第35話 王都リーデンハイゼル


 王都リーデンハイゼルは王国のちょうど中心あたりにあり、全ての街道はそこへと通じるように作られている。

 北の果てクローナからは馬で一週間。アミリシア街道を南下し、街道が西へ向きを変えるあたりで合流するローデシア街道の方へ進路を向け、ようやく戻ってきた。

 アルウィンにとってもウィラーフにとっても、実に数カ月の王都ぶりだ。距離からすれば、王国の東半分をほぼ一周してきたことになる。


 まだずいぶん距離があるうちから、王都の姿は街道沿いから既に見え始めていた。

 リーデンハイゼルの町自体が、地面からへそのように突き出した巨大な一枚岩の岩盤の上に作られているのだ。遠目に見ると、まるで空中に浮かぶ都市だ。崖の端から流れ落ちる細い滝。周囲は、一面に畑の広がる大陸有数の穀倉地帯となっており、小さな農村が点在している。

 「黄金の大地」。

 アストゥール王国がその異名を取るのは、この豊かな土地ゆえだと言われている。実りの季節になれば、畑は一面、海のような黄金色の麦の穂に覆われ、王都はさながら、その只中に浮かぶ島のように見える。


 町の入り口の門までは、つづら折りの道。真下から見上げると、町は、入り口の門しか見えない。

 「ここが、リーデンハイゼル…」

初めて来たシェラとワンダは、驚嘆の声を漏らす。

 「でっかいなー… 町っていうより、ぜんぶお城みたいだぞ」

 「そうだね。サウディードとはまた違った意味で、ここも要塞都市みたいなものだ」

と、アルウィン。

 「出入口は一箇所だけなんだ。…だけど、変だな」

その、たった一本しかない道を行き来する人が妙に少ない。僅かな町の住人と、商人だけ―― それ以外に、町に入れないとおぼしき人々が、町の入口あたりで不安げにたむろしている。中にはテントまで張って、もう何日も立ち往生しているらしき人々もいた。

 「状況が変わったのかもしれません」

ウィラーフは、慎重に辺りを見回した。彼はまだ、目立たない旅装束のままだ。裏切った近衛騎士たち以外にも、どこにローエンの息のかかった者が潜んでいるかはわからない。念の為の用心だった。

 シドレクの予想では、叛徒たちは宮廷が完全に掌握されるまで外部に情報は漏らさないだろうということだったが、王が姿を消して既に三週間だ。王宮の異変が、外部に漏れている可能性もある。


 アルウィンは、馬を降りて近くにいた商人や旅人に話しを聞いている。見たところ、どこか遠くの町から来た人々ようだが、地元言葉で話しかけられると直ぐに警戒を解き、笑みを漏らした。多くの地方言語を話せる彼は、こういう時、心強い。

 「ねえ、それにしてもいろんな人がいるわね」

シェラは、自分も目立つ外見であることを忘れて周囲をきょろきょろ見回している。町に入れず道端で野宿しているような人々の中には、滅多に見かけないような部族や少数民族もい。

 「さすが王都、って感じ。」

 「いや…普段は、こんなに遠来の部族が集まることは無いはずだが…。」

ウィラーフが眉を寄せていた、その時だった。

 「お前たち!」

聞き覚えのある声が飛んできた。振り返ると、大股に近づいて来る少年が一人。日に焼けた肌と漆黒の髪は、ハザル人の特徴的な外見だ。

 「ディーじゃない!」

シェラは馬を飛び降り、少年に駆け寄った。以前ハザル人のもとを訪れた時に出逢った、族長の孫。ハザル語のほかに中央語も解する少年だ。

 「どうしたのよ、こんなところで。何してるの」

 「どうしたも何も。集会が近いから、自治領を預かる部族の代表者として、族長の通訳を兼ねて王都に来たんだが?」

ウィラーフは、はっとした。

 「そうか、王国議会…!」


 王国議会は、通常一年に二回、春と秋に行われる。

 その中で、全ての自治領から代表者を招いて行われる「大集会」と呼ばれる会議は、三年に一度。すべての「自治領」は、この会議への出席を義務付けられている。もし理由なく欠席が続けば、自治権を取り上げられ、悪くすれば王国への反逆とみなされ軍を送られることになる。自治領の代表者は王国議会に対し、前回の参加以降で自分たちの領地内で起きた問題などの報告、要望の提出、あるいは議会からの審問への回答などを行う。自治権の剥奪も新たな付与も、すべてこの会議で行われている。

