第48話 岐路

 アルウィンが去ってから、シドレクとデイフレヴンの二人はすぐに医療用のテントに運ばれた。状態をひと目見た時から、医師のアーキュリーの表情は険しく、額には汗が滲んでいた。

 息が浅く、脈はかなり弱まっている。

 爆発と熱風による裂傷、打撲、それに火傷。どれだけ手を尽くしても、迫り来る死を遠ざけることは出来そうにない。それでも、僅かな奇跡にすがって出来る限りのことをする以外の選択肢はなかった。

 蒼白な顔で力なく横たわるシドレクを前に、宮廷騎士団専属の医師アーキュリーは滴る汗を拭うことも忘れて懸命の治療を続けている。

 自身も傷を負っているデイフレヴンは、手当をされながら、その傍らで身じろぎもせず隣のシドレクの治療の様子をじっと見守っている。味方からの知らせは何もこない。伝令まで倒されたのか、或いは、伝令を出せるほどの指揮系統が戦場にもう残っていないのか。

 「――このままでは…助からない…」

アーキュリーが絶望を漏らした時、突然デイフレヴンは渾身の力を振り絞り、傍らにあった自らの大剣に取り付こうとした。ぎょっとして、治療に当たっていたシェラや他の医療班の人々が手を止める。

 「よせ、デイフレヴン! 何を」

 「ちょっと、やめて!」

剣を抜き、自分の首に当てようとする太い腕に、シェラが飛びついて止める。

 「王の行くところには、何処であれ、お伴すると誓った。たとえ死出の旅路であろうとも――」

 「縁起でもないこと言わないで! まだ王様は死んでないんだから、最後まであきらめないで!」

 「そうですよ。いい加減にして下さい!」

振り返ると、テントの入り口に、腰に手を当てたブランシェが立っていた。

 「周りに怪我人がたくさんいるのに自分勝手に騒いだりして。それでも騎士なの? 勝手に死なれたりしたら、兄様が命がけで助け出した甲斐がないじゃない。黙って治療されなさい!」

 「……。」

シェラも、デイフレヴンも、あっけにとられている。

 その隙に、少女はデイフレヴンの手から剣を取り上げた。

 「ブランシェ、どうしてここに」

 「敵が撤退した、って伝えに来たの。兄様とハザル人の援軍が、敵を撹乱してくれたみたい。これから味方を呼び集めて、出来る限り怪我人を回収するわ。ここも忙しくなるはずだから…」

彼女は、じろりとデイフレヴンのほうを睨んだ。

 「そういうわけだから、あなた一人に構ってる場合じゃないの。兄様がどれだけ苦心して時間稼ぎをしてると思ってるの? 私たちはまだ諦めていない。投げ遣りなことしてないで、大人しくしてて頂戴。いいわね」

 「……。」

力の抜けたデイフレヴンを、医療班の女性たちが寝台に押し付けて、傷口の縫合を再開する。

 ぷい、と外に出てゆくブランシェの後ろ姿を、シェラは、苦笑とともに見送った。

 彼女だって兄の安否が心配のはずなのに、ああして、気丈に振る舞っている。兄とそっくりだ。


 ブランシェが去ってほどなくして、ロットガルドが現れた。砂埃と泥にまみれ、血に汚れた鎧のまま、医療テントの前に立つ。

 「失礼する。こちらに王が――」

言いかけて、彼は入り口で硬直した。シェラが口元に指を当てる。

 「…これほどの重傷だとは、アルウィンは言わなかったぞ」

声を押し殺し、彼は、呻くように言った。

 「隠していたのは、彼なりの配慮だと思うの。それで、アルウィンは? 無事なんですか」

 「ウィラーフを探しに行くと言っていた。獣人を連れて”死の海”の奥へ向かったはずだ。しかし…」

 「ここは面会謝絶にしたほうがよさそうだ」

汗を拭いながら、アーキュリーが呟く。

 「とても来客に見せられる状態ではない。シェラ、入り口を閉じておいてくれ」

 「わかりました。…すいません、そういうことなので」

 「……。」

ロットガルドは何も言わず、テントの外に出ていく。

 彼にも分かっていた。

 王とともに、片腕というべきデイフレヴンも重症だ。明日からの戦場に出られる状態ではない。そうでなくとも、今日の戦いで宮廷騎士団はほぼ壊滅状態になった。残された北方騎士団も奮闘はしたものの、敵側は傭兵を前線に出し、主戦力を温存していた。これで、兵力の差は、さらに開いたはずだった。

