第50話 目覚めの時

 「援軍だ! 西方騎士団の旗だぞ!」

 見張り台からの声が飛び、鐘が打ち鳴らされる。

 シドレク王とデイフレヴンのテントに付き添っていたウィラーフは、はっとして外に飛び出した。陣の西側、街道から続く小道に、確かに西方騎士団の旗がいくつも翻っている。先頭に馬を駆けさせるのは派手な緑色の鎧の男で、目立つ真っ赤な髪を炎のようにたなびかせながら、こちらを目指して突進して来る。

 西方騎士団の団長、ルーミス・ユエン。

 後ろに続く軍勢からして、彼は、最低限の国境警備だけ残して、ほとんどの騎士を自ら率いてきたようだった。


 ウィラーフは、門の前まで駆け出すと、先頭の男に向かって怒鳴った。

 「良く来てくれた! ちょうど今、敵陣の攻撃を受けて北方騎士団が苦戦している。もし疲れていないのなら、援軍に回ってくれ!」

 「ということは、間に合ったんだな? 了解だ!」

派手な格好の男は、歯をきらめかせながら笑顔も派手に、そのまま馬に拍車を当てて陣を素通りしていく。

 「すぐにでも戦場に出たい者は我に続け! いざ、逆賊どもに西方の赤きしるしを焼き付けん!」

抜き放った剣の柄には、西方騎士団の印である赤い房飾りが揺れる。背格好もばらばら、武器も思い思いの個性豊かな騎士たちが、雄叫びを上げる。

 「…ああ、うるさい」

ウィラーフは、手で耳を抑えた。

 「怪我人にさわるだろう。まったく…これだからあいつらは」

 「突撃ィ!」

派手な男は陽気に叫び声を上げると、西方の騎士たちは長旅の疲れも見せず、谷を駆け下ってゆく。ロットガルドも、さぞかし驚いていることだろう。


 ほどなくして、形勢不利とみた敵陣から、退却を告げるラッパの音が鳴り響いた。ほっとして、ウィラーフは少し、肩の力を抜いた。これで、今日一日はなんとか生き延びられるはずだ。

 振り返って、テントの奥に漂う死の気配を見つめる。

 (あとは…王さえ生き延びてくだされば…。)

だが、未だ意識は戻らぬまま、怪我人は、迫りくる死の影と戦い続けている。

 「……。」

ラッパの音を聞きながらウィラーフが拳を握りしめていたとき、ふいに、ふわり、と風が吹いた。

 季節外れの菫の匂い。それに、どこか覚えのある気配が背後に近づいてくる。

 「あらあら、なんて顔をしているのかしら。お父様は、そんなにひどい状態?」

 「!」

はっとして、彼は顔を上げた。

 振り返るとそこに、居るはずのない人物が立っている。

 「ギノヴェーア…様?」

 「待たせてしまって、ごめんなさいね」

白く輝く優雅なドレス、白金の髪と白い肌。最初は幻かとも思った。だが、今は真昼だ。妖精の時間ではない。幻ではない証拠に、後ろには王女とともにリーデンハイゼルに残っていた二人の近衛騎士を連れている。

 にっこりと微笑むと、王女ギノヴェーアは白いドレスの端をつまんで、テントの中を覗き込んだ。

 「間に合ったようね。少しここを借りるわ」

わけがわからないまま、ウィラーフはただ、頷くしか出来なかった。

 王都からの救援は、夕方に到着と聞いていた。それは、まだ到着していない。王女が一緒に来るとは聞いていないし、来るとしても、救援部隊と一緒のはず。

 王女がテントの中に消えたあと、ウィラーフは、疲れた様子の二人の近衛騎士、エルダーとメルロンドをじろりと睨んだ。最近入隊したばかりの近衛騎士で、彼にとっては後輩たちに当たる。

 「騎士が、女性の護衛対象に体力で劣ってどうする。」

 「申し訳ありません。まさか、徹夜で早駆けをさせられるとは思わず」

 「…まあ、お前たちは病み上がりだ。無理をさせた。少し休んでこい」

 「はい…。」

二人は、ベンチに腰を下ろして水を飲んでいる。人がこの様子なら、馬もさぞかし疲れ果てているだろう。それにしても、護衛二人を連れただけで徹夜の行軍とは、王女もずいぶんな無茶をする。


