の強い騎士が抜擢されてきた。しかもアストゥールの国土の中で唯一、陸路から外国の侵攻を受ける可能性のある国境線を持つ緊張感もある。北の高い山々という天然の要塞に守られている北方とは、条件が違う。」
ブランシェは苦笑した。
「それではまるで、北方騎士団の団長が無能なように聞こえてしまいますよ。」
「おっと、すまんな。ロットガルドに知られたらどやされる」
シドレクは、いたずらっぽくクックッと笑う。
「まあ――ヤツも、人は良いんだが今ひとつ押しに欠けるところがな…。あとズボラな性格はなかなか直らん」
「なら、補佐役をつければ良いでしょうに」
「なかなか人手が足りんのだ。有能な人材は希少だからな」
戦場に視線をやりながら、ふと、シドレクは表情を曇らせた。
「そう、…この国は、広い割に人材が少なすぎる…。」
「ご報告します!」
斥候が駆け寄ってくる。
「ローエンを発見しました。ファーリエンとともに左翼後方。北方騎士団が追い詰めています」
「よし、かかったな。いくぞ」
「はい」
左右の二人が頷いた。
同時に、戦線の端のほうで大きな声が上がる。
敵陣の最前線を形勢していた、青い房飾りの騎士たちの一角が逃走し始めたのだ。逃げ惑う兵たちの中に、無残に踏みつけられた旧エスタード帝国の旗が散らばる。
その奥に、一瞬だが、黒っぽい鎧に身を固めたローエンの姿が見えた。その傍らには、スレインの姿もある。
「よし。軍旗を揚げろ」
「はい」
護衛についていた騎士の一人が、王国の旗を掲げる。王家を意味する黄金の樹の戦旗。”王の軍勢がここにいる”という意味だ。ローエンたちからも、その旗は見えているはずだ。
同時に、少し離れた高台に控えているアルウィンたちにも。
戦場に旗が掲げられるのを見て、アルウィンは、左右にいたディーとワンダ、それにエラムスをそれぞれに振り返った。
「合図だ。こちらも行こう」
「うし、行くか」
「りょうかいだぞ!」
「……。」
エラムスは、むっつりと口を閉ざしたまま、交戦している騎士たちの中にいる黒い鎧の男を見つめている。
「あれが獲物か」
「そうだ。他人は信用しない性格だ。『竜の牙』がまだあるとすれば、おそらく、あの男自身が持っている。」
正面から追い詰めて使われてはまずい。そのために、居場所を特定したらあとは追い詰めすぎないよう、適度に散らばって時間稼ぎをする。その間にアルウィンたちが射手とともに側面に回り込み、奇襲でローエンを無力化する。アルウィンたちの奇襲部隊に気づかれないよう、シドレクは敢えて目立つように戦場に立ち、注意を引きつける。という作戦だった。
ひとつ間違えば自分たちが吹っ飛ばされるのみならず、友軍に多大な被害が出る。危険な賭けだ。
(なんとか近づければ…)
アルウィンは、馬を駆りながら、隣のエラムスを見やった。
彼の弓の腕はかなりのものだと、ディーは太鼓判を押していた。兵器を使われる前にローエンを射抜くことが出来れば、その時点で勝敗は決する。
アルウィンたちが混戦のさなかに飛び込んだ時、敵側の隊列は既に崩れていた。勝ち目が薄いと見て、東方の騎士たちは既に逃げ腰になっている。奥にいるローエンの隊と、王国軍の距離が縮まりつつある。
ローエンは、すぐそこにアストゥールの王がいることに気づいて、かっと目を見開いた。シドレクは、微動だにせず馬上からじっと見つめている。
「そこで見ているだけか、シドレク!」
ローエンは大音声で吠えた。もはや”王”とは呼ばず。ぎらぎらした目には敵意が満ちている。
「腰抜けめ。自ら剣を取ったらどうだ」
派手な緑の鎧を着たユエンが、馬を巡らせながら叫び返す。