 (せめてウィラーフが無事なら、となるが…成程。彼はそれで、あの時、探しに向かったのか)

テントの側のベンチに腰を下ろし、彼は、兜を置いてため息をついた。

 すれ違った時は、なぜ戦闘員でもないアルウィンが危険を冒してまで、たった二人きりでウィラーフを探しにゆくのか分かっていなかった。ただの同郷のよしみかと思っていたが、そうでは無かったのだ。あの時、彼は冷静に、ウィラーフがこの先、必ず必要になる味方だと計算していた。それに、振り返ったあの時に見せた、「必ず見つけて戻ってくる」とでも言いたげな、強い意志に満ちた微笑み。


 かつて近衛騎士だった彼は、アルウィンがクローナ領主家の出身であることは知っていた。

 すぐに北方騎士団に異動してしまったため、王宮でもほとんど接触が無く、その後、王に気に入られて役職を与えられたと知って、何故だろうと訝しんでいたものだ。

 だが、今なら分かる。

 あの少年は、”英雄王”の異名をとる、苛烈にして唯一無比の王が欲するだけの器を持っている。


 「団長!」

白い房飾りをつけた騎士が駆けつけて来る。

 「味方の撤退と怪我人の回収、ほぼ終わりました。こちらに運びます」

 「うむ、頼んだ。

 「それと、近衛騎士のレスロンド殿が帰還しています。何やら、お供がたくさん…」

 「お供?」

腰を上げ、陣の入り口に向かった彼は、そこで、何やら賑やかに話している奇妙な集団を見つけた。ぼろをまとった、難民にしか見えない女性たち。それに、北方人らしい上半身が裸の大男に、揃いの武器を提げた肌の浅黒い荒野の民。

 それらを取りまとめるのは、アルウィンだった。ブランシェに何か指示を出したあと、ウィラーフとともに陣の奥へ向かってやってくる。

 ふと、顔を上げてウィラーフが呟いた。

 「…ロットガルド」

 「そっちも生きていたか。良かった」

 「何とか、な」

ロットガルドは、彼らの後ろに視線を向けた。

 「ところで、あれは何だ?」

 「帰還する途中で出会った、レトラ族の女性たちです」

と、アルウィン。

 「ノックスの近郊に住む人々です。王国軍と東方騎士団が開戦したことを知って、何か手助けがしたいと検問をくぐり抜けて徒歩でここまで来てくれたそうで。彼女たちは医療の知識があるそうなので、あとでこちらの援護に回ってもらいます」

 「それ以外は?」

 「あとは、以前クローナで出会ったヨルド族のエラムスと、ハザル人の次期族長のディーが連れてきてくれた援軍です。彼らも、信頼できる仲間ですよ」

 「…ふむ」

ロットガルドは、どう笑っていいのか分からず、あごに手を遣って髭を引っ張った。

 「まるで魔法だな。たった二人で荒野に飛び込んでいったと思ったら、こんなにたくさんの援軍を引き連れて戻ってくるとは」

 「ちょっと、あなた! またそんなところで邪魔をして」

目ざとく、ロットガルドの姿を見つけてブランシェが飛んでくる。

 「二人とも、怪我してるじゃないですか。見て分かるでしょう? 話は後。手当が先! ほら、そこを退いて。兄様、早くその怪我を診てもらってきてください」

 「うん、…そうするよ」

妹の剣幕に圧されて、アルウィンは、ウィラーフとともに医療班の待つ陣の奥へと向かった。

 「全く、もう」

少女は、きっとした顔で側の大男を見上げる。

 「ちゃんと仕事してくださいよ、騎士団長さん。そんなんだから北方騎士団は纏まりがない、とか言われるんです!」

 「ええ? いや、それは、…話が違うというか」

 「落ち着いてのんびり構えてる場合じゃないでしょう? 誰がこの現場の指揮を取るんです。こういうときだからこそ、上の者が率先して動かないと! 士気が下がって脱走兵でも出たらどうするんです。やることがないんなら、今のうちに残存勢力の確認と作戦の草案づくりでもしといてください!」