 テントの中を除くと、ギノヴェーアは取り出した銀盃に何か液体を注ぎ込んでいるところだった。

 彼女は父の傍らに屈むと、血に濡れた傷に触れる。

 「大丈夫ね。傷はまだ、冷え切っていませんわ。さ、お父様。」

体を抱き起こし、膝に頭を載せ、青ざめた唇に盃を押し当てる。中のとろりとした乳白色の液体が、シドレクの口の中に流れこんでいく。

 全てを飲み込ませ終えると、ギノヴェーアは膝に載せた父の頭を両手で抱え、その瞳を覗き込んだ。

 「…お父様。聞こえますか?」

と、固く閉ざされていた瞼が、ぴくりと動いた。

 それまで真っ白だった頬に赤みが差しはじめる。腕が動き、硬直していた口元が緩んでいく。

 「――ああ… 聞こえている」

声は弱々しかったが、はっきりと聞こえた。

 「王!」

ウィラーフは、思わずテントの中に駆け込んだ。

 「意識が戻られたのですね。良かった…」

ほっとすると同時に、彼は、ふと疑問を抱いた。

 「王女、今のものは…一体?」

ギノヴェーアは微笑みながら答える。

 「妖精の秘薬ですわ。そう簡単に作れるものではないですけれど、いかなる傷でもたちどころに癒す力を持っています。ただし、死者を蘇らせることは出来ません。」

 「……。」

 「シェラのお陰よ、間に合ったのは。お父様が致命傷を負う未来を視てくれたから。――ごめんなさいね。あなたの大切な人に、辛いものを見せてしまって」

 「…いえ」

ウィラーフは、呆然としたままシドレクを見つめている。

 一人が死ななくてはならない、と彼女は言った。

 つまりそれは、ここでシドレクを生かすための代償でもあるのだ。


 外が、にわかに騒がしくなってきた。敵が引き、王国軍の味方が次々と本陣に戻ってきているのだ。

 「あらあら。賑やかになってきたわね」

 「…うう」

デイフレヴンが呻き、目を開ける。

 「…王女?」

 「あなたのほうにも、薬を持ってきたの。ちょっとお待ちになってね。塗ってあげますから」

ギノヴェーアがいそいそと薬の瓶を開けている間、ウィラーフはテントを出て、状況を確認しに門へと向かった。丁度、剣に白い房飾りをつけた北方騎士団と、赤い房飾りをつけた西方騎士団が、並んで戻ってくるところだ。

 「――ギノヴェーア様、王のことはお願いします。ロッドガルド!」

ウィラーフは、北方騎士団を率いる男に駆け寄った。

 「状況は」

 「巧くいった。今日はこちらの被害は軽微だ。時間稼ぎのために徹底して逃げ回っていたせいで、敵の本隊とはほとんど交戦していないのもあるが。それと、先程、クローナの自警団が戻ってくるところを見かけた。ハザル人と合流してくるはずだ。ミグリア傭兵を寝返らせる作戦も巧くいったようだな」

話し声は、テントの中までも聞こえてくる。

 「…と、いう状態らしいですわ、お父様」

ギノヴェーアは、シドレクの瞳を覗き込みながら微笑んだ。

 「状況が見えてきまして?」

 「ああ、…だいたいのところは、分かった」

枕に身をもたせかけ、冷えたまままだ感覚の戻っていない手足を揉みほぐしているうち、死人のようだった王の顔に少しずつ生気が蘇ってくる。血まみれの包帯を解くと、ぱっくりと裂けていた額の傷は、嘘のように塞がっている。

