第36話 王宮奪還作戦

 集められた騎士たちを前に、ウィラーフは作戦を説明した。それは、リーデンハイゼルに戻るまでの間にアルウィンとともに考え、練り上げておいた内容だった。

 目指す場所は二箇所。騎士たちの囚われているだろう地下牢と、ギノヴェーア王女ほか議会のメンバーが囚われているであろう王宮の中心部の「審議棟」。最終目標は、王女たちの解放にある。

 まずは地下牢を解放し、中の騎士たちと協力しあって敵を引きつける。その間に、第二陣が本命へ向かう。成功した時は、町から見える王宮の塔のいずれかに旗を掲げることと決められた。

 決行は深夜。王宮へは、近衛騎士だけが知る有事用の隠し通路を使う。ただし、近衛騎士全員が知らされている通路のため、裏切ったローエンたちが既に押さえている可能性もある。危険な”賭け”だ。

 「味方、ふえた。これで大丈夫か?」

ワンダが首を傾げる。

 「…いや。戦力は足りていない。襲撃者の件もあるが、敵側に近衛騎士が混じっているのが痛いな」

ウィラーフの表情は重かった。

 地下牢に収監された宮廷騎士たちが無事かどうかも判らない。もし無事だったとして、いま本部にいる怪我人を除けば、残る実働戦力は五十人を少し超える程度。対して、東方騎士団は二百人を越えている。いずれ彼らが攻めて来るとすれば、まともに戦っても太刀打ち出来ない。

 「近衛騎士って、ウィラーフもいれて十二人いるって言ってた王様の護衛役のことよね?」

 「そう、王と王の家族の護衛が仕事の精鋭だ。近衛騎士に選ばれるには、それなりの剣技の腕が必要なんだ。並の騎士を三人同時に相手出来ることが条件の一つ」

アルウィンが説明する。

 「現時点で、それが四人も敵側、ってこと? 確かに厳しいわね」

 「ああ。…ウィラーフ一人では勝ち目がない。」

ここへ来てからのアルウィンは、なるべく目立たないようにしていた。騎士団の人々に怪しまれないよう、彼は、表向きの役職名――王国議会の議長である王女ギノヴェーアの秘書、という肩書を名乗っていた。実際に、”リゼル”としての任務が無い時にはそう名乗り、秘書の仕事を行っていたというから、特に無理もなく受け入れられる説明だった。


 シェラは、窓の外の暮れてゆく町の風景を眺めていた。空の赤い火は冷えかかり、王宮の姿は闇に包まれている。がらんとした厩や訓練場は不気味だ。

 「見張られてるんでしょう? ここを出たとたん、取り囲まれるなんてないのかしら」

 「一応、周囲は警戒させている。内通者がいた場合には、こちらの動きはもう知られているのかもしれないが…」

暗がりに目を凝らせども、それらしき人物の姿は見つからない。

 ウィラーフは、アルウィンに視線を向けた。何度か逡巡したあと、彼は言う。

 「正直に言います。ここから先は、お守り出来る自信はありません――」

 「心配はいらない。その程度は覚悟しているよけ

アルウィンは明快に答えた。

 「お荷物にはならない。自分の身くらいは自分で守る」

 「そうだぞ。クローナで戦ったときアルウィン、つよかったぞ」

と、横からワンダがぱたぱたと手を振りながら付け加える。「意外と!」

 「…意外と、ね。」

アルウィンは苦笑している。

 「さすがに騎士には敵わないだろうけど、”リゼル”としてそこそこ危険な任務もこなしてきたつもりだ。いざとなれば逃げるまで、だ。」

 「分かりました。…あまり無茶はしないで下さい。それと…」

ウィラーフは、ちらとシェラのほうを見る。

 「――あたしは… 連れてってもらえないわよね」

彼女は、悲しげに微笑んだ。

 「ここで待っていてくれ。夜明けまでにはケリをつける」

 「うん…。必ず、戻ってきてよね?」

 「ああ」

 「席を外そうか?」

アルウィンが意味深に微笑んでいる。

 「そういえばちゃんと聞いてなかったけど、キスくらいはもうしたの?」

 「なっ、あ…アルウィン様!」

 「ちょっと! そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」

 「冗談だよ」

赤くなっている二人を見比べながら、彼は愉快そうに笑っていた。


 けれど、そんな風に笑っていられるのも、あと少しの間だけだ。

 もうまもなく作戦が開始される。何人が無事に戻って来られるかは分からない。確実に言えることは、――ここで失敗すれば、より多くの犠牲が生まれることになる、ということだけだった。