「傭兵を捨て駒にして戦わせた者が言うことでは無いぞ。恥知らずめが」
ロッドガルドも容赦ない。
「――宮廷騎士団の仇。そして、近衛騎士たちの無念のために!」
「主君に仇なす者に死を!」
「王に仇なす者に報いを!」
「
声が唱和となり、熱気が怒涛の如く敵陣に向かって押し寄せてゆく。気圧され、うろたえた東方の騎士たちがこぞって逃げ出した。ローエンは、目を泳がせながら周囲を見回す。ローエンの周囲には、既に数名の騎士が残っているだけだ。
シドレクは満足気に微笑むと、自らも剣を抜いた。そして左右に控えるウィラーフとブランシェに言う。
「出るぞ。お前たち、付き合え」
「え?! しかし…」
「ここでとどめを刺してやらねば、かつての上司として失格であろう。――何、頼りになる味方もそこに来ている」
ちらと視線をやった先にはアルウィンたちの姿がある。エラムスが弓を引き絞ろうとしている。ローエンは、それに気づいていない。
王がマントを翻し、戦場を駆けるとき、すべての味方が道を譲った。
「させるか!」
飛び出してくるスレインの前に、ウィラーフが立ちはだかり剣を交える。打ち合わせる武器の勢いで、双方とも馬から転がり落ちるほどの衝撃だ。だが、その程度では止まらない。どちらもすぐさま起き上がるや、再び武器を打ち合わせた。甲高い音。凄まじい衝撃だ。
互いに一歩も譲らず、ぎりぎりと音を立てる剣ごしに顔を突き合わせながら、睨み合う。
「…ようやくの決着だな。レスロンド。」
口調だけは、いつもと変わらないキザったらしさを保ったままだ。ウィラーフは無言に、スレインの足元に滴り落ちる赤い水滴を見下ろした。いつ、どこで負った傷かは分からないが、――この男は、こんな状況でも、余裕ぶった笑みとふるまいを捨ててはいない。
「お前にとって、ローエンは守るべき男か?」
「そうだ。――あれでも、我が主には違いない。だか、ら…」
「そうか。…」
ウィラーフの剣がひらめいた。一刀のもとに切り捨てられたスレインが、武器を落とし、ゆっくりとその場に崩れ落ちてく。
気に入らない男ではあった。素行の悪さも目に余ると思っていた。だが、少なくとも立派な騎士ではあったのだ。だからこそ死に様も、主君を守り一騎打ちに倒れるという、名誉ある騎士のそれが相応しい。
そして、スレインが見えていないところで彼が守ろうとしていた男が、今まさに、射手の手によって肩先を射抜かれようとしていた。
「ぐ、はっ!」
心臓に近い肩先を射抜かれて、ローエンは剣を取り落しながら膝をついた。
「エラムス、今のは…」
「わざと外した。とどめは、王が刺せばいい」
次の矢をつがえながら、彼はぼそりと言った。
アルウィンは馬を止め、ローエンに近づいてゆくシドレクを心配そうに見つめている。既に周囲には敵の姿はなく、ローエンは完全に孤立している。腕を射抜かれ、失血でもはや動けない。
ふいにローエンは、剣を捨てた。盾をとり、それも地面に落とす。だが、次の瞬間、
「ただでは死なん!」
男は、鎧の下から何かを取り出した。灰色の、弓なりに曲がった細長いもの――見ようによっては、何かの牙のようにも見える形だ。それに取り付けられた蓋のようなものを、ローエンは力をこめて引き抜いた。錆に似た粉が飛び散る。
それが何なのか、と認識する必要はなかった。
「エラムス!」
アルウィンが声をかけた時には、既に次の矢は弓弦を離れている。
「シドレク様!」
ウィラーフがとっさに、馬上の王を引きずりおろうようにして、自分の体で庇う。ブランシェが盾を構える。
「皆、下がれ! 馬を降りろ、衝撃がくるぞ!」