早口にぴしゃりと言って、ブランシェはあっという間に雑多な”援軍”たちのほうへ駆け戻っていく。

 唖然としていたロットガルドだったが、言われたことは確かに間違ってはいなかったので、頭をかきながら、何も言い返さずに黙っていた。

 落ち込んでいる暇も、途方に暮れている余裕もないのは確かなのだ。あの少女もそれが分かっていて、必死に、いま出来ることをやろうとしている。




 幸いにして、ウィラーフとアルウィンの傷は比較的、軽症だった。

 とはいえウィラーフは、全身打撲に疲労、指の骨折で全治一ヶ月と診断されている。元・近衛騎士の二人を相手に戦ったにしては上出来というところだが、無理を押して戦場に出すわけには行かない、というのが、ロットガルドの意見だった。

 会議用の天幕の中には、小さなランプの灯が揺れている。

 ロットガルドは地図を前に、難しい顔をして伝令の報告を受け取っていた。

 「失礼します」

入り口が開いて、ブランシェを先頭に、ウィラーフとアルウィンが入ってくる。

 「シドレク様の容態は」

 「今の所は持ちこたえています。…ただ、意識が戻りません」

 「そうか」

少年の口調も表情も、淡々としたものだ。心配なはずなのに、完璧にそんな不安を押し殺して見せている。むしろウィラーフのほうが、どこか落ち着かない表情だった。

 「西方騎士団の本隊は、いつ到着するんですか」

 「先ほど知らせが届いた。相当に無茶な速度で進軍してくれているらしいが、どうしてもあと半日はかかるという。」

 「あと半日――。」

彼は、膝の上に置いた拳を握りしめた。つまり、最低でもそれだけ、この本陣を保たせなければならない。

 「それと、ギノヴェーア様が王都から援軍を送って下さったという。戦況が思わしくないのを見越して、残してきた王都防衛のための戦力を割いたとのこと。昨日のうちに出発しているそうだ、明日の夕刻前には到着予定」

 「北方騎士団の一部が、東方騎士団の管轄に侵攻することになっていたはずだ」

と、ウィラーフ。

 「そっちはどうなってる」

 「おいおい、昨日の今日だぞ。どれだけ距離があると思ってる。いくら何でも、まだ指令も届いていないはずだ」

 「…そうか」

彼は、歯噛みして項垂れる。

 「時間が足りないな…。いまの戦力では、一時間保たせることも難しい。ここが陥落して王の身柄が拘束されでもすれば、全てが終わってしまう」

 「もう一つ、敵側が手に入れた五百年前の『兵器』が、あと幾つあるのかも気になっています」

と、アルウィン。

 「今日、シドレク様を狙って使われたものです。威力は既にご覧になった通り――大きな爆発を起こし、熱と光を発する兵器です。混戦中に使われれば、被害は甚大になる」

 「うむ。確かに」

 「しかし、それほど数は無いと思います。元より五百年も前のもので、まともに使える状態のものはそんなに残っていなかったはずだ。だとすれば、ここぞというときに使いたいはずです。そうなれば、使わせないためにも、こちらが隙を見せなければいい。つまり散開陣形です。」

少年は、手早く作戦を組み立てていく。

 「少数での防衛となれば密集が一般的ですが、それでは狙われるままになってしまう。幸い、こちらは独立して動ける幾つかの部隊がいます。北方騎士団、西方騎士団、ハザル人の援軍、それに、クローナの自警団」

隣で、ブランシェが大きく頷いた。

 「指示をいただければ、どこへでも行きます」

 「だが、それでは個別に撃破されて終わりではないのか?」

と、デイフレヴン。

 「防衛に特化すればそうでしょう。しかし最初から遊撃に出れば容易くはないはずです。不意打ちで攻撃を加え、不利になれば逃走する。時間稼ぎにしかなりませんが、目的はまさにそれです。一時間を二時間、せめて三時間に延ばせれば、援軍が到着する」