 「どうやら私は、眠りすぎていたようだ。」

呟いて、王は起き上がった。

 「まだ、あまりご無理なさいませんよう。傷は塞げても、体力までは戻せていませんわ」

 「分かっている。足の調子を確かめがてら、彼らの姿を見てくるだけだ」

シドレクが姿を表したのに気がついて、ウィラーフが慌てて駆け戻ってくる。テントの側で怪我人たちの手当をしていたレトラの女性たちがはっとして、慌てて頭を下げた。深手を負って陣に担ぎ込まれたのを見ていた騎士たちも、王が自分の足で歩いているのを見て驚き、しかし、喜びの声を上げた。


 「シドレク様!」

緑の鎧の派手な男が、物凄い勢いで駆け寄ってくる。

 「ようやく来てくれたな、ユエン」

 「遅れて申し訳ありません! ご無事でなによりです」

 「まあ、無事じゃなかったんだが。…相変わらず派手だな…」

 「普段着です。」

真顔で答えるあたり、彼は、本気ででそう思っているらしい。

 「先程、少し戦場に出て来ました。敵の数は多いものの、士気はそれほどでもありませんでしたね。」

 「我が軍は劣勢ではなかった、ということか? 倍以上の数の差だったはずだが」

 「ええ。こちらが散開の陣形を取っていたことで攻めあぐねていたようですね。それに自治領からの援軍が巧く伏兵として機能していましたから。敵は、谷の入口から一歩も入り込めずにいましたよ。」

 「ふむ…」

指揮官たる王の姿が戦場から消えていて、しかも圧倒的に少ない戦力で戦線を維持できたということは、よほど巧みな作戦を立てたか、多種多様な地域から来た援軍を巧く統率出来た者がいたということだ。それも、ほとんど絶望的な状況で折れることなく、強い意志でやり抜けるような者が。


 シドレクは、顎に手を当て、しばし考えたのち、ユエンのほうを向いて言った。

 「なら頼まれてくれ。戦場に伝えろ。友軍はすべて撤退、怪我人の回収を優先させるように、と」

 「わかりました」

派手な緑の甲冑の男は、追いついてきた味方の本隊を呼び止め、たった今受けたばかりの指示を伝えている。シドレクは、周囲の医療班のテントを眺め回した。既に尋常ではない数の被害が出ている。それに、たとえ西方騎士団が合流して数の上で勝ったとしても、敵の手にはまだ、あの恐ろしい五百年前の兵器が残されている可能性がある。

 勝っているわけではない。

 ようやく、これで五分になったくらいだ。それも、もし、他に代わりに出来ない味方を失わずに済んでいたなら…だが。

 「…馬を」

シドレクは、振り返って近衛騎士たちに言う。

 「王、まだそのお体では。」

 「ならば、お前たちが代わりに迎えに行ってくれるのか」

 「どなたを、です?」

 「――……。」

言いかけて、王は言葉を途切れさせた。

 何と説明すれば良いのだろう。この騎士たちはまだ、今日の作戦を誰が立案し、見えないところで何をしていたかを知らない。王が倒れて以来、この寄せ集めの王国軍の本当の指揮官が、誰だったのかも。


 その時だ。見張り台の上から、声が飛んだ。

 「クローナの自警団が戻ってきました。ハザル人たちも一緒です!」

はっとして、シドレクは陣の入り口を振り返った。

 後ろにハザル人の集団と巨体の北方人を引き連れて、十頭ほどの馬が速度を緩めながらゆっくりと戻ってくる。先頭はブランシェ。その後には、クローナの兵たちに守られるようにして、アルウィンとワンダの乗る馬が続いている。

 人々が道を譲った。その先に、出迎えに立つ王がいる。


 近づく前から、アルウィンはそこに誰がいるのかに気づいていた。彼は思わず馬上で目をこすった。死を覚悟するほどの傷を負っていたはずなのに、立って歩いている?