ディーが叫び、ハザルの男たちが一斉に動き出す。
アルウィンは、兵器をシドレクに投げつけようと腕を振りかぶった男が、何処からともなく飛び出してきた黒い影に押し倒され、兵器を取り落とすのを見ていた。
白と灰色のいりまじる髭、浅黒い顔をした、ぼろのようなマントを纏った老人。――オウミだ。
手にした短剣がローエンの胸を深々と刺し貫き、兵器の真上に押し倒す。
そして、その瞬間、世界が真っ白に染まった。
本陣で、ギノヴェーアとともに気を揉みながら待っていたシェラはの耳にも、その爆発音ははっきりと届いた。
はっとして立ち上がり、彼女は、大急ぎで見張り台に向かって走った。
人々が口々に騒いでいる。
「何が起きた!」
「また、あの爆発が…」
西の空に一筋の、灰色の雲が立ち上っている。
「どこなの? 被害は!」
「戦闘の行われた場所ということしか分かりません。ここからでは何も見えませんよ」
「行かなきゃ…」
「運命の刻、ね」
王女ギノヴェーアも、ゆるりとドレスの裾をつまんで立ち上がる。
「エルダー、メルロンド。決着がついたようですよ。戦況を確かめにいきますから、お供なさい。」
「は、…」
危険だ、と止めることも出来ず、二人の若い騎士は言われるままに従った。シェラのほうは、それより早く馬に乗って飛び出している。
皆は、無事なのだろうか。運命に捧げられた者は誰なのか。一人だけで済んだのか、それとも。
駆けつけた戦場には、炎と煙が充満していた。辺りに嫌な匂いが立ち込め、騎士や兵たちが吹き飛ばされた味方を助け起こしている。
「皆…あ!」
シェラは、ウィラーフがシドレク王を助け起こしているのに気づいて駆け寄った。側にブランシェも、クローナの自警団とともに無事で居る。
「ウィラーフ! 一体どうなったの」
「ローエンが最後の最後に、自分ごと王を吹き飛ばそうとした」
振り返って、彼は、折り重なるようにして燻っている黒い塊を見やった。さきほどまでローエンだったものは、既に原型を留めていない。
そこへ、アルウィンたちが馬を引いて近づいてきた。皆、吹き飛ばされたり転んだりでさんざんな格好だが、少なくとも誰一人、欠けてはいない。
「戦争は終わったよ」
「アルウィン…」
「飛び込んできたのは、オウミだった。」
彼は、呟いて傍らのエラムスを見上げた。
「…あの男なりに、始末をつけたのだろう」
それだけ言って、寡黙な大男は口を閉ざした。
「ふむ」
マントのほこりを払いながら立ち上がったシドレクは、辺りを見回した。
「これで終わり、か。なんとも…派手な最期ではあったが。」
ひとつため息をつき、彼は、剣を拾い上げて馬に飛び乗った。
「王国の勝利だ!」
叫んで、剣を高く上げる。
ウィラーフが、慌てて、本来はデイフレヴンの役目だった宣言を叫ぶ。
「皆、よく戦ってくれた。王国の敵を打ち倒した今、王は平和を望んでおられる! 残党を掃討せよ。ただし投降する者の命までは奪うな!」
それをアルウィンが、側で翻訳して幾つもの言語で言い換える。レトラ語、ハザル語、ミグリア語、さらに他の、様々な言語、方言、彼の知るありとあらゆる言葉で。
戦場に歓声が上がり、王を称える熱を帯びた声が余韻を引いてゆく。
それを、到着したばかりのギノヴェーアは満足げに遠くから眺めていた。
剣を掲げて立つ金の髪の王の側には、小柄で目立たない、多くの言葉を操る銀の少年が立つ。
そしてその周りには、はるか昔の戦場と同じように、多種多様な人々が味方として集っていた。
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