 アルウィン、そしてウィフラーフたちは、十分に辺りが暗くなるのを待って行動を開始した。向かった先は、王宮の北側の斜面だ。

 宮殿内への隠し通路は、二箇所ある。

 今回は、そのうちの一箇所、町の門からは王宮の反対側にあたる入り口を目指していた。王都の北側には、住宅は殆ど無い。昼間は宮殿の作る影にすっぽりと呑み込まれる鬱蒼とした小さな森があり、段々の斜面は古い墓所になっている。その墓所の中のあずまやの一つが、秘密の出入口だった。

 「道順は教えた通りだ」

あずま屋の床に開けた隠し通路を前に、ウィラーフは騎士たちを見回した。

 「お前たちは地下牢へ向かってくれ。騒ぎが起きたら、こちらは”議会の間”へ向かう」

二十人の騎士たちは、目立たぬよう被った黒いフードの下で頷いた。正規の騎士団がこんな風にこそこそしなければならないのは屈辱的だが、今は仕方がない。

 月の無い夜。誰かに見とがめられぬよう、ランプも灯さず、ほとんど手探りの状態だ。


 最初の一団が通路の奥へと消えた頃だった。

 ふいに、背後で何かが倒れる音がした。

 「う…っ」

ウィラーフの傍らにいた騎士の一人が、腕を押さえてうずくまる。その腕には、矢が一本突き立っている。

 「敵襲――…!」

騎士たちは色めき立つ。応戦しようとするウィラーフを、アーキュリーが止めた。

 「かまわん、ここは食い止める。行け! ここで失敗したら、二度と中へ侵入出来ないんだぞ」

 「…くっ」

ワンダは耳をぴんと立て、空気の匂いを嗅いでいる。

 「五人くらい… 島でアルウィン襲ったのと同じニオイ!」

 「あいつらか…」

”エサルの導き手”。やはり、この町に先回りしていたのだ。

 ウィラーフにとっても因縁の相手ではあるが、借りを返す場所はここではない。

 「すまん、アーキュリー。頼んだ!」

五人ほどの騎士と負傷者を残し、ウィラーフたちは隠し通路に飛び込んだ。

 入り口に入る前に四分の一が減ってしまった。残る戦力だけで足りるのかは不安だが、もはや賽は投げられたのだ。隠し通路に入ったことは、敵の気づく所となっている。ぐずぐずしていると出口側に張り込まれる危険さえある。急がなければ。


 曲がりくねった闇の中、何度も登ったり降りたりしつつ一行は進んだ。水滴が壁を伝い、足元にぬかるみを作っている。

 「この先、真っ直ぐに行けば牢の真後ろに出る」

ウィラーフの声が闇の中に響く。

 「我々はここから王宮の中央を目指す。皆、武運を」

 「そちらも。」

騎士たちの足音が遠ざかっていく。残るは、ウィラーフとアルウィン、ワンダの三人だけ。

 静けさが暗い地下通路に満ちてくる。

 「――さて。」

ウィラーフは、すぐ後ろに続く階段を見上げた。

 「ここからは臨機応変に、――という作戦でしたが、どうしますか?」

隠し通路からの出口は、何箇所かある。中庭の隅に出るもの、審議棟の中に出るもの。王や王族の部屋に直接繋がる出口もある。

 「王女の部屋だろうな、出るとしたら」

と、アルウィン。

 「一番、張り込みづらい場所だろ?」

 「…確かに。奴らに騎士道精神が残っているかはわかりませんが、少なくとも貴婦人の部屋にむさくるしい男が長時間詰めるのはやりづらいですね。それでいきましょう」

王族の部屋は、宮殿の中心部にある。そこから、議員たちが囚われているだろう審議棟までは渡り廊下一本。うまくすれば、王女の身の安全を最初に確保できるかもしれない。

 「…やれやれ。まさか、シドレク様の脱走に付き合っていた経験が、こんなところで活きるとは」

アルウィンが呟く。

 「まったくです」

王族の部屋から墓所に通じる通路は、実を言えば、過去に何度も通ったことがある道だった。

 本来は緊急時にしか使われないはずの道。他のこの近衛騎士たちは、入団の際に概要を聞くくらいで、実際に使ったことなど無いだろう。ここを頻繁に出入りしていたのは、近衛騎士の中でもウィラーフとデイフレヴンくらいのはずだ。

