第43話 伝承の地、イルネス

 リーデンハイゼルを出て南へ二日ほどで畑と集落が途切れ、”死の海”と呼ばれる荒野の端へと突入する。

 普段は旅人もほとんど見かけない地域だが、今は、東方騎士団を含む旧エスタード勢力の侵攻に備え、指示を受けた王国兵や騎士たちが警戒線を敷いている。

 また、東方から続く街道は一時的に封鎖され、人と物の流れはほぼ、兵站に制限されている。荒野を抜け道として利用する旅人も、居ないではなかった。


 そんなまばらな人々の合間を縫って、五人は、荒野の中に踏み込んだ。

 荒野の民であるディーを除く四人にとっては、初めて訪れる場所だ。

 案内役をつとめるハザル人の少年、ディーは、荒野に踏み込む際、同行者たちに向かって厳しい声で言った。

 「ここからは、オレの指示に従ってもらう。この谷は毒霧が溜まりやすい。風向きと足場を見ながら進むことになる。」

 「はーい、わかったぞー」

シェラの乗る馬の後ろから、ワンダがぴょこんと手を挙げる。

 「あなた、自分で馬を操作してないでしょ。…もう」

 「む? だめか」

 「それと」

ディーが続ける。

 「毒霧が流れてきたとき、馬は本能的に逃げようとする。そうなった時は、無理に逆らわず馬の本能に従ったほうがいい」

 「つまり、馬から振り落とされないよう気をつけろということだな」

ウィラーフは、そう言って頷いた。

 「目指すのは”イルネス”だ」

と、アルウィン。

 「地図を、もう一度見せたほうがいいか」

 「いや、何処かはもう分かっている。ついて来い」

頼もしい案内役は、さっと馬の頭を巡らせると、赤茶けた大地の奥へ向かって、一直線に駆けさせた。


 伝え聞く所では、この荒野は五百年前、”統一戦争”の最終決戦が行われた場所なのだという。

 当時、この大陸での最大勢力は、東方のエスタード帝国だった。新興ながら次々と小国や地方部族を併合し、またたく間に一大勢力となっていったアストゥールは、最後に、大陸中心部のこの場所で、エスタードとの雌雄を決する戦いに挑んだ。その戦いの激しさは様々に語り継がれてはいるものの、場所が場所だけに実際に調査されたことはほとんど無く、今も戦場は荒れ果てたままに残されている。

 「言っておくが、これから目指す場所はお前たちの言う”竜の谷”とほぼ同意義の場所だ」

と、ディー。

 「…驚いたよ。地図に示されていた場所は、決して踏み入ってはならぬという呪われた地だった。オレたちハザルの言い伝えでは、ユールの怒りによって滅びた城がある、という」

 「それなのに、いいのか? 案内役なんて引き受けて」

 「止めてもお前たちは行くのだろう? なら、見過ごすわけにもいかない」

少年は、ちょっと肩をすくめた。

 「それに、もう五百年経ったのだ。セノラの地と同じく、ユールの怒りも流石に解けている頃だろうと思ってな」

 「なるほど。」

確かに、「呪い」や「神の怒り」の正体が、戦争で使われたクロン鉱石の兵器なのだとすれば、鉱石が再結晶化して汚染状態が緩和されているかもしれない。

 「”エサルの導き手”は、先行しているでしょうか」

ウィラーフは、用心深く周囲の気配を探りながら馬を走らせている。

 「おそらくは。王宮で戦った時、オウミの姿は見かけなかった。王宮で捕らえられたのは十数人ほど。クローナに潜入していた四、五人を除けば、残り数人はオウミと行動を共にしていると思う」

 「東方騎士団の連中も――でしょうか」

 「彼らの協力関係がまだ続いているのなら、そうだろうね」

彼らは、”エリュシオン”を王の証だと信じていた。その実体が何であるかは分からないが、たとえばかつての戦争で使われた危険な兵器のようなものならば、渡すわけにはいかないのだった。