 今回は、その、三年に一度の大きな会議の時なのだ。


 議員たちはもちろん、多くの部族が集まり、町にも人が溢れる。謀反が起こされたが今なのは、偶然であるはずがない。

 「奴らは、この時期を狙って計画を練っていたのか…」

だが、王の暗殺は失敗に終わり、議会の掌握もおそらくまだ終っていない。だからこそ、彼らはこうして何も知らずに町の外で待っている。

 「…何か、あったのか。」

勘のいいディーは、ウィラーフとシェラのただならぬ様子に気づいた。そこへ、聞き込みを終えたアルウィンが戻ってくる。

 「状況が分かった。町は、会議前の警備強化期間ということで一週間前から出入りが制限されているらしい。いつもなら議会から手配されるはずの各部族の代表者への宿の通達も、まだ無いそうだ」

言ってから、ディーのほうに向き直って微笑んだ。

 「久しぶりだね。いつからここに? 町の異変や噂、何でもいい。気づいたことは?」

 「一週間ほど前だ。何かの手違いで準備が遅れているものだと思っていたが…どうやら、そうではなさそうだな」

 「ああ。今は詳しく説明出来ないが、議会の開催に問題が起きている。今は必要な出席者が揃っていない」

アルウィンは、曖昧な表現で直接的な説明を避けた。たとえディーが誰かに漏らすことは無いにしろ、知らないほうが安全だ。

 「町の出入りを制限しているのは、情報が漏れることを恐れているからでしょう。」

と、ウィラーフ。

 「だとすれば、まだ事態は大きく動いていないかもしれません」

 「町の警備は宮廷騎士団の直轄だ。彼らがどうなっているかが心配だ」

アルウィンは、馬に飛び乗りながらディーに言った。

 「ディー、お願いがある。ここにいる人たちに、町から少し離れているよう言ってくれないか。戦いに巻き込まれる可能性がある」

少年は、肩をすくめた。

 「あんたの言うことだ。とりあえずは、従っておく――だが、あとできちんと説明してくれよ」

 「もちろん。」

ウィラーフは荷物の中から白いマントを取り出して羽織り、剣の房飾りを元に戻してアルウィンの後を追う。目指す先は、王都の入り口となる、つづら折り道だ。




 王都へ登るための道は、何度も折り返しながら上へ上へと続く構造になっている。途中の何箇所かには、有事の際に閉ざすことの出来る門が作られているが、大きな戦争のない平和な時代が続き、近頃はほぼ開きっぱなしとなっている。

 だが今は、一番下の門が閉じられて、町に出入りする者たちが止められていた。

 「この先は、町の住人と商人以外は通行が制限されている。町は議会の準備のため封鎖――」

 「知っている」

ウィラーフが答える。駆け寄ってきた警備兵は、彼の剣に下がる金の房飾りを見て、慌てて背筋を伸ばした。

 「し、失礼しました。宮廷騎士団の方でしたか。」

 「今、任務から戻った。何が起きている? 会議の準備が進んでいないのか」

 「それが…よく解らないのです」

門を守る一般の衛兵に、事情を知っていて隠しているそぶりは全くない。

 「二週間ほど前、急に議会内より達しが出たのです。警備上の問題があるため。町にいる異国人は一時的に退去させるようにと。それ以来、特に指示もなく…。普段なら各部族への宿の割り当ても始まっている頃のはずなんですが…。」