 暗がりの中に灯りだけを頼りに、彼らは、さほど苦労せず目的の出口を探し当てた。


 ワンダが、ぴくっと耳を動かした。

 「なにか、聞こえるぞ」

話し声だ。床の上から聞こえてくる。

 ウィラーフは慎重に、出口の引き戸を少しだけずらす。出入口になっているのは、ベッドの下の床なのだ。絨毯の切れ目をめくると、部屋の光がうっすらと侵入してくる。

 「あなたも意固地な方だ…」

若い男の声。ウィラーフの表情がさっと硬くなる。

 「…東方騎士団長ローエンの息子。フレイス・ローエンだ」

 コツ、コツと歩きまわる音が、床を通じて響いてくる。

 「待っていても援軍など来ませんよ。王は瀕死の重傷です。今頃はどこかで野垂れ死んでいますよ。」

 「でしたら父の首をお持ちなさいな。出来るわけがないのでしょうけれど」

答える明朗な女性の声。アルウィンが息を飲む。

 「ギノヴェーア様…」

フレイスは、今まさに王女を脅迫している真っ最中なのだ。

 わざとらしい大きなため息が聞こえる。

 「あなたはまだ、ご自分の立場がお分かりにならない。こちらとしても貴婦人に手は上げたくないのですがね」

 「わたくしが、拷問と命惜しさにあなたがたの謀反に協力するとでも思っていらして? お分かりでないのは、そちらですよ。重要な人質には優しくしなくてはだめよ?わたくしを殺せば議会をまとめる者は誰もいなくなりますし、生きているかもしれない父が援軍を率いて戻ってきたとき、切り札がなくなってしまいます。」

くすくすと笑う声。

 「もっとも、あなたがたが人質は生きてさえいればいいという野蛮な考えをお持ちなのでしたら、わたくしの腕の一本くらいは見せしめに奪っていくかもしれませんけれど。」

 「ではお言葉に甘えて、そうさせていただきましょうか。このまま手をこまねいている時間も惜しいですからね。」

剣の音。

 「敢えて野蛮人にもなりましょう。父には早く議会を掌握しろとせっつかれているのです。そろそろ、答えを出さなくてはなりません。」

おそらく剣を付きつけられているだろうに、ギノヴェーアの口調はいささかも動じない。

 「王女の腕は高くつきましてよ。それで議会を脅して、従う者も出るでしょうが、そうでない者は逆に腹が決まるでしょうね」

 「何とでも強がられるがよい。宮廷騎士団は指揮する者もなく、ただ手をこまねいているだけです。既に議員たちのうち三分の一は、我々の要求を承認しました。過半数が署名すれば、あとは議会を開いてことを運ぶだけ。その時に、議長は、ただ椅子に座っておられるだけでよい」

 「それは、生きていさえすればどんな姿でも構わない、ということですわね。ふふふ、本当に野蛮ですこと」

鈴のなるような柔らかな笑い声からは、恐怖や焦りは感じられない。

 衣擦れの音。王女の位置と、フレイスの位置がはっきりと見えた。

 地下牢へ向かった騎士たちはまだ騒ぎを起こせていないが、それを待っていたら、王女の身が危険だ。

 「出ます」

小さく囁いて、ウィラーフはベッドの下に這い出し、間合いを測った。そして。


 ベッドの掛布をはねのけ、いきなり飛び出してきた騎士の姿に、王女に意識を集中させていたフレイスの反応が一瞬遅れた。いかに近衛騎士といえども、至近距離から不意打ちで飛びかかられては反撃の隙もない。

 剣が手から飛び、一瞬のうちに床に組み伏せられる。

 「貴様… レスロンド!」

腕をひねり上げられたまま、フレイスが呻いた。アルウィンは、素早く裏切り者の騎士と王女の間に入り込む。

 「ギノヴェーア様、ご無事ですか」

 「あらあら、ウィラーフにアルウィンじゃない。二人ともどうしたの? その格好は」

土とホコリまみれの姿を見て、王女は朗らかに笑っている。

 「話は、こいつを…」

 「ぐっ」

 「…片付けてからですね。」

首を締め上げられ、フレイスが気を失った。それを確かめてからウィラーフは、マントの切れ端を使って男にさるぐつわをかまし、手足を念入りに縛り上げ、武器を奪った。

 「これでいいだろう。王女に対する暴言の数々、あとで厳罰に処されるがいい」

一息ついて、彼はギノヴェーアのほうに向き直った。


 王女ギノヴェーアは、シドレク王に似た輝くような金髪の持ち主で、肌の色は白く、透き通るようだ。淡緑の色の乗った、ほぼ真っ白なゆったりとしたドレスを纏っている。見ようによっては十代の少女のようにも、三十を越えた熟齢にも見える。実際のところ、この女性の正確な年齢は、誰も知らなかった。