 「誘導に引っかからずに正面突破でここを狙われる危険性もある」

 「それは――」

 「オレたちで谷の入り口に罠を仕掛けておく」

天幕の入り口で声がした。振り返ると、ハザル人の少年、ディーが立っている。

 「落とし穴でも、馬避けでも、何でもいいんだろ? 要するに、進軍を止められればいいってことだよな。その手の策なら、この荒野の民に勝る者などいないぞ」

彼は、自信たっぷりに笑ってみせた。 

 「あと、あのデカい北方人もうちで借りていくぜ。弓の腕は相当なもんだ。崖の上から援護射撃してもらえば、少しは楽になるかもな」

 「うん、よろしく頼む。」

 「……。」

あっけにとられてやりとりを見ていたロットガルドだったが、ふと、気づく。

 「…ということは、我が北方騎士団は正面で敵の攻勢を迎え撃つ役目、か?」

 「他にどんな役目がある」

ウィラーフが呟く。

 「西方騎士団はまだ、本隊も到着していない。まともに数の揃っている戦力は、北方騎士団だけだ。適度に散開しながら、正面突破してくる数倍以上の敵を相手に三時間粘ることになる。難易度は高いぞ。」

 「…勝機が薄いのは分かってる」

ロットガルドは、小さくため息をついた。

 「それでも、ここで退くわけにはいかんからな。――お前は、シドレク様の側についていてくれ。今はもう、ここでまともに戦える近衛騎士はお前しかいない」

 「ああ」

頷いて、ウィラーフは剣に手を遣った。骨折した右手の中指には添え木と包帯が巻かれている。万全の状態で剣が握れるわけではない。だが、少なくともデイフレヴンよりは、はるかにましな状態にある。


 王が負傷したことは、既に噂となって陣の中に広がっている。

 死傷者も多数出ている。一般の兵たちの間には、不安と懐疑が漂いはじめている。それを少しでも払拭出来るものがあるとすれば、まだ無事でいる近衛騎士の存在や、不安など吹き飛ばすほど元気に走り回っている、クローナの自警団たちのような一部の者たちの姿なのだった。


 ウィラーフが天幕を出ると、待っていたシェラが駆け寄って来た。

 「ウィラーフ、…」

彼女の瞳に映る色に気づいて、ウィラーフはそっと頬に手を遣った。

 「心配するな。明日はここにいて、王の警護に当たる」

 「…うん、あの。そうじゃ、なくて」

シェラは、後ろから出てくるアルウィンとブランシェに気づいて、さっと目を伏せた。

 「あ、気にしないで。おれたちは先に戻ってるから。」

 「ごゆっくり―」

ブランシェは、何やら含みのある口調で言う。

 「……。」

 「で?」

色艶のある話でないことは、表情を見れば分かる。

 「あたし、ここに来る前、リーデンハイゼルで未来を視たの」

 「? その話はもう聞いた」

 「その時、言ってないことがある――」

迷うように数瞬を置いたあと、彼女は、思い切って口を開いた。

 「この先、誰か一人は必ず死ぬことになるわ。あたしたちの

 「!」

ウィラーフの表情が強張った。思わず、医療班のテントのほうを振り返る。

 「ううん、王様はきっと助かる。助けるために、そのために未来を視たんだから。――でも、予言は絶対なの。結末をすり替えることは出来ても、途中は同じ。誰かが死ななければならない」

 「誰か『は』、だな」

言い換えて、ウィラーフは額に手を遣った。

 「もとよりここは戦場だ。誰が死んでもおかしくはない。全員が無事に生きて戻れるなど、甘いことは考えていない。」

 「だけど…」

 「シドレク様だけは絶対に失うわけにはいかない。お前の選択は正しい。」

ふい、と彼は背を向けた。

 「非戦闘員のことは、お前も含め必ず私が守る。――心配するな」

それだけ言って、松明に照らされた陣の奥へと消えてゆく。

 シェラは両手を握りしめたまま、その後姿を見送っていた。


 未来はいまだ揺れ動いている。この先に勝利があるのかどうか、彼女自身、分からないままでいた。

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