 「宮廷騎士団の本部はどうしている」

 「はあ。団長のデイフレヴン殿はしばらく見ていないですね。他の方々は、待機命令が出て本部に集まっておられます」

 「そうか。なら本部に行ってみよう」

ウィラーフは、後ろのアルウィンたちに合図し、そこからは一気に馬を駆けさせた。

 衛兵たちは不審に思いながらも命じられた任務を遂行しているに過ぎない。ということは、王宮で何が起きているのかは、まだ外部に公表されていない。


 道の最上部、町の入口となる最後の城門の前にたどり着く。

 五百年前、ここが王都と定められた時に作られた「凱旋門」だ。華麗さよりも実質にこだわった造りで、両側は物見の塔として使われ、並大抵の破砕武器では打ち壊せないような大きな岩が貼り合わされている。

 あくまで利便性にこだわりながら、余裕があれば少しだけ飾りを加える。これが、この町のあらゆる道や建物に見られる傾向だった。その意味で、王都リーデンハイゼルは、同じ「首都機能を持つ町」としても、まず華美を求めていたノックスとは全く異なっている。


 門を入ると、直ぐに広場が広がっていた。旅人が全て外に閉めだされてしまったせいで、今は閑散としている。

 広場の正面には、真っ直ぐに続く広い道。一段と高い場所に王宮が、薄青く霞み、空に溶け込むようにそびえ立っている。

 「――騎士団本部はこっちだ」

景色に見惚れていたシェラは、あわてて意識を引き戻した。急な動きで、後ろに乗っているワンダが振り落とされそうになって悲鳴を上げている。

 「今の所、町の中に混乱はなさそうだな」

と、アルウィン。

 「そうですね。住人に被害が無いのは良いことです」

 「……。騎士団も、無事だといいんだが」

彼は、心配そうに呟いた。いつもなら町中のそこかしこで見られるはずの巡回の騎士たちの姿が、今日は一人も見当たらない。本当に警備上の問題があるのなら警備を強化するはずなのにもかかわらず、だ。


 宮廷騎士団の本拠地は、門にほど近い場所にあった。

 通りから見えているのは、鉄柵に囲まれた広々とした訓練所。その奥に、ぱっと見はどこかの商館かと思うような質素な建物がある。サウディードの王立研究所と同じで、入口に一言だけ、その建物を示す「騎士団本部」という言葉が書かれている。

 「ここなの?」

 「そうだ。」

訓練所も建物のほうも人の気配がなく、不気味なほどしんと静まり返っている。こんな静けさは、祭りの日に皆が出払ってしまった時でもあり得ない。 何かが起きているのは確かだ。

 「私が、先に行きます」

そう言って、ウィラーフは警戒しながら本部の中に入っていく。

 どこかから、血の匂いがする。傷薬の匂い、廊下に落ちた血の跡。負傷者がいるようだ。シェラとワンダは、おそるおそるウィラーフの後ろに続き、アルウィンは最後尾で、辺りの様子を伺っている。

 幾つかの部屋を過ぎたところで、先頭のウィラーフが足を止めた。そこは本来は応接室のはずだが、ソファの上には、包帯を巻かれた騎士たちが数人、ぐったりした様子で横たわっている。