 「――シドレク様!」

馬を止めると、アルウィンは、転がり落ちそうになりながら馬を飛び降りて駆け寄った。

 「よく戻ってきた」

 「怪我は。あの時、あんなに――」

 「まあ、ちょっとしたズルをして死神には勘弁してもらった。代わりにお前たちの命が取られたかと冷や冷やしていたところだ」

 「ズルって…。」

ブランシェは眉をひそめる。

 「こっちは死にそうな思いをしてたっていうのに。ねえ、兄様」

 「……。」

アルウィンは答えない。いや、答えられなかった。ほっとすると同時に力が抜け、忘れていた痛みとともに目の前が暗くなっていく。

 「兄様!」

崩れ落ちそうになるのを受け止めたのは、シドレクの腕だった。細身を軽々と抱きとめて、囁く。

 「すまなかったな。ここからは私の番だ。あとは任せろ」

 「…お願いします。」

答えると同時に意識を失った。脇には、開いた傷口から溢れた血が滲んでいる。

 シドレクは、その軽さと、騎士たちとは比べようもない細い腕に思わず苦笑した。こんな少年が勝利を導いてくれたとは、きっと、誰も信じまい。

 「ウィラーフ。アルウィンを休ませてやれ」

 「はい」

 「それから――」

シドレクの表情を不思議そうに見つめていたブランシェは、慌てて目をそらしながら馬を降りた。

 「借りが増えたぶんの利息は、あとで請求しますから」

 「ああ。そうしてくれ」

にっ、と笑って、シドレクは、他の者たちにも元気な顔を見せるために、ゆっくりと歩き出す。気づいたエルダーとメルロンドが、慌てて王の護衛のために付き添った。

 (あの人は、本当に兄様のことを―…)

遠ざかってゆく背中に、彼女は、ようやく悟った。

 アルウィンがなぜリーデンハイゼルに残ると言ったのか。

 なぜ、あんなに必死になって戦おうとしていたのか。


 彼にとってアストゥールの王は、もはや父や故郷の仇では無く、ただの主従の関係でもなかったのだ、と。




 「!」

目を覚まして飛び起きた時、額に乗せられていた濡れた布が膝の上に落ちた。

 テントの外からは明るい日差しと、どこか遠くから響く戦場の音が聞こえてくる。自陣の中――それも、もう昼だ。

 「目を覚ましたか」

振り返ると、テントの隅に陣取ったエラムスが、のんびりと小刀で矢羽を揃えているところだった。他の仲間たちの姿はない。

 「…皆は?」

 「戦場に出る者は戦場に出た。他の者もそれぞれの役目を果たしている」

 「おれも…行かないと」

 「ゆっくり休め、と剣の王が言っていた」

テントを出ようとする後ろから、エラムスの声が追って来る。

 「あなたも怪我人の一人だ。盾ならば他の者がついている。今は大事を取れ」

 「……。」

脇腹の傷が、かすかに傷んだ。確かに、既に西方騎士団の本隊が合流し、王が目覚めた今では、もはや出る幕はほとんど無い。

 「エラムス。あなたはどうして、おれたちの手助けに来てくれた?」

 「どうして、とは」

 「いや。…聞く理由がなかったな。何でもないよ」

五百年前の約束と、クローナの前で交わされた会話。彼らの間に伝わる伝承の解釈が、いつしか曖昧になってしまっていたことは、アルウィンも既に理解している。当事者だったはずのクローナ領主家に伝わる伝承すら、かつての一部でしか無かったのだ。

 「思い」は時とともに歪み、「言葉」は容易く変節する。その解釈もまた、時代ごとに移ろいやすい。

 「…答えになっているかは、分からないが」

ナイフを置いて、男は太い、低い声でぼそぼそと言った。

 「身内の不始末は、同族の俺の手で付けたい。」

 「オウミたちのことか」

 「そうだ。”エサルの導き手”は、我ら全体の呼称でもあるのだ。導く者は滅ぼす者になってはならなかった。だから、全てのアステラの代表として、ここに来た」

 「――そうか。それが聞けただけでも、良かったよ」

アルウィンは、微笑んだ。

 「これが終わったら、クローナとアスタラの関係を修復出来るといいな。」

 「……。」


 テントに近い西の見張り台から、斥候の声が響いてくる。

 「友軍、圧してます! 敵軍、撤退を開始」

 「やったぞ!」

歓声が上がる。 

 「今のうちに、まだ動ける者は王都へ帰還させろと」

 「死者については、記録を…遺族年金…遺体の搬出は…」

話し声が小さくなっていく。

 床の上に座ってそれを聞いていたアルウィンは、やはり落ち着かなくなって腰を上げた。

 「少し、外を歩いてくる」

エラムスは、何も言わず小さく頷いて、それを見送った。




 わずか一日だが、戦況は大きく好転していた。

 追い込んだはずの敵が援軍を得て勢いを盛り返し、しかも致命傷を与えたと知らせを受けていた王が、自ら剣は持たないまでも馬に乗って戦場に現れたことは、旧エスタード帝国側の軍勢にとっては大きな誤算だった。