 ほぼ半日ほど走り続け、やがて行く手には、谷の間に挟まるようにして立つ崩れ落ちた要塞跡らしきものが見えてきた。

 馬は汗をかき、ぜいぜいと息を切らせている。人間のほうもそろそろ限界だ。

 「荒野が、こんなに広いなんて思ってなかったわ…」

シェラは、汗を拭いながら呟いた。

 「もう少しだ、頑張れ。」

ディーは、瓦礫の山を見上げる。

 「目的地は、あそこだ。あの岩の陰で少し休もう」

 「城というより要塞、か…」

アルウィンは、王宮の地下にある”書庫”で見た木彫りの地図を思い出していた。あの地図の「イルネス」と書かれた部分にも、確かに、要塞か城のような絵が描かれていた。

 馬を降り、物陰で水と麦芽の塊を与えて休ませる。乗り手の人間たちのほうも、水を飲み、簡単な腹ごしらえだ。

 荒野の乾いた砂混じりの風、遮るもののない日差しは、容赦なく体力を奪ってゆく。


 「む…?」

ふと、ワンダが鼻を鳴らしながら要塞跡に向かって歩き出した。

 「人の匂い、するぞ。この先、ここ、誰か通った気配」

 「本当か?」

ディーが後を追う。

 「…敵か」

 「かもしれない。確かに、馬の足跡だ。まだ新しい」

ハザル人の少年は、腰をかがめ、赤茶けた砂の様子を確かめている。

 「集団で要塞跡に向かったようだな。旅人ではなさそうだ。――先を越されたようだな」

 「匂いが残っているくらいなら、そう時間は経っていないはずだ。まだ間に合う」

言いながら、アルウィンは振り返って、今まで辿ってきた道を見やった。

 イルネスの要塞は少し高台になったところにあり、そこからは、荒野の入り口のあたまりではるかに見渡せた。

 ただ黄色いだけに見えた大地は、遠目に見ると何段階かに別れて明るい色から暗い色に変化している。岩盤の性質の違いのせいだが、遠目に見ると暗い色の部分に水が溜まっているようにも見え、まるで、荒野の中に海が現れたように錯覚するのだ。

 「死の”海”か…」

アルウィンが呟く。

 「なぜ海なんだろうと思っていた。ここから見ると確かに、干上がった内海か、巨大な湖に見える」

 「確かにね。でも、あそこに水は一滴もないわ。あるのは砂だけ」

と、シェラ。

 「騙されて引き寄せられた者は乾いて死ぬしかない。水があるのは、この谷を越えた向こう、セノラの側だけね。」

乾いた熱風が、崖を吹き上がってくる。


 休憩が終わり、五人は、要塞跡の探索に向かった。ここへ来れば何かが分かるはず、とはいえ、具体的に何をどうすれば良いのかは見当がついていない。見た所、五百年の間ずっと無人のまま放置されていた要塞自体はただの瓦礫の山と化し、残っているものは何も無さそうだった。

 だが、怪しそうな場所の見当は、すぐについた。

 ワンダが匂いを、ディーが人の足跡の痕跡を辿り、瓦礫の中に地下へ通じる穴を見つけ出したのだ。


 「アタリ、だな」

 「わふーん」


二人は、得意げに手を打ち合わせた。人が入るのがやっとの穴だが、最近になって掘り起こされたものであることは明らかだ。足跡と匂いは、その奥へ向かって消えている。

 「ずいぶん深そうだな…」

暗がりを覗き込みながら、アルウィンが呟く。穴の奥の空気はぴくりとも動かず、声がわずかに反響している。

 「ディー、ここで馬を見ていてくれないか。もし、おれたちが一日経って戻らなかったら、すぐにシドレク様に知らせてほしい」

 「分かった。気をつけてな」

ウィラーフが荷物からカンテラを取り出して組み立て、油を注ぐ。

 「先行します。ワンダ、妙な匂いに気づいたら教えてくれ」

 「わかったぞっ!」

 「……。」

シェラは、何か気にかかることでもある様子で落ち着かない顔をしている。

 ”青の導き手が指し示し”と、詩にはあった。だとすればこの先、彼女の力が必要になる場所は必ず出てくるだろう。

 アルウィンは最後尾に続きながら、暗闇の先にあるもののことを思った。そして、ここが本当に、かつてロランとエサルが再会を誓った約束の場所なのだろうか、とも。




 暗がりの中は、砂に埋れてはいるものの、踏み固められた道が続いていた。セノラの奥にあった坑道と掘り方は違うが、不快な匂いは同じだ。やはりここにも、かつてはクロン鉱石の鉱山があったようだ。