 看病していたやつれた顔の白衣を着た男が、戸口から覗き込む視線に気づいて振り返った。

 「…レスロンド?」

まるで幽霊でも見ているような顔つきだ。

 「生きていたのか…」

 「それはこちらの台詞だ、アーキュリー。騎士団はどうなっている? 何が起きた」

 「話は中でする。こっちへ」

白衣の男は、ウィラーフたちを奥の応接室へ誘った。包帯の切れ端、薬、はさみなど、怪我人を手当したような跡がそこかしこに残されている。

 「このアーキュリーは、騎士団づきの医者です」

ウィラーフは、アルウィンに向かって説明した。

 「ここは見張られている。誰にも見つからなかったか」

医師はそわそわした様子で、窓の外を気にしている。

 「ああ、多分な。だが、このありさまはどういうことだ?まるで戦場ではないか」

 「実際、戦場だった。騎士団のうち半数は城の地下牢。死者も出た。団長は戻らないし、王も行方不明…。王女や大臣たちが人質では、反撃に出ることも出来ない」

アーキュリーはため息をつくと、ぽつり、ぽつりと、これまでのことを語り始めた。


 シドレク王が暗殺を免れ、王都を脱出したあと中央騎士団を襲った事態は、想像以上に過酷だった。

 今から三週間ほど前、間近に迫った王国議会の開催に合わせた打ち合わせの最中、突然乱入した謎の集団によって騎士団の主だったメンバーが捕らえられた。抵抗しようにも、当日はいつになく参加者が少なかった。

 あとで判明したことだが、欠席者たちのほとんどは一様に、起き上がれないほどの熱を出して寝込んでいたらしい。サウディードで、アルウィンに出た症状と同じだ。おそらく同じ毒を盛られていたのだろう。

 その時はじめて騎士団は、王と王族を警護する近衛騎士、十二人の全てが不在であることに気がついた。

 王までもが居なくなっていた。ふらりと姿を消すことがあるのは以前からほとんど公然の秘密ではあったものの、近衛騎士を全員を連れて、というのは、あり得なかった。


 そうこうしているうちに、議会は騎士団に不可解な要求をする。「見習いも含め、全員、本部にて待機処分とする」「町へ出ることは許されない」。

 事実上の軟禁処分だった。さきに捕らえられたメンバーに謀反の疑いあり、というのが理由だったが、寝耳に水でしかなかった。抵抗し説明を求める騎士団員もいたが、そうした人々は片っ端から捕らえられ、牢に放り込まれた。悶着のすえ、騒動が外に知られるのを恐れてか、議会は町の閉鎖までもを命令した。

 この頃には騎士団も、ギノヴェーア王女と王国議会が何者かの脅しを受けていることを薄々感じ取っていた。それが王の不在と関係することなら、容易に動くことは出来ない。

 ――こうして騎士団は、手をこまねいたまま、本部に閉じこもらざるを得なくなったのだ。


 「…全員、か。」

ウィラーフは額に手をやって、ため息をついた。

 ということは、裏切った四人以外の者たちも、何らかの形で拘束されているか、既に死亡しているかで直ぐには動けない可能性が高いということだ。

 「ここは見張られている、と言ったな」

 「ああ。様子を探るため変装して町に出た騎士が何人も、怪我を負わされて帰ってきた。闇に乗じて何者かが暗躍していると見える」

オウミの手下なのか、東方騎士団の雇った者かは解らないが、どちらにしろ騎士を不意打ちに出来るくらいの腕はある相手だ。注意してかからなければ危険だろう。

 「せめて王の行方が分かれば、我々も安心出来るのだが…」

 「それなら問題ない。王はご無事だ。ある場所で匿われていて、デイフレヴンが側についている。私は、その王からの指示を承ってきた」

そう言ってウィラーフは、王の印と署名、デイフレヴンの添え書きつきの書簡を差し出した。アーキュリーの目が輝く。

 「おお…。それが分かっただけでも心のつかえが半分とれた」

書簡に目を走らせた彼だったが、すぐさまその表情が暗くなる。

 「…東方騎士団が裏切った?まさか…そんな」

 「事実だ。王の暗殺が失敗し、議会が抵抗を続けていることで辛うじて動きが食い止められているようだが、それも時間稼ぎでしかない。我々は、これからギノヴェーア王女と議会を解放しに行くつもりだ。今すぐ動ける騎士はどのくらい居る? 新入りや経験不足の奴は除いて、信頼できる者だけで」

アーキュリーは、しばし考え込んだ。

 「…二十人。最大限に見積もって、その程度だ」

 「十分だ。すぐに集めてくれ」

かくて、ウィラーフの指示で騎士たちが呼び集められた。王宮奪還のための作戦が開始されるのだ。

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