 知らせを受け取る陣の中で、ローエンは、癇癪を起こして怒鳴り散らしていた。

 「シドレクがピンピンしている、だと?! どういうことだ!」

足元には、割れた茶器が散乱し、中身のお茶が地面に染みを作っている。

 斥候がびくっ、となり、後すさりながらおずおずと告げる。

 「その――影武者ではないか、との噂もあり、確認中ですが、どうも本物らしく…」

 「らしく、とは何だ!」

 「ひっ」

 「くそ、何という悪運だ。死にぞこないめが。おまけに、あの派手男のユエンまで到着しただと? あと一歩のところで…」

ローエンは苛々と歩き回り、じっと一点を睨みつけた。

 「――だが、こちらにはまだ『竜の牙』がある。もう一度だ。今度こそ、”英雄の最期”にしてみせる」

どう攻めてやろうかと思案していた、その時だった。

 「し、失礼します…!」

汗まみれになった伝令が一人、ぜえぜえと息を切らせ、騎士の一人に肩を借りながらやってきた。

 「何だ。どこから来た」

 「ノックスから、です…緊急のご連絡…」

地面にへたりこむようにして、伝令は、しわくちゃになった書簡を胸元から取り出してローエンに差し出した。

 「ノックスが包囲、されました…残存戦力では厳しく…近隣の町は次々と降伏して」

 「何?!」

ローエンは伝令の手から書簡をひったくり、中身を開いた。署名は、町の防衛を任せていた彼の長男のものだった。

 視線を走らせた男はそこに、信じがたい記述を見出していた。

 「攻めてきたのは、サウディードの巨人? 東の果ての獣人? 何だ、これは――」

 「それと、カッシア暫定自治区の連中です。他にも幾つかの自治領が、我らの拠点を次々と制圧しています。王国が焚き付けていたものと思われます。既に旧エスタード領以外で雇用していた兵は、全て寝返りました」

 「バカな」

書簡をぐしゃりと握りつぶすローエンの声は、震えている。

 「こんな仕込みをする暇が、一体どこに――それに、兵には金は払っていたではないか。なのに、何故!」

 「北方騎士団の越境も確認されています。既に北と東の地域は制圧されました。ノックスが陥落すれば、我々の逃げ場も無くなります」

 「くっ…」

口元の髭が跳ね上がり、男は、血走った目で虚空を睨みつけた。

 「ならば、前進すれば良い。シドレクをしいして王都リーデンハイゼルまで攻め上り、玉座を我が者としてくれようぞ!」

荒々しい息とともに、まだ待機していた斥候に向かって凄まじい剣幕で怒鳴りつける。

 「ファーリエンを呼び戻せ! 今すぐにだ!」

 「は、…はいっ」

斥候は縮み上がり、あたふたと外へ飛び出していく。


 ローエンは苛々と髭をいじった。

 一体、どこに誤算があったというのだろう。ローエン家は、遠縁とはいえかつての皇帝一族の傍流だった。その家には代々、かつてエスタードの栄光を築いた武器の伝承が密かに伝えられていた。

 北方人の持ち込んだ情報を利用して、それを手にすることを思いついた時は、上手くいくと思っていたのだ。

 実際、それは途中まで上手く行った。アストゥール王国によって禁じられ、封印されていた兵器を取り戻し、邪魔なアストゥールを牽制出来さえすれば、大陸の制覇にも乗り出せるはずだった。