 クロン鉱石は、五百年前の”統一戦争”で兵器の材料として使われた。しかし毒素が強く、水に溶けてしまうと再結晶化するまで長い時間、土地は汚染されたままとなる。ハザル人の故郷であるセノラの谷がふたたび住めるようになるまでには、五百年の歳月を要した。今は王国内での取引が禁じられ、鉱山も閉鎖され、人里に近い鉱山は厳重に管理されているが、ここのような人の来ない場所は、見張りを置くよりも、人の記憶から消えるのを待つという方法が選ばれたようだった。

 しかし、このイルネスの場合はおそらく、管理上の問題以外にも、何か隠されなければならなかった理由があるはずだった。


 周囲を警戒しながら歩いていた時、ワンダが、ふいに声を上げた。

 「あそこ、なにかあるぞ」

 「どこだ?」

 「奥のほうだぞ。」

夜目のきくワンダには、どうやら明かりの照らしているより先が見えているらしかった。

 少し進んでみると、確かに、かつては両開きだったらしい扉が、壁から外れて斜めに地面に突き刺さっている。天井がひび割れているところを見ると、崩れて落ちてしまったらしい。

 近くには、扉の封印に使われたと思しき銅板が落ちている。アルウィンはしゃがみ込んで板の表面を払った。

 「何か書いてある。ウィラーフ、少し明かりを向けてくれ」

 「今のアストゥールでも使われてる中央語みたいだな。書体がずいぶん古いけど。 ――”危険。これより先は兵器格納庫。汚染区域のため封鎖”。」

彼は、顔を上げて扉の向こうを見やった。

 「兵器…か。」

それに、汚染という言葉。嫌な予感しかしないが、行くしか無い。

 「ふんふん。ふんふん。」

ワンダが空気に鼻を鳴らしている。

 「嫌なニオイちょっとだけ、だぞ。そんなにしない。あと、人のニオイはいっぱい」

 「クロン鉱石は、再結晶化して無害化されているのかもしれません。」

 「そうだな。今はむしろ、人間のほうが厄介だ」

 「念の為、備えます。…シェラ、明かりを頼む」

 「わかった」

カンテラはシェラが受け取り、ウィラーフは腰の剣を抜いた。アルウィンも、万一に備えて持ってきたファンダウルスに手をかけた。ワンダは耳をそばだてている。

 一人ずつ、そろそろと扉の隙間をくぐり、反対側の空間へと潜り込む。その先には、今まで通ってきた狭い通路とは違う、巨大な空間が広がっているようだった。


 足元で、じゃりっと音がする。

 見れば、何か金属片のようなものが無数に散らばっている。

 「鉄の筒…?」

ウィラーフは、足元から何とか形を保っている細長い筒状のものを拾い上げた。筒状の長い棒に、取っ手がついたようものが、そこかしこに積み上げられている。他には、時計職人がよく使うネジの大型のものや、馬具にしてはやけに使いにくそうなベルト、金属製の盾など。これらが五百年前の戦争で使われたものだとすれば、記録にも残されず、博物館にも収められていないような遺物だ。

 「あれ?」

明かりを手にしていたシェラが、ふと壁の落書きに気づいた。引っ掻いたような文字で、何か書かれている。

 「何これ。”戦士の誇り”、”帝国に勝利を”…」

 「帝国?」

と、その時だった。

 はっとしてウィラーフが振り返るのと同時に、彼の目の前に、剣が突き出されていた。


 「そこまでだ。」


 背後で金属音がして、冷たい気配がカンテラの光を隠すためにかけられていた黒い布が取り払われる。

 明るく照らし出された周囲には、いつの間にか、東方騎士団の騎士たちと、団長のローエン、…それに、手下を従えたオウミ老人が立っていた。

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