 「王女、ご無事で何よりです。」

ウィラーフとアルウィンは、揃って膝を付く。ワンダだけは、きょとんとしている。

 「堅苦しいのはよろしくてよ。そこの毛深い素敵なお客様、あなたはどなた?」

 「ワンダだぞ。二人のともだち」

 「わたくしはギノヴェーア。よろしくね、ワンダ。ところであなた方、クローナから戻ってきたなら父とは会えたのかしら」

アルウィンは、弾かれたように顔を上げる。

 「それは、ご存知だったんですね」

 「ええ。連絡が行き違いになるとしても、あなた方がサウディードで何か手がかりを掴んだとすれば、同じ目的地に向かうはずだとも仰っていました。お元気でしたか?」

 「ええ。怪我はなさっていますが、命に別状はありません。デイフレヴンも一緒です」

王女は、にっこりと微笑んだ。

 「そうだと思いましたわ。でなければ、この者たちが焦っている理由がつきませんもの」

フレイスは、無様な格好で床に転がされている。

 「他にも裏切り者がいます。シドレク様を襲ったのは、ローエンの他にメルヴェイル、レスター、ウィンドミル。他にフラーナルも疑うべきだと」

 「ええ。彼らも近くにいるはずです。どこから連れてきたのか、突然たくさんの騎士たちが現れて彼らの指示でわたくしたちを拘束したのです。議員たちは議場に閉じ込められています。大臣たちは、わたくしと同じように一人ずつ部屋に閉じ込められているはずです。」

ウィラーフは臍を噛んだ。宮殿の内部構造に精通する近衛騎士が裏切ったのだ。敵を招き入れることなど、わけのない話だ。

 「他の近衛騎士は…」

王女は、目を伏せて首を振った

 「あの日以来、見かけていません」

 「…そうですか」

生きているのか、死んでいるのか。生きているとしても、戦える状態にあるとは限らない。増援は絶望的だ。

 「ギノヴェーア様、いましばしご辛抱いただけますか。他の宮廷騎士たちが地下牢に捕らえられている者たちを解放に向かっています。我々は、その混乱に乗じて議員の皆様たちを解放する手はずになっているのです。」

 「あら。では、この不届き者と部屋にふたりきりで待っていなくてはならないのね。他の仲間はいないの?」

 「動ける者は、ほとんどここに連れてきました。ですが、作戦が成功したら、町から見える塔に旗を掲げて騎士団に合図することになっています」

 「そう。」

ギノヴェーアが父親に似たいたずらっぽい笑みを浮かべたことに、二人は気づいていない。


 王女の部屋を出ようとしたその時、遠くで叫び声が上がるのが聞こえた。

 「牢が破られた! 侵入者だ!」

 「貴様ら、一体どこから…」

待ち望んでいた、地下牢の解放が間に合ったのだ。これでしばらくは、宮廷内の見張りや注意はそちらに引きつけられる。今のうちだ。

 ウィラーフは扉を薄く開け、廊下を走りまわっている騎士たちの姿を確かめた。見た目だけならば宮廷騎士とそう変わらない出で立ちの人々が支持を出している。その腰にある剣の房飾りの色は、青だ。

 「東方騎士団――か」

ウィラーフは、ドアから少し離れて腰から剣を抜いた。そのドアを、一人の棋士が勢い良く開け放って飛び込んでくる。

 「ローエン様、大変です!中央騎士団の奴ら…」

その首の後に、ウィラーフが無言に剣の柄で強烈な一撃を食らわせた。哀れな騎士は、声もたてずに崩れ落ち、ほどなくしてローエンとともに縛り上げられて、捕虜の仲間入りを果たしてしまった。

 「行きましょう」

うなずいて、アルウィンたちも続く。

 ここからが正念場。この作戦が巧くいくかどうかは、アルウィン、ウィラーフ、それにワンダの三人の手にかかっているのだ。

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