 それなのに、あと一歩というところで――。


 苛立ちを覚えるローエンの意図とは裏腹に、同時刻、彼の軍勢は敗走を始めていた。

 指揮を執っていたスレインが呼び戻されて戦場を離れるや、一部の騎士たちは、戦うのを止めて勝手に帰還しはじめたのだ。

 既に前日、傭兵団の幾つかはアストゥール側に寝返っていた。そして今日もまた、戦況が変わり始めたと気づくや、幾つかの傭兵団が、自らを売り込みにアストゥール側に接触していた。元より、ならず者やごろつきの寄せ集めのような傭兵たちもいるのだ。統率をとることは容易ではない。


 報告して主に怒鳴られることを恐れた斥候たちは、口をつぐんだままだった。

 そして、自ら戦場に立っているわけでもないローエンには、見えなかったのだ。




 その夜、王国軍の会議室がわりの天幕は、はじめて満杯になっていた。

 ギノヴェーアとともに真ん中に座するシドレクの周囲に集まっているのは、援軍も含む各隊の代表者たちだった。そこには、つい先日の王国議会にも似た、様々な地域の出身者が入り乱れて顔を寄せ合っている。今回はいずれも中央語を介す人々ばかりだが、念の為の通訳係という名目で、アルウィンも隅のほうに出席を許されている。

 「それでは、現状をまとめよう。」

シドレクが口火を切った。

 「北方騎士団長。今日の戦況を教えてくれ」

指名されたロットガルドが続ける。

 「はい。今日の最後の戦闘で、東方騎士団は主力を後方に下げ、再び傭兵と地方出身者から成る部隊を前方に出して来ていました。しかし傭兵団の半分は既に我が方に寝返るか、戦線を離脱しています。地方出身者も同様です。明日からは、主力の騎士たちとの戦闘になるでしょう」

 「それでは、逃げ道を塞いだほうがいいのではないか? ローエンの性格からして、不利と見れば退くはずだが。」

と、西方騎士団のユエンが言う。

 「ノックスの城壁はそう簡単には破れない。籠城されると厄介だ。何より、今なら向こうの主力は未だほぼ無傷。支援する地方領主も多いだろう」

 「その心配はありませんわ」

ギノヴェーアが朗らかに口を挟む。

 「ノックスはそろそろ陥落しているかもしれませんよ。サウディードの警備隊と、勇敢なる東の獣人たちが攻め寄せているはずですからね。」

 「それは――初耳です」

と、ウィラーフ。

 「一体いつの間に、そのような連絡を?」

 「王国議会が終了する前ですわ。ノックスに反乱の兆しあり、開戦と同時に背後から救援を求む。と、幻影で伝えておきましたの。」

 「なるほど…。それで、間に合ったということですか」

 「うちの連中も、街道から近隣の町を制圧しながらノックスを目指している」

ロットガルドが言う。

 「もともと東の貴族どもは日和見主義だ。勝ち目がないと思えば、ローエンを支援していた領主たちもすぐに寝返るだろう」

 「ふむ…。」

派手な格好の男が足を組むと、鎧の肩につけた鮮やかな色の羽根が揺れた。何故そんなところに羽根がついてるのか、理由は、誰も知らない。隣に腰を下ろしているロットガルドは、よほど邪魔なのか、時々、それとなく顔にかかる羽根を払い除けている。

 「となれば、連中は撤退も出来ず、進軍するしかない。破れかぶれの攻撃に出てくる可能性もあるな」

 「今ならばこちらが有利です。戦線を押し上げるべきと思われます」

 「うむ。」

 「先鋒は、我々、西方騎士団が努めます。何も王御自ら最前線に来られる必要はない。宮廷騎士団とともに後方にお控え下さい」

 「しかし、宮廷騎士団は…」

いつも王の側を離れない近衛騎士デイフレヴンの姿がないことには、皆気づいていた。

 傷は本人の主張するよりはるかに深く、今は下手に動けば命に関わるというのが医師アーキュリーの診断だった。そのため、無茶をしないよう見張りまでつけられているくらいなのだ。


 「それならば、心配は要らんぞ」

 シドレクは笑って、視線を、白いスカーフを巻いた少女へと移した。

 「私の身は、勇敢なクローナの自警団が守ってくれることになっているのでな。」

ブランシェは、不承不承といった顔で頷いた。

 「ほう。そりゃあ安心だな。」

ロットガルドは何故か、にやにやしている。

 「どういう意味です」

 「いや、何。信頼してるってことさ」

 「…何か含みがありますね、まぁいいですけど」

 「それと、皆に言っておかねばならんことがある。」

シドレクが口を開いたので、ブランシェたちも口を閉ざし、注意を向けた。

 「敵は、かつてこの地で放棄された五百年前の兵器を幾つか回収して所持しているとの情報がある。王国では禁じられた、クロン鉱石を使用した殺傷兵器だ。私に傷を負わせ、宮廷騎士団の大半を吹き飛ばしたことで、その威力は実証されている。――あと幾つ確保しているのかも分からない。一撃でも喰らえば甚大な被害が出る。引き続き、散開陣形で臨むことを心得てくれ。さすがに無駄撃ちするだけの数の余裕はないと見ている。」

全員が大きく頷いた。

 そこから先は、細かな布陣と明日の段取り、これからのことについての話し合い。

 そして、話がまとまると、三々五々、人々は休むために散っていった。


 人がはけたあとの天幕の中で、シドレクは、ふーっと大きて息をついて折りたたみの簡易椅子の背にもたれかかった。

 「さすがにお疲れですね。シドレク様も休まれてください」

言いながら、ウィラーフが水差しから注いだ水を渡す。

 「明日はあまり前線に出ないでくださいよ。いつも先陣切って突っ込みますが…私では、デイフレヴンのようにはいきません。」

 「分かっているさ。前回で懲りた。さすがにもう、若くはないな」

笑って、シドレクは差し出された水を受け取ると、一息に喉に流し込んだ。

 「――しかし、どうしたものかな。例の兵器とやらは。迂闊にローエンを追い詰めると、どこで使われるか分からんのが厄介だな」

 「そうですね…」

それほど沢山を持ち出したとも思えず、その中でも使えるものはそう多くはないだろう、というのがギノヴェーアの見立てだった。

 シグレクがかつてサウディードの学者に調査させた内容によれば、使われたのはおそらく「竜の牙」と呼ばれる携帯型の爆弾の一種だろう、という話だった。内部にクロン鉱石から抽出した成分が凝縮されている。信管と呼ばれる部分に衝撃を与えることで爆発し、周囲一体を高温で焼き払う。一般的には、投げて使うものだという。

 だとすれば、一定の距離に近づきさえしなければ使われないはずなのだが、戦場でそれは難しい。

 「上手く失敗させられれば良いんだがな。例えば、その兵器とやらを使おうとしたところで射落とす、とか」

 「まさか、そんな。よほどの弓の名手でも居なけれ――」

呆れたように言いかけたウィラーフの言葉が止まった。

 「どうした?」

 「そういえば、アルウィン様のところにヨルド族の射手が一人、来ていました。かなりの腕前だとか」

 「ほう」

シドレクは目を輝かせて身を起こした。

 「借りられるだろうか?」 

 「…聞いてみます。ただ、期待はしないでいただけますか。不確かな方法で兵を危険に晒すわけにもいかないのですから」

 「ああ、分かっている。」

ウィラーフは天幕の外に出て、待機していたメルロンドに少しの間、席を外すことを伝え、急ぎ足にアルウィンを探しに向かった。


 レトラ族の女性たちの歌う、レトラ語の優しい歌声がどこからともなく響いてくる。

 それは不思議な旋律で、それぞれが音階に別れて楽器もなしに協和音を奏でてている。歌詞の内容は、古伝承の類のようだ。



//  その手は誰の血も欲さ無かったけれど

//  戦の風はあなたにそれを許さない


//  たとえあなたが鴉たちを喜ばせようと

//  狼の友とは呼ばれない


//  優しき英雄よ どうか忘れないでください

//  誰もが臆病者と罵ろうとも

//  その涙に救われる命もあるのだということを。



 久しぶりに穏やかな夜が更けてゆく。

 この戦争の結末が近いことを、誰もが予感